ナロウレンジ考(その16)
アルテックと美空ひばりということで思い出すのことがひとつある。
ステレオサウンド 60号。瀬川先生がアルテックのA4について語られている。
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ぼくは、幸いなことに、もうずいぶん昔のことですが、東京・銀座のヤマハホールで、池田圭先生が解説されて、このA4を聴く会というのがあって、たまたまそれに参加できたんです。
これも、まったく偶然なんだけれども、それに先だって、池田圭先生がステレオ装置の売場で調整されている現場に行きあわせまして、あの銀座のヤマハの店全体に、朗々と、美空ひばりが突如、ひびきわたって……。たしか15年か20年ちかくまえのことだと思うけれども。
たまたま中2階の売場に、輸入クラシック・レコードを買いにいってたところですから、ギョッとしたわけですが、しかし、ギョッとしながらも、いまだに耳のなかにあのとき店内いっぱいにひびきわたった、このA4の音というのは、忘れがたく、焼きついているんですよ。
ぼくの耳のなかでは、やっぱり、突如、鳴った美空ひばりの声が、印象的にのこっているわけですよ。時とともに非常に美化されてのこっている。あれだけリッチな朗々とした、なんとも言えないひびきのいい音というのは、ぼくはあとにも先にも聴いたことがなかった。
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瀬川先生にとって美空ひばりは、昔は、《鳥肌の立つほど嫌いな存在》だったと書かれている。
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もう二十年近くも昔、われわれの大先輩の一人である池田圭先生が、さかんに美空ひばりを聴けと言われたことがあった。
「きみ、美空ひばりを聴きたまえ。難しい音楽ばかり聴いていたって音はわからないよ。美空ひばりを聴いた方が、ずっと音のよしあしがよくわかるよ」
当時の私には、美空ひばりは鳥肌の立つほど嫌いな存在で、音楽の方はバロック以前と現代と、若さのポーズもあってひねったところばかり聴いていた時期だから歌謡曲そのものさえバカにしていて、池田圭氏の言われる真意が汲みとれなかった。池田氏は若いころ、外国の文学や音楽に深く親しんだ方である。その氏が言われる日本の歌謡曲説が、私にもどうやら、いまごろわかりかけてきたようだ。
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この文章は「虚構世界の狩人」の「聴感だけを頼りに……」の中に出てくる。
「聴感だけを頼りに……(初出題名「聴感的オーディオ論」) 」は、
ステレオ別冊「ステレオコンポーネントカタログ」に、1976年に掲載されている。
20年近く昔ということは、池田圭氏に美空ひばりを聴けといわれたのは1950年代後半のころなのか。
瀬川先生がアルテックA4で美空ひばりを聴かれたのは、このころなのだろうか。