チューナー・デザイン考(その6)
私がチューナーはほとんど関心をもっていなかったことはすでに書いている。
それがいまごろになって、チューナーのデザインに強い関心をもちはじめて、
記憶を辿っているのだが、メーカーもチューナーに力をいれていた時期は短かったように思う。
日本でのFM多局化は1980年代後半以降なのだが、
この時期以降、チューナーで意欲的な製品が登場していただろうか。
いまでもチューナーの銘器として、中古市場でも人気をもつマランツの10Bは1963年に登場している。
10Bの設計者のセクエラが自らの名を冠したセクエラ・Model 1を発表したのは、1970代中頃か。
日本には高級チューナーがいくつか存在していた。
パイオニアのExclusive F3、ヤマハのCT7000、オーレックスST720、アキュフェーズのチューナー、
サンスイのTU-X1、ケンウッドのL01Tなどあった。
これらは1970年代のモノばかりである。
これらのなかで、その後もチューナーの開発を継続していたのはアキュフェーズだけではないだろうか。
トリオからはケンウッド・ブランドでL01Tを超えるL02Tが1982年に出ている。
けれどその後に登場したL03Tは、L02Tのような性格のチューナーではなくなっていた。
パイオニアにしてもアンプに関してはその後もExclusiveシリーズをC5、M5、C7、M7と開発していったけれど、
チューナーのF5、F7は存在しない。
メーカーはチューナーの新製品は出していた。
けれど1970年代のチューナーを超えようとする意欲的な製品では決してなかった。
少なくとも私はそう感じている。
何度も書くが私はチューナーに関心・興味がほとんど持てなかった。
けれどメーカーも、オーディオがブームのころは積極的にチューナーを開発していても、
いつしかメーカー側も「チューナーはこのくれらいで充分」というふうに流れていってしまった──、
私にはよけいにそうみえてしまう。