Date: 5月 19th, 2021
Cate: Digital Integration

Raspberry Piとオーディオのこれから(その1)

今日、Raspberry Pi 4(4GB)とAllo社のDigiOne Signatureを譲ってもらった。

これからぼちぼちとRaspberry Piとオーディオのことをやっていく予定だ。
頻繁な更新にはならないと思っている。
思い出したように更新していくぐらいだろう。

「Raspberry Pi オーディオ」で検索すれば、いくつも検索結果が表示される。
どのOSにするのか、どういう構成にするのか、
どういう設定にするのかなどは、そちらを参照してもらったほうが確実だし早い。

私は、感じたことを書いていくだけのつもりである。

昼過ぎに手に入れて、帰りの電車のなかで思い出したことがある。
ラックスのAUDIO OSECHI BOXのことだ。

最初の発表は2018年春だった。
Raspberry Pi搭載のオーディオ機器である。
2019年春にも発表があった。

2020年春に、新たな発表があるのか、と期待していたけれど、
コロナ禍でヘッドフォン祭が中止になったこともあってだろう、何もなかった(はずだ)。

さっき検索してみたけれど、
オーディオ関係のサイトでの記事は2018年と2019年がほとんどだった。
2020年、そして2021年の記事はない、といっていい。

LUXKITブランドを復活させて出す、とまで発表があったのに、
その後、まったく音沙汰なしなのは、コロナ禍のためなのか、
それとも他に事情があるのか。

春のヘッドフォン祭にあわせて発表がおこなわれていたから──、
も理由のひとつなのか。

計画そのものが中止になったのか、それとも継続中なのか。

Date: 5月 18th, 2021
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その2・さらに補足)

夜おそくなると、iPhone 12 proとHiByのFC3を使ってヘッドフォン、
そしてTIDALで音楽を聴くことが多い。

再生用アプリはAmarra Playだ。
TIDALにアクセスできて、MQA(コアデコード)に対応してくれているからだ。
FC3はMQAのレンダラーなので、iPhoneでコアデコードしておく必要がある。

先日、Amarra Playが1.26にヴァージョンアップした。
困ったことにFC3でMQA再生ができなくなってしまった。

音は鳴る。
ただしMQAではない。

Amarra Play(ヴァージョン1.26)が、勝手に96kHzにアップサンプリングしているためだ。
送り出し側で信号処理がされると、MQAはMQAとして再生できなくなる。

Amarra Playには、設定項目にPassthrough MQAがある。
これを使うと、信号処理なしになるのだが、
コアデコードもやってくれなくなるので、FC3でMQA再生ができないことは変らない。

ならばFC3ではなく、ほかの製品に買い替えればすむかというと、
この種のポータブルD/AコンバーターでMQAに対応しているモノの多くは、
MQAレンダラーであるから、症状としてはFC3と同じになる。

Amarra PlayにアップサンプリングのON/OFF機能があれば問題解決なのだが、
1.27で解消するのか、それとも変化なしなのか。

Date: 5月 18th, 2021
Cate: 挑発

スピーカーは鳴らし手を挑発するのか(その4)

その1)を書いたのは2012年7月だから、九年前。
いまになって、タイトルのことを考えている。

「スピーカーは鳴らし手を挑発するのか」というタイトルなのだが、
「スピーカーは聴き手を挑発するのか」にしなかった理由を、
いまごろになって思い出そうとしている。

鳴らし手と聴き手では、微妙に違う。
鳴らし手は、ほとんどの場合、すでに、そのスピーカーを購入している人である。

オーディオを仕事にしていて、自分のリスニングルーム以外で試聴する、
それもスピーカーのセッティングを他人まかせにせずに自分でやる。
その場合も、スピーカーの鳴らし手であるわけだが、
オーディオマニアのほとんどは、オーディオを仕事にしていないわけだから、
鳴らし手という場合、自分のリスニングルームで、自分のスピーカーとなる。

それが聴き手となると、話は少し違ってくる。
聴き手なのだから、何も自分のスピーカーの聴き手とはかぎらない。

オーディオショウやオーディオ店で鳴っているスピーカーを聴く人も聴き手だし、
オーディオの仲間のところにいって、その人の音を聴かせてもらってときも聴き手である。

スピーカーの聴き手とは、誰のスピーカー、どこで、といったことは問われない。
スピーカーからの音を聴いていれば、聴き手と呼ばれる。

「スピーカーは聴き手を挑発するのか」と「スピーカーは鳴らし手を挑発するのか」では、
微妙なところで違ってくる。

おそらく六年前もそんなことを少しは考えていたはずだ。
だから「スピーカーは鳴らし手を挑発するのか」にしたはずだ。

Date: 5月 18th, 2021
Cate: iPod

20年目のiPod

昨晩、Apple Musicのドルビーアトモスによる空間オーディオ、
ロスレスオーディオの発表があった。

2001年10月10月に、AppleからiPodが登場した。
iPod以前にも、mp3プレーヤーはいくつかあった。
けれど普及していた、とはいえなかった。

そこにAppleは著作権保護仕様の非可逆圧縮AACをもちいることで、
レコード業界との折り合いをつけての発売であった。

最初のiPodは5GBと10GBの容量だった。
これでも当時としては大容量であった。

私は2003年に、第三世代のiPodを買った。

カセットサイズのiPodは、姿も大きさもずいぶん変ってしまった。
iPhoneに吸収されてしまった、ともいえる。

とにかくiPodは普及した。
街中で、白いイヤフォンをよくみかけるようになった。
普及したからこそ、非可逆圧縮で音楽を聴く人が増えた、ともいえる。

iPod登場から20年。
ロスレスの時代になっていく。

Date: 5月 17th, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その68)

オーディオの想像力の欠如した者は、音という結果を、
「答」とは思っていないのだろう。
まして、「答」とは覚悟なのだとは、まったく思っていないはずだ。

Date: 5月 17th, 2021
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その9)

オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ──、
というのは、私の本音だ。

その8)で、そう書いた。
圧倒的であれ、は、圧倒的に楽しむ者であれ、でもある。

圧倒的に楽しめる者こそが、周りのオーディオマニアを挑発できる。
圧倒的であれ──、は威圧することではない。

Date: 5月 17th, 2021
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その18)

2020年2月のaudio wednesdayで、
Raspberry Pi+メリディアン 218の音を聴いている。

Raspberry Piによる再生は、それ以前にも聴いているし、
きちんと取り組もうと思っていたものの、ついつい後回しにしてしまっていた。

けれど今週、やっと手に入れる。
Raspberry Pi 4(4GB)にAllo社のDigiOne Signatureが装着された構成。

DigiOne Signatureは、一年以上前から使ってみたい、と目をつけていたドーターボード。
高精度のSPDIF出力を実現、と謳っている。
ちなみに、Allo、インドの会社である。

こういうところもおもしろいと感じている。

まずは自力でやってみる。
すんなりいかないかも……、と思うけれど、
いきなりメインのシステムにするわけでもないから、
やれるところまでは自力でやる。

Date: 5月 17th, 2021
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その14)

roonは、
roonならではのメタデータを活かしての未知の音楽をさがしていける機能がある。

5月16日に一新されたAudirvanaも、最新のAudirvana Studioでめざしているのは、
roon的なデータベースの構築と機能なのだろう。

roonの機能はよく出来ている。
それでも、私がroonとAudirvana、
それから今後登場してくるかもしれないアプリケーションに求めたいのは、
六次の隔たり、という仮説に基づく機能である。

六次の隔たりは、すべての人、物事は、
6ステップ以内でつながっている、というもの。

友だちの友だちは友だちで、
そうやって友だちの友だちを、何人か介していくことで、世界中の誰とでも、
つながっている、という仮説である。

まったく縁がなさそうな人であっても、私とその人のあいだに最大六人の人が介することで
友だちの友だちの友だち……、という感じでつながっている、とのこと。

六次の隔たりを知った時には、そんなものかな、と思ったけれど、
ここ十年ほどは、六次の隔たりは、けっこうそうなのかもしれない、と思うことがあった。

だから、未知の音楽をさがしていくうえでも、この六次の隔たりはあてはまるのではないだろうか。

といっても、私が考えている(欲しい、と思っている)のは、
六次の隔たりのところにいる音楽(アルバム)ではなく、
六次の隔たりそのものである。

つまり好きな音楽(アルバム)を二枚選ぶ。
まったくつながりなんてなさそうな二枚を選ぶ。

この二枚の隔たりを、最大六枚の音楽(アルバム)が埋めていく。
その音楽(アルバム)がなんであるのかを知りたい、と思っている。

Date: 5月 16th, 2021
Cate: 電源

ACアダプターという電源(その1)

昔と今、いろいろ変化はあるのだが、
ACアダプターの数は、確実に増えてきている。

四十年前に、東京で独り暮しを始めた。
そのころはACアダプターは、一つもなかった。
ACアダプターを必要とする製品を使っていなかった。

私が東京で最初に使ったACアダプターは、
ポータブルCDプレーヤー用のそれだった。

このころのACアダプターは、まだ大きく、けっこう重かった。
そのころまでは、ACアダプターは、がつくて重いものという印象だった。

それがスイッチング電源のACアダプターが主流となり、
ACアダプターを必要とする機器も増えてきた。

オーディオと関係ないところで、iPhoneやiPod、iPad、
PowerBookにMacBook Proがあることで、ACアダプターはいくつもある。

オーディオもアナログディスクとCDの再生だけであれば、
ACアダプターを必要とすることはなかった。

けれどネットワークオーディオ、PCオーディオと呼称される領域となると、
ACアダプターを必要とする機器を使うことにもなる。

ほんとうに身の回りにACアダプターがころがっている、
そういいたくなるほど増えてきている。

そして、オーディオの世界では、高音質を謳うACアダプターが登場している。
スイッチング電源のモノもあるし、
リニア電源と呼ばれる、トランス、ダイオード、コンデンサー、定電圧電源の組合せによる、
いわゆる昔ながらの構成のモノもある。

Googleで検索すれば、ACアダプターを製品化しているブランドは、少なくない。
それらの製品のほとんどはローノイズを謳っている。

Date: 5月 15th, 2021
Cate: チューナー・デザイン

チューナー・デザイン考(その13)

(その12)は、2015年3月だから、六年経つ。
続きは書くつもりでいたので、自分でもそんなに経っていたか……、と思う。

六年経つと、続きをどんなふうに書くつもりだったのか、
ほとんど憶えていない。まぁ、書いているうちに思い出してくるかもしれない。

それでも続きを書いているのは、TIDALを使うようになったから、というのが大きな理由である。
TIDALのライブラリー曲数は6000万曲をこえる、らしい。

TIDALだけでなく、ほかのストリーミングサービスも、同じくらいのライブラリーの曲数である。
それぞれのサービスでタブっている曲もあれば、そうでない曲もあるだろうから、
すべてのストリーミングサービスの曲数を合計すると、いったいどれだけになるのか。

そのなかから自分の聴きたい曲を選ぶためのインターフェースとしてのチューナー・デザイン、
それだけでなく未知の音楽をさがしていくためのインターフェースとしてのチューナー・デザイン、
この二つのことが、この項を書き始める前から考えていたことだ。

TIDALを半年使っていて、やはりチューナー・デザインを考えていく必要がある、と感じている。

六日前に「TIDALという書店」を書いた。
こういう感覚をTIDALに対してもっているわけだから、
その感覚にふさわしいインターフェースは、チューナー・デザインの発展形だという直観がある。

Date: 5月 14th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(ライバルのこと・その2)

オーディオにおいてのライバルとは、いったいどういうことを指すのだろうか。

同年代で、オーディオマニアであれば、ライバル同士といえるのか。
それとも同じスピーカーを鳴らしていることが、ライバルへと鳴っていくのだろうか。

これはありそうな気がする。
例えばJBLの4343を使っていたとしよう。

片方はマークレビンソンのLNP2とML2で鳴らしていた、としよう。
もう片方はプリメインアンプで鳴らしていた場合、
この二人はライバル同士となるのか。

もちろんこの二人はオーディオ仲間であり、友人関係でもある。
二人とも4343に惚れ込んでいる。
オーディオ歴もほぼ同じ。

けれどアンプのグレードが、この二人は大きく違う。
プリメインアンプで鳴らしている男は、
マークレビンソンで鳴らしている男をライバルだと思っているとしても、
マークレビンソンの男は、プリメインアンプの男をライバルだと思っているのかは、
どうだろうか。

マークレビンソンの男も、以前はプリメインアンプだった。
そのころは二人の4343の鳴らし手はライバルといえただろう。

どちらも相手のことをライバルと認識していたことだろう。
けれど片方が、一気にアンプをグレードアップした。

プリメインアンプの男は、そこでなにくそと思ったはずだ。
あいつがマークレビンソンなら、オレはGASにする、と思ったかもしれない。

プリメインアンプの男が、GASのアンプを買ったならば、
マークレビンソンの男は、ふたたび相手をライバルと思うようになるのか。

Date: 5月 13th, 2021
Cate: 言葉

〝言葉〟としてのオーディオ(その9)

その4)を憶えておられる方ならば、
〝言葉〟としてのオーディオとは、
音楽を語る〝言葉〟としてのオーディオであることを思い出されるはずだ。

〝言葉〟としてのオーディオは、
音楽の聴き方について語る〝言葉〟としてのオーディオである、とおもうようになってきた。

Date: 5月 13th, 2021
Cate: 終のスピーカー

最後の晩餐に選ぶモノの意味(その8)

この項のタイトルは「最後の晩餐に選ぶモノの意味」であって、
「最後の晩餐に選ぶ曲の意味」ではない。

最後の晩餐に聴きたいスピーカー(というよりも、その音)がある。
その音で聴きたい音楽がある。
そのことを書いているだけである。

本末転倒なことを書いているのはわかっている。
聴きたい曲が先にあって、
最後の晩餐として、その音楽を聴くのであれば、
どういう音(システム)で聴きたいかが、本筋のところである。

それでも私の場合、最後の晩餐から連想したのは、
まずシーメンスのオイロダインというスピーカーだった、というわけだ。

だから「最後の晩餐に選ぶモノの意味」というタイトルした。
その1)を書いたのは六年前。52歳のときだ。

いまもまだシーメンスのオイロダインを、最後の晩餐として聴きたい、というおもいがある。
それはまだ私が50代だから、なのかもしれない、とつい最近おもうようになってきた。

十年後、70が近くなってくると、オイロダインではなく、
ほかのスピーカーで聴きたい、と変ってきているかもしれない。
その時になってみないと、なんともいえない。

書いている本人も、変っていくのか、変らないのか、よくわかっていないのだ。
最近では、ヴァイタヴォックスもいいなぁ、とおもっているぐらいだ。

それでも、今風のハイエンドのスピーカーで聴きたい、とは思わないはずだ。

Date: 5月 13th, 2021
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その13)

(その11)、(その12)は少し脱線してしまったので、
話を元にもどして(その10)の続きである。

私が高校生のころ、
私にとってステレオサウンドのステート・オブ・ジ・アート賞は、
賞本来の輝きを放っていた、とこれまで書いてきている。

いまのステレオサウンドのステレオサウンド・グランプリには、
その輝きはない。
ステレオサウンドの賞だけでなく、ほかのオーディオ雑誌の賞に関してもそうだ。

私が小学生のころ、
大晦日に行われていたレコード大賞は、まだ賞としての輝きを放っていたように思う。
小学生が感じていたことだから、実際のところはどうだったのか、
大人はどう感じていたのかはまではなんともいえないが、
それでも高校生になったぐらいのころから、出来レースだというウワサもあった。

いまでは、すっかり賞としての輝きはなくなっているのではないか。
賞がそうなっていくのは、オーディオの世界だけではないようだ。

そして賞が輝きを失っていくとともに、
付加価値が使われてくるようになった、といえないだろうか。

たとえばステレオサウンドのステート・オブ・ジ・アート賞の一回目は49号。
二回目は53号。

49号ではステート・オブ・ジ・アート賞だけが特集だった。
53号では52号からの続きで、
アンプの総テストとステート・オブ・ジ・アート賞の二本が特集だった。

ステート・オブ・ジ・アート賞のページ数は、49号からぐんと減った。
当然である。

49号は一回目だから、現行製品すべてが対象となるのに対して、
53号では49号以降の一年間で新発売になった機種のみが対象なのだから、
ステート・オブ・ジ・アート賞に選ばれるモデルは、ぐんと減る。

毎年毎年、ステート・オブ・ジ・アート(State of the art)の意味にふさわしい製品が、
そんなにポンポンと登場してくるわけがない。

ステート・オブ・ジ・アート(State of the art)をどう捉えるかにもよるが、
厳密に、真剣にステート・オブ・ジ・アート(State of the art)ということで選考していったら、
今年は該当機種なし、ということだって十分ありうる。

Date: 5月 13th, 2021
Cate: オーディオ観念論

澄明(その2)

五味先生の「フランク《オルガン六曲集》に、
《淋しさに打ち克ったから到達し得た清澄の心境》とある。

透明ではなく、澄明な音というのは、そんな心境がつくりあげた音のはずだ。