日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その17)
5月のOTOTENでのCSポートのブースでの美空ひばりのことについては、
別項『30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その5)』でも触れている。
音量は大きかった。
大きかったこと自体は、それはそれでいいと思っている。
あの音量で美空ひばりを聴いていて、
何かで見た美空ひばりの東京ドームでのコンサートの模様を思い出していた。
何も東京ドームでなくてもいい、地方のホールでもいいわけだが、
美空ひばりの熱心な聴き手の多くは、オーディオを介して、ではなく、
美空ひばりのコンサートに足を運んで、という人が多いのかもしれない──、
ああっ、これはコンサートホールで聴く美空ひばりの音量に近いのではないか、
そんなことを思っていた。
CSポートのブースでの美空ひばりの「川の流れのように」に感じた不満は、
音量の大きさではなく、別のところにある。
全体に明るいのだ。
音量の大きさから明るさもあったと思うが、
それ以上に、ここで美空ひばりの歌を鳴らしているシステム全体の傾向が、
美空ひばりの歌には少しばかり明るすぎるように、私の耳には聴こえた。
アナログプレーヤーとパワーアンプはCSポートの製品だったが、
他はTADの製品でかためられていた。
そのへんも関係してのことかもしれない。
美空ひばりが堂々と目の前で歌っていても、どこか他人事のようにしか感じられなかった。
2015年のインターナショナルオーディオショウでのヤマハNS5000の試作機で、
同じ音量で、同じアンプとプレーヤーで美空ひばりを聴いたら、
ニュアンスの違いはあっても、同じようにしか感じられなかったかもしれない。
6月のaudio wednesdayで、八代亜紀のCDを聴いた。
わりと新しい録音のようだった。
このCDでの八代亜紀の日本語には、首を傾げざるをえなかった。
最初、耳が急に悪くなったのか、と思ったほど、歌詞がうまく聴きとれない。
八代亜紀のCDの前に、グラシェラ・スサーナ、
藤圭子、美空ひばりの歌においては、なんの問題もなく日本語の歌詞が聴きとれるのに、
これらのCDの中では、新しい録音のCDにも関わらず八代亜紀の歌が聴き取りにくい。
この後にグラシェラ・スサーナの「仕方ないわ」をかけたのは、
そのことを確認する意味もあった。
これはもう、そういう録音だと思わざるをえない。
なんだろう、この日本語の歌の扱いのぞんざいさは……、とおもうことが、
この八代亜紀のCDだけでなく、いくつか感じてしまうことが続いている。