世代とオーディオ(ガウスのこと・その8)
瀬川先生のCP3820の試聴記は、少し違う。
クラシックでの再生に対する不満が、そこには書かれてある。
この点が、黒田先生、菅野先生の試聴記とまず違うところだ。
菅野先生は
《このスピーカーが最も苦手と思われるヴァイオリン・ソロにおいてすら、自然で美しい弦の魅力が聴かれた》と、
黒田先生も三枚の試聴ディスクのうち二枚はクラシックで、好ましいと評価され、
クラシック以外のディスクは、ほどほどという評価である。
ステレオサウンド 54号のスピーカーシステムの試聴は、
三氏が合同で試聴というやり方ではなく、三人三様の試聴というやり方である。
だから黒田先生の試聴、菅野先生の試聴、瀬川先生の試聴で、
ステレオサウンドの試聴室でCP3820が聴かせた音は、まったく同じなわけではない。
この瀬川先生の評価をどう解釈するか。
特にクラシックの弦の再生では、菅野先生の評価とかなり違っているところをどう解釈するのか。
これはステレオサウンド 60号の特集でのマッキントッシュのXRT20の評価ともつながってくるところであり、
ここで書いていると、話がどんどん逸れていくために割愛する。
54号を読みながら当時の私は、もどかしさを感じていた。
なぜガウスの輸入元はオプトニカ(シャープ)になったのか。
他の輸入元だったら……、と思っていた。
このころのガウスはスピーカーシステムを開発はしていなかったはず。
あくまでもスピーカーユニットのメーカーだったから、
輸入だけを行っている会社であれば、ユニットの販売だけになり、
システムでの販売はないわけだから、どこかの国内メーカーとガウスが組んだことは理解できる。
でも、なぜシャープなのか、と思っていた。
そして、なぜガウスは自社でシステム開発を行わないのか、とも思っていた。