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Date: 5月 12th, 2011
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その2)

いくつか考えていた。
ちょうど、そのころアクースタットのコンデンサー型スピーカーのバリエーションのひとつとして、
Model 1というモデルが出た。

黒田先生が導入された最初のアクースタットは Model 3。
型番末尾の数字が、コンデンサーのパネルの数を表している。
Model 3は3枚の縦に長いパネルを配置してる。
Model 1は、Model 3の1/3の横幅の、細長い形状のコンデンサー型スピーカーだった。
アクースタットにはさらにModel 1+1というのがあり、
これはコンデンサー・パネル2枚を横に、ではなく、縦に積み重ねたもので、異様に細長い。

これらをみて、バッフルの横幅を、使用ユニット幅ぎりぎりまでつめて、細長くしたらどうか、と考えたり、
そのころちょうど高速道路の防音壁の上部に円筒状の物が取りつけられはじめたころでもあったことからヒントを得て、
バッフルの周囲に吸音材を配置することで、なんとかサイズを小さくできない、とも考えた。

この防音壁に取りつけられた吸音材による効果は、
防音壁をまわりこむ音を吸音することで、高速道路から周囲への騒音を減らすためのものである。
ただ高速道路の近くでは、その効果はあまりなく、距離が遠ざかるほどに騒音の減衰量は増えていくものだった。
だから同じように平面バッフルにとりつけても、比較的近距離で聴く場合には効果は望めないから、
なんらかの工夫が必要になる。

そのあとQRD(当時はRPG)の音響パネルが登場したときは、
これを裏表逆にして平面バッフルに使えないだろうか、とも考えた。

Date: 5月 12th, 2011
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その1)

シーメンスのコアキシャルは平面バッフルにとりつけていたことは、すでに書いた。
このときの平面バッフルは、ウェスターン・エレクトリックのTA7396という、
18インチ・ウーファーTA4181Aを4年とりつけた大型のシステムの両側につけられていたバッフルを、
ほぼデッドコピーしたもので、サイズはW100×H190cmの、米松合板によるもので、
補強棧のいれかたもTA7396そのままである。

これを6畳もない、そんなスペースに、文字通り押し込んで鳴らしていた時期が、私にはあった。

音場感再現を重視する人の中には平面バッフルに否定的な意見をもつ方がいる。
バッフル面積が広いだけで、音場感が阻害される、ということだ。

そういうひとにとっては無限大バッフルなんて、悪夢でしかない存在になるだろうが、
平面バッブルの行きつくところは、無限大バッフルであり、
疑似的にでも無限大バッフルを実現するため、スピーカーを広い砂浜に埋め込み、
そのスピーカーの特性を測定するということが、昔は行われていた。

実際のリスニング環境では無限大バッフルは、どうやっても実現はできない。
だからか、2.1m×2.1mのバッフル・サイズがひとつの実現できる理想値のひとつのようになっている。

このサイズの平面バッフルを置いて、さらに左右のバッフルの間を開けることができる部屋となると、
そんな贅沢を空間を用意できる人はごく限られる。

だからもしすこし現実的なサイズと横幅がまず縮められる。
それでも私が使っていた平面バッフルのように高さが1.9mもあると、
それが2本、比較的近い距離にあると、そびえ立っている感が強い。
となると、高さも縮めることになり、最低限のサイズと1m×1mがある。

あらためていうまでもなく、サイズ(面積)が小さくなれば、低域のそんなに低いところまで出てこなくなる。
もうすこし低いところまで、ということになると、サイズは増していくしかない。

平面バッフルを使っていたとき、この音のまま、
それは無理なことはわかっているから、できるだけこのままで、もうすこしサイズを縮小できないものか、
いいかえれば見た目の圧迫感を減らせないものか、とあれこれ考えた。

Date: 5月 12th, 2011
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その12)

いまは黒田先生の「聴こえるものの彼方へ」の電子書籍の作業を行っている。
岩崎先生の「オーディオ彷徨」も、3月に公開している。
瀬川先生の「本」に関しても、11月と1月に公開していて、いまは最終版となるものにとりくんでいる。
それにaudio sharingというサイトをはじめて10年以上経つから、
いわゆる「紙の本」よりも、ネットや電子書籍、
つまり「紙の本」については、古いもの、と見做している、と思われるかもしれないが、
必ずしもそうではない。

新しい世界と出合うためのものとしては、書店に置かれている本(つまり「紙の本」)の役割は、
新しい世界と出合おうとしている者の年齢が若ければ、つまり知っている世界が狭い者にとっては、
インターネットよりも電子書籍よりも、重要の度合が高くなっていく。

私の田舎は、私がいたころよりも書店の数が減っているらしい。
となると、当時よりも出版点数が増えているいまでは、
オーディオ雑誌はどう取り扱われているのだろうか、と思う。

東京では寂しい気持になることが少しずつ増えてきているけれど、
これが、東京の書店だから、ならばまだいい。
東京の書店において、これである、となると……。

Date: 5月 12th, 2011
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その11)

私がオーディオに関心をもちはじめたの1976年だから、オーディオブームのころである。
ブームだったからこそ、小さな田舎町の書店でも、ステレオサウンドだけでなく、ラジオ技術、無線と実験、
初歩のラジオ、電波科学、サウンドメイト、ステレオ、オーディオピープル、FM誌などが並んでいた。

書店に並んでいたから、私はオーディオというものに出合えた、といえる。
もしいま13歳の私が、いまの田舎にいたとしたら、オーディオと出合えただろうか。

いまはインターネットがある、という人もいる。
けれど13歳の小僧が、はたしてインターネットだけで、オーディオという、
それまでまったく知らなかった世界を知ることができるのか、と思う。
それに最初に出合うものは、重要だ。

以前勤めていた会社は新宿が近かった。
新宿には、以前、青山ブックセンターが2箇所あった。
いまのファーストブックセンターがはいっているところが、以前は青山ブックセンターだった。
新宿には、紀伊國屋書店の本店がある。

書店としての規模、それに比例するだけの本の種類、数は青山ブックセンターよりもずっと多かった。
つまりなにかおもしろそうな本を探すという目的には、
青山ブックセンターよりも紀伊國屋書店のほうが適している、といえそうだが、
私は、青山ブックセンターで探すほうが圧倒的に多かった。

すでに買う本を決めているときには紀伊國屋書店のほうが確実に探し出せることが多い。
でも、なにかおもしろい本、ということになると、紀伊國屋書店の規模は大きすぎる。

たまには上の階から順繰りに、あれこれ見てまわることもあるけれど、
そんなことをしょっちゅうやっていたわけではないし、
探し出しという感覚よりも、出合う、という感覚に近い探し方ができるのは、
私にとっては青山ブックセンターだった。

2店舗あるうちのどちらか、気が向いたらどちらも店舗をもみていると、
おもしろそうな本と出合えることが、わりと多かった。

そういった本と出合うことで、こういう世界があるんだ、と知ることになる。
いままで知らなかった世界との出合いにとって、書店の役割は重要だと、いまも思っている。

Date: 5月 12th, 2011
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その10)

オーディオのブームは、ずっと以前のことであり、すでに収束してしまって久しい。
あのころのオーディオブームが、むしろ異状なことであり、いまの、この状況のほうが、
オーディオという趣味の在り方としては、あたりまえ、とか、適正規模に戻っただけ、という声があり、
たしかに、そう思うことはある。

そう思いながらも、でも、といいたい気持がある。

いま書店に行くと、オーディオマニアとしては寂しい気持になることが増えてきている。
まず書店によっては、オーディオ雑誌を置いてないところがある。
まだ、こういう書店は、私の行動範囲ではごく少数だけれども、そういう書店があるのは事実である。
さらに先月号まで並んでいた、あるオーディオ雑誌が今月から並ばなくなった、
平積みされていたのが、そうではなくなった、ということは出てきた。

昨日、四谷三丁目の喫茶茶会記でイルンゴ・オーディオの楠本さんとの公開対談を行ったが、
お見えになった方の身近の書店でもオーディオ雑誌の取扱いが、以前と較べると縮小されている、ときいた。

いま共同通信社からPCオーディオファンというムックがでているが、
いま住んでいるとこの隣駅にある大型書店では、これをオーディオ・音楽雑誌のコーナーには置かずに、
パソコン雑誌のコーナーに置いている。
PCオーディオファンのVol.1のときも、やはり別の書店で、パソコン雑誌のコーナーにしか置いてないのをみている。

いまあげた例とはすこし異る例としては、ステレオサウンドから出たマットンキッシュの別冊号が、
「マッキントッシュ」ということで、これまたパソコン雑誌のコーナーに置かれていた。
オーディオのマッキントッシュとパソコンのマッキントッシュとはスペルが違うし、
ステレオサウンドの別冊の表紙は、だれがみてもパソコンには見えないにもかかわらず、である。

東京の書店において、これである。
いま、私が生れ育った田舎の書店では、
オーディオ雑誌の取扱いはどういうことになっているのだろうか、と思ってしまう。

Date: 5月 11th, 2011
Cate: 録音

50年(その6)

プレトニョフのCDのすこしあとに、ある友人のところで、
内田光子によるベートーヴェンのピアノ・ソナタを聴かせてもらった。

いま、空気が無形のピアノ、というところまでには達していないものの、
それでも眼前に内田光子が弾いている鍵盤が、ほぼ原寸に近いイメージではっきりと浮びあがる。
そしてフォルティッシモでも、その鍵盤のイメージがくずれない。

だから、友人から感想を聴かれたときに「鍵盤がくずれない」と言った。
私が言った意味を友人も理解してくれていたようだった。

後日、その友人のところにある人が、やはり音を聴きに来たという話、その友人からきいた。
訪問者に、友人は内田光子のCDを聴かせて、「鍵盤がくずれないだろう」といったところ、
きょとんとされたそうだ。
「鍵盤がくずれない」ことの意味がまったくわからない、といった感じだったらしい。

ピアニシモでは、鍵盤がわりとイメージできる録音、それに再生音でも、
フォルティッシモにおいては、突如として鍵盤のイメージがくずれてしまうことがある。
でも、そのことに、まったく関心が無いのか、鍵盤が目の前にあることをイメージできないのか、
「鍵盤がくずれない」ことがあらわしている音の良さに関して、ひどく鈍感な人がいると感じている。

音の聴き方には、人それぞれ癖というか、個性に近いもの、というか、
得手不得手ともいえるものがある。
すべての人がまんべんなくすべての音に対して反応しているわけではない。

たとえば音のバランスにひどく敏感な人もいれば、
音場感と呼ばれるものに対して、注意をはらっている人もいる。
その音場感、音場感とよくいっている人のなかにも、左右の広がり、前後の奥行きに関してはひどく気にしても、
不思議なことに音像の高さには、まったく無関心な人もいる。

鍵盤がくずれない、ということが、どういうことなのか、
すぐに理解できる人もいれば、そうでない人もいる、ということだ。

Date: 5月 10th, 2011
Cate: 録音

50年(その5)

まだまだ調整中の段階とはいえ、いい手ごたえを感じていたわけだから、
彼は、さっそくプレトニョフのCDをかけたそうだ。

彼のところをたずねた人の中には、録音の仕事をしている人がいた、ときいている。
ほかの人もふくめ、オーディオのキャリアはみな長く、オーディオ機器につぎこんだ金額も相当なもの。

でも、彼らにはプレトニョフのCDは、ピンとこなかったらしい。
たしかにいい録音だけど、なぜ彼がそんなに、プレトニョフのCDをあつく語るのかが理解できなかったようだ。

その中のひとり、録音の仕事をやっている人が、持参したCDの中から、
彼が優秀だと思っているピアノのCDをとりだした。それを鳴らす。
プレトニョフのCDが出るまでは、優秀録音と呼ばれたであろうが、
プレトニョフの録音が捉えている、無形のピアノを再現するのに必要な情報を、
その録音が十分にとらえているかというと、けっしてそうではない。

その録音は、私も聴いたことがある。
プレトニョフのCD以前と以後では、そして菅野先生のリスニングルームでの「再現」を聴いたあとの耳では、
こんどは、彼も私も、録音の仕事をしている人が感じているほどに、いい録音とは思えない。

ピアノの音色、ダイナミックレンジの広さなどなど、そういう従来の録音の評価軸にそうならば、
たしかに優秀録音だし、録音の仕事をしている人のいうことも理解できる。
けれど、その録音では、プレトニョフの録音が可能にした、無形のピアノを鳴らしてくれるとは感じられないのだ。

Date: 5月 10th, 2011
Cate: 録音

50年(その4)

ステレオ録音を、感覚的に的確にとらえた表現は、
五味先生の「いま、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす」であり、
私にとっては、この「空気が無形の」の楽器を鳴らすことは、五味オーディオ教室を読んだときからの、
つまり13歳のときからの思いつづけてきた、オーディオの在りかたでもある。

いま、空気が無形のピアノを……」のところで書いたように、
2005年5月19日、菅野先生のリスニングルームにおいて、はっきりと、聴いた。
プレトニョフのピアノによるシューマンの「交響的練習曲」で、だ。

このプレトニョフのCDの録音は、このとき、ほかの録音とはあきらかに違っていた。
聴いていると、目の前にはっきりとプレトニョフが弾いている鍵盤が浮びあがり、
それだけでなく、ピアノという楽器の形、重さまでもが、はっきりと聴きとれた。

こんなことを書くと、お前の錯覚だろう、という人がいよう。
でも、このとき、菅野先生のリスニングルームで、プレトニョフのCDを聴いた人の何人かは、
私と同じに感じていたことを、そして驚いていたことを、あとで聞いて知っている。

ただ菅野先生の話だと、そう感じない人、このよさがわからない人が少なからずいることも事実のようだ。
これは、その人のオーディオのキャリアの長さ、とは、直接関係はないようで、
感じない人に対して、どんなに言葉を尽くして伝えたところで、ほとんど無駄になることが多い。

プレトニョフのCDを菅野先生のところで聴き、驚き、
さっそくCDを買い求めた人を知っている。
そして、少しでも、菅野先生のところで聴いた音に近づけようと調整したことで、
少なくともピアノの鍵盤に関しては、ほぼ再現できるレベルにもっていっていた。

その彼からきいた話がある。
彼のところに、数人のオーディオマニアの方たちが遊びに来たときの話である。

Date: 5月 10th, 2011
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その9)

CDプレーヤーなりアンプなり、スピーカーシステムを買おうとした思い立ったら、
最初から、これしかない、と、ひとつの機種に絞っている人もいれば、
予算内でいくつかの機種を候補として、ひとつずつ落していき、ふたつの残った、どちらにするか迷う人もいる。

選択の楽しみ、面白さがあるから、たとえばステレオサウンドでも、ライバル対決という企画を行ってきた。
58号では、トーレンス・リファレンス:EMT・927Dst、スペンドール・BCII:ハーベス・Monitor HL、
パイオニア・Exclusive P3:マイクロ・RX5000+RY5500、
ソニー:APM8:パイオニア・S-F1などが取り上げられて入る。

どの機種とどの機種を対比させるのか、そして筆者を誰にするのかによって、
この企画のもつ面白さは、大きく変ってくる。
だから興味深く読めるものもあれば、さほど興味をもてないもの、せっかくの対決なのに……と感じるもの、
というふうにバラついてくる。

このライバル機種の対比は、基本的には面白くなる企画である。
ただ、いまやるならば、昔と同じではなく、さらにもう一歩踏み込んでほしい、と思う。
具体的には、こうすればいいのに、と思っていることはある。
そうしてくれれば、この対比の企画はおもしくなる。

「対比」ということでは、いま作業している瀬川先生の「本」に関しても、
瀬川先生と、たとえば菅野先生との対比で書いていくことを最初は考えていた。
瀬川冬樹:菅野沖彦、瀬川冬樹:岩崎千明、瀬川冬樹:黒田恭一、といったふうに、である。

これも、さらに一歩踏み込んでみると、
瀬川冬樹:菅野沖彦:岩崎千明、という三角形が描けることに気がつく。

瀬川冬樹:菅野沖彦との対比、菅野沖彦:岩崎千明の対比、岩崎千明:瀬川冬樹の対比を、
ひとつの三角形にしていけば、さらにおもしろくなると思う。
しかも瀬川先生を頂点のひとつとする三角形は、他にも描ける。

この三角形は、以前のステレオサウンドならば、いくつも描けた、と思う。
瀬川先生を頂点のひとつとする三角形だけでなく、菅野先生を頂点のひとつとした三角形、
岩崎先生を、山中先生を、岡先生を……というふうに描けていく。

いまはどうだろうか。
オーディオ雑誌に書いている筆者の数は、以前よりも増えているように感じている。
人の数が増えていれば、描ける三角形の数も、その三角形の性質の多様性も増えていくはずなのに……、と思う。

いま三角形は描けなくなった、と私は思っている。

Date: 5月 9th, 2011
Cate: ステレオサウンド特集

「いい音を身近に」(その18)

ステレオサウンド 52号に「ミンミン蝉のなき声が……」という、
黒田先生の文章が載っている。
43号から題名が「さらに聴きとるものとの対話」と変った連載の10回目のものだ。

「この夏、ミンミン蝉のなくのをおききになりました?──と、おたずねすることから、今回ははじめることにしよう。」

いつもの書出しとは、すこしニュアンスの異る、こんな書出しで、「ミンミン蝉のなき声が……」ははじまっている。
(全文は、今月29日に公開予定の「聴こえるものの彼方へ」の増強版・電子本でお読みいただきたい。)

51号の「さようなら、愛の家よ……」で、それまで住まわれていた部屋をとりこわすことを書かれている。
「ミンミン蝉のなき声が……」は、そのつづきでもある。

とりこわし、建替えのあいだに一時的に仮住まいに引越しされている。
かなりの量のレコードや本すべて仮住まいとなるところへは置ききれないため、
建替えの間あずかってくれる方たちのところへ荷物はこびを、5回もされたうえに、
仮住まいへの最後の引越し、その数日後の、札幌での仕事。

札幌からもどられて、
「一刻もはやく、のんびりと、いい音楽をききたかった。そのために、たいして手間がかかるわけではなかった。レコードを選んで、ターンテーブルの上におけば、それでいいはずだった。しなければならないのは、それだけだった。でも,それができなかった。レコードをえらぶのが億劫だった。
 いや、億劫だったのは、レコードをえらぶことではなく、もしかすると音楽をきくことだったのかもしれなかった」
ことに気づかれ、「愕然とした」と書かれている。

仮住まいの引越し先で、最初にされたのは、オーディオ機器の接続で、
ただその日はためしにレコードをかけられている。
次の日には、仕事で聴かなければならないレコードの音楽に、没入できた、と書かれている。

オーディオ機器は「再生装置」としか書かれていない。
このとき以前の部屋で鳴らされていたスピーカーシステムのJBLの4343、
パワーアンプのスレッショルドの4000、
コントロールアンプのソニーのTA-E88を運び込まれたのか、
それとも仮住まいとなれば、スペース的には限りがあって、
本やレコードを知人の方たちのところにあずかってもらっている状況だから、
もっと小型のスピーカーシステムやアンプだったのかもしれない。

このときのことをこうも書かれている。
「あきらかに、頭の半分では、音楽をききたがっていて、もう一方の半分では、音楽をきくことを億劫がっていた。そういう経験がこれまでなかった。それで自分でもびっくりした。」

3日後に、やっとモーツァルトのヴァイオリン・ソナタをきかれている。
シェリングとヘブラーによるK.296だ。
「ミンミン蝉のなき声が……」は、1979年の夏の経験から、
「音楽をきくことの微妙さ、むずかしさ、きわどさ」について書かれている。

「四股を踏まないでもきける音楽と思えた」モーツァルトのヴァイオリン・ソナタK.296を、
黒田先生は、そのときの「自分のコンディションを思いはかりつつ、これならいいだろう」と、
無意識のうちにえらばれて、ターンテーブルの上におかれた。

Date: 5月 8th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その12の補足)

ステレオサウンド 51号に「♯4343研究」の第一回が載っている。
サブタイトルには、ファインチューニングの文字があり、
JBLのプロフェッショナル・ディヴィジョンのゲーリー・マルゴリスとブルース・スクローガンをまねいて、
ステレオサウンドの試聴室で、実際に4343のセッティング、チューニングを行ってもらうという企画だ。

いまステレオサウンドでは、過去の記事を寄せ集めたムックを頻繁に出しているが、
こういう記事こそ、ぜひとも収録してほしいと思う。

この記事の中で、スピーカーのセッティングは、
ふたつのスピーカーを結ぶ距離を底辺とする正三角形の頂点が最適のリスニングポイント、となっている。
ステレオ再生の基本である正三角形の、スピーカーと聴き手の位置関係は、大事な基本である。

マルゴリスは、正三角形の基本が守られていれば、
スピーカーのバッフルを聴き手に正面を向くようにする必要はないと語っている。
その理由として、水平方向に関しては60度の指向特性が保証されているから、ということだ。

さらにスピーカーシステムにおいて、指向特性が広帯域にわたって均一になっていることが重要なポイントであり、4343、つまり4ウェイの構成のスピーカーシステムを開発した大きな理由にもなっている、として、
他では見たことのないグラフを提示している。

そのグラフは、水平方向のレスポンスが6dB低下する角度範囲を示したもので、
横軸は周波数、縦軸は水平方向の角度になっている。

十分に低い周波数では指向特性はほとんど劣化していない。周波数が上っていくのにつれて、
角度範囲が狭まっていく。
グラフはゆるやかな右肩下りを描く。

グラフ上には、4ウェイの4343、3ウェイの4333、2ウェイの4331の特性が表示されていて、
ミッドバスユニットのない4331と4333では500Hzを中心とした帯域で指向特性が劣化しているのがわかる。
4331ではこの帯域のほかに、トゥイーターの2405がないためさらに狭まっていく。
4343がいちばんなだらかな特性を示している。

ただしこれはあくまでも水平方向の指向特性であり、垂直方向がどういうカーヴを描くのかは示されていない。

マルゴリスは、指向特性が均一でない場合には、直接音と間接音の比率が帯域によってアンバランスになり、
たとえばヴォーカルにおいて、人の口が極端に大きく感じられる現状として現れることもある、としている。

別項でもふれているように、4ウェイ構成は、なにも音圧だけの周波数特性や低歪を実現するためだけでなく、
水平方向の指向特性を均一化のための手法でもあり、
私は、瀬川先生は指向特性をより重視されていたからこそ、4ウェイ(4341、4343)を選択され、
さらにKEFのLS5/1Aを選択された、と捉えている。

だから瀬川先生のリスニングルームに、4341とLS5/1Aが並んでいる風景は、
瀬川先生が何を求められていたのかを象徴している、といえる。

Date: 5月 8th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その17)

LS5/1では、なぜトゥイーターを直接フロントバッフルに取りつけなかったのか、
その理由はHF1300を2本使っていることと関係している。
つまりできるかぎり2つのHF1300を接近させて配置するため、である。

HF1300をそのままとりつけると、当然取付用のためのフレーム(フランジ)の径の分だけ、
HF1300の振動板の距離はひらくため、これをさけるためにLS5/1では、HF1300のフランジを取りさっている。
だから、そのままではバッフルには取りつけられない。

以前のJBLのトゥイーターの075、2405も初期の製品ではフランジがなかった。
そのため4350の初期のモデル(ウーファー白いタイプの2230)では、2405のまわりに、
いわゆる馬蹄型の金属の取付金具が目につく。

4350のすぐあとに発表された4341では、075にも2405にもフランジがつくようになっており、
バッフルにそのままとりつけられている。
4350もウーファーが2231に変更された4350Aからは、2405のまわりに馬蹄型の金具はない。

LS5/1の、トゥイーター部分の鉄板は、このフランジがわりでもある。
おそらくHF1300からの漏れ磁束を利用して鉄板を吸い付けていると思われる。
もちろんこれだけでは強度が不足するので、コの字の両端をすこし直角に曲げ加工した金属を使って、
HF1300を裏から保持している。

つまりLS5/1のトゥイーターは、2本のHF1300をひとつのトゥイーターとして見做している、といえる面がある。
しかもそれは現実には1つのユニットでは実現不可能な、振動板の面積的には、この部分は2ウェイいえる。
ウーファーとのクロスオーバー周波数の1.75kHzから3kHzまではふたつのHF1300は、同条件で鳴り、
振動板の面積は2倍だが、3lHz以上では上側のHF1300はロールオフしていくから、
振動板の面積的には疑似的に下側のHF1300の振動板の面積にしだいに近づいていく。

LS5/1全体としては、振動板の面積でとらえれば3ウェイという見方もできなくはない。

Date: 5月 7th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その16)

LS5/1はHF1300を、縦方向に2本配置している。
ウーファーとのクロスオーバー周波数は1.75kHzで、3kHzからは上の帯域になると、
トゥイーター同士の干渉を減らすためだろう、上側のHF1300はロールオフさせている。
そして、トータルの周波数特性は付属する専用アンプで補整する。

2つのHF1300はフロントバッフルに直接取りつけられているわけでなく、
四角の鉄板に取りつけられたうえで、バッフルに装着されている。
しかも2つのHF1300はぎりぎりまで近づけられている。

おそらく、これは高域に行くにしたがって、音源がバラバラになることをふせぐためで、
上側のHF1300のロールオフと作用もあってか、実際にLS5/1の音像定位は見事なものがある。

ここも、トゥイーター選びのネックとなる。
いまどきのドーム型トゥイーターをみればわかるがフレーム部分の径が大きすぎる。
LS5/8に搭載されているオーダックスのトゥイーター、
振動板の口径は25mmだが、トゥイーターとしての口径は100mmほどある。
これではぎりぎり近づけて配置したところで、2つのトゥイーターの振動板間が開きすぎてしまう。

こうなってしまうと、LS5/1的なトゥイーターの使い方ではなく、
一般的な、1本だけの使用のほうがいい結果が得られるだろう。

LS5/1的にするためには、トゥイーターのフレーム径が小さくなくてはならない。
しかもカットオフ周波数が1.75kHz付近から使えるものでなくてはならない。

Date: 5月 7th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その15)

本格的に構想を練る前に、ぼんやりと、いまLS5/1を作るとしたら、
トゥイーターには何を選ぼうか、と思っていた時期がある。

LS5/1に採用されていたセレッション製のHF1300はもう入手できない。
いくら妄想組合せ、とはいっていても、いざつくろうとしたときに、
たとえそれが中古であろうと、ある程度入手が可能なものでなければ、完全な妄想で終ってしまう。

できれば新品で入手できるもの、でもそのなかにぴったりのものがなければ、
比較的程度のいいものが入手しやすいユニットでもいい、
それらの中で、HF1300に近いものはないかと探してみた。

LS5/8に採用されたフランス・オーダックスのトゥイーターも考えた。
でも、同じトゥイーターは入手できなくなっている。
仮に入手できたとしても、そのまま使うのは、なんとなくおもしろくない。

私がオーディオに関心をもちはじめた1970年代は、スピーカーの自作もひとつのブームだったようで、
スピーカー自作に関する記事も、そのための本も、いくつも出ていた。
スピーカーユニットを単売しているメーカーも多かった。

トゥイーターだけに関しても、国内メーカーでは、アイデン、コーラル、クライスラー、ダイヤトーン、
フォステクス、ゴトーユニット、Lo-D、マクソニック、日本技研、オンケン、オンキョー、オプトニカ、
オットー、パイオニア、スタックス、テクニクス、ヤマハ、YLがあり、
海外メーカーでは、アルテック、セレッション、デッカ、エレクトロボイス、グッドマン、イソフォン、JBL、
KEF、フィリップス、ピラミッド、リチャードアレンなどが輸入されていた。

80年代にはいり、少しずつ、その数は減っていき、いまはまた、ここにあげたメーカーとは違う、
海外のスピーカーユニットが、インターネットの普及とともに入手できるようになってきたものの、
HF1300の代替品となると、どれも帯に短し襷に長しという感じで、これだ、と思えるものが見つからない。

Date: 5月 6th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その14)

現在のコーン型スピーカーを発明したのは、ゼネラル・エレクトリック社の技術者だった
チェスター・ライスとエドワード・ケロッグで、
1925年に発表したものがその原型というふうに説明されることが多いが、
実はこれより50年ほど前にすでに発明されている。

しかもアメリカとドイツで、ほぼ同時期に特許が申請されている。
けれど、ドイツ・シーメンスの技術者エルンスト・ヴェルマーが申請したのは、1877年の12月。
まだトランジスターはおろか真空管も登場していなかった時代ゆえに、当然アンプなどいうものはなく、
原理的には音が出るはずだということでも、実際に鳴らすことはできずに終っている。

19世紀の後半に逸早く、ピストニックモーションによるスピーカーを発明しているシーメンスが、
ピストニックモーションに頼らないリッフェル型スピーカーを、これまた逸早く生み出し、
その流れを汲むAMT型を、やはりドイツ人のハイル博士が生み出し、
さらにマンガー、ジャーマン・フィジックスからも、ベンディングウェーブのスピーカーが登場していることは、
ドイツという国柄と併せて、興味深いことだと思っている。

実をいうと、LS5/1を、「いま」作ってみたいと思いはじめたときに、
トゥイーターとしてまっ先に頭に浮んだのが、このAMT型である。