Archive for category テーマ

Date: 11月 13th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その12)

ステレオサウンド 81号では国産スピーカーにはない良さを認めながらも、
難点といえることについても語られている。

岡先生は《ちょっと頭がないと思うな》といわれて、
続けて菅野先生が《プロポーションがあまりよくないですね》と発言されている。

音に肉体の存在を感じさせるだけに、
その肉体のプロポーションが気になってくる、というわけである。

ただ、このプロポーションの悪さは、どこに起因しているのかははっきりとしない。
井上先生は新製品紹介の記事で、
《かなりデンオンしらいイメージに調整してあるようだ》と書かれている。

ここがひっかかってくる。
井上先生が新製品紹介の冒頭に書かれていること、
同軸型2ウェイ方式と3ウェイ方式について試作をして検討した結果、
同軸2ウェイをデンオンは選択したとある。

選ばれなかった3ウェイについて詳細はわかっていない。
けれどガウスのユニットで3ウェイのシステムを組むとなると、
トゥイーターは1502、スコーカーはHF4000は1981年ごろに製造中止になって、
かわりに4080が登場しているので、おそらくこれであろう。

ウーファーは5800シリーズがやはり1981年ごろに製造中止になっているので、
4500シリーズの中から、おそらく4583Fあたりということになろう。

なぜデンオンが同軸2ウェイを選んだ、その理由ははっきりとしない。
3ウェイ方式の試作品が、上記のようなユニット構成であれば、
ユニットの占めるコストは、同軸2ウェイよりも大きくなってしまう。
これも理由のひとつなのかもしれないが、3ウェイであった場合、
デンオンらしいイメージに調整することが、より困難であったのかもしれない……、そう思ってしまう。

もしかするとガウスの3ウェイの試作品は、プロポーションの悪さはなかったのかもしれない。
そんなことを思ってしまうには、もうひとつ理由がある。
SC2000の外観である。

Date: 11月 13th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その11)

デンオンのSC2000は、ステレオサウンドの試聴室でじっくり聴いている。
新製品紹介は井上先生が担当されていた。
ステレオサウンド 81号に載っている。

SC2000の音は、ある程度記憶している。
それでも、その音は、ガウスの音といっていいのだろうか、
デンオンのスピーカーシステムとして、SC2000という型番が与えられている。
つまりは、ガウスのユニットを採用していてもデンオンの音として捉えるべきであろう。

デンオンは自社製のユニットにこだわっていない。
1970年代にはデンマークのピアレス社製のユニットを搭載したブックシェルフ型、
SC104、SC105、SC107といった製品を出していた。
それ以外にもやはりヨーロッパ製のユニットを採用した製品があった。

そういうスピーカーづくりをおこなってきたデンオンであるから、
SC2000の音を聴いたからといって、ガウスの音を聴いたとは言い難い。

井上先生も
《ガウスらしいボッテリとしたエネルギッシュな独特のキャラクターがほとんど姿を消し》と書かれている。

ただ、それでもガウスらしさは残っている。
といっても、私は何度も書いているようにガウスの音をほとんど知らない。
ステレオサウンド 81号では特集はComponents of The yearであり、
SC2000は賞に選ばれている。

そこでの音の評価は、ガウスの音と評価と読めるところがある。

長島先生は《中低域の量感や音の形の良さなどを買うんです》といわれ、
山中先生も《音の骨格みたいなものですね》といわれている。

菅野先生も同じことを表現をかえて発言されている。
《肉体がしっかりしている。今のスピーカーは肉体がないからね》
それゆえに上杉先生がいわれるように《聴きごたえする音》をSC2000は聴かせてくれる。

井上先生は、
《原にこたえる音がするからね。聴く方も体力がないと駄目って感じ……》と、
岡先生も《肉体の存在感は認める》といわれている。

ここで語られている音の印象は、私も感じていた。
これが、ガウスの音といっていいのであろう。

Date: 11月 13th, 2015
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(石黒浩氏の講演をきいて)

「音は人なり」。

これはオーディオの真理のように語られつつある。
たしかにそうだと納得しているところをもっているけれど、
この「音は人なり」の解釈は、これまでいわれてきたことだけだろうか、とも思うところがある。

今日、六本木にある国際文化会館に、石黒浩氏の講演を聴きに行っていた。
石黒氏は、大阪大学特別教授、ATR石黒浩特別研究所客員所長。
マツコロイドの製作の監修者でもある。

KK塾三回目(12月)の講演を行われる方でもある。

一時間半ほどではあったが、非常におもしろい話がきけた。
なぜ、石黒氏はandroid(人型ロボット)の研究をされているのか、
その話をききながら、「音は人なり」のことを考えていた。

「音は人なり」の「人」とは、いったい何だろうか。
そのことを考えていた。

Date: 11月 12th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その10)

3588はユニット単体でも販売されていたし、
このころになるとガウスの輸入元はシャープではなくヒビノ音響に変っていた。

3588ユニットをおさめたModel 7258が、とにかく私にとっての初めて聴くガウスの音だったわけだが、
正直、それほど印象に残っていない。

私が感じたことは、75号で細谷信二氏も指摘されている。
     *
 一方のガウス7258は、ユニットの素姓としては、ワイドレンジ指向といえ、とくに中高域から高域にかけてのスムースなつながりの良さ、反応の機敏さは、このエンクロージュアに収められた状態では、まだまだ出し切れていないように思う。
 エンクロージュアやネットワークのまとめ方次第では、811Bをしのぐものができる可能性は充分にもっているはずだ。
     *
ここでも、ユニットに対して、システムとしてのまとめ方のまずさが感じられる。
それにこれを書くために75号を読み返して気づいたのだが、
7258のエンクロージュアはガウスが作っていたものだろうか、という疑問が出てきた。

細谷氏は《同社指定のバスレフ型エンクロージュアにおさめたもの》という書き方をされている。
こういう書き方の場合、国産エンクロージュアの可能性が高い。
ガウスが設計し、輸入元のヒビノ音響が作ったエンクロージュアだとしたら、
同じ寸法のエンクロージュアであっても、
ガウスが試作品として作ったエンクロージュアにいれた音を聴いてみたかった、とも思う。

3588ユニットは、これで終りではなく、デンオンのSC2000にも採用されて、
再び聴く機会があった。

SC2000は1986年に登場したフロアー型である。
エンクロージュアのサイズはW59.0×H96.0×D45.4cmで、重量は66.0kgだ。

Date: 11月 12th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その9)

ガウスのスピーカーとは縁がないまま、ステレオサウンドで働くようになった。
私が働きはじめた1982年には、ガウスはあまり話題にならなくなっていた。
私が初めて聴いたガウスはModel 7258である。

ステレオサウンド 75号に載っている。
1985年のことだ。
このころになると、ガウスもシステムをつくっていたようだが、
それらの情報はほとんど得られなかったし、聴く機会もなかった。

Model 7258は、同社の同軸型ユニット3588を搭載したモニタースピーカーである。
外形寸法はW73.7×H60.5×D44.7cm、重量は46.0kg。

アルテックの612C Monitorの外形寸法がW64.8×H74.9×D50.8cm、重量が53.0kgだから、
かなり近い寸法といえるし、7258がどういうモニタースピーカーなのかがある程度はわかる。

75号の特集は「実力はコンポーネントの一対比較テスト」で、
細谷信二氏がUREIのModel 811Bと比較試聴されている。
811Bの外形寸法はW67.3×H52.7×D48.3cm、重量は53kgである。

同軸型ユニットの3588は15インチ口径のウーファー(ボイスコイル径は3インチ)に、
2インチ口径のダイアフラムのホーン型を組み合わせている。

3588の外観上の特徴は、ホーンにある。
アルテックの604シリーズのマルチセルラホーン、604-8H以降のマンタレーホーン、
UREIのホーンとも違う形状をしている。

ガウスではCoshホーンと呼んでいた。
Coshホーンは横に広いホーンではなく、縦に長いホーンで、アヒルの口が開いているようでもある。
ポカンと口を開けているようにも見えて、試聴室では、別の例えもいわれていたが、
やや下品なので、ここでは控えておく。

75号ではUREIの801Bユニットと並べた写真がある。
これをみるとわかるように、3588はホーン搭載の同軸型ユニットとしては奥行きが短い。
にもかかわらず資料によると、ウーファー、トゥイーターのマグネット独立した構造である。

同軸型としては薄型といえる構造は、
ウーファーとトゥイーターのボイスコイル位置を接近させているためでもあると考えられる。
75号で細谷氏が書かれているように、ウーファーとトゥイーターの時間差は平面上で0.3msecと小さい。

UREIがネットワークでタイムアライメント補正を行っているのに対して、
ガウスはネットワークによる、そういった補正は必要ないとしていた。

Date: 11月 11th, 2015
Cate: オーディオマニア

夏の終りに(情熱とは・その3)

マルコ・パンターニの走りに、多くのロードレースファンは熱狂した。
沿道に集まっている人たちもそうだし、テレビで観戦している人たちもそうだ。

スポーツを見ても熱狂するということがほとんどない私でも、
パンターニの走りには熱狂した。

皆、パンターニの走りは熱い、そういったことを口にする。
私もそういっていたし、そう感じている。

山岳コースを誰よりも速く走るには最短距離を走ることも求められる。
平坦な道ではコーナーの内側を走る選手でも、
山岳コースを苦手とする選手はコーナーの外側を走ることがある。

内側を走った方が距離は短くなる。
山岳にはいくつものコーナーがあるわけだから、
すべてのコーナーを内側で駆け抜けるか、外側を走るかはけっこうな違いとなってくる。

それでも外側を走る選手がいるのは、内側を走ることがしんどいからでもある。
コーナーの内側と外側では山岳コースでは傾斜が、内側の方がきつくなる。

そのきつくなっている傾斜をもパンターニはすばやく駆け抜けていた。
そういうところにもロードレースファンは熱狂していた。

熱い走り──、それは情熱的な走りともいえようか。
そんなパンターニの山岳での走りをみていて、熱いものを感じていた。
このことは以前書いている。

けれどパンターニは、山岳のしんどさから抜け出したがっていた。
そのことをインタヴューを読んで知った。
情熱とは、いったいなんだろう……、と改めて考えていた。

Date: 11月 11th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その8)

瀬川先生のCP3820の試聴記は、少し違う。

クラシックでの再生に対する不満が、そこには書かれてある。
この点が、黒田先生、菅野先生の試聴記とまず違うところだ。

菅野先生は
《このスピーカーが最も苦手と思われるヴァイオリン・ソロにおいてすら、自然で美しい弦の魅力が聴かれた》と、
黒田先生も三枚の試聴ディスクのうち二枚はクラシックで、好ましいと評価され、
クラシック以外のディスクは、ほどほどという評価である。

ステレオサウンド 54号のスピーカーシステムの試聴は、
三氏が合同で試聴というやり方ではなく、三人三様の試聴というやり方である。
だから黒田先生の試聴、菅野先生の試聴、瀬川先生の試聴で、
ステレオサウンドの試聴室でCP3820が聴かせた音は、まったく同じなわけではない。

この瀬川先生の評価をどう解釈するか。
特にクラシックの弦の再生では、菅野先生の評価とかなり違っているところをどう解釈するのか。
これはステレオサウンド 60号の特集でのマッキントッシュのXRT20の評価ともつながってくるところであり、
ここで書いていると、話がどんどん逸れていくために割愛する。

54号を読みながら当時の私は、もどかしさを感じていた。
なぜガウスの輸入元はオプトニカ(シャープ)になったのか。
他の輸入元だったら……、と思っていた。

このころのガウスはスピーカーシステムを開発はしていなかったはず。
あくまでもスピーカーユニットのメーカーだったから、
輸入だけを行っている会社であれば、ユニットの販売だけになり、
システムでの販売はないわけだから、どこかの国内メーカーとガウスが組んだことは理解できる。

でも、なぜシャープなのか、と思っていた。
そして、なぜガウスは自社でシステム開発を行わないのか、とも思っていた。

Date: 11月 10th, 2015
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(ある番組をみていて思ったこと)

もう10年以上の前で、いつ見たのか正確には憶えていない。
NHKで、ある実験のドキュメンタリー番組があった。

その実験が意味するところは最先端すぎて私には理解できなかったし、
その実験が成功すれば世界初だということだけは憶えている。

その実験機材の様子が映されていた。
それを見て、私は失敗するな、と思っていた。

オーディオマニア的観点からすれば、絶対にいい音が出ないセッティングだったからだ。
世界初の実験だから、いろいろな器材が段階段階で足されていったように見えた。
配線もぐちゃぐちゃになっている。

オーディオ機器をこんなセッティングでこんなにぐちゃぐゃちの配線をしてしまったら、
そこでのオーディオ機器がどんなに高性能なモノであっても(むしろ高性能であればあるほど)、
その良さを活かすことはできない。

配線さえ間違えなければ音は出る。
出るけれど……、というレベルの音でしかない。

テレビに映っていた実験もそれに近いというか、まったく同じといいたくなる状態だった。
実験は失敗だった。

私はそうだろう、と思って見ていた。
この実験室にはオーディオマニアがひとりもいないんだな、と思って見ていた。

実験はすべての器材がいったんバラされ、一から実験機材のセッティングが始まった。
今度は、以前の状態とはまったく違う、きちんと整理されぐちゃぐちゃの配線も、
少なくともテレビの画面からは伺えない状態に仕上げられていた。

実験は見事成功。
最先端の実験なのだから、細かな、デリケートなところが影響しての失敗だったのだろう、
とオーディオマニアの私は思っていた。

Date: 11月 10th, 2015
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その14)

KK塾で、人工知能の話が出た。
人工知能は不可能だ、と川崎先生が話された。

そうかもしれない、と思いながら聞いていたし、
でもまったく不可能というわけでもないかも……、そんなことも思っていた。

もしかすると人工知能が誕生するかもしれない。
真に人工知能と呼べるものが誕生したとしても、
それを搭載したロボットが登場してきたとしても、
そこにないのは、魂なんだろうな、とも聞きながら考えていた。

人工生命体をつくれても、そこに魂はあるのだろうか。

では、魂とは何なのか。
ここで行き詰まるわけだが、
再生音には、時として、その人の魂みたいなものを感じることがないわけではない。

どんな再生音にも、それがあるといわない。
だが、真剣に鳴らし込まれた結果の再生音には、何かがある。

Date: 11月 10th, 2015
Cate: audio wednesday

第59回audio sharing例会のお知らせ(スピーカーの変換効率とは)

12月のaudio sharing例会は、2日(水曜日)です。

11月の回で予定とは違うことをやってしまったことは、すでに書いた通りだ。
アルテックのユニットを中心とした喫茶茶会記のスピーカーは高能率型といえる。

11月の回では最後にグレン・グールドのブラームスを鳴らしたことも書いている。
このグールドのブラームスのディスクの一曲目、間奏曲 op.117-1。
この曲の終りの消え入るようなグールドのピアノの音。

この時の音を聴いていて、高能率スピーカーに共通する良さも感じていた。

CDが登場したころにアナログディスクとの比較でよくいわれていたことがある。
アナログディスクはS/N比の確保が難しい。
けれどアナログではノイズフロアーであっても、ノイズの中からピアニッシモを聴き取ることができる。

デジタルはそうではない。ノイズはないけれど、
そういった微妙なニュアンスを伝えるのに欠かせない微弱な音も亡くなってしまう──。

だから、どちらがS/N比がいいとは一概にはいえない。
そんなことがいわれていた。

このことを、実は思い出していた。
11月4日に聴いたグールドのブラームスのピアニッシモは、
アナログディスクで聴いているような感じのピアニッシモに感じられたからだ。

CDも登場してから30年以上が経ち、S/N比は向上してきている。
喫茶茶会記では比較的新しいCDプレーヤーがある。

なので高能率のスピーカーだから、とは言い切れないのはわかっていも、
それでも感覚的には高能率のスピーカーでは、どこまでも耳を欹てている自分に気がつく。
そして、これはアナログディスクの聴き方に共通するところがある、と思っていた。

11月は、結局高能率型スピーカーについて話さなかったので、
12月は上に書いたことも含めて、高能率型スピーカー(スピーカーの変換効率)について話したい。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 9th, 2015
Cate: 使いこなし

喫茶茶会記のスピーカーのこと(余談)

この項を読まれた方がfacebookにコメントをくれた。
その場にいて、私がどういうことをやったのか体験したかった、とあった。

11月4日、私は何度も椅子から立ちあがりスピーカーのところにいってちょっといじっては椅子に戻る。
そして音を聴く。
まだ立ち上がり、どこかをいじって椅子に戻り音を聴く。
これを何度も何度もくり返していた。
かなりの回数くり返していた。

それを傍からみていて、何をやったのかわかる場合もあるし、何をやったのかわからない場合もある。
どちらであっても、音は変化している。
何をやったのか、と訊かれれば隠すことなく話す。
出し惜しみする気はまったくない。

けれどただ見ているだけ(音を聴いているだけ)では、
音がなぜか変っていく、ケーブルやアクセサリーはいっさい使っていないのに、
音は確実に変っていっている、ということしか残らない、と思う。

使いこなしは、誰かがやっているのを見ているだけでは身につかない。
実際に自分でやってみないことには身につかない。

それは自分で考えてやるのもいいし、
たとえば私の指示でやってみるのもいい。
別に私でなくとも、使いこなしで一目置いている人が身近にいれば、
その人の指示でやってみるのがいい。

以前、audio sharing例会で、使いこなしをやってみてほしい、といわれたことがある。
使いこなしを身につけたいからであって、前に書いているように出し惜しみする気はないから、
試聴器材を揃えてくれれば、やりましょう、と答えた。

ただし、ひとつだけ条件をつけた。
持ち込んだ器材をセッティングして音を鳴らす。
これをやるのは私ではなく、使いこなしを身につけたい人がやる。

そして音を出して聴く。
その音から使いこなしは始まる。
どこをどうしていきたいのか、そのためにどこをいじるのかをやってもらう。
また音を聴く。

狙いがうまくいったのかそうでないのか、を答えてもらう。
その答えによって、またいじってもらうし、私がこうしたらどうか、という場合も出てくる。
これを何度もくり返していく。

このやり方でよければやる、と答えた。
そうしなければ使いこなしは身につかない、と私は考えるからだ。

結局、この話は立ち消えになってしまったが、
やはり一度やってみるのは意味のあることだと思う。

何も高価な器材でなくてもいい、
むしろセッティングを変えやすいブックシェルフ型スピーカーのほうがいい。
スタンド込みであれこれできることも、ブックシェルフ型が向いている。

アンプもセパレートアンプでなくともプリメインアンプの方が向いている、ともいえる。
それにCDプレーヤーかアナログプレーヤーがあればいい。

使いこなしを身につけたい、という人がいれば、いつかやってみたい。

Date: 11月 9th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その7)

ステレオサウンド54号の特集では、
黒田先生、菅野先生、瀬川先生がガウス・オプトニカのCP3820を試聴されている。

三氏の試聴記はthe re:View (in the past)で公開している。
下記のリンク先をクリックしてほしい。

黒田先生の試聴記
菅野先生の試聴記
瀬川先生の試聴記

黒田先生は
《個々のサウンドのクォリティはかなり高いと思う。音のエネルギーの提示も、無理がなく、このましい》
と高く評価されている。
それでも《もし、音の風格というようなことでいうと、もう一歩みがきあげが必要のようだ。このスピーカーシステムの魅力ともいうべき独特の迫力を殺さず、全体としてのまとまりのよさを獲得するためには、使い手のそれなりの努力が必要だろう。》
とつけ加えられている。

もう一歩みがきあげが必要のようだ、は、つまりはオプトニカに対しての注文である。
ガウスのユニットのポテンシャルの高さは黒田先生の試聴記から伝わってくる。
けれどスピーカーは、個々のユニットの性能がどんなに高くとも、あくまでもシステムであるかぎり、
それだけでいい音が聴けるわけではない。

この当り前すぎることが、黒田先生の試聴記から読みとれるのではないだろうか。
だからこそ《使い手のそれなりの努力が必要だろう》とされている。

菅野先生の試聴記も、黒田先生の試聴記と基本的には同じと読める。
やはりガウスのユニットのポテンシャルは高い、と思いながら、当時は読んでいた。
それでも最後に《欲をいえば高音と低音の柔軟さだ》と書かれている。

CP3820はガウスのトゥイーター1502を購入して取りつければ,すぐに使えるように、
トゥイーター用のネットワークも内蔵されていたはずだ。
バッフルには取りつけ穴もある。すぐにも3ウェイにすることができる。

1502を加えた3ウェイであったならば、菅野先生の最後の一言は変っていたはずだ。

Date: 11月 8th, 2015
Cate: オーディオマニア

夏の終りに(情熱とは・その2)

私がマルコ・パンターニが走る姿を見たのは、1994年のツール・ド・フランスの放送だった。
このころはフジテレビが深夜にダイジェスト版で放送していた。

カレラ・チームにいたパンターニは、まだスキンヘッドにはしていなかった。
山岳タイムトライアルでパンターニはコースは間違ってしまった。
それでもパンターニは速かった。

すごい選手というよりも、おもしろい選手が登場した、という印象があった。
パンターニは自転車選手としては小柄だった。
小柄な選手は体重が軽いこともあって山岳ステージに強い、というようなところがある。

パンターニもそうだった。
というより、驚異的な強さだった。

1994年よりも1995年、途中大けがをしてレースにでれなかったりしたが、
1997年のツール・ド・フランスでの復活、1998年での総合優秀と、
パンターニの山岳ステージの速さはますます驚異的になっていっていた。

坂バカという言葉がある。
多くの人は登り坂を自転車で駆け登るのはしんどいし苦痛である。
でも、駆け登ることに夢中になれる人がいる。
パンターニも、そういう人のひとりなのかと漠然と思っていた。

数年前に読んだパンターニのインタヴューは、そうではなかった。
なぜ、誰よりも速く坂を駆け登っていくのか、という質問に対し、
しんどいから、そのしんどさからすこしでも早く抜け出したいから速く走っている、と。

坂バカは坂や長い山岳コースを好む。
おそらく坂バカと呼ばれる人たちは、少しでも長く坂を、山を登っていたいと思う人たちなのかもしれない。

パンターニは違っていた。そこから逃れたいために速く走っている。
ということはパンターニは坂、山が嫌いなのか。

彼自身のロードレーサーとしての資質をもっもと発揮できるコースが山岳コースというだけであって、
それは結果として山岳コースが得意ということになるのだろうが、
それでも山岳コースが好きなわけではない。

パンターニの答は、私にとってほんとうに意外だった。

Date: 11月 8th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その6)

瀬川先生が、以前こんなことを書かれていた。
     *
 エンクロージュアの板の厚さは、厚ければ厚いほど良いというようなものでもない。どれほど厚くしても、板材はスピーカーの駆動エネルギーによって振動する。板が厚ければ振動しにくいが、一旦振動をはじめるとなかなか抑えにくい。それよりも、ほどよい厚さの板に、適切な補強を加えて振動を有効に制動する方がよい。
 欧米の著名メーカーのスピーカーシステムの多くが、板厚は3/4インチ(約19ミリ)近辺を採用している点は参考になる。近年、JBLのプロ用が1インチ(約25ミリ)に板厚を増したが、アマチュアが大がかりになることをおそれずに試みるにしても、30ミリ以上にするのはよほどの場合と思ってよさそうだ(もっとも、わたくしは以前、なかばたわむれに、板厚=使用ユニット口径の1/10説、をとなえたことがあった。たとえば30センチ口径=30ミリ、20センチ口径=20ミリ……。しかし38センチ口径となるとたいへんだ。わたくしは本当に38ミリ厚の箱を作ったけれど)。
(ステレオサウンド別冊 HIGH-TECHNIC SERIES-4「フルレンジスピーカーユニットを生かすスピーカーシステム構成法」より)
     *
板厚=使用ユニット口径の1/10説。
25cm口径までなら実現はそう難しくないけれど、それ以上の口径となるとたいへんである。
それでも瀬川先生は一度は38mm厚のエンクロージュアを作られている。

《なかばたわむれに》とは書かれているが、
これは《なかば本気で》ということでもあろう。

ユニットの口径が増せばバッフルに開ける穴は大きくなる。
大きくなければバッフルの強度は落ちるし、
一般的にいって口径が増せばユニットの重量も増していくのだから、
バッフルの強度を十分に確保するためには口径とともに板厚が厚くなっていく。

38cm口径に38mm厚のバッフル。
一度は聴いてみたい、と思うが、同じ38cm口径のユニットでも、
JBLとガウスとでは重量に約4kgの差があるわけだから、
JBLの38cm口径に十分な板厚であったとしても、
ガウスのユニットに対しては必ずしも十分とはいえなくなるかもしれない。

こんなことを考えるのは、
ステレオサウンド 54号の特集に登場したガウス・オプトニカのCP3820の試聴記を憶えているからだ。

Date: 11月 8th, 2015
Cate: ディスク/ブック

「音楽と音響と建築」

1972年に鹿島出版会から「音楽と音響と建築」という本が出ている。
レオ・L・ベラネク(Leo L. Beranek)の本である。

この本の存在を知ったのは、ステレオサウンドに入ってからである。
バックナンバーを読んでいて、こういう本があるのか、
買おうと思っていたのが見つけられずに、そのまま忘れてしまっていた。

それを思い出したというか、
調べものをするためにステレオサウンド 26号をひっぱりだしていた。
調べたいこと(というより確認したかったこと)はすぐにすんだ。
ぱらぱらページをめくっていた。

そして「音楽と音響と建築」の存在を知った記事にふたたび出あった。
保柳健のレコード時評という記事で、26号の回には「無形の価値」というタイトルがついている。

26号は1973年に出ている。
このころ、三菱地所が東京・内幸町のNHK会館跡地を落札したことが話題になっていた(らしい)。
「無形の価値」のそのことから始まる。

「音楽と音響と建築」は、ここに登場してくる。
その部分を引用しておく。
     *
 もう一つ、わたしに〝音響〟というものがいかに大切であるかを教えてくれたのは、レオ・L・ベラネクという人が書いた「音楽と音響と建築」という本だった。これは鹿島建設技術研究所の長友宗重さんと、寺崎恒正さんによって訳され、鹿島出版会から発行されている。
 内容は、音楽とそれが演奏される場とのかかわり合い、それもバロック以前から現代までの、むしろ音楽史的な考察。バルビロリ、ラインスドルフ、シェルヘン、ボールド、マルケビッチ、ミュンシュ、オーマンディ、クーセヴィッキーライナー、ワルター、サージェント、ギブソン、スターン、ソロモン等々の各国の演奏者たち、あるいは数多くの評論家やジャーナリストなどの、音楽と音響についての対話。
 そして圧巻は、世界の代表的な音楽会場──例えばブエノスアイレスのコロン劇場、ウィーンの楽友協会大ホール、パリの国立歌劇場、バイロイトの祝祭劇場、ボンのベートーヴェン・ホール、ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールなど、十五ヵ国、五十四ヵ所──のデータ、それも建築音響的というより、実際にそのホールで音楽を鑑賞した感覚的な報告を主体にした部分である。
 著者はさらに、ホールがもつ数々の感覚的な要素──聴覚的ばかりでなく、視覚的、あるいはもっと皮膚感覚的なものまで含めて──、それをいかに言葉で表現するかに最新の注意をはらい、もう一歩を進めて、音響建築技術的な数値のデータに置き換える大変な作業にまで発展させている。例えば〝音の暖かさ〟についてだけでも、実測データと多くの人の証言、あるいは使用されている建築材料などを細かく突き合せて、五ページにわたって記述するとともに、それを数値化している。
     *
このあとに保柳氏は、ベラネクが「音楽と音響と建築」が書かれた動機に感動した、と続けられている。
ここから先に興味のある人はステレオサウンド 26号を読んでいただきたい。

とにかく、今日、この本を思い出した。
インターネットですぐさまこの本の古書が探し出せて注文ができてしまう。
ほんとうに便利な世の中だと思う。
「音楽と音響と建築」が届くのが待ち遠しい。