Author Archive

Date: 11月 6th, 2010
Cate: 4343, JBL

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その3)

こちらの4ウェイは、3ウェイにスーパートゥイーターを追加した、いわば3.5ウェイ的な構成ともいえる。
フルレンジから構想がはじまる4ウェイと区別するために、こちらのほうは3.5ウェイと呼ばせてもらう。

この3.5ウェイの中域は、先に書いたように2420と2397ホーンの組合せ。
ここで疑問がひとつある。

2397は、2440にしろ2420にしろ、そのままでは取りつけられない。
スロートアダプターが必要とする。
2420だと、たしか2328というスロートアダプターを使う。
2420だと、この2328に、さらに2327という中型のものを用意しなければならなかったはずだ。

とうぜん、このことは瀬川先生はご存知だったはず。
スロートアダプターを2段重ねにしてまで、の2420の選択なのか。

ウーファーとのクロスオーバー周波数は800Hz。2420でもホーンが2397だから問題はないだろうけど、
より大型のダイアフラムの2440のほうが、より安心して使える、という心理的な面もある。

しかもウーファーは2231Aを2本使うという構想だから、
頭の中で考えるかぎりは、2440が向いているに決っている。

なのに2420である。
なにも価格の制約がある組合せでもない。

ちなみに、当時、2420は1本91,000円。2440は150,000円していた。
でも2420にはスロートアダプター2327がさらに必要になるから、2327の分だけ価格差は縮まる。

瀬川先生は、どういう音質的なメリットから2420を選択されたのだろうか。

Date: 11月 5th, 2010
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(四季を通じて・その1)

今年の気候がとくにおかしいのか、それともこれから先、こういう気候がつづいていくのか……。
そのへんのことは、わからない。
それでも、日本には、まだ四季がある。

日本でオーディオを通して音楽を聴くということは、四季を完全に無視することはできないだろう。

瀬川先生は、日本の四季に馴染ませる時間が、スピーカーの使いこなしにおいて最低限必要だといわれている。

反論をお持ちの方もいるだろう。
瀬川先生が、この発言をされた頃からすると、いまの時代の新しいマンションで、
エアコンを四六時中かけている空間(リスニングルーム)においては、四季なんて関係なくなっている。
いつも快適な温度設定と湿度設定によって、そこにはじめじめした梅雨も、空気が乾燥しきった冬、
そういった要素からはほとんど切り離されている、と。
たしにそういう生活をおくっている人もいる。
そういう人のスピーカーでも、四季は、別の意味である。

常に一定の温度と湿度の部屋から一歩も出ないで生活できる人は別だが、少なくとも人は外出する。
暑い日もあれば寒い日もある。外には、まだまだ四季がある。

そういうふうにでも四季を感じていれば、聴きたいと思う音楽は、1年のうちで自然と変化していくはず。
暑い日に帰ってきたときに聴きたくなる音楽と、
寒い日に帰ってきたときに聴きたくなる音楽は、
その音楽を聴く空間はつねに快適であっても、異ってくるもの。

閉じられた空間に四季はなくなっていくのかもしれないけれど、
鳴らす音楽には四季は残っているはず。

もしそこからも「四季」がなくなっていたら、
なにか別のものを知らず知らずのうちに失っていたのかもしれない。

Date: 11月 4th, 2010
Cate: 表現する

音を表現するということ(聴く、ということ)

聴きとれない音は、自分の音として表現することはできない、と思っている。

人は、スピーカから出ている音のすべてを聴き取っているわけではないだろう。
人によって、敏感なところと鈍感なところがある。
いろんな音を聴き、音楽を聴き、音に真剣に向き合ってくることで聴きとれる音は増えてくる。
鈍いところは減ってくる。それでも、すべての音が聴きとれるわけではないはず。

うまく聴き取ることができない種類の音に対しては、自分の音として表現することは難しい。
出せないわけではない。オーディオは機器の組合せだから、それぞれの機器のもつポテンシャルのおかげで、
持主である聴き手がうまく聴き取ることのできない音も、いわば勝手に出してくれるところがある。

だから、音としては、出せる。でも出せているから、といって、表現している、とはいえないところがある。

表現する音をふやしていくためには、ひたすら聴く。聴いて、聴きとれる領域をひろげていくしかない。

そして、人が聴き取っている音は、ほんとうのところはわからない。
何度か、同じ音を聴く機会があれば、
この人は、こういうところには敏感で、鈍感なところはあのへんだな、とはなんとなく感じることはあっても、
それは私の勝手な推測でしかなくて、実のところ、わかりあえるものではない。

ただそれでも、音の空間認識に関しては、私の体験では人によってかなりの差がある、と感じている。

短期記録の場として知られている、脳の中にある海馬は、空間認知、空間記録にも関わっている、ときく。
この空間認知・記録が視覚的な情報に対してだけなのか、聴覚的な情報にも関わっているのか、
医学的なこと、専門的なことは知らないけれど、聴感にもふかく関わっているはず、という直感はある。

海馬は、新しく細胞がつくられるところだともきいている。
そして、川崎先生が以前いわれていた「ロドプシンへの直感」が、ここに関係している、そんな直感もある。

Date: 11月 3rd, 2010
Cate: コントロールアンプ像
1 msg

私がコントロールアンプに求めるもの(その7)

ブロックダイアグラムを描くということは、レベルダイアグラムをつくることでもある。

フォノイコライザーアンプにはどのくらいの入力信号が入ってくるのか。
MM型カートリッジとMC型カートリッジとでは、ずいぶん違うし、
MC型カートリッジでも、ローインピーダンス型とハイインピーダンス型とでは違う。

アンプ設計の経験をのある方には説明の必要のないことだが、
カートリッジのカタログに載っている出力電圧は、あくまでも1kHzのもの。

レコードには低音のレベルを下げ、高音のレベルは反対に高く刻まれる。
つまり低域の信号は、1kHzの信号に対して20Hzでは1/10までさがるし、
それがピアニシモだと、そのレベルはさらに低くなる。
オルトフォンのようなローインピーダンスのMC型カートリッジだと、ピアニシモの低音の電圧はほんとうに低い。
こんな低い電圧を増幅するんだ、というと感心とともに、ほんとうにきちんと増幅できるだろうかと疑問のわく値だ。

高域は、それもフォルティシモ時の電圧となると、低音のピアニシモに対してひじょうに高い値。
それぞれがどのくらいの値になるのかは、ご自身で計算してみるのがいい。

とにかく微小レベルの信号をフォノイコライザーアンプは、ラインレベルまで増幅する。
当時はまだCDが登場していなかったから、いまと較べるとライン入力感度は高い。
1970年代のコントロールアンプのライン入力の値には、100mV、250mVといった数字が多かった。
ラインアンプのゲインは、たいていは20dB(10倍)のモノが大半だった。

ラインアンプのゲインを仮に20dBとしたら、フォノイコライザーアンプのゲインも自動的に決ってくる。

いまでも大半がそうだが入力セレクターのあとにボリュウムがあり、ラインアンプという構成になっている。
ラインアンプの手前で信号は減衰させられるわけだ。
ここで40dBも絞ったら、ラインアンプへの入力信号は1/100になる。
増幅する前に信号を減衰させて……、というのは不合理にしか思えない。
だからといってラインアンプの出力にボリュウムを設ければ、それで解決でもない。

ならばラインアンプの出力にボリュウムをおいて、
そのあとにゲイン0dBのバッファーをおけば、ということも考えていた。

Date: 11月 2nd, 2010
Cate: 瀬川冬樹, 真空管アンプ

真空管アンプの存在(番外)

瀬川先生とグッドマンのAXIOM80について、いつか書きたいと思っているが、
今日、ステレオサウンド 62号をめくっていて気がついたことがある。

瀬川先生がAXIOM80のためにUX45のシングルアンプをつくられたことは知られている。
     *
暗中模索が続き、アンプは次第に姿を変えて、ついにUX45のシングルになって落着いた。NF(負饋還)アンプ全盛の時代に、電源には定電圧放電管という古めかしいアンプを作ったのだから、やれ時代錯誤だの懐古趣味だのと、おせっかいな人たちからはさんざんにけなされたが、あんなに柔らかで繊細で、ふっくらと澄明なAXIOM80の音を、わたしは他に知らない。この頃の音はいまでも友人達の語り草になっている。あれがAXIOM80のほんとうの音だと、私は信じている。
     *
ステレオサウンド 62号には、上杉佳郎氏が「プロが明かす音づくりの秘訣」の3回目に登場されている。
そのなかで、こう語られている。

「試みに裸特性のいい45をつかってシングルアンプを作って鳴らしてみたら、予想外の結果なんです。
AXIOM80が生れ変ったように美しく鳴るんです。」

45のシングルアンプが、ここにも登場してくる。

瀬川先生の先の文章につづけて書かれている。
     *
誤解しないで頂きたいが、AXIOM80はUX45のシングルで鳴らすのが最高だなどと言おうとしているのではない。偶然持っていた古い真空管を使って組み立てたアンプが、たまたまよい音で鳴ったというだけの話である。
     *
出力管に UX45を使えば、それでシングルアンプを組めさえすれば、
AXIOM80に最適のアンプができ上がるわけでないことはわかっている。
どんな回路にするのか、どういうコンストラクションにするのか、配線技術は……、
そういったことがらも有機的に絡んできてアンプの音は構成されている。

それでも45のシングルアンプ、いちど組んでみたい気にさせてくれる。

Date: 11月 1st, 2010
Cate: 音楽性

AAとGGに通底するもの(その12)

演奏者は作曲者の息吹をつたえる。
作曲者は……というと、ベートーヴェンにおいては神の息吹だろう。

ベートーヴェンは神の息吹をつたえてくれる。
神の息吹は、ときとして神の鼓動にもなり、「聲」にもなる……。

私はまだそう思うだけだが、
五味先生はベートーヴェンに神の息吹を感じておられたのだろう。
だからカラヤン(モノーラル時代の演奏をのぞいて)を、あれだけ否定された、そんな気がしてならない。

Date: 10月 31st, 2010
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(その31)

オーディオは──それもステレオになってからは──、「和」の世界だとつくづく思う。
この「和」については、別項の「ハイ・フィデリティ再考」でいずれ語る。

なのに、比較試聴では、どうしても意識は「差」にとらわれがちになる。
使いこなしの過程で、何かを変更する。
そのとき、前の状態の音と変更後の音を比較して、どちらがいい音なのかを判断して選択する。

このとき耳は、「差」に強く向いてしまう。これは仕方のないことだ。
だが、「差」ばかりに向いてしまっていては、結局判断を誤ることにつながるだろう。
だからこそ、つねに「和」をこころがけておくこと。
音の「和」からオーディオの美は生まれてくる、と思っている。

Date: 10月 30th, 2010
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(その24)

私が昔読んでいたアンプの設計の基礎について書かれた本には、
NFBをかける前のアンプのゲイン(オープンループゲイン)は、無限大が理想だとあった。

アンプの仕上りゲイン(つまりNFBをかけた状態、クローズドループゲイン)が30dBが必要だったとしたら、
オープンループゲインがほんとうに無限大であれば、無限大のNFBをかけることができ、
そのことによる性能の改善の度合ははかりしれないものがあり、NFBアンプとしては理想的な姿となる。

ではオープンループゲインを無限大は無理としても、できるだけゲインをかせぐために、
増幅率の高い素子を使い、増幅段数を増やしていけば増やせないわけではないが、
そこにはやはり無理が生じて、回路の複雑化にともない高域の位相特性の悪化、
それにTIM歪も発生し、動作そのものが不安定になりやすくなる。

そんな状態でNFBをかけたところで、優れたアンプにはほどとおい状態にしか仕上らない。

一般的な素子を使い、増幅段数も十分安定した範囲までおさえて、
つまり言いかえれば、これまで培ってきたアンプの回路をそのままいかしながら、
オープンループゲインを飛躍的にあげる手法が、テクニクスの開発したリニアフィードバック回路である。

リニアフィードバック回路は、簡単に説明するならポジティヴフィードバック(PFB)を併用した回路である。
真空管アンプ時代からPFBとNFBを組み合わせた技術はあった。
実際の製品にもとり入れられている。
ダイナコの真空管アンプもそうだし、スチューダーのオープンリールデッキのC37の再生アンプもそうだ。
ただ、その使い方はテクニクスのリニアフィードバック回路とは異なる。

Date: 10月 29th, 2010
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その33)

パイオニアのExclusive M4は、1979年ごろに改良されてM4aになっている。
いちどふたつを聴きくらべる機会があった。
M4aはほぼ新品にちかいモノ、M4はずいぶん試聴用として使われていたモノ。
そういうモノでの比較ではあったが、当時の私の耳に魅力的に聴こえたのはM4のほうだった。

あのころいわれていたAクラス・アンプの音──、
やわらかくなめらかで、しっとりしたところのある音(Aクラス・アンプすべてがこういう音ではないけれども)、
そんなイメージをそのまま聴かせてくれたのがM4のほうだった。

そのときより以前に聴いた時も、そんなよさは感じていた。
とにかく、しっとりした鳴り方は、M4aと聴きくらべると、M4特有のものだといいたくなるところがある。

M4aへの改良は’80年ごろだけにDCアンプ化されてたのかと思ったけれど、
どうもそうではないようで、回路面では大きな変更はなされてなかったと記憶している。
いわゆる細部の再検討による改良(変更)だった。

他の国産アンプはマークIIになるとき、回路面でも変更が加えられることからすると、
だからM4とM4aの違いは小さいものかもしれないけれど、
M4のしっとりしたまろやかな、とくに中音域における特有の魅力に惹かれた者にとっては、
M4aの音は、そのいちばんおいしく感じられたところが薄くなっている、と感じた。

いま思うと、M4の魅力は中音域の魅力だった。
非常に質の良いフルレンジスピーカーユニットに通じるところもあって、
聴いているときには意識しないけれども、ややナロウレンジ的な音のよさだったのかもしれない。
そのへん、M4aになると変っている。ワイドレンジ的になったといおうか。

だからといって中音域が薄くなったわけではないが、高域においても低音域においても、
M4よりは音の密度が増しているためなのか、中音域の魅力は相対的に薄れてしまったのかもしれない。

パワーアンプとして、どちらが完成度が高いかととわれれば、M4aだと思う。
でも記憶に残る音の魅力に関しては、M4のほうが上だと、私は感じている。

Date: 10月 28th, 2010
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(その12)

オーディオのシステムは、ひとつのモノだけでは成りたたない。
どんなに優秀なスピーカーシステムを手にいれたとしても、それだけでは音は出ない。

あたりまえすぎる話だが、アンプが必要になり、CDプレーヤーなりアナログプレーヤーも要る。
すくなくともこの3点が揃わなければ、音は出ない。

いま日本で入手できるそれぞれの数はいったいどのくらいあるのだろうか。
オーディオマニアを対象にしたモノにかぎっても、かなりの数となり、
それらの組合せとなると、たいへんな数だ。

それに実際のオーディオマニアは、なにも現行製品ばかりでシステムを組んでいるわけではない。
ずっと愛用してきた、すでに製造中止になって久しいモノもある。
それに自作のモノもある。
そうなると、この日本だけに限っても、そのシステムの多彩さは、いったいどれだけの幅があるのだろうか。
そして、そこに部屋(リスニングルーム)が加わる。

同じ装置、同じ部屋が存在していてとしても、鳴らす人が同じでなければ、同じ音は出ないのが、オーディオである。

システムが違い、部屋が違い、人も違う。
人の数だけ、同じレコードが、それぞれの音で鳴っている。

この事実は、つまり万人のための音はありえない、ということでもあるはずだ。

「万人のための音」を英訳しろといわれたら、
多くの人が、おそらくユニバーサルサウンド(universal sound)と答えるだろう。
だが、ユニバーサルサウンドを、万人のための音、と訳していいのだろうか。

Date: 10月 27th, 2010
Cate: 言葉

ふと思ったこと……

「音は人なり」となんども書いてきた。
「人は音なり」ということも書いた。

いまふと思ったのは、「音は人なり」にはすこし違う側面もある、ということ。
「音は人なり」は説明は要らないだろうが、その人が出す音には、その人となりが出てくる。
「音は人なり」を否定している人の音であろうと、それははっきりと出ている。

今日思ったのは、その「音」ではなく、その人が出会う「音」について、である。

オーディオの音、つまりスピーカーが鳴らす音だけに限定しても、自分の音だけでなく、
他の人の音を聴く機会は、積極的に機会をつくらなくても自然と訪れる。

自分の音以外の「音」──、
どういった音とめぐり会えるのかも「音は人なり」だと思う。そして「人は音なり」だともおもう。

オーディオの魔力にとりつかれるような音とめぐり会えたのかどうか、という面においてそうである。
そういう音に出会えなかったのは不幸なのか、は人によってちがってくるだろう。
出会わなかったことによって、オーディオなんて……、という気持がどこかに残ったまま、
オーディオを介して音を聴いている、オーディオを調整しているほうが、
じつは、オーディオに対しては気楽に生きられるのかもしれない。

だけど、なぜ、そういう魔力を持った音とめぐり会えないのか、その理由は「音は人なり」にある。

Date: 10月 26th, 2010
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(その11)

われわれの言おうとする事がたとえ何であっても、それを現わすためには一つの言葉しかない。それを生かすためには、ひとつの動詞しかない。それを形容するためには、一つの形容詞しかない。さればわれわれはその言葉を、その動詞を、その形容詞を見つけるまでは捜さなければならない。決して困難を避けるために良い加減なもので満足したり、たとえ巧みに行ってもごまかしたり、言葉の手品を使ってすりかえたりしはならぬ。
     *
フローベルの有名なことばを引用して、瀬川先生は、「言葉」を「パーツ」、「動詞」を「組合せ」に、
「形容詞」を「使いこなし」に置き換えれば、オーディオの本質をいい現わすことばになる、と
「コンポーネントステレオの楽しみ」のなかに書かれている。

つまり「われわれはそのパーツ、その組合せ、その使いこなしを見つけるまでは捜さなければならない」わけだ。

パーツ(つまりオーディオ機器)、組合せ、使いこなし、これらのなかで、
他人(ひと)とは絶対に同じにならないのが、「使いこなし」である。

パーツも組合せも、だれかとまったく同じになることは確率的にはごくまれともいえる反面、
ずっと以前は、たとえばタンノイのIIILZにラックスのSQ38Fは、黄金の組合せ、と呼ばれていたことがある。
黄金の組合せとは言われなかったけれど、JBLの4343とマークレビンソンLNP2、
それにSAEのMark2500の組合せ、という方は、当時は少なくなかったと思う。
それからQUADのシステムに代表される、いわゆるワンブランドシステムならば、まったく同じシステムが、
世の中にはいくつも存在している(はず)。

それでも、まったく同じシステムでも、同じ音は、この世には存在しない。
それはなにもそれぞれのコンポーネントを接続するケーブルが違う、とか、電源事情が異る、だとか、
もうすこし大きいところでは部屋が違う、からなのではない。

いうまでもないことだが、人が違う、からだ。
絶対に同じになることはないもの、それは人、つまりは「自分」である。

その人にとって、絶対的に特別なのは、結局その人自身のみ、でなければならない。
なのに人とは違う、なにか特別なモノを求めようとする人がいる……。

Date: 10月 25th, 2010
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その32)

パラゴンを愛用されていた岩崎先生、
その岩崎先生の音を聴かれて、感銘を受けられた井上先生──
すこし話は脱線するが、ステレオサウンド 38号をお持ちの方はぜひ読みなおしてもらいたい。
井上先生が、それぞれの評論家のかたのシステムについての紹介文を書かれている。
もちろん音についても書かれている。
そのなかで、もっとも音について多く書かれていたのが岩崎先生について、だった。なぜなのかは、書かない──、
そしてパラゴンではないけれど、菅野、瀬川のおふたかたも、4350を鳴らすのにM4はいいといわれる。

結局のところは、これはドライバー──、つまり375であり、そのプロフェッショナル版の2440に対して、
M4は相性がいい、といわれているようにも受けとれる。

そういえば、M4は瀬川先生も、SAEのMark2500を導入されるまでは、4341を鳴らすのに使っておられたはず。

たしかにパラゴンの構造上、低音の鳴らしかたが難しいのは予想できる。
ただそこにばかり目が向きすぎがちにもなるのではなかろうか。

意外にも中音域(375)をうまく鳴らせば、
鳴らすのが難しいといわれているパラゴンの低音もすんなり鳴ってくれるのかもしれない。

別項にも書いているように、音に境界線は存在しない。
中音域がうまくなってくれれば、自然と低音域もよくなってくれるもの。

もちろん、組み合わせるパワーアンプだけですべて解決するわけではないとわかってはいても、
パラゴンにどんなパワーアンプをもってくるか、そのことについてM4から空想を拡げてみたい。

Date: 10月 25th, 2010
Cate: 4343, JBL

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その2)

なぜなんだろう……、と考えてまず浮んだのは、
High Technic シリーズVol. 1にも書かれていること。

フルレンジからはじまる4ウェイシステムでは、最終的に混成部隊となり、音色の統一感においては、
たとえばJBLの純正スピーカーユニットによる3ウェイにはかなわない。

だから帯域の広さではすこし不満を感じながらも、JBL(LE15A+375+537-500+075)でまとめられている。

だが、そのころとSOUND SPACEの発売時とでは、かなり状況が異る。
JBLからはプロフェッショナル・シリーズのユニットも多数用意され、
すでにJBLから4343、4350という4ウェイシステムまで出ている。

ウーファー(2231A)を2本並列使用であれば、4350と同じユニット構成で4ウェイが組める。
なのに、なぜミッドバスがないのだろうか。

しかも、もうひとつの疑問がある。ドライバーが2440ではなく2420だったことだ。

3ウェイで、ウーファーとのクロスオーバーが800Hz、しかもウーファーはダブル。
それに瀬川先生が使われていた3ウェイも375である。
それまでの4ウェイシステムでは、High Technic シリーズVol. 1に書かれているように175DLHを使われていた。

当時のステレオサウンドに載っている瀬川先生のリスニングルームの写真には、
ウーファー用のエンクロージュアのうえに、名残なのか、175DLHが下向きに立っているのが写っている。

ステレオサウンド 27号(1973年)掲載の「良い音は、良いスピーカーとは?」の第4回で、
このJBLの3ウェイシステムについてすこしふれられている。

ウーファーとドライバーのクロスオーバー周波数は700Hz、ドライバーとトゥイーターのあいだは8kHzである。

Date: 10月 24th, 2010
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(その30)

切り離されていくことで、「純化」される、と書いた。

人という「濾過」をかさねていくから、だとも書いた。

もうひとつ、視覚情報が欠落しているから、だとも思う。
「録音」という言葉があらわしているように、
マイクロフォンがとらえテープに磁気変化として記録されるのは、音のみである。

磁気テープが登場する前、エジソンがシリンダーに溝として刻んだものも「音」のみである。
録音された時点で、というよりもマイクロフォン(エジソンの時代ではラッパか)が収録した時点で、
視覚情報と完全に切り離される。

それが1980年代にはいり、レーザーディスクやVHDディスクの開発・登場、
それにビデオデッキのステレオ化などによって、
AV(オーディオ・ヴィジュアル)時代の幕開け、だと騒がれはじめた。
そして、映像をともなった音楽の鑑賞こそ、本来のありかただと、AV関係の雑誌ではさかんにいっていた。
いまも同じなのだろうか……。

こんなことを書くまでもないと思うが、彼らの言い分は、演奏会場では視覚情報もある、である。
音のみの、従来の音楽鑑賞は、ひじょうに不自然だ、とさわいでいた。

けれど、「純化」というところに目を向けてみれば、視覚情報がないからこそ自然なあり方だ、といえよう。