ふと思ったこと……
「音は人なり」となんども書いてきた。
「人は音なり」ということも書いた。
いまふと思ったのは、「音は人なり」にはすこし違う側面もある、ということ。
「音は人なり」は説明は要らないだろうが、その人が出す音には、その人となりが出てくる。
「音は人なり」を否定している人の音であろうと、それははっきりと出ている。
今日思ったのは、その「音」ではなく、その人が出会う「音」について、である。
オーディオの音、つまりスピーカーが鳴らす音だけに限定しても、自分の音だけでなく、
他の人の音を聴く機会は、積極的に機会をつくらなくても自然と訪れる。
自分の音以外の「音」──、
どういった音とめぐり会えるのかも「音は人なり」だと思う。そして「人は音なり」だともおもう。
オーディオの魔力にとりつかれるような音とめぐり会えたのかどうか、という面においてそうである。
そういう音に出会えなかったのは不幸なのか、は人によってちがってくるだろう。
出会わなかったことによって、オーディオなんて……、という気持がどこかに残ったまま、
オーディオを介して音を聴いている、オーディオを調整しているほうが、
じつは、オーディオに対しては気楽に生きられるのかもしれない。
だけど、なぜ、そういう魔力を持った音とめぐり会えないのか、その理由は「音は人なり」にある。