Archive for category チューナー・デザイン

Date: 7月 27th, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・その6)

真空管ならばマランツのModel 10B、
ソリッドステートならはセクエラのModel 1がチューナーとしては別格だとは思っている。

使い切れないほどの資産がもしあったとしたら、どちらかは手もとに置いときたい、ぐらいには思うけれど、
現実にはそんな資産などないから、
それにそこまでチューナーに対する情熱もない私にとっては、
ヤマハのCT7000が、GKデザインによるヤマハの製品の傑作だと思うから、欲しい気持はある。

あと欲しいチューナーとして思いつくのは、ウーヘルのEG740という小型のモデルだ。
CR240というポータブルのカセットデッキがあった。
EG740はCR240と同寸法のラインナップとして、1980年代に発売になった。
いわゆる小型コンポーネントである。

電源部は外付けだから、実質的にはCR240よりも大きくはなるものの、
正面からみればフロントパネルはCR240とぴったりくる。

理想をいえばEG740の大きさで、セクエラに匹敵する音が出てくれればいいのだが、
技術の進歩がどれだけあっても、それは無理というものだろう。

そういえばと思い出すことがある。
黒田先生のリスニングルームである。

アポジーのDiva、チェロのEncoreにPerformanceの組合せ、
アナログプレーヤーはパイオニアのExclusive P3という、
小型のオーディオ機器とはいえないものの中に、
チューナーだけがテクニクスのコンサイスコンポのチューナー、ST-C01が置いてあった。

最初気がついたときは、あれっ? と思ったけれど、
EG740でいい、と思う私は、なんなとなく黒田先生の気持がわからないわけでもない。

そんな私だから、フルサイズのチューナーを二台、目の前に置きたいわけではない。
それでも、いまExclusive F3のとなりにアキュフェーズのT104を並べたいのは、
T104が瀬川先生のチューナーのデザインに対する答でもあるし、
Exclusive F3のデザインへの要望でもあるとおもえるからである。

Date: 7月 27th, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・その5)

瀬川先生が、パイオニアのExclusive F3の音が気に入られていることは、
ステレオサウンドを読んできた者としてわかっていた。

アキュフェーズのコントロールアンプ、C240が瀬川先生のデザインだときいたとき、
パワーアンプのP400もチューナーのT104も、そうなのだと思っていた。

でもこのふたつのことが私のなかで結びつくことはなかったまま、いままで来てしまった。

岩崎先生が使われていたExclusive F3が私のところに来て一週間。
こうやって毎日ブログを書いているとき、視線を少し上に向けると、
1mちょっと先に置いているExclusive F3が目に入る。

毎日しげしげと見ているわけではないが、
ふと次のフレーズを考えているとき、指が止ってしまったとき、
Macのディスプレイから目をそらしたときに見ているのは、この一週間は、Exclusive F3だった。

瀬川先生は、Exclusive F3のデザインのどこが不満だったのか、をおもっていた。

Exclusive F3だけ1975年の発売で、Exclusive C3、M4などは1974年である。
開発が始まったのは同時期なのかもしれない。
Exclusive F3だけが完成が遅れた、と考えることもできる。
とにかく発売時期の違いは、デザイナーの違いにもなったのかもしれない。

とはいえ同じExclusiveシリーズとして、
パイオニアとしてはデザインでの統一感を出そうとはしなかったのだろうか。
その結果がExclusive F3のデザインなのだろうか。

こんなことばかり思って、Exclusive F3を眺めていたわけではない。
ウッドケースの艶がなくなっているから、手入れをしなければ……。
どうやって手入れしよう……とか、まだパネルのあそこをクリーニングしなければ……、
そんなことも思っている。

そして、できればExclusive F3の横にアキュフェーズのT104を置いて、
しばらく眺めてみたいな、とも思っている。

Date: 7月 23rd, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・その4)

アキュフェーズのT104は、同時期に発表されたコントロールアンプのC240、
パワーアンプP400との組合せを前提としてデザインされたチューナーである。

C240は以前書いているように瀬川先生によるデザインである。
ということはP400もT104も、瀬川先生のデザインと見るべきだろう。

ステレオサウンド 59号のベストバイの特集で、T104について書かれている。
     *
ほんらいは、コントロールアンプC−240、パワーアンプP−400とマッチド・ペアでデザインされた製品。三台をタテに積んでもよいが、横一列に並べたときの美しさは独特だ。だがそういう生い立ちを別としても、アナログ感覚を残したディジタル・メモリー・チューニング、リモートコントロール精度の高いメーター類などは信頼性が高い。そしてそのことよりもなおいっそう、最近の同社の製品に共通の美しい滑らかな音質が魅力だ。
     *
別々の人がそれぞれをデザインしていたとしたら、
「横一列に並べたときの美しさ」は生れなかったのではなかろうか。

Date: 7月 23rd, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・その3)

ステレオサウンド 55号での瀬川先生のMy Best3のチューナーに関しては、やや意外な感じを受けた。
ケンウッドのL01T、アキュフェーズT104は新しい製品で、
チューナー以外の項目、スピーカーにしてもアンプにしても、旧製品よりも新製品を中心に選ばれている。
何を選ばれているのかについて、そして選考理由については、こちらをお読みいただきたい。

例外的なのがプレーヤーにおけるEMT・930st、チューナーにおけるパイオニア・Exclusive F3の選出だ。
930stは瀬川先生にとって、ながく愛用のプレーヤーシステムであったから、わかる。
けれどExclusive F3は愛用のチューナーではない。
ステレオサウンド 38号での瀬川先生のリスニングルームの写真には、 F3は写っている。
これは、おそらく43号で書かれているモニター期間だったのだろう。

瀬川先生の新しいリスニングルームの写真には、
アキュフェーズのT104は写っているけれど、Exclusive F3はない。
にもかかわらず、ステレオサウンド 55号でのチューナーのMy Best3として、
すでに旧製品と呼んでいいExclusive F3を挙げられている。

41号で、デザインについてやや否定的なことを書かれていても、
My Best3として挙げられるのには、音質面での、他には買え難い魅力を感じてのことだと思ったからこそ、
Exclusive F3への私の興味は強いものになっていったわけである。

同時に、Exclusive F3の音を聴いてみたい、と強く思うようになってもいた。
けれど聴く機会は訪れなかった。
オーディオ店で、電源の入っていないExclusive F3を見たことはあったけれど、
そこまで留まりだった。

ステレオサウンドで働くようになっても、チューナーの試聴の機会はほとんどなかった。

Date: 7月 22nd, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・その2)

ステレオサウンド 43号で、瀬川先生はExclusive F3について、こう書かれている。
     *
自宅で数ヵ月モニターしたのち、返却して他のチューナーにかえたら、かえってF3の音質の良さを思い知らされて、しばらくFMを聴くのがイヤになったことがある。C3やM4と一脈通じる、繊細で、ややウェットではあるが、汚れのない澄明な品位の高い音質で、やはり高価なだけのことはあると納得させられる。
     *
これだけでなく、トリオのKT9700のところでも、Exclusive F3については少し触れられている。
     *
音の傾向は、9300と同系統の、やや硬質で輪郭の鮮明な印象。反面、音のやわらかさやふくらみや豊かさという面では、たとえばパイオニアのF3あたりの方に軍配が上がるが、この辺は好みの問題だ。
     *
ステレオサウンド 43号はベストバイの特集号で、
KT9700は五人(井上卓也、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三)による選出、
F3はふたり(上杉佳郎、瀬川冬樹)だけである。

KT9700とExclusive F3の音の傾向は正反対であることがわかる。
チューナーとしての性能は、KT9700は150000円と、
Exclusive F3(250000円)よりも安いけれど、
トリオはチューナーを得意としていただけに遜色はないレベル。
それだけに、このふたつのチューターは好対照のように、当時の私は捉えていた。

とにかく瀬川先生の文章によって、F3の音に興味をもった。
43号の一年後の47号でも、
《エクスクルーシヴシリーズに共通のエレガントな音質が独特の魅力。》と書かれている。

51号、55号は筆者別のコメントはなくなり、
どの人がどの機種に点数をいれたのかもわからなくなっている。
それでも55号では、各ジャンルからMy Best3が挙げられている。

瀬川先生にとってのチューナーのMy Best3は、アキュフェーズのT104、ケンウッドのL01T、
それにExclusive F3である。

ここにきて、私のExclusive F3への興味は、やっと強いものになってきた。

Date: 7月 21st, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・修理のこと)

パイオニアのExclusive F3は、C3、M3と同時発表ではなかった。
M3の次にA級動作のM4が出て、F3の登場は翌1975年だった。

その後、C3、M4は小改良を受け、C3a、M4aになったが、
F3はそのまま製造販売されていた。

いつまで製造されていたのかまでは知らないが、
すくなくとも1980年までは現行製品であった。

最初に製造されたExclusive F3は38年、
1980年に製造されたモノでも33年経過している。

今日、岩崎先生のお宅からExclusive F3をいただいてきたわけだが、
これが故障したら……、どこで修理できるのだろうか、そんなことを思っていたら、
パイオニアでいまでも修理を受けつけてくれることを知った。

Googleで検索してみると、確かに受けつけている。
パイオニアサービスネットワークという会社が、2007年4月に、
「専門性の高いハイエンド製品の修理に特化した拠点を設立し、高品質の修理対応を実施」
を趣旨として設立されていた。

集中修理対象機種として、主にエクスクルーシブ製品、とある。
Exclusive F3も集中修理対象機種リストにはいっている。
ただリストには、Exclusive F3の発売年月が、なぜか1982年11月となっている。

あと二年で発売から40年を迎える製品を、いまでも修理してくれる。
もちろん故障の状況によっては、完全な修理は無理になろうが、
とにかく、こういう体制をつくってくれていることは、ありがたいことである。
すこしでも永くつづいてほしい、と心底おもう。

Date: 7月 21st, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(パイオニア Exclusive F3・その1)

パイオニアのFM専用チューナー、Exclusive F3の存在を知ったのは、
ステレオサウンド 41号の特集、井上先生の文章によってだった。

Exclusive F3に興味を持つようになったのは、
ステレオサウンド 43号の特集、ベストバイでの瀬川先生の文章を読んでからだった。

なぜ41号で存在を知った時には興味を持たなかったのか。
それはコントロールアンプのExclusive C3、パワーアンプのExclusive M4とともに、
Exclusive F3も一枚の写真におさまっていたのだが、
C3、M4、F3の中では、F3だけデザインで、なにか違う、という気がしていた。

それに瀬川先生も、41号で、
「チューナーの方は、性能は第一級品だと思う。が、デザインがC3、M3、M4の域に達していない。結局、性能と仕上げの両面のバランスのとれているものはC3とM4、ということになる。」
と書かれていた。

C3もM4もシルバーパネルなのに、
なぜかF3だけヒンジパネル内に細かなボタンを収納するという共通点はあるものの、黒を基調としている。
FMチューナーだから、という理由も考えられなくもないけれど、
Exclusiveシリーズの製品として眺めた時に、どこか違和感がある。

Exclusive F3のデザインが違ったものであったら、
ステレオサウンド 41号の時点で、きっと興味をもったと思う。

Date: 4月 15th, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その8)

カルロス・クライバーの放送のあった数日後、
長島先生が何かの用で編集部に来られた。
話題は、クライバーの放送のことが真っ先に出た。

長島先生も、その日、スピーカーの前で放送が始まるのを楽しみにされていたそうだ。
レコードになっていない、テープにもなっていない、
それでも聴きたいと思う演奏がFMで放送されるのならば、
その日その時間にスピーカーの前で待つ。
これはどんな人も同じ。長島先生もそうだった、私もそうだった。
これをお読みの方のなかにも、その日そうだった人がきっとおられるはず。

長島先生のことだから、きっとレコードで音楽を聴かれる時のように真剣に聴こうとされたはず。
一回目の放送では、開始早々トラブル発生でほとんど満足に聴けなかったわけだが、
長島先生は二回目の放送を、一回目の放送のときと同じようにスピーカーの前で待たれていたはず。

私は、都合がつかず二回目の放送は聴けずじまいだった。

すこし記憶が曖昧なところがあるけれど、たぶんこのころだったはすだが、
カウンターポイントがチューナーを開発したい、という話があって、
長島先生がそれに強い関心を示されていたことがあった。

カウンターポイントのマイケル・エリオットの構想では、
受信部(高周波回路)に関しては半導体で構成し、
低周波の回路は真空管で、というものだった。

このころ長島先生はルボックスのチューナーFM-A76を使われていた。

Date: 4月 13th, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その7)

1980年にはいったころからか、
「FM放送がライヴ中継をやらなくなりはじめた」という声を耳にしたり目にしたリした。

これがどのくらい正確に当時の状況を語っているのかは、
国会図書館にでも行き、1970年代、1980年代のFM誌に掲載されていた番組表を照らし合せてみるしかない。
でも、そこまでやろうとは思わない。

FMにもそれほど関心があったわけでもない私の、なんとなくの印象ではそうかなしれない、ぐらいである。
ライヴ中継は減っていたかもしれない。
けれど五味先生の影響をつよく受けている私にとって、
FMでの大きな意味をもつ放送といえば、バイロイト音楽祭ということになる。

これはライヴ中継ではなく、毎年録音による放送で12月だった。
これはずっと続いていたし、
来日した演奏家の演奏会のいくつかは録音による放送があった。

ステレオサウンドにはいったばかりのころ、シルヴィア・シャシュをよく聴いていた。
菅野先生も試聴レコードに、ある時期、よく使われていた。

ある日、NHK-FMでシルヴィア・シャシュの演奏会の放送があった。
ライヴ中継ではなかった、と記憶している。
それでも嬉しくて、
ステレオサウンドの試聴室にあったケンウッドのL02Tとナカミチの700ZXL(だったと思う)で録音した。

少しでも鮮度の高い音で、ということで L02Tの出力はコントロールアンプを通さず、
直接7000ZXLのライン入力に接いだ。

1986年、カルロス・クライバーがバイエルン国立歌劇場管弦楽団と来日した時、
やはりNHK-FMが放送した。これも録音による放送だった。

たしか放送された日の演奏は会場にいて聴いていた。
それでももう一度聴けるとなると、嬉しい。
そのときチューナーはすでに持っていなかったから、知人にところに聴きに行ったこともある。

その彼もチューナーは持っていなくて、
なかば無理矢理、その日チューナーを買わせてしまった。
「何がいいですか」ときかれたので、トリオのKT3030を薦めた。
そして、ふたりしてスピーカーの前で、放送が始まるのを待っていた。

けれどクライバーの演奏が始まり、すぐに一瞬モノーラルになり、
その後放送が中断してしまった。NHK側のトラブルで後日再放送ということになった。

Date: 4月 13th, 2013
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その6)

私がチューナーはほとんど関心をもっていなかったことはすでに書いている。
それがいまごろになって、チューナーのデザインに強い関心をもちはじめて、
記憶を辿っているのだが、メーカーもチューナーに力をいれていた時期は短かったように思う。

日本でのFM多局化は1980年代後半以降なのだが、
この時期以降、チューナーで意欲的な製品が登場していただろうか。

いまでもチューナーの銘器として、中古市場でも人気をもつマランツの10Bは1963年に登場している。
10Bの設計者のセクエラが自らの名を冠したセクエラ・Model 1を発表したのは、1970代中頃か。

日本には高級チューナーがいくつか存在していた。
パイオニアのExclusive F3、ヤマハのCT7000、オーレックスST720、アキュフェーズのチューナー、
サンスイのTU-X1、ケンウッドのL01Tなどあった。
これらは1970年代のモノばかりである。

これらのなかで、その後もチューナーの開発を継続していたのはアキュフェーズだけではないだろうか。
トリオからはケンウッド・ブランドでL01Tを超えるL02Tが1982年に出ている。
けれどその後に登場したL03Tは、L02Tのような性格のチューナーではなくなっていた。
パイオニアにしてもアンプに関してはその後もExclusiveシリーズをC5、M5、C7、M7と開発していったけれど、
チューナーのF5、F7は存在しない。

メーカーはチューナーの新製品は出していた。
けれど1970年代のチューナーを超えようとする意欲的な製品では決してなかった。
少なくとも私はそう感じている。

何度も書くが私はチューナーに関心・興味がほとんど持てなかった。
けれどメーカーも、オーディオがブームのころは積極的にチューナーを開発していても、
いつしかメーカー側も「チューナーはこのくれらいで充分」というふうに流れていってしまった──、
私にはよけいにそうみえてしまう。

Date: 7月 28th, 2011
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その5)

私のチューナーに対する関心度の低さを表していることが、
チューナーの中に、絵を描けるモノがひとつなかった、ということがあげられる。

スピーカーシステムにしろ、アンプにしろ、プレーヤーにしろ、
憧れのオーディオ機器は細部まで記憶しているし、絵のうまい下手は措いとくとして、記憶だけで細部まで描ける。
そういうふうに描けるオーディオ機器はいくつもあるのに、チューナーに関してはなかった。
使っていたMR71ですら、きちんと描くことはできない。
とはいっても大まかな構成については記憶しているので、なんとなくそれらしきものは描けても、
細部の記憶となると、まったくだめである。
つまりそれだけチューナーへの関心は低かったわけだ。

1980年代のおわりからFMの多局化がはじまった。
でもそのころにはすっかりチューナーは、私のオーディオのシステムにはもうなかった。
FMを聴くためにチューナーを購入しようという気もまったくなかった。
それがずっと続いてきていた。

もうひとつ、チューナーのデザインについても、なめていたところを持っていた。
所詮、チューナーは横に長い受信周波数の表示された表示とメーター、チューニングダイアル、
大ざっぱにいえばこれらからなり、これらによるデザイン上の制約が大きいし……、
愚かにもそう捉えていたことも、正直にいえば、あった。

チューナーのデザインは、実際にはそういうものではないということには気づくものの、
それでもチューナーへの関心が高まることはなく、ここまできたのが、私の中では反転してしまった。
なにかきっかけといえるものがあったわけでもない。

コントロールアンプについて考えていたときに、
これから先のコンピューターとの融合についてなんとなく思っていたときに、
チューナーの在り方について考えていくことが答えになるのではないか、と思いついたからだ。

Date: 7月 26th, 2011
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その4)

FMはひとつの電波でステレオ放送を可能にするために、送信側で一旦ステレオの合成波にして送り出し、
その合成波を受信側(チューナーの内部)で、元の2チャンネルの信号に分離するわけだが、
そのために必要な信号としてパイロット信号が、ステレオ合成波には含まれている。

このパイロット信号は19kHz。この信号を目印にしてチューナーは左右の信号をまちがえることなく分離できる。
ただ19kHzは、いちおう可聴周波数に含まれている。
そのためチューナーの内部にはこの19kHzのパイロット信号を取り除くためのハイカットフィルターがある。
チューナーによってフィルターの次数、遮断周波数は異るものの、
どんなに高いチューナーでも16kHz以上はカットしている。
ローコストのチューナーであれば、15kHzもしくはもう少し下の周波数からカットしている。

チューナーからの音はだいたい15kHz以上はカットされている。
そういうものであるから、お金をかけるなんてもったいない、という意見もある。
確かに市販されているレコードの放送を聴くのであればそのとおりだが、
15kHz以上がカットされていても、生放送、つまりいちども録音されていない音が送られてくると、
その美しさに驚くことがある。単に周波数特性だけでは語れない音の美しさがあり、
それに魅了された人たちは、最高のチューナーを求め、多素子の専用アンテナを立て、最高の録音器を用意する。

私は、それを実現できなかった。
だからというわけではないが、チューナーへの関心は、
他のオーディオ機器──スピーカー、アンプ、プレーヤーなど──にくらべると薄かった。
マランツ10Bやセクエラの凄さはわかっていも、憧れの対象にはならなかった。
各社から発売されているチューナーにどういうモノがあるのは知っていても、細部まで知っていたわけではない。
カッコいいチューナであれば、性能的にも大きな不満がなければ、それで十分ぐらい、という捉え方をしていた。
それがいま(この1、2年のことだが)、チューナーのデザインへの関心が強くなっている。

Date: 7月 26th, 2011
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その3)

細かいことに要求をしなければ、FM放送はAM放送のような雑音もなく、
カセットデッキがあればエアチェックによって、自由に聴ける音楽は増えていく。
レコードを購入することに較べれば、ずっと少ない予算ですむ。
そういう意味では、コストパフォーマンスの高い音楽を聴く手段といえる。

けれどひとたびクォリティを求めるようになったら、
五味先生のように生放送の録音や、
その当時は毎年暮に放送されていたバイロイト音楽祭をできるかぎり最高の音で録音しようということになったら、
チューナーに最高のモノをもってくるだけでは無理で、多素子のアンテナも立てなければならない。
たとえフィーダーアンテナでも十分すぎる感度が得られていても、専用の多素子のアンテナを立てて、
感度が高過ぎたらチューナーとの間にアッテネーターを挿入した方が音の面では有利だ、と聞いている。
これは試聴したことがないので断言できないけれど、おそらくそうだと思う。

アンテナを立てるために必要な条件が実現することは、東京ではかなり大変なことでもある。
そうやって最大限受信したものをできるだけそのまま録音しようとしたら、
それなり、というよりも最高のデッキが求めたくなるものだ。
カセットデッキでも、ナカミチの1000のような製品もあるけれど、
限界まで目ざすのであれば、やはりオープンリールデッキで、それも2トラックの38cm/secのもの、
いわゆる2トラ38のモノに自然と行きつくことになる。

最高のチューナー、マランツの10Bもしくはセクエラを買って、専用アンテナも2トラ38のデッキも用意した。
これだけ揃えればすむというものではなくて、
クラシックの曲は、テープの録音時間などまったく考慮していない長さをもつものもあるから、
2トラ38では曲の途中でテープ交換の必要が出てくる。
カセットデッキでさえテープの交換には多少の時間がかかる。
ましてオープンリールデッキでは、カセットデッキのように片手でできるわけではないから、
ここは当然もう1台オープンリールデッキが必要となる。
できれば同じオープンリールデッキで揃えたい。
テープの価格も、オープンリールは安いとはいえない。

こうやって考えていくと、クォリティを求めていくとエアチェックの大変さが一気にましていく。

Date: 7月 25th, 2011
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その2)

中継局を経由することによる音質の劣化がどれだけなのか実際に聴いたわけではないが、
テレビで衛星放送がはじまったとき、大晦日の紅白歌合戦の見較べはFMの聴き較べと理屈の上では同じことになる。

テレビの電波も中継局をいくつか経由して東京から九州まで届く。
一方衛星放送(BS放送)では受信する地域によって経由が異るわけではない。
もちろんそれ以外の違いがあるから厳密な、経由局による劣化を確認していることにならないだろうが、
それでもチャンネルを変えてみると、こうも発色の具合、鮮度の良さが違うものかと驚いた。
こういう比較は、東京に住んでいると逆にできなくて地方に住んでいたから可能なことでもあった。

おそらくこれに近いことがNHK-FMを聴くときには生じていたはずだ。
1980年以降、中継局間をデジタルによる伝送方式に置き換わっていくことで、
この中継局経由によるクォリティの劣化はほとんど無視できるようになっているはずだが、
私がいなかに住んでいたころは、まだそういう時代ではなかった。

1981年に上京して、東京FMが聴けるようになった。
初めて聴いた民放のFM放送だ。
とはいっても私がそのころ用意できた受信環境は貧弱だった。
とにかく受信できた、聴けた、といったところだった。
それからしばらくしてマッキントッシュの管球式のFMチューナーMR71を使っていたころがあったが、
集合住宅に住んでいると専用アンテナを立てるわけにはいかずフィーダーアンテナ。

「五味オーディオ教室」を読んだ時から思っていた、
いつかはFMの受信環境をきちんと整えて、生放送を聴く、ということはなかなか実現できなかった───、
ではなく、ついに実現できなかった。

このころになって、FMとは、実は贅沢なものであることに気づく。

Date: 7月 25th, 2011
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その1)

オーディオに興味をもった1976年は、FM関連の雑誌が3つあった。
週刊FM(音楽之友社)、FM fan(共同通信)、FMレコパル(小学館)で、
そのあと名前は忘れてしまったが創刊されていた。
オーディオに関心のない友人も、FM誌は買っていた。

FM全盛時代だったようにも思う。
けれど当時住んでいた九州のいなかでは受信できるのNHK-FMだけだった。
民放FM局はなかった。となりの県にはあっても、
どんなに多素子のアンテナを立てても受信できないことはわかっていた。

FM放送の音はいい。
このころはまだAM放送のモノーラルだったし、
オーディオ誌やFM誌の読者相談のコーナーに、
LPを再生するよりもFMで同じレコードを聴いた方が音がいいのはなぜでしょう? といった質問も寄せられていた。
聴きたいレコードをすべて買えるわけではない、むしろ買えるのはほんのわずか。
だからFM放送は学生にとって貴重なプログラムソースであったわけだが、
チューナーに関しては、あのころ、それほど強い関心は持てなかった。

まずは1局しか受信できないこと。
それから九州と東京の距離は離れている。FMの電波が届く距離ではなく、
当然地方の放送局まではいくつかの中継局を経由して届き、
その中継によって多少なりとも劣化した音質で放送されてしまうということ。
このふたつのことによって、チューナーはNHKだけを雑音なく聴ければそれでいいや、ぐらいに考えていた。

もちろんFM放送で生中継の音が素晴らしいことは、五味先生の「五味オーディオ教室」で知っていた。
知ってはいても五味先生は東京、私は九州。上記の理由でたとえマランツ10Bを持ってきたとしても、
東京と同じ音質は得られないことを、それは体験ではなく知識として持っていると、
学生で使えるお金はバイトで稼いだ額だけだから、優先順位としてチューナーは後廻しになっていた。