Date: 5月 9th, 2011
Cate: ステレオサウンド特集
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「いい音を身近に」(その18)

ステレオサウンド 52号に「ミンミン蝉のなき声が……」という、
黒田先生の文章が載っている。
43号から題名が「さらに聴きとるものとの対話」と変った連載の10回目のものだ。

「この夏、ミンミン蝉のなくのをおききになりました?──と、おたずねすることから、今回ははじめることにしよう。」

いつもの書出しとは、すこしニュアンスの異る、こんな書出しで、「ミンミン蝉のなき声が……」ははじまっている。
(全文は、今月29日に公開予定の「聴こえるものの彼方へ」の増強版・電子本でお読みいただきたい。)

51号の「さようなら、愛の家よ……」で、それまで住まわれていた部屋をとりこわすことを書かれている。
「ミンミン蝉のなき声が……」は、そのつづきでもある。

とりこわし、建替えのあいだに一時的に仮住まいに引越しされている。
かなりの量のレコードや本すべて仮住まいとなるところへは置ききれないため、
建替えの間あずかってくれる方たちのところへ荷物はこびを、5回もされたうえに、
仮住まいへの最後の引越し、その数日後の、札幌での仕事。

札幌からもどられて、
「一刻もはやく、のんびりと、いい音楽をききたかった。そのために、たいして手間がかかるわけではなかった。レコードを選んで、ターンテーブルの上におけば、それでいいはずだった。しなければならないのは、それだけだった。でも,それができなかった。レコードをえらぶのが億劫だった。
 いや、億劫だったのは、レコードをえらぶことではなく、もしかすると音楽をきくことだったのかもしれなかった」
ことに気づかれ、「愕然とした」と書かれている。

仮住まいの引越し先で、最初にされたのは、オーディオ機器の接続で、
ただその日はためしにレコードをかけられている。
次の日には、仕事で聴かなければならないレコードの音楽に、没入できた、と書かれている。

オーディオ機器は「再生装置」としか書かれていない。
このとき以前の部屋で鳴らされていたスピーカーシステムのJBLの4343、
パワーアンプのスレッショルドの4000、
コントロールアンプのソニーのTA-E88を運び込まれたのか、
それとも仮住まいとなれば、スペース的には限りがあって、
本やレコードを知人の方たちのところにあずかってもらっている状況だから、
もっと小型のスピーカーシステムやアンプだったのかもしれない。

このときのことをこうも書かれている。
「あきらかに、頭の半分では、音楽をききたがっていて、もう一方の半分では、音楽をきくことを億劫がっていた。そういう経験がこれまでなかった。それで自分でもびっくりした。」

3日後に、やっとモーツァルトのヴァイオリン・ソナタをきかれている。
シェリングとヘブラーによるK.296だ。
「ミンミン蝉のなき声が……」は、1979年の夏の経験から、
「音楽をきくことの微妙さ、むずかしさ、きわどさ」について書かれている。

「四股を踏まないでもきける音楽と思えた」モーツァルトのヴァイオリン・ソナタK.296を、
黒田先生は、そのときの「自分のコンディションを思いはかりつつ、これならいいだろう」と、
無意識のうちにえらばれて、ターンテーブルの上におかれた。

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