Date: 5月 2nd, 2011
Cate: オリジナル

オリジナルとは(その14)

瀬川先生は、よく「オーディオパーツ」という表現を使われていた。
アンプやスピーカーシステム、カートリッジなどをひっくるめて、オーディオ機器、とはいわずに、
オーディオパーツといわれていた。

アンプにしろ、スピーカーシステムにしろ、なにがしかのオーディオ機器を買ってくるという行為は、
完成品を買ってきた、とつい思ってしまう。
でも、いうまでもなく、アンプだけでは音は鳴らない。スピーカーシステムだけでも同じこと。
以前ならカートリッジ、プレーヤーシステム、アンプ、スピーカーシステムが、
いまならばCDプレーヤー、アンプ、スピーカーシステムが最低限、音を出すためには必要となる。

つまりCDプレーヤー、アンプ、スピーカーシステムが揃った状態、
つまり音を出すシステムそのものが、実のところ「完成品」であって、
それ単体では音を出すことはできないだけに、アンプも、スピーカーシステムも、CDプレーヤーも、
システムを構築するためのパーツであると考えるならば、オーディオパーツという表現には、
瀬川先生のオーディオに対する考え方が現われている、ともいえるはず。

市販されているアンプやスピーカーシステムを、パーツということに抵抗を感じる方はおられよう。
パーツとは、アンプなりスピーカーを自作するときの構成要素のことであって、
アンプの場合では、トランジスター、真空管、コンデンサー、抵抗、コイル、トランスなどがパーツであって、
アンプそのものはパーツではない、という考え方ははたして正しいのだろうか。

アンプを自作する人がいる。どんなに徹底的に自作するひとでも、トランジスターや真空管は作れない。
コイルはつくれても、コンデンサー、抵抗を作ることも、意外と大変だ。
トランジスターアンプの出力段のパワートランジスターのエミッター抵抗は0.47Ωとか0.22Ωなので、
凝り性の人は自分で巻く人もいるかもしれないが、高抵抗値のものを作っている人はいないと思う。
ここまでやられる人でも、銅線から自分で作る、というわけにはいかない。

つまり市販されているトランジスター、真空管、コンデンサー、抵抗なども、パーツであるとともに、
完成品ともいえるわけだ。
アンプの自作においても、これらの完成品のパーツを買ってきて、それを適切に組み合わせて(設計)して、
組み上げて(作り上げて)いるわけだ。

CDプレーヤー、アンプ、スピーカーシステムを組み合わせてシステムを構築するのと同じことであって、
このふたつの違いは、その細かさ、つまりの量の違いでしかない。

Date: 5月 1st, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続々K+Hのこと)

K+HのOL10は当時160万円(ペア)、O92は150万円(ペア)で、
ほとんど価格差はない、といっていい。
どちらも3ウェイのマルチアンプドライブで、
内蔵パワーアンプの型番はO92用がVF92、OL10用がVF10と異っているものの、
ステレオサウンドに掲載されている写真を見るかぎりは、同じもののような気がする。

ユニット構成は、というと、ウーファーは25cm口径のメタルコーンのウーファーを2発、
10cm口径の、やはりメタルコーン型をスコーカーに採用しているのはOL10、O92に共通で、
トゥイーターのみ、O92はドーム型、 OL10はホーン型となっている。

大きな違いはエンクロージュアにある。正面からみれば、どちらも密閉型のようだが、
O92はアクースティック・レゾネーター型と称したもので、
エンクロージュアの裏板を薄く振動しやすいようにしてあり、
中央に錘りをつけてモードをコントロールしてある。

ここが、O92とOL10の音の違いに、もっとも深く関係しているように、
瀬川先生の試聴記を読みなおすと、そう思えてくる。

O92の試聴記には、こうある。
     *
ただ曲に酔っては、中低域がいくぶんふくらんで、音をダブつかせる傾向がほんのわずかにある。とくに案・バートンの声がいくぶん老け気味に聴こえたり、クラリネットの低音が少々ふくらみすぎる傾向もあった。しかし総体にはたいへん信頼できる正確な音を再現するモニタースピーカーだと感じられた。
     *
完全密閉型のOL10に対しては、
O92に感じられた2〜3の不満がすっかり払拭されている、と書かれている。

O500CはO92の後継機だが、アクースティック・レゾネーター型ではない、バスレフ型だ。

Date: 5月 1st, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・続K+Hのこと)

あきらめてはいても、ときどきふっと思い出すことはある。
先日、そういえばK+Hって、いまもあるんだろうか、と思い、検索してみると簡単に見つかった。
いまも活動している会社だった。

ステレオサウンドにはK+Hと表記してあったが、
正しくはクライン・ウント・フンメル(Klein und Hummel)社で、
いまはノイマン/ゼンハイザーの傘下、もしくは協力会社のようだ。

K+Hのサイトの”Historical Products”の項目をクリックすれば、この製品が表示される。
そこにあるのは、092ではO 92だった。0(ゼロ)ではなくO(オー)だった。

O92は1976年から1995年まで製造されていたことがわかる。
資料もダウンロードできる。
OL10は1974年から78年まで、わずか4年間だけの製造で、しかも資料がなにひとつない。
これは残念だったけれど、O92のところに”Follow-up model is O 111″という表記がある。
O111のところには”Follow-up model is O 121/TV”とあり、
O121/TVのところには”Follow-up model is O 500C”とある。

このO500Cが、現在のK+Hのモニタースピーカーのラインナップのトップモデルになる。
外観の写真を見ると、ジェネレック(Genelec)のスピーカーのOEMか、と思ってしまった。
1037Cにユニット構成も、スコーカーとトゥイーターのまわりに凹みをつけている処理も似ている。
バスレフポートの形状が違うくらいで、雰囲気はそっくりである。
しかも1037CもO500Cもパワーアンプ内蔵のアクティヴだ。
ここまではK+HのO92も同じである(ただしエンクロージュアはバスレフ型ではない)。

これで終りだったら、O500Cに惹かれない。
O500Cは”Digital Active Main Monitor”と表記してある。

Date: 5月 1st, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(余談・K+Hのこと)

若いオーディオマニアの方は、もうそうでもないのかもしれないけれど、
私ぐらいまでの世代だと、スタジオモニター、モニタースピーカーというものに、
いまでも反応してしまうところがある(少なくとも私はいまでもそう)。

モニタースピーカーで思い浮べるスピーカーシステムは、けっこうバラバラかもしれない。
まっさきにアルテックの銀箱をイメージする人もいれば、やっぱりJBLの4320、いや4350とか、
私のようにBBCモニターだったりするだろう。

1978年3月に出たステレオサウンド 46号は「世界のモニタースピーカー そのサウンド特質を探る」が特集だった。
ダイヤトーン、JBL、アルテックといった代表的なモニタースピーカーのブランドのなかにまじって、
K+HとUREIが、新顔として登場していた。
UREIのスピーカーシステムは、その後もステレオサウンドに何度か登場している。
K+Hはというと、46号とその次の号(47号・ベストバイの特集号)に登場したきりである。
輸入元は河村研究所だったこともあり、記憶されていない方のほうが多いように思う。

K+Hには2モデルあった。
OL10とO92である。

記憶のよい方だと、O92ではなくて、092だろ、と思われるはず。
ステレオサウンド 46号、47号には092となっている。
だから私もつい最近まで092だと思っていた。

OL10と092では、型番のつけかたに、なんら統一性がない、とは以前から感じていたけれど、
疑うことまではなかった。
それに私が聴きたかったのはOL10のほうだったこともある。

46号で、瀬川先生は、書かれている。
     *
私がもしいま急に録音をとるはめになったら、このOL10を、信頼のおけるモニターとして選ぶかもしれない。
     *
47号では、☆☆☆をつけたうえで、「ほとんど完璧に近いバランス」と書かれている。

OL10は、瀬川先生が、どういう音を求められていたのかを実際の音で知る上でも、
どうしても聴いておきたかったスピーカーシステムのひとつなのだが、
そういうスピーカーに限って、実物すらみることはなかった。おそらくこれから先もないだろう。

Date: 4月 30th, 2011
Cate: オリジナル

オリジナルとは(その13)

ラインケーブル、スピーカーケーブル、それに電源ケーブルも、
使い手が自由に選べる方が、使いこなしの自由度が広くなり、より自分の求める音に近づけることができる、
そういうふうにとらえられがちである。

そういう一面は、たしかにある。ケーブルを交換することを否定はしない。
でもまずは一度ケーブルが付属してくるのであれば、それで接いだ音をきちんと聴いてみるべきである。

コントロールアンプで、ラインケーブルが付属していたとすると、
そのコントロールアンプを送り出したメーカーは、コントロールアンプの領域として、
そのケーブルを含めて考えていることになる。
スピーカーシステムも、スピーカーケーブルが付属してくるものもある。
やはり、これも、そのメーカーのリファレンスということで、たとえそのケーブルが、
いま使っているケーブルと比較して、価格的に安かったり、貧弱そうにみえても、一度そのケーブルで聴いてみる。
電源ケーブルにしても同じことである。

電源ケーブルが着脱式になっているのはだめだとは言わない。
交換できるのであれば、それを積極的に利用するのはいい。ただむやみにやるのはすすめない。
でも、交換できないからと文句をいうのは、考え方・捉え方として、おかしい。

製品を手を加えることに否定的ではない私がいれば、その一方に手を加えることに否定的な人もいる。
でも、その人たちに問いたいのは、あるコントロールアンプを購入したとする。
ケーブルが付属してきた。長さもちょうどいい。
なのにいま使っている他社製のケーブルで使って、そのコントロールアンプをシステムに導入する。
このことは、完成品に手を加えていることにならないのか、と。

これも、私にいわせれば、付属の純正ケーブルをほかのケーブルに交換した時点で、
完成品に手を加えていることになる。
長さが足りなければ、付属してきたケーブルの長いものを購入すればいい。

アンプの天板をとって、中をいじることだけが、完成品に手を加えることではない。
それぞれのオーディオ機器の領域を考えるならば、完成品には絶対手をつけないという人は、
付属ケーブルがあればそれをそのまま使うべきである。
ケーブルがいっさい付属してこないものだったら、自由にケーブルを選ぶのはいい。

だが、くり返すが、付属ケーブルをほかのケーブルに変えることは、完成品に手を加えることになる。
そういう意味では、多くの人が意識せぬうちに完成品に手を加えていることになる。

Date: 4月 29th, 2011
Cate: BBCモニター

BBCモニター考(その21)

少し話がずれてしまったが、無色透明であることがモニタースピーカーの条件ではない、ことはいえる。

1960年から70年にかけてスタジオモニターとして
各国のスタジオで使われることの多かったアルテックの604を収めたスピーカーシステムは、
誰が聴いても無色透明とは遠いところにいる音である。
イギリスの録音の現場で使われることの多かったタンノイにしても、その点は同じである。
音色としての個性は、どのスタジオモニターであれ、はっきりともっていた、といえる。

そういうスピーカーでモニタリングされながら、名盤と呼ばれるレコードはつくられてきた。

いまここでスタジオモニター、といっているスピーカーシステムは、
レコード会社の録音スタジオで使われるスピーカーのことである。

この項は「BBCモニター考」である。「スタジオモニター考」でも、「モニタースピーカー考」でもない。
これは日本だけのことなのかもしれないが、BBCモニター、とこう呼ばれている。

BBCはいうまでもなくイギリスの国営放送局で、BBCモニターはその現場で使われるスピーカーシステムのことで、
型番の頭には、LS、とつく。

ステレオサウンド 46号は、モニタースピーカーの特集号である。
この中で、岡先生が、当時の世界中のスタジオで使われているモニタースピーカーのブランドを数えあげられている。
資料として使われたのは、ビルボード誌が毎年発行している(いた?)
インターナショナル・ダイレクトリー・オブ・レコーディング・ステュディオスで、
この本は世界中の大多数の録音スタジオの規模、設備がかわるもの。

それによると、1975年当時、962のスタジオの使われていたスピーカーのブランドは次の通り。
 アルテック:324
 JBL:299
 タンノイ:91(うちロックウッドと明示してあるのが40)
 エレクトロボイス:60
 ウェストレーク:21
 KLH:17
 K+H:14
 カダック:13
 AR:12
これを国別でみると、イギリスとフランスで圧倒的に多く使われていたのはタンノイで、
イギリスではタンノイ:20/ロックウッド:18、フランスではタンノイ:1/ロックウッド:12。
西ドイツではK+Hとアルテックがともに同数(9)でトップ。

気づくのは、BBCモニターを作っているブランドがない、ということ。
もっとも岡先生があげられたブランドの合計は851だから、
のこり100ちょっとスピーカーシステムの中にはBBCモニターのブランドがはいっている可能性はあるが、
少なくともARの12よりも少ない数字であることは間違いない。

Date: 4月 28th, 2011
Cate: Autograph, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その55)

菅野先生が、ウェストミンスターは60Hz以下の低音は諦めている設計だと言われた理由も、
菅野先生に「なぜウェストミンスターは、あんなに大きいの低音が出ないのか」と相談された方がそう感じた理由も、
ウェストミンスターのバックロードホーンが受け持つ、この構造ならではの量感の独特の豊かさが、
実のところ、それほど低い帯域まで延びていないためだと思っている。

ウェストミンスターが、もしオートグラフと同じコーナーホーン型であったら、
あの豊かで風格を築く土台ともなっている低音は、もう少し下まで延びていく、と考える。
でもウェストミンスターはエンクロージュアの裏側をフラットにして、コーナーに置くことをやめている。
コーナー・エフェクトによる低音の増強・補強を嫌った、ともいえる。

その結果として、ウェストミンスターはオートグラフよりも、使いやすくなったスピーカーシステムといえる。
堅固なコーナー、しかも5m前後の壁の長さを用意しなくてもすむ。
設置の自由度もはるかに増している。

ステレオサウンドの試聴室ではじめてウェストミンスターを聴いたときも、
五味先生のオートグラフとの格闘の歴史を、何度もくり返し読んでいただけに、
拍子抜けするほどあっさりと鳴ってくれたのには、驚いた。
これがスピーカーの進歩かもしれないけど、反面、物足りなさも感じていた。

オートグラフでは、まず設置の難しさがある。
それだけに理想的なコーナーと壁を用意できれば、
あの当時のスピーカーシステムとしては低域に関してもワイドレンジだといえる(はずだ)。

ウェストミンスターは、そんな設置の難しさはない。
それだけに低域に関しては、ワイドレンジとはいえないところがある。

このことは、私にとって、以前「タンノイ・オートグラフ」で書いたこと、
オートグラフはベートーヴェンで、ウェストミンスターはブラームス、ということにつながっていく。

Date: 4月 28th, 2011
Cate: Autograph, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その54)

エソテリックのサイトではなくタンノイのサイトで、ウェストミンスターのスペックを見ていて気づくのは、
CROSSOVER Frequency(クロスオーバー周波数)のところに、
200Hz acoustical, 1kHz electrical とあるところだ。

1kHzに関しては説明は必要ないだろう。内蔵のネットワークによる。
200Hzは、ウェストミンスターのエンクロージュアの構造によるもので、
200Hz以下はバックロードホーンが受け持つ帯域となる。
オートグラフは、350Hz以下をバックロードホーンが受け持つ、とカタログにあったと記憶している。

ウェストミンスターにしてもオートグラフにしても、
このバックロードホーンの開口部はエンクロージュアの左右に設けられており、面積にするとかなり広い。
スピーカーユニットに同軸型を採用し、音源の凝縮化をはかっているのに、
200Hz(もしくは350Hz)以下の低音に関しては反対の方向をとっているといえる。

これが、ほかのスピーカーシステムでは得られない
オートグラフ(ウェストミンスター)ならではの音の世界をつくっている要素になっているわけで、
オートグラフでは20Hzまでバックロードホーンによるホーンロードがかかっているように、
カタログからは読みとれる。

ただいかなる条件下において20Hzまでホーンロードがかかっているのかというと、はっきりしない。
おそらく実際に堅固なコーナーにきちんと設置して、
しかも壁の一辺が十分な長さを持っているときに限るのではないか、と思う。

正直、この辺になると実際にコーナー型(それもコーナーホーン型)のスピーカーシステムを、
自分の手で、しかも部屋の環境を変えて鳴らした経験がないため、推測でしかいえないもどかしさがあるが、
コーナーホーン型が理屈通りに壁をホーンの延長として使っているのであれば、間違いはないはずだ。

結局、このところがオートグラフとウェストミンスターの、(少なくとも私にとっては)決定的な違いである。

ウェストミンスターの低域が-6dBではあるものの18Hzまでレスポンスがあるのは、
タンノイがスペックとして発表している以上、疑うことではない。
ただそれはレスポンスと測定できることであって、果してウェストミンスターのバックロードホーンが、
18Hzまでホーンロードがかかっていることの証明にはなっていない。

Date: 4月 27th, 2011
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その17)

カラヤンが、もしデッカの「オテロ」を不満に思っているとしたら、
その理由は、やはりカルショウのしかけた録音にある、と思う。

ほんものの大砲の音を使ったことに代表されるように、
デッカの「オテロ」には、カルショウがしかけた録音のおもしろさがある。
これは、ショルティとの「ラインの黄金」からはじまったカルショウの録音テクニックの開発が、
さらに花開いた、という印象で、本来、「録音」というものは演奏者を裏から支える技術であるはずなのに、
カルショウの手にかかった「オテロ」では、
ショルティの「ニーベルングの指環」がときに「カルショウの指環」が言われるのと同じようなところがある。
当時のショルティよりも、「オテロ」のカラヤンは前面に出てきている、とはいうものの、
ときにカルショウの録音のしかけ──ソニック・ステージといいかえてもいいだろう──が、
カラヤンの演奏よりも印象が強くなるところがある。

ここのところが、カラヤンのもっとも不満に感じていたところではないのだろうか。

視覚情報のない録音において、それがステレオになったときにカルショウは、
モノーラル録音ではなし得なかった大きな可能性を見出している。

カルショウは自署「ニーベルングの指環──録音プロデューサーの手記」(黒田恭一氏訳)で、
このことをはっきりと書いている。
できれば全文引用したいところだが、この章だけでもかなりの長さなので、ごく一部だけ。
     *
そういう次第で、ステレオは、使われるべき手段のひとつなのである。結局は、あなたがステレオをどう考えるかである。そのもっともすばらしい例として、二十年前には考えることもできなかったような方法で、家庭生活にオペラを持ち込むことが、ステレオは出来るのである。いくつかの理由により、オペラハウスでのような効果はえられない。家庭でレコードを聴いている人は、集合体の一員ではないのである。その人が認めようが認めまいが、個室におけるその人の反応は、公の中での反応と同じものではないのだ。私は、あるひとつの環境が他の環境より良いと主張しているのではなく、ただたんにそのふたつが違っていて、だからまた、人びとの反応も違うといっているのである。良い条件のもとでの演奏の好ましいステレオ・レコードの音は、家庭においても、聴き手の心をとらえるであろうし、劇場で聴いている時よりもはるかにそのオペラの登場人物たちに、心理的に近づいているかもしれない。自分がそのドラマの中にいるという感じは、目に見えるものがないためにかえって、強められるのである。聴き手は、言葉と音楽とを聴くことができ、主人公たちが立っている場所を聴きわけることができ、彼らが動く時には、彼らの動きに従うことができるのである。だが、その登場人物たちが、どのような格好をしているかとか、どんな舞台装置の中を歩きまわっているかといったことについては、その聴き手なりに、頭の中で想像図を描かねばならない。そうなると、その聴き手は、他人の演出したものを鑑賞するかわりに、無意識に自分自身のものをつくり出すことになるのである。(アンドリュー・ポーターは、「ラインの黄金」を批評して、「グラモフォン」誌に、次のように書いている。「このレコードを聴くのと、舞台に目をむけずにオペラハウスに身をおいているのとは、違う。これは、ある神秘的な方法で、演じている人たちの中ではなく、作品の中に、より親密に私をとらえるのである」。)
     *
ここで見落してはならないのは、
「自分がドラマの中にいるという感じは、目に見えるものがないためにかえって、強められるのである」。
これこそが、ソニック・ステージの根幹、カルショウの録音の基盤になっている、といっていいはずだ。

Date: 4月 26th, 2011
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(その13)

グラフィックイコライザーはスライド式のツマミが横にいくつも並ぶ、というのが通常のスタイルだ。
ある周波数のツマミを上げたり下げたりして、複数のツマミがカーヴを描く。
そこから、グラフィックイコライザーという名前がきているわけだが、
ここまで述べてきたように、ツマミを動かすことで変化するのは、振幅特性と位相特性であって、
ツマミが表わしているのは、振幅特性のみ、となる。

これでは片手落ちの「グラフィック」である。
その12)に書いたように、
周波数特性は振幅項と位相項をそれぞれ自乗して加算した値の平方根であるからだ。

そしてもうひとつ。再生側でグラフィックイコライザーを使用する際は、
おもにスピーカーシステムの特性をふくめて、リスニングルームの音響特性を補整する。
たとえば中域を抑えたいと思い、グラフィックイコライザーでそのへんの帯域のツマミのいくつかをまとめてさげる。

グラフィックイコライザーのツマミの並びは、中域のレベルを下がった状態を示している。
けれど目指している音は、基本的にはフラットな音であって、そのために中域を下げたわけである。

つまりスピーカーシステムの特性、部屋の特性を補整するために使い、
ツマミの並び方は、その補整カーヴであって、
いま出ている音のおおまかな傾向を表しているわけではない、ということだ。
ようするに補正後の特性(つまりスピーカーシステムから出てくる音の特性)を表示しているわけではない。

このふたつの理由から、私は、グラフィックイコライザーのデザインは、
再検討されるべきものだと考える。

Date: 4月 26th, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その11)

丸いコーン型ウーファーの開口部を四角にすることのメリット・デメリットは、
音量によって、そのバランスが変化してくる。

このごろはどうなのか知らないが、1970年代ではイギリスから来日したオーディオ関係者が、
日本で耳にした音量の大きさに「われわれの耳を試しているのか」と驚いたという話があったし、
ヨーロッパでのレコーディング時のモニターの音量は、アメリカ、日本の感覚すると、
こんどはアメリカ人、日本人が驚くほど小さい、といわれていた。

事実、ヨーロッパでは、QUADのESLがモニタースピーカーとして使われていた、という話もある。

そういうひっそりとした音量では、開口部を四角にして、ウーファーの一部を隠すようなかたちになっても、
このことによるデメリットよりも、メリットのほうに傾くだろう。
反対に音量レベルをあげていくにしたがって、徐々にデメリットのほうに傾いていくだろうし、
あるレベルの音量を超えたら、メリットよりもデメリットのほうが大きくなることだろう。

だから、四角の開口部は、いかなる場合にでもすすめられる手法ではないけれど、
それほど音量をあげないのであれば、しかもあまり帯域分割をしないマルチウェイのスピーカーにおいては、
いまでも有効な手法だと、捉えている。

そして、このことは、瀬川先生がなぜ4ウェイ構成を考えられていたのか、
KEFのLS5/1Aを高く評価されていることとも関係してくる。

瀬川先生の音量は、ひっそりしたものだった。

Date: 4月 26th, 2011
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その16)

カラヤンは、1973年に「オテロ」を再録音している。
再録音に積極的だったカラヤンにしても、12年での再録音は早い。
しかも交響曲ではなく、演奏者の数も多く予算もそれだけ多くを必要とするオペラの再録音で、
12年というのは、最短記録かもしれない。

ほかのオペラでは、EMIに録音したモーツァルトの「フィガロの結婚」と「魔笛」はどちらも1950年。
「フィガロの結婚」はデッカで、「魔笛」はドイツ・グラモフォンで、
前者は28年、後者は30年後の再録音である。
いうまでもないことだが、EMI録音はモノーラルである。
なのに30年ものあいだ、再録音してこなかったのにくらべ、
「オテロ」は旧録音もステレオであるのに、再録音までは12年である。

1961年の「オテロ」は、デッカでの録音で、オーケストラはウィーン・フィル、
1973年の「オテロ」は、EMI録音で、オーケストラはベルリン・フィル。

デッカの「オテロ」に使われた録音器材は、すべて真空管だったはず。
EMIの「オテロ」に使われたのは、すべてか、ほとんどの器材はトランジスターに移り変っていたはず。

これは黒田先生が指摘されていることだが、カラヤンがこんなに早く「オテロ」を録り直したのは、
デッカの「オテロ」の出来に満足していなかったためではなかろうか。

カラヤンが満足していなかったと仮定して、何に満足できなかったのは、勝手に推測していくしかない。
まず考えられるのは、歌手がある。
デッカの「オテロ」では、オテロをマリオ・デル・モナコ、イヤーゴをアルド・プロッティが歌っている。
ドイツ・グラモフォン盤では、オテロはジョン・ヴィッカース、イヤーゴはピーター・グロソップになっている。

デッカの「オテロ」とほぼ同時期に出たセラフィン指揮でも、ヴィッカースはオテロを歌っている。

デル・モナコとヴィッカースは、声の明るさにおいて正反対なところがある。
デル・モナコの明るいテノール似対して、ヴィッカースの暗い声のテノール。
プロッティとグロソップも、やはり違う。プロッティは暗い声のバリトンで、グロソップは明るい声のバリトン。

ヴェルディは、オテロは暗い声のテノール、イヤーゴは暗い声のバリトン、という指示をしている、ときく。
つまりデッカの「オテロ」では、歌手の扱いに対して失敗といえるところがあったようにもいえる。

だからといって、このことだけが理由で、再録音までの期間が12年と短かったわけではないと思う。

Date: 4月 26th, 2011
Cate: Autograph, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その53)

18Hz〜22kHzとあっても、それがどのレベル差の範囲でおさまっているのかは、
エソテリックが出しているカタログには載っていない。

タンノイのサイトで調べると、18Hz – 22kHz -6dB、とある。
同じく15インチの同軸型をバスレフ・エンクロージュアに収めたカンタベリー/SEの周波数特性は、
28Hz – 22kHz -6dBとなっている。
カンタベリーのエンクロージュア・サイズはW680×H1100×D480mm、内容積は235ℓ。
容積的にはウェストミンスターの、ほぼ半分程度だ。

どちらも同じ-6dBということだから、
カタログ上ではウェストミンスター・ロイヤル/SEのほうが低域が下まで延びていることになる。

ウェストミンスターは1982年に登場した。
ステレオサウンドの試聴室で何度となく聴く機会があった。
翌日の取材の準備を終えた後、夕方、試聴室でひとりで聴いたこともあった。

そのときの印象から言えば、ウェストミンスターの低域は、カタログ・スペックほど延びてはいない。
もっと高い周波数までという感じがする。
菅野先生は、(たしか)60Hz以下の低音は諦めている設計だと言われていたのを思い出す。

中低域から、この周波数あたりまでは、独特のプレゼンスをもつ量感の豊かさがあって、
低音「感」に不足を感じるどころか、
堂々たる風格で響いてきたアバド/ブレンデルによるブラームスのピアノ協奏曲は、いまも思い出せるほどだ。

その響きに不足は感じない。
けれど、カタログ・スペック通り18Hzという非常に低いところまで十分なレスポンスが感じられたかというと、
決して、そうとはいえない。

でも、だからといってよく出来たブックシェルフ型スピーカーシステムのほうが、
レスポンス的にはウェストミンスターよりも、もう少し下の帯域まで延びている印象はあるが、
そのことが音の風格につながっているか、となると、また別問題だ。

Date: 4月 25th, 2011
Cate: Autograph, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その52)

言葉のうえでは、オートグラフとウェストミンスターは、
どちらも15インチの同軸型ユニットを使用、
エンクロージュアはフロントショートホーンとバックロードホーンの複合型、と同じだ。

ウェストミンスターを最初にみたとき、ランカスター、ヨークにコーナー型とレクタンギュラー型が、
バックロードホーン型のGRFにもレクタンギュラー型があったように、
ついにオートグラフにもレクタンギュラー型が登場した、というふうに受けとられたかもしれない。

オートグラフを手に入れたくても、理想的なコーナーをそのために用意することがかなわない。
それであきらめていた人にとっては、
レクタンギュラー・オートグラフは、待ちに待ったスピーカーシステムだったもかもしれない。

しかし、ウェストミンスターは、レクタンギュラー・オートグラフではない。
ウェストミンスターは、あくまてもウェストミンスターであって、オートグラフではない。

オートグラフはコーナー型ゆえに、エンクロージュア後部は90°の角をもつ。
ウェストミンスターの後部は、通常のエンクロージュア同様、フラットになっている。
コーナー・エフェクトによる低音の増強を嫌ってのことである。

ウェストミンスターは、その後、ウェストミンスター/R、ウェストミンスター・ロイヤル、
ウェストミンスター・ロイヤル/HEと改良されていくときに、
エンクロージュアの寸法も多少変更されている。
カタログ上では初代ウェストミンスターはW1030×H1300×D631mmだったのが、
ロイヤルからW982×H1400×D561mm、ロイヤル/HEはW980×H1395×D560mmとなっている。
内容積もそれにともない521ℓから545ℓ、530ℓとなっている。

細かい差はあるけれど、ウェストミンスターとほぼ同じ500ℓをこえるエンクロージュアを、
バスレフ型、もしくは密閉型で作れば、かなり自然に低域を伸ばすことができる。

そのためか、ウェストミンスターの大きさだけから判断して、
うまく鳴らせばかなり低いところまで再生できる思われる方がおられるようだ。

菅野先生は、ウェストミンスターよりも、
よくできたブックシェルフ型のほうが周波数特性的には低域が延びている、と言ったり書かれたりされているし、
実際に何人かのオーディオマニアの方から、あんなに大きいの、なぜ低音が出ないんですか」
と相談を受けたことがあると話されていた。

エソテリックによるタンノイのカタログには、現在のウェストミンスター・ロイヤル/SEの周波数特性は、
18Hz〜22kHzとなっている。

Date: 4月 25th, 2011
Cate: Autograph, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その51)

とはいうものの、五味先生がオートグラフを存在を知り、
その高価さに、半信半疑で新潮社のS氏にされ、そこで返ってきた
「英国でミスプリントは考えられない。百六十五ポンドに間違いないと思う。そんなに効果ならよほどいいものに違いない。取ってみたらどうだ。かんぺきなタンノイの音を日本でまだ誰も聴いた者はないんじゃないか」
という言葉に、「怏怏たる思いをタンノイなら救ってくれるかも」と思い、
オートグラフを取り寄せるきっかけとなったHiFi year bookは、1963年度版だから、当然ステレオになっている。
その時代に、オートグラフは、スタジオ・モニター用として、と明記されていたわけだ。

正直、オートグラフがモニター用スピーカーシステムとして使われた実例があるのか、
なぜHiFi year bookはスタジオ・モニターとしたのか、
はっきりとしたことは──以前からずっと疑問に思ってきたことだが──、あいからわずなにひとつない。

ひとついえることは、オートグラフが登場した1953年においても、
五味先生のもとにオートグラフが届いた1964年においても、
ワイドレンジを志向したスピーカーシステムであることだ。

五味先生が書かれている。
     *
S氏にすすめられ、半信半疑でとったこのタンノイの Guy R. Fountain Autograph ではじめて、英国的教養とアメリカ式レンジの広さの結婚──その調和のまったきステレオ音響というものをわたくしは聴いたと思う。
     *
オートグラフのコーナー・エフェクトを利用したバックロードホーン形式をどう捉えるかは、
人によって多少異なる面があるけれど、私は、ウェストミンスターとのはっきりとした違いがここにあり、
開発当時で、できるかぎりのワイドレンジを狙ったものだと私は思っている。