Archive for 10月, 2011

Date: 10月 11th, 2011
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(音楽の聴き方)

27歳のときに左膝を骨折して入院した。
入院経験のある方ならおわかりのように健康状態を知るために血液検査がある。
そのとき看護婦さんが教えてくれたのが、血液検査をすると、けっこう多くの人が、いわゆる栄養失調なんだそうだ。

栄養失調といっても、遠い昔の栄養失調とは違うのだが、栄養が偏っている、ということでは、
やはり栄養失調ということになるらしい。

食うや食わずの、遠い昔と違い、いまの日本には食べ物は豊富にある。
それこそ好きなものだけを食べていても満たされる。
ずっと昔は、そんな好き嫌いをいっていては、満たされることはできなかったであろうに、
いまや嫌いなものを食べずに好きなものだけ、そして手軽なものだけを食べて、とりあえず満たされる。

いまのように自由に、というよりも好き勝手に食べるものを選べる時代よりも、
そんなことはいっていられなかった時代のほうがいろんな食べ物(栄養)を万遍なくとっていた、
ともいえるということは、音楽の聴き方もそうなっている、といえるのかもしれない、と思う。

アクースティック蓄音器の時代は、SPも蓄音器も非常に高価なものだった。
ラジオも高価だった。
生活の中にあって、音楽を聴ける機会は、いまと比較するまでもなく、ごくわずかだった。
そうやって音楽を聴いてきた人と、いまのようにレコードを買わずとも、
パソコンとインターネットに接続できる環境があれば、いくらでも手軽に聴くことができる。
それこそ好きな食べ物だけを食べていても満たされる(腹はふくれる)ように、
好きな音楽だけを聴いていても、満たされる(といおうか、時間は過ぎ去っていく)。

音楽の選択肢は、圧倒的に増加している、あふれかえっている……。
けれど、音楽を聴いて生きていくのに必ずしも幸福なこととは、思えない。

Date: 10月 10th, 2011
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(その10)

インターナショナルオーディオショウでの例、ステレオサウンドの試聴室での例とはすこし違う意味をもつが、
私にとっては、ふたつの例と関係してくるように思えてならないことが、ひとつある。

これもステレオサウンドにいたころの話である。
山中先生のところに原稿をとりに行った時のことだ。

話はまた横道にそれるが、このころステレオサウンドは富士通のワープロは導入していたけれど、
筆者でワープロを導入されたのは柳沢氏が最初だった。
そして黒田先生が導入された、と記憶している。
ほかの方々は手書きの原稿だった。
だから原稿を取りに行く、ということも仕事であった。
いまならメールで送信されてくるから、電車を乗り継いで原稿を取りに行くなんて、
時間のムダ、ということになるのだろうが、〆切で忙しいときに、
電車に乗って原稿を取りに行くのは気分転換になっていた。

それに手書きの原稿には赤をいれる。
この作業は、いまのメールで送信されてくるテキストデータを読むのとは、意味が異ってくる。
編集者として、手書き原稿を相手に仕事をしたことがないのは、時代が違うことはわかっていても、
やはり大きなマイナスだと思う。

話をもどそう。
その日、山中先生から連絡があり、何時にできるから、そのころ取りに来てほしい、ということだった。
時間ぴったりに伺うと、原稿はまだだった。
もうすこしかかる、ということだったので、山中先生のお宅の周辺で時間をつぶして、また来よう、と思っていたら、
リスニングルームに通された。そして「原稿が書き上がるまで、好きに聴いていていいよ」といわれた。

Date: 10月 10th, 2011
Cate: ユニバーサルウーファー

スーパーウーファーについて(続々続・低音再生とは)

ようするに自分の部屋で自分のスピーカーシステムで、いい音が出せればそれでいい。
そこでの手法がほかの人のところではまったく参考にならない、役に立たなくても、それでいい。

オーディオのプロフェッショナルになってそれで喰っていこう、というのであれば、
自分にとっての最適解を出すだけではなく、
普遍解(これが存在するのかは、また別項でいつか書いてみたい)、
もしくはいくつも最適解を出していくことが求められていくけれど、
オーディオのプロフェッショナルではないのだから、
自分にとっての、自分の部屋での、自分のスピーカーシステムにとっての最適解を出していけばいい。
プロならば(仕事ならば)〆切があるが、
いい音を求め出していくのに、〆切はない。じっくりと腰をすえて取り組んでいけばいい。

だからスピーカーシステムの置き台にしても、いろいろなものを試してみたほうがいい。
重くて硬い材質の置き台が必ずしもいい結果につながるわけではない。
むしろそういうもののほうが、固有の音が強すぎる面を顕にすることさえある。
それをだめだととらえることも出来るし、あえてそれを利用することも手のひとつでもある。

とにかく思いつく限りのもの、手法をやってみる。
音が良くなることもあれば、悪くなることもある。
ここで気をつけたいのは、音が良くなった、と感じたときでも、すべての面で音が良くなっているとはかぎらない。
どこか悪くなっているところもある。そこを聴き逃さないようにしたい。
それは音が悪くなった、と感じたときにもいえる。すべてが悪くなっているわけではないはずだ。
良くなっているところも、変化量が小さくて聴き逃してしまいそうになるかもしれないけれど、
必ず良くなっているところはある。

つまりトータルのとしての音の結果だけを聴き取るのではなく、
音の変化量(変化傾向と変化幅)を聴き取っていく。
だから、まずはとにかく思いつくかぎりあらゆるもの、手法を試していく。
そこで聴き取った変化量を自分の中にためこんでいく。
できればメモを残していったほうがいい。
そうやって自分のなかに経験値を増やしていけば、それらがいつか結びつき最適解を得られるはずだ。

もちろん部屋の広さによっては、スピーカーシステムの置き場所はほぼ固定されてしまい、移動できないこともある。
そういう制約の中でも、知恵を絞っていけば、そして誰かの最適解を参考にしていけば、
やれることは次々に出てくる。

Date: 10月 10th, 2011
Cate: ユニバーサルウーファー

スーパーウーファーについて(続々・低音再生とは)

低音再生は、部屋との兼ね合い・折り合いのなかでやっていくものである。
自分の部屋でいい音・いい低音を出せればいい、ということである。
つまり、自分のとっての、自分の部屋、スピーカーシステムにとっての最適解を求めていくこと、である。

だから、他の人がその人の部屋で好結果を得られた手法が、
そのまま自分の部屋でも好結果を出してくれる、とは限らない。
あくまでも、それはその人、その人の部屋、その人のスピーカーシステムなど、
いくつもの要素に対しての最適解なのだから、
それを、自分にとっての最適解とすることには無理がある。

もちろん熱心に取り組まれている人が出した最適解から学べること、参考にできることはある。
それでも、それはあくまでもその人にとっての最適解であって、自分にとっての最適解では決してない。

自分のとっての最適解は、自分の部屋で、自分のスピーカーシステムで、しかも自分で出していくしかない。

だからスピーカーシステムの下に敷く置き台に関しても、すべての人にとっての最適解、
いいかえれば普遍解、そういうものは存在しない、と思っていたほうがいい。

よくスピーカーのシステムの置き台に関して、断言的な口調で、
あれがいい、とか、これはダメだ、とか、そんなことを軽々しく口にする人がいる。
もちろん、その人はその人なり、自分の部屋、自分のスピーカーシステムで、
自分が納得できる音を出した手法であるから、
それがそのまま他の人、他の部屋、他のスピーカーシステムにもあてはまることだ、とつい思ってしまうのだろう。

でもくり返すが、あくまでもそれはその人によって、その人の環境においての最適解であって、普遍解ではない。
だから、ある人にとっての最適解は、
あくまでもそういう手法がある、という参考例として受けとめておいたほうがいい。

Date: 10月 9th, 2011
Cate: ユニバーサルウーファー

スーパーウーファーについて(続・低音再生とは)

スピーカーのセッティングに定石はない、と瀬川先生はよくいわれていた。
たしかにそうで、与えられた部屋の中で、少しでもいい音をスピーカーから引き出すためには、
思いつくかぎりのことをやってみたらいい、と私も思っている。

低音再生に関しても、というより、低音再生のほうがスピーカーのセッティング以上に定石はない、と思って、
取り組んだ方がいいと思っている。

アクースティック楽器にはピストニックモーションで音を発しているものはひとつもない。
だがスピーカーはベンディングスピーカー以外は、ほぼすべてピストニックモーションで音を出す。
このことがオーディオの難しさであり、面白さであり、
本来は部屋の広さが低音の最下限の周波数の半波長分の長さを必要とするはずなのに、
実際には狭い空間でも、ごく低い周波数の再生は決して不可能ではないことにも関係している、と考えている。

つまりピストニックモーションだから、ある程度、無理が通る。そんなふうにも受けとめている。
だからというわけではないが、いわばオーディオの正攻法だけではうまくいかない、
いいかえれば常識にとらわれていては、突破できない領域が出てくる。

たとえばスピーカーの置き台。
私がオーディオに関心をもち始めたころ(1976年)は、
ブックシェルフ型スピーカーシステムの置き台は、まずコンクリート・ブロックだった。
ちょっとつよい力でひっかくと、端のほうがぽろぽろ欠けてくる。これが標準だった。
音に配慮したスピーカーの置き台がメーカーから発売されるようになるのは、もっと後のことだ。

いまの若い人は、そんなコンクリート・ブロックを使ったことのある人はいないだろうが、
私と同じ、そして私より上の世代の方ならば、いちどはコンクリート・ブロックを使われた経験をお持ちだろう。

いまオーディオ店には、いろんな材質の、高価な置き台がいくつもある。
もうコンクリート・ブロックを使っている人なんていない、かもしれない。
それにコンクリート・ブロック、と聞いただけで、そんなもの音を悪くするだけ! と切って捨てる人もいる。

そんな扱いを受けているコンクリート・ブロックだが……。

Date: 10月 8th, 2011
Cate: ユニバーサルウーファー

スーパーウーファーについて(低音再生とは)

低音の波長は長い。
可聴範囲の最下限の20Hzの波長は、音速を340mとすれば17mになる。

オーディオの本には、低音の再生には部屋の一辺の長さが再生したい低音の最下限の半波長分が必要となる、
と書かれている。
つまり20Hzまで再生したければ、当然そこまで再生できるスピーカーが必要になるばかりではなく、
最低では20Hzの波長、8.5mの距離が部屋のどこかになくてはならない、ということだ。
天井高が8.5mの部屋なんて、そうないだろう。
となると部屋の縦方向か横方向の一辺が8.5m。
仮に正方形の部屋とすれば、8.5m×8.5mは72.25㎡になる。40畳ほどの、かなり広い部屋だ。
もうすこし一辺が8.5mより短いとしても、極端に短くなってしまうとプロポーションがひどいものになり、
音響的に好ましくない結果を生むことになる。
となると常識的な比率からもう一辺を決めれば、やはり日本では贅沢な空間となってしまう。

理想をいえば半波長なんてけちくさいことをいわずに20Hzの一波長分、
つまり一辺が17m以上ある部屋ということになる。
17m×17mは289㎡……。もう夢の話になる(私にとっては)。

だから広い空間を用意できない人は、低音再生はあきらめたほうがいい、というふうにも、
ここのことを持ち出していわれる。
そして「部屋が狭いから低音はいさぎよくあきらめました」とか
「質の悪い低音を無理に出すよりも出さない方が、音全体のクォリティは高くなる」などいう人もいる。

半波長の長さを必要とする──、
これは果してスピーカー(ウーファー)から音を出している場合にもあてはまることなのだろうか。

ウーファーのほほすべてはピストニックモーションで空気を、いわば強制駆動している。
実際の楽器が低い音をだしているときの空気のふるまいと、
ウーファーが低い音を再生しているときの空気のふるまいを、同一視していいのだろうか。

共通するところは多い、とは思う反面、音の出し方そのものが大きく異るため、
違う捉え方も要求されるはずである。

私の経験からいえば、たしかに広い空間のほうが、無理を感じさせない、自然な低音を出しやすい。
そのことは否定しないし、広い部屋は欲しいけれど、
狭い部屋だからといって、質の高い低音が出せないわけではない。
ただ難しい、というだけにすぎない。

だから部屋が狭いから……、などという言い分けはせずに、
そして固定観念、それに一般的な常識にはいっさいとらわれずに、
あれこれ挑戦してこそ、低音再生はおもしろい、といえる。

つまり低音再生は、鳴らす部屋込みで考えるべきもの、ということを忘れないでほしい。

Date: 10月 7th, 2011
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(その9)

こういうこともあった。

ステレオサウンドにいたころ、M・O君が編集部にいた。私よりもすこし年下で、ロック小僧。
このM・O君が、ある試聴がおわったときにつぶやいた。

「山中先生が(試聴室に)入ってこられるだけで、音、変りますよね」

彼はオーディオに強い関心をもっていたわけでもなく、
「音は人なり」ということについてもまったく知らない。そのM・O君が、そうつぶやいた。

試聴室ではそのとき試聴に使うオーディオ機器のウォーミングアップをかねて、
午前中の準備が済んでずっと鳴らしながら、試聴に来られる方をまっている。

M・O君がつぶやいたときも、そうだった。
あるスピーカーシステムを鳴らしていた。
たしかに、山中先生が試聴室に入ってこられたと同時に、音のただずまいが変ったのは、私も感じていた。
鳴らしていたのは曲名は忘れてしまったが、クラシックだった、と思う。
M・O君はロック小僧だから、ほとんどクラシックは聴かない(カルロス・クライバーだけは例外だったけど)。

そんなM・O君が、山中先生が試聴室に入って来られる前の音と試聴室に入って来られてからの音、
このふたつ音の違いに反応していたことに、正直なところ、驚いていた。
そして、以前からこの時のように音が変ることを感じていたのは、私の気のせいばかりではないことを確認できた。

Date: 10月 6th, 2011
Cate: 名器

名器、その解釈(その5)

ウェストミンスター・ロイヤル/SEを名器と思えないのは、
なにもウェストミンスターが現行製品だから、というのが理由ではない。

JBLのパラゴンは、いまでは製造中止になってひさしいが、
私がオーディオに関心をもちはじめたころ(1976年当時)は現行製品だった。
実物を見たのは数年後であったし、
当時はパラゴンからは私が求めている音は出てこない、という思い込みもあったけれど、
それでもパラゴンは名器である、と感じていた。

同じタンノイのスピーカーシステムなのに、
オートグラフを名器として感じ、ウェストミンスターを名器とは思えない、
現行製品であってもパラゴンは名器と直感したのに、ウェストミンスターはそうではなかった。

誤解のないようにことわっておくが、
ここであげている3つのスピーカーシステム(オートグラフ、ウェストミンスター、パラゴン)では、
名器とは思えないウェストミンスター・ロイヤル/SEは完成度が高いところにあるといえるし、
鳴らしていくうえでの、いわゆるクセの少なさもウェストミンスターである。

ウェストミンスター・ロイヤル/SEはよく出来たスピーカーシステムだ、と思う。
なのに、どうしてもウェストミンスターは、私にとって名器ではない。

オートグラフに感じられてウェストミンスターに感じられないもの、
パラゴンに感じられてウェストミンスターに感じられないもの、
つまりオートグラフとパラゴンに共通して感じられるもの、とはいったいなんなのか。

「スケール」だと思う。

Date: 10月 6th, 2011
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(その8)

あと1ヵ月もすれば、インターナショナルオーディオショウがはじまる。
このインターナショナルオーディオショウの各ブースの音は、原則として、
そのブースの出展社(国内メーカー、輸入商社)の人たちが出している。

3日間の開催、各ブースでは評論家のによる音出しと話(つまりはイベント)が行われる。
一般的には、オーディオ評論家による講演、と呼ばれているし、以前は私もそう書いていたけれど、
さすがに「講演」という言葉は、菅野先生が不在になったいま、もう使わないことにした。

このときの音は、基本的には、そのブースの担当者の音、ということになる。
自分のイベントの時間だからといって、時間的余裕をもってそのブースに行き、
そこで鳴っている音を確認したうえで調整している人はいない。
これは当然のことであって、他の人もイベントを行うわけだから、
調整したいと思っていても、ノータッチが原則となる。

つまりあるブースで複数のオーディオ評論家によるイベントが行われるわけだが、
そこで、基本的にはイベントを行う人によって音が違ってくる、ということはまずないわけだ。

だが実際には、無視できない範囲で音が変ることがある。
こんなことをいうと、そのイベント目当てで来た人の数が違うのだから当り前だろう、という人もいるだろう。
たしかにそうなんだけれども、そういった要素による音の変化とは思えない音の変化がある、こともある。
これが、ないこと(感じにくいこと)もある。

そのブースのシステムを、そのときイベントを行っている人は調整していなくても、
それでも「音は人なり」ということを感じさせる音の変化が、
すべてのブース、すべてのイベントではないにしても、はっきりとある、といえる。

これはいったいなぜなんだろうか。

Date: 10月 5th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その39)

ケイト・ブッシュの12インチ・シングルがもつ音のよさは、聴くたびに魅了されていくところがあった。
これは人によって異ることなのかもしれない。
私が12インチ・シングルに感じていた良さを、
とくにアナログディスク再生において重要視されない方もいて不思議ではない。

アナログディスクは、こう再生されなければならない、というものではない。
それは私というひとりの中にも、EMT・927Dst的世界でのアナログディスクの再生と、
ノッティンガムアナログスタジオのAnna Logで求めたい世界とが、両極としてあるのだから。

12インチ・シングルのように、33 1/3回転の通常のLPを鳴らしたい、
そういうふうに鳴らしてくれるアナログプレーヤーはなると、これはもう927Dstにしか、私にはなかった。
それまで使ってきた930st(トーレンス101 Limited)に、大きな不満があったわけではないし、
むしろ非常に満足して使っていた。
それでも930stで聴いた12インチ・シングルの音は、
それだけの魅力をもっていた──、927Dstを購入させるほどの魅力と力を。

927Dstの音は、930stと比較してもなお底力の凄さを感じさせる。
この底力を土台として音が構築されているから、フォルティッシモで音が伸びていくとき、
通常のアナログプレーヤーよりも、グンという感じで、その先に音が伸びる。
それは伸びきる、といいたくなるほど、ひとまわりもふたまわりもの違いがある。

一枚のアナログディスクから得られるエネルギーの総量が、
927Dstではあきらかに増大している、そんな印象を聴くたびに受ける。
再生するアナログプレーヤーが変っても、レコード(アナログディスク)そのものは変化するわけではない。
だから、927Dstで、明らかにエネルギーとして感じとれる、聴こえてくる要素は、
実のところ927Dstがつくり出している要素、といえないこともない。

そう考えることもできるし、他のアナログプレーヤーが十全にディスクから拾い出していない、ともいえなくもない。

Date: 10月 4th, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その10)

62年前の「その日」のことについては、「Why? JBL」では6ページ割いてある(85〜90ページにかけて)。
その一部だけ引用しておく。
     *
彼の死後、JBL社は保険金一万ドルの支払いを受けた。そのおかげでウイリアム・トーマスはその後の会社経営を堅実なものにすることができたという。生命保険に加入した時期がその日の数年前であることを見ると、どこかランシングの計画的な死であったような気がしてくる。
     *
ランシングが加入していた生命保険の契約がどうなっていたのかわからないが、
自殺の場合の支払いの条項はあったはず。

それに、ランシングは、この時期、アルテック・ランシングに在籍していた弟のビル・マーティンを、
毎週金曜日に訪れ、技術的なコミュニケーションをとっていた。

1949年の9月29日は木曜日にもかかわらず、ランシングはビル・マーティンを訪れている。

これらのことから、「Why? JBL」の筆者、左京氏も書かれているように、
ランシングの死は計画的であったように思える。

1949年、JBLの負債総額は2万ドルになっていた。

ランシングの死について、ほんとうのところは知りようがない。
それでもランシングが別の道を選択していたら、JBLという会社は、いまはなかった可能性もある。

ランシングは自分の死によって会社(JBL)を守った。
デヴィット・ステビングは会社(チャートウェル)をつぶしてしまった。

ランシングが生きた時代はふたつの世界大戦があり、大恐慌もあった。
ステビングとは生きた時代が違う。
ふたりのスピーカー・エンジニアの、その時の選択を比較する気はない。

ただふたりとも会社を経営していく才はなかった。

ステビングはその後、ベルギーのKMラボラトリーというスピーカーメーカーの社長になっている。
ただしKMラボラトリーでつくっているのは普及クラスのスピーカーばかりのようで、
ステビングがチャートウェルで目ざしていた方向とは違っている。

Date: 10月 3rd, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その9)

1982年夏に、「Why? JBL」という本が出た。
オーディオとはまったく関係のない出版社(実業之日本社)から、
しかも女性(佐京純子氏)によるJBLについて書かれた本だった。

この「Why? JBL」はステレオサウンド編集部内でも話題になった。
編集部でも購入していたし、編集部員も個人で数人購入していた。私も購入した。

11章から、この本は成り立っている。
 一章  ダウンタウンから約一時間ロスへの郊外へと走る
 二章  ランシングは最も古いアマチュア無線マニアの一人だった
 三章  シャラーホーン・システムが映画芸術科学アカデミー賞を受賞
 四章  アルテック・ランシング・コーポレーションの始まり
 五章  ジェイムズ・B・ランシング社設立
 六章  ジェイムズ・バロー・ランシングの死
 七章  一九五〇年代、商標『JBL』の誕生
 八章  一九六〇年代、JBLスタジオ・モニターシリーズに進出
 九章  JBL日本上陸
 十章  サウンドとヒューマンライフ
 十一章 そして現在のJBL

オーディオマニア的にはもの足りないと感じるところもあるものの、
それでもこの「Why? JBL」で知ることのできた情報は多かったし、
それまではっきりとしなかった事柄のいくつかが、この本によって明らかになったこともある。

「Why? JBL」は永らく絶版だったため、
一時期、ヤフー・オークションでけっこうな値がつくこともあったようだが、
改訂版といえる「ジェイムズ・B・ランシング物語」が、
「Why? JBL」と同じ実業之日本社から2008年に出ていて、いまも入手可能である。

「Why? JBL」の64ページには、こう書いてある。
     *
ランシングについて、そのすべてを研究している現在のJBL社の副社長の一人であるジョン・アーグルは、
彼についてこう述べている。
「ランシングは機敏なビジネスマンではなく、彼のもとでは会社は繁栄しなかった」と。

Date: 10月 2nd, 2011
Cate: audio wednesday

第9回公開対談のお知らせ(「オーディオのデザイン論」を語るために)

ステレオサウンドをどう受けとめているかは人それぞれで、
オーディオのお買い物ガイドとして読んでいる人もいれば、
私は、オーディオの本、というよりも、オーディオ評論の本として認識している。

現在の編集部が、ステレオサウンドという本を、
お買い物ガイドブックとして編集しているのか、
オーディオの本として編集しているのか、
それとも私と同じように、オーディオ評論の本として認識して編集しているのか、
それは正直、はっきりしない、と私は思ってしまう。

そのステレオサウンドは、約1ヵ月前に出た号で創刊45年を迎え、
これまでに180冊のステレオサウンドが出ている。
別冊・増刊を含めると、ゆうに200冊をこえている。
そのなかで、「オーディオのデザイン論」が語られたことは、ほとんどなかった。
期待していた川崎先生の連載は、わずか5回で終ってしまった……(このことが象徴している、といえるだろう)。

2008年春の166号の特集は「オーディオコンポーネントの美」だった。
ここにも「オーディオのデザイン論」はなかった。
あったのは、デザイン観・デザイン感だった。

「オーディオのデザイン論」を語る文章があれば、
それにつづくデザイン観・デザイン感の文章が息づいてきたはずなのに……、と読んでいて思っていた。

残念といえば、2006年秋に出た「JBL 60th Anniversary」がある。
ステレオサウンドのウェブサイトで、この別冊の予告ページをみて、実は期待していた記事があった。
アーノルド・ウォルフのインタビュー記事だ。
これだけが読みたくて、「JBL 60th Anniversary」を買ったようなものだ。

こちらが勝手に期待していたのが悪いといえば悪いということになるのかもしれないが、
これはインタビュー記事なのか、とがっくりしてしまった。
アーノルド・ウォルフとインタビュアーとの対談のような記事が読みたかったわけではない。

ここにもやはり「オーディオのデザイン論」は不在だった。

10月5日(水曜日)の公開対談は、
「オーディオのデザイン論」を語るために
をテーマにして、工業デザイナーの坂野博行さんと行います。

「オーディオのデザイン論」を語る、ではなく、
「オーディオのデザイン論」を語るために、としたのは、
私が私が読みたい「オーディオのデザイン論」の記事をつくるために、ということもある。

公開対談は、これまでと同じ夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 10月 1st, 2011
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その16)

ウラディミール・ホロヴィッツは、
「頭はコントロールしなければならないが、人には心が必要である。感情に自由を与えなさい」
と語っている、ときく。

ストイックな姿勢で、音に臨むことが求められるときは、ある。
けれどつねにストイックでいては、
ときに感情の自由を自ら手放してしまう、ときには押し殺してしまうのではないだろうか。

音楽を聴くという行為は、感情に自由を与える行為でもあるかもしれない。

そう考えたとき、レコードでオーディオを介して音楽を聴くことは、
演奏会に行き音楽を聴くことよりも、
聴く時間、聴く音楽(曲目だけでなく演奏者もふくめて)を自分で決められるため、
適切に選択されたときの、感情が受け取る自由の純度は、より高いものである、といえるところもある。

感情の自由なくして、オーディオを楽しむことは実のところ無理なのかもしれない。
そして、別項で書いている、オーディオマニアとしての「純度」にも関係してくる。

Date: 10月 1st, 2011
Cate: KEF, LS5/1A

妄想組合せの楽しみ(自作スピーカー篇・その28)

LE175DLHの原型とはいえない面ももつけれど、
型番の上からは原型ともいえるD175H1000は、1947年に登場している。
H1000は8セルのマルチセルラホーン。

これが1950年にD175Hとなって、さらに175Hに変更されている。
この名称の変更は、ドライバーのD175が175になったためである。
そして1952年、175DLHが登場する。

175DLHは、175ドライバーと1217-1200(Horn/Koustical Lens)の組合せであり、
この蜂の巣状の音響拡散レンズの原型は、
1949年(ランシングが亡くなった年)にベル研究所のウインストン・コックと
F. K. ハーヴェイによって開発されたもの、とのこと。
この原型を、ウェストレックスのジョン・フレインが引き継ぎ,
バート・ロカンシーとともに完成させている。
それが1217-1200で、これがロカンシーのJBLでの最初の仕事のようである。

175DLHをランシングは、見ていない。
これをもし見ていたら……、と思ってしまう。
もしかしたら、175DLHを搭載した同軸型ユニットを開発していたかもしれない、と。

アルテックの604のマルチセルラホーンのかわりに、1217-1200がついている。
その姿を、妄想してしまうときがある。