使いこなしのこと(四季を通じて・その1)
今年の気候がとくにおかしいのか、それともこれから先、こういう気候がつづいていくのか……。
そのへんのことは、わからない。
それでも、日本には、まだ四季がある。
日本でオーディオを通して音楽を聴くということは、四季を完全に無視することはできないだろう。
瀬川先生は、日本の四季に馴染ませる時間が、スピーカーの使いこなしにおいて最低限必要だといわれている。
反論をお持ちの方もいるだろう。
瀬川先生が、この発言をされた頃からすると、いまの時代の新しいマンションで、
エアコンを四六時中かけている空間(リスニングルーム)においては、四季なんて関係なくなっている。
いつも快適な温度設定と湿度設定によって、そこにはじめじめした梅雨も、空気が乾燥しきった冬、
そういった要素からはほとんど切り離されている、と。
たしにそういう生活をおくっている人もいる。
そういう人のスピーカーでも、四季は、別の意味である。
常に一定の温度と湿度の部屋から一歩も出ないで生活できる人は別だが、少なくとも人は外出する。
暑い日もあれば寒い日もある。外には、まだまだ四季がある。
そういうふうにでも四季を感じていれば、聴きたいと思う音楽は、1年のうちで自然と変化していくはず。
暑い日に帰ってきたときに聴きたくなる音楽と、
寒い日に帰ってきたときに聴きたくなる音楽は、
その音楽を聴く空間はつねに快適であっても、異ってくるもの。
閉じられた空間に四季はなくなっていくのかもしれないけれど、
鳴らす音楽には四季は残っているはず。
もしそこからも「四季」がなくなっていたら、
なにか別のものを知らず知らずのうちに失っていたのかもしれない。