日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その8)
ヤマハNS5000の試作機が、日本語の歌をてんでうまく鳴らせなかった原因については、
私なりの仮説がある。
その分野に関して、まだまだ知識がたりないので断言はできないが、
最終的には日本語の「色」に関係してくることでもある。
つまりは日本語の「色」について考えた上での仮説である。
少なくとも私にとって試作機のNS5000は、
日本語の歌を聴きたいとは思わせない「色」のスピーカーだったし、
正式モデルになってからのNS5000は、特に聴きたいとは思えなくなってしまったスピーカーだ。
美しい日本語の歌を、日本のスピーカーはうまく鳴らしてくれないのか、と思う。
ダイヤトーンの2S350はうまく鳴らしてくれそうだが、
その後に登場した数多くのスピーカーのどれだけが日本語の歌を、
私が聴きたい音(「色」)で鳴らしてくれるであろうか。
私が聴きたいのはJ-POPと呼ばれる日本語の歌ではない。
歌謡曲といわれる日本語の歌を聴きたい。
もっといえば、もっと狭めていえば、
グラシェラ・スサーナによる日本語の歌を聴きたい。
ステレオサウンドにいたころ、数多くの日本製のスピーカーを聴いてきた。
一度として、グラシェラ・スサーナを、このスピーカーで! と思ったことはなかった。
そのころは、そのことに関して疑問も抱かなかったし、
深く考えることもしていなかった。
アルテックのスピーカーは、別の意味で日本語の歌を積極的に聴きたいとは思っていなかった。
604ならば、瀬川先生がエリカ・ケートについて書かれているのを読んでいるだけに、
いつの日か……とは思っているけれど、
A5、A7といった劇場用のスピーカーは、
しんみりと独りで聴きたいという雰囲気から遠く離れているふうに感じていたからだ。
それにいくつか聴いてきた、A7、A5と同じユニットによる自作スピーカーの音が、
いっそうそう思わせていたからだ。