Date: 10月 26th, 2010
Cate: 選択
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オーディオ機器を選ぶということ(その11)

われわれの言おうとする事がたとえ何であっても、それを現わすためには一つの言葉しかない。それを生かすためには、ひとつの動詞しかない。それを形容するためには、一つの形容詞しかない。さればわれわれはその言葉を、その動詞を、その形容詞を見つけるまでは捜さなければならない。決して困難を避けるために良い加減なもので満足したり、たとえ巧みに行ってもごまかしたり、言葉の手品を使ってすりかえたりしはならぬ。
     *
フローベルの有名なことばを引用して、瀬川先生は、「言葉」を「パーツ」、「動詞」を「組合せ」に、
「形容詞」を「使いこなし」に置き換えれば、オーディオの本質をいい現わすことばになる、と
「コンポーネントステレオの楽しみ」のなかに書かれている。

つまり「われわれはそのパーツ、その組合せ、その使いこなしを見つけるまでは捜さなければならない」わけだ。

パーツ(つまりオーディオ機器)、組合せ、使いこなし、これらのなかで、
他人(ひと)とは絶対に同じにならないのが、「使いこなし」である。

パーツも組合せも、だれかとまったく同じになることは確率的にはごくまれともいえる反面、
ずっと以前は、たとえばタンノイのIIILZにラックスのSQ38Fは、黄金の組合せ、と呼ばれていたことがある。
黄金の組合せとは言われなかったけれど、JBLの4343とマークレビンソンLNP2、
それにSAEのMark2500の組合せ、という方は、当時は少なくなかったと思う。
それからQUADのシステムに代表される、いわゆるワンブランドシステムならば、まったく同じシステムが、
世の中にはいくつも存在している(はず)。

それでも、まったく同じシステムでも、同じ音は、この世には存在しない。
それはなにもそれぞれのコンポーネントを接続するケーブルが違う、とか、電源事情が異る、だとか、
もうすこし大きいところでは部屋が違う、からなのではない。

いうまでもないことだが、人が違う、からだ。
絶対に同じになることはないもの、それは人、つまりは「自分」である。

その人にとって、絶対的に特別なのは、結局その人自身のみ、でなければならない。
なのに人とは違う、なにか特別なモノを求めようとする人がいる……。

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