Archive for category テーマ

Date: 1月 30th, 2015
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その35)

江川三郎氏がどこまでハイイナーシャプレーヤーを追求されたのかは、私は知らない。
想像するに、ハイイナーシャに関してはやればやるほど音は変化していき、
どこまでもエスカレートしていくことを感じとられていたのではないだろうか。

つまり飽和点が存在しないのではないか、ということ。

静粛な回転のためにターンテーブルプラッターの重量を増す傾向はいまもある。
10kgほどの重量は珍しくなくなっている。
もっと重いものも製品化されている。

どこまでターンテーブルプラッターは重くしていけば、
これ以上重くしても音は変化しなくなる、という飽和点があるのだろうか。

10kgを20kgにして、40kg、100kg……としていく。
アナログディスクの重量は、重量盤といわれるもので約180g。
この一万倍が1800kgとなる。
このへんで飽和点となるのか。

それにターンテーブルプラッターを重くしていけば、それを支える周辺の重量も同時に増していく。
1.8tのターンテーブルプラッターであれば、プレーヤーシステムの総重量は10tほどになるのだろうか。

だれも試せないのだから、ここまでやれば飽和点となるとはいえない。
飽和点に限りなく近づいていることはいえるが、それでも飽和点といえるだろうか。

江川三郎氏も、飽和点について書かれていたように記憶している。
ようするに、きりがないのである。

Date: 1月 30th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その10)

五味先生はFM放送の録音・再生以外の、どんなオープンリールデッキの使い方をされていたのか。
生録をやられていたとはきいていない。

五味先生はスチューダーのC37を買われるほど、
オープンリールデッキに対して熱心だった。

アナログプレーヤーでいえばC37はEMTの927Dstのような存在である。
五味先生は930stを愛用されていた。
927Dstがあるのもご存知だった。
その音は少なくともステレオサウンド 51号でのオーディオ巡礼で聴かれている。

それでもアナログプレーヤーを927Dstにされることはなかった。
けれどC37にはされている。

927Dstは大きすぎるから、は理由にはならない。
C37を買われているのだから。

五味先生が亡くなられてから一年以上が経ったころ、新潮文庫から「音楽巡礼」が出た。
あとがきに南口重治氏の文章がある。
その冒頭にこう書かれている。
     *
 五味康祐先生が亡くなられてはや一年余月日の過ぎるのは早いものだ。私と五味先生とのおつきあいは大半がオーディオを通してであった。この稿を書くに当たって、五味先生から送られてきた何本かのテープを聴いてみた。存命中はご自慢の器械で名曲のさわりの部分をいつも送って下さったのだが、テープのはじめには必ず「ナンコーさん」と、あの優しい声の呼びかけが入っているのである。その声を聞き、ケンプの演奏するベートーヴェンのピアノソナタ作品109番の第一楽章を聴いていると「どうですか、音の具合は……」といまにも姿を現されそうな気がした。お互いに、もっとオーディオ自慢をしたかったのにと思うと残念でならない。
     *
こういう使い方もされていたのか、と読んで思っていた。

オープンリールとはどこにも書いてないが、カセットテープではまずないはず。
音キチを自称されていた五味先生のことだから、19cmということはないだろう、
2トラック38cmで録音されたテープを南口氏に送られていたのだろうか。

Date: 1月 30th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(その9)

ステレオサウンド 49号の巻末のUsed Component Market(売買欄)に、
アンペックスのAG440B-2が出ていた。
実働250時間、完全オーバーホール、オプションの4トラック再生用ヘッドなどがついている。
希望価格は125万円で、連絡先はステレオサウンド編集部気付になっていた。

このアンペックスは、まちがいなく瀬川先生のアンペックスだと直感した。
欲しい、と思ったけれど、私はまだ16歳。
とうてい無理な金額である。

このころは瀬川先生がアンペックスを購入されたのがいつなのかわからなかった。
けれどその後、古いオーディオ雑誌で瀬川先生のリスニングルームが紹介されているのをみると、
かなり以前から所有されていたことがわかる。

けれど実働250時間ということは、瀬川先生はあまり使われていなかったことになる。

1970年代後半のステレオサウンドには、オープンリールのミュージックテープの広告が載っていた。
2トラック38cmのミュージックテープは一万円をこえていた。

LPはプレスで大量生産が可能だが、ミュージックテープはLPのように簡単に大量生産できるものではない。
基本的にはコピーなのだから。
高価になるのはわかっていた。

それでも魅力的なモノであれば欲しい、と思ったはずなのだが、
食指が動くモノはほとんどなかった。

それでもオープンリールデッキには、オーディオ機器としての魅力があったから、
欲しいと思っていたわけだが、これで録音するものはいったいなにになるのか、とも考えていた。

私は「五味オーディオ教室」でオーディオにどっぷりつかってしまった人間だから、
五味先生と同じように毎年バイロイト音楽祭を録音するようになるのだろうか、
あとはNHK-FMによるライヴ中継なのか。
どちらにしてもFM放送ということになる。

Date: 1月 30th, 2015
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その34)

柔よく剛を制す、と昔からいわれている。
これがスピーカーの世界にも完全に当てはまるとまでは私だっていわないけれど、
柔よく剛を制すの考え方は、これからのスピーカーの進化にとって必要なことではないか。

これに関連して思い出すのは、江川三郎氏が一時期やられていたハイイナーシャプレーヤーのことだ。
ステレオかオーディオアクセサリーに発表されていた。
慣性モーメントを高めるために、中心から放射状にのびた複数の棒の先に重りがつけられている。
重りの重量がどのくらいだったのか、放射状の棒の長さがどれだけだったのかはよく憶えていない。
それでもガラス製のターンテーブルとこれらの組合せは、写真からでも独特の迫力を伝えていた。

ターンテーブルの直径も30cmではなく、もっと大きかったように記憶している。
トーンアームもスタックスのロングアーム(それも特註)だったような気がする。

慣性モーメントを大きくするという実験のひとつの記録かもしれない。
メーカーも同じようにハイイナーシャのプレーヤーの実験は行っていただろう。
だからこそターンテーブルプラッター重量が6kgから10kgのダイレクトドライヴ型がいくつか登場した。

慣性モーメントを高めるには、同じ重量であれば、中心部よりも外周部に重量が寄っていた方が有利だし、
直径の大きさも効果的である。
その意味で江川三郎氏のハイイナーシャプレーヤーは理に適っていた、ともいえる。

そのころの私は、江川三郎氏はさらにハイイナーシャを追求されるだろうと思っていた。
けれど、いつのころなのかはもう憶えていないが、ハイイナーシャプレーヤーは処分されたようであるし、
ハイイナーシャを追求されることもなくなった。

なぜなのか。

Date: 1月 30th, 2015
Cate: 公理

オーディオの公理(その5)

マイケルソン&オースチンのパワーアンプTVA1は、1978年にイギリスから登場した。
出力管のKT88、クロームメッキのシャーシーという共通性から、
現代のマッキントッシュMC275といういわれかたもされた。

真空管アンプ、それもパワーアンプの代表的な機種としてMC275は、広い世代から挙げられることが多い。
マランツのModel 9と違い、いかにも真空管パワーアンプといえるルックス、
五味先生が愛用されたパワーアンプ、
私も真空管パワーアンプとしてMC275をイメージすることは多い。

その意味でTVA1の音も、開発年代の新しさがその音にあらわれているといっても、
誰が聴いても真空管アンプだと認識してしまうものをそなえていた。

TVA1をブラインドフォールドテストで聴かされて、半導体アンプだと思う人はほとんどいないと思う。
そのくらいに真空管アンプの音としての特徴が、TVA1の音の特徴でもある。

ラックスのLX38、マイケルソン&オースチンのパワーアンプTVA1と聴いてくると、
真空管アンプには、やはり真空管アンプならではの音の特徴がある、ということになる。
たったふたつのサンプルとはいえ、共通する良さ、
しかもその良さは、そのころの最新のトランジスターアンプからはなかなか聴けない良さであったのだから。

けれどこのころになると、アメリカから真空管を使った新しい世代のコントロールアンプがいくつか登場しはじめる。
ビバリッジのRM1+RM2、プレシジョン・フィデリティのC4、ミュージック・レファレンスのRM5、
コンラッド・ジョンソンのPreAmplifier、カウンターポイントのSA1などである。

これらのコントロールアンプをブラインドフォールドテストで聴かされたら、
すべてを真空管アンプだといいあてることはなかなかに難しいのではないだろうか。

Date: 1月 29th, 2015
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その10)

水俣病は熊本県水俣市で発生した公害病である。
私も熊本生れである。
水俣市と私の故郷である山鹿市は同じ熊本でも南と北でかなりの距離がある。
山鹿市は海に面していない。

それでも私が小学校のころ、テレビではひんぱんに水俣病のことがとりあげられていた。
小学生であった私には、身近な恐怖にも感じられた。

1971年にはゴジラ対ヘドラという映画が公開された。
公害が問題になっていた時代だった。

大都会から離れている田舎町では公害なんて……、と思えないことを、
水俣病はわからせてくれていた。

水俣の問題は熊本で生れ育ち、
あの時代、頻繁に報道される水俣病のことを見聞きしてきた者には忘れるわけにはいかない。

それでも熊本から離れ東京で暮すようになると、
時代もずいぶん経ったこともあり、それにテレビのない生活をおくってきたことも重なって、
水俣病・水俣に関することを目にすることが極端に減っていた。

そこにNHKのニュース番組での、坂本しのぶさんであった。

六床部屋のベッドの上で、イヤフォンをつけてテレビを見ていた。
消灯時間は夜九時。いわば黙認のかたちで、みな十時くらいまではカーテンを閉めテレビを見ていた。
私もそのひとりだった。

涙はこんなに出てくるものなのか、と思うほどだった。
個室だったら声を出していたであろう。

偽善者にもなれない私はテレビを見つめるだけである。
私には何もできない。涙を流すことだけである。

けれど、オーディオは何かができるのではないか、
オーディオにできることはあるはずだと思っていた。

Date: 1月 28th, 2015
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その7)

(その2)で書いた伊藤先生の言葉。
「スピーカーを選ぶなどとは思い上りでした。良否は別として実はスピーカーの方が選ぶ人を試していたのです。」

試されている。
そう実感している。ほんとうにそう思うようになってきた。

同時に、聴き手(選び手)を試さなくなってきているスピーカーも増えてきたように思うようになってきた。
そういうスピーカーが、よいスピーカーだと認識されるように、次第になってきているのが現代なのだろうか。

これも以前書いたことなのだが、「わかりやすい」音のスピーカーが確実にある。
四年前にこう書いている。
     *
文章において、わかりやすさは必ずしも善ではない。
これはスピーカーの音についても、言える。

他者からの「承認」がえやすい音のスピーカーがある。
これも、いわば「わかりやすい」音のスピーカーのなかに含まれることもある。

この場合も、わかりやすい音は、必ずしも善ではない。

聴き手を育てていくうえでの、ひとつのきっかけにならないからだ。

優れたスピーカーとは何か、と問われたときに、
聴き手を育てていく、ひとつの要素となるモノ、と私は答える。
オーディオにおけるジャーナリズム(その11・余談)」より
     *
聴き手を試さなくなったスピーカーは、
聴き手を育てなくなったスピーカーともいえよう。

Date: 1月 28th, 2015
Cate: audio wednesday

第49回audio sharing例会のお知らせ(D/Aコンバーターの変化)

2月のaudio sharing例会は、4日(水曜日)です。

別項「シンプルであるために(ミニマルなシステム)」で、ワディアのPower DACについて書いている。
実は「シンプルであるために(ミニマルなシステム)」を書き始めたのは、
CHORDのHUGOのパワーアップ版といえるHUGO TTがCESで発表されたので、
HUGO TTについての期待を当初は書いていく予定だった。

それがPower DACのことにふれでおかねば、と思い書き始めていくうちに、
HUGO TTのことは置き去りになっている。
もう少し書いていったら、HUGO TTのことにふれることになると思う。

ソニーとLo-Dがセパレート型CDプレーヤーを発売したことから、
D/Aコンバーターというジャンルがオーディオ機器に新たに加わった。
D/Aコンバーターを専門とするメーカーも登場した。

以前はデジタル入力はRCAコネクターによるSPDIFだけだったのが、次に光ファイバー入力が加わった。
それからプロ規格も登場した。
ここ数年のあいだに、パソコン、周辺機器との接続のための入力も備えるようになってきている。

D/Aコンバーターの技術も進歩しているが、D/Aコンバーターの形態も変化していっている。
非常に高価なモデルもあれば、手のひらに乗るサイズの安価なモデルもある。
ヴァリエーションは増えてきている。

そしてハイレゾリューション音源再生対応となれば、
CDのみの再生以上に問題となることも生じるようになってきている。
そして他の機器との融合もこれから、より積極的に行なわれるようになってくるであろう。
それがうまくいくのかどうかはわからないけれども。

今回のテーマは、D/Aコンバーターの変化について、話したいと考えている。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 1月 27th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その8)

熱心なオーディオマニアでもあるデザイナーの川崎先生は、
デザインとデコレーションの違いについて、ずっと書かれてきている。

マークレビンソンのLNP2に、デコレーション(装飾)の要素はない、といえる。
ならばLNP2はデザインされたモノなのか、というと、私にはそうは思えない。

なぜLNP2のデザインに私は魅力を感じないのか。
私が出した答は、デザイン(Design)とレイアウト(layout)の違いである。

LNP2はきっちりとレイアウトされたフロントパネルをもつコントロールアンプである。
少なくとも私にとって、それ以上ではない。

Date: 1月 27th, 2015
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その49)

State of the ArtとStereo Sound Grand Prixまでの、
ステレオサウンドが行っている賞の名称の変更は、わかりやすくなってきている。

わかりやすいことが善だととらえる人にとっては、
State of the ArtよりもComponents of the year、
Components of the yearよりもStereo Sound Grand Prixのほうがより直接的でわかりやすいのだから、
賞の名称変更は善(よかった)と受けとめるだろう。

だがわかりやすいは、ほんとうに善なのだろうか。
つねに善といえるのだろうか。

オーディオにおけるジャーナリズム(その11)」でも、このことは書いた。
     *
わかりやすさが第一、だと──、そういう文章を、昨今の、オーディオ関係の編集者は求めているのだろうか。

最新の事柄に目や耳を常に向け、得られた情報を整理して、一読して何が書いてあるのか、
ぱっとわかる文章を書くことを、オーディオ関係の書き手には求められているのだろうか。

一読しただけで、くり返し読む必要性のない、そんな「わかりやすい」文章を、
オーディオに関心を寄せている読み手は求めているのだろうか。

わかりやすさは、必ずしも善ではない。
ひとつの文章をくり返し読ませ、考えさせる力は、必要である。

わかりやすさは、無難さへと転びがちである。
転がってしまった文章は、物足りなく、個性の発揮が感じられない。

わかりやすさは、安易な結論(めいたもの)とくっつきたがる。
問いかけのない文章に、答えは存在しない。求めようともしない。
     *
いま賞ほどわかりやすいものはない──、
そんな時代になっている。
けれど、賞とは本来そういうものではなかったはずだ。

Date: 1月 27th, 2015
Cate: サイズ

サイズ考(iPhone 6 PlusとApple Watch)

今年発売と発表されているApple Watch。

Apple Watchがあるから、AppleはiPhone 6 Plusを出してきた、
つまり、大きいといわれるサイズで出してきた、と思う。

もしかするとApple Watchが実際に登場すると、iPhoneのサイズはまた大きくなるかもしれない。

Apple Watchがあれば、さまざまな通知はこれたけで確認できる。
さまざまな通知の中で、しっかりと確認したいものだけをiPhoneで見る、ということになるであろう。

Apple WatchとiPhoneの両方をもつことで、
iPhoneを取り出す頻度はかなり減ってくるのではないか。
ならばiPhoneのサイズは、収納しやすい、取り出しやすいといったことから解放されるのではないか。

別項「いい音を身近に(その16)」でふれた、
インダストリアルデザイナーの坂野博行さんの
「スタイリングは、サイズと構成の上に成り立つ」を思い出していた。

Date: 1月 27th, 2015
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その9)

夜九時からのNHKのニュース番組だった。
番組の冒頭ではなく、その日のニュースあとに、特集としての映像だった。

どのくらいの長さだったのだろうか。
長いようで短かったのかもしれない。
20分はなかったのではないか、もしかすると10分くらいの映像だったのかもしれない。

長さを憶えていないのは、長さはここではどうでもいいことでしかなかったからだ。

映像が終り、画面はスタジオに切り替る。
ニュースキャスターが、涙をこらえているのがわかる。

彼も、映像が放送されていた時、涙を流していたのだろう、と思っていた。
彼はプロである。
だから映像が終って、自分にカメラが向けられれば、涙を視聴者にみせるわけにはいかない。

胸を打つ映像だった──、とはいいたくない。
映像は、胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんだった。

Date: 1月 26th, 2015
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その8)

このブログが書き始めたのは2008年9月。
六年半ほど前。私は45だった。

いま、このタイトルのブログを読みなおしていて、
六年半前のことなのに、「青かったなぁ……」と思ってしまった。

タイトルもそうだし、カテゴリー分けにしてもそうだ。
ひとつ前の(その7)を書いたのが、2008年11月。
そのころは、このタイトルでいこう、と思っていた。

いま「青かったなぁ……」と思い、タイトルもカテゴリー変えようかとも考えた。
でも、変えずにこのまま書いていこうと思う。

(その7)で、交通事故にあわれたオーディオファイルの方のことを書いている。
私が、ここで書きたいのは、オーディオの効能性である。
なぜ効能性なのかについては、(その2)でふれている。

菅野先生のベストオーディオファイルには多くの人が登場された。
私にとっても、もっとも印象深かったのは、交通事故にあわれた人だった。

このとき菅野先生と、このオーディオファイルの方が話されているカセットテープを聞きながら、
ワープロで文字入力していた。まとめも私がやっている。

テープに録音された会話をきいていた。
そのころから、オーディオの効能性を考えはじめていたのかもしれない。
この数年後、私は左膝を骨折して入院した。手術を受けた。
そのときのプレートを抜くために八ヵ月後にまた入院した。

このときNHKのニュース番組をみていた。
このNHKのニュースを見るための骨折・入院・手術だったのかもしれない──、
真面目にそう感じていた。

テレビには、水俣病の女性が映し出されていた。

Date: 1月 25th, 2015
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(その15)

エキゾティシズムには、鼻孔をくすぐられる。
ときに、ころっとその魅力にまいってしまう。

何が、その人の鼻孔をくすぐるのかは、その人にしかわからないことであり、
だから私がエキゾティシズムと感じる何かを、別の人は、
歳が違っていたり生れた国が違っていたりして、特別なものを感じないことだってある。
その逆もある。

それでも共通していえるのは、その人にとって鼻孔をくすぐるものであるということだ。

こう書いておきながら、相反するようなことを書こうとしている。
この項の(その13)の最後に、
「じつはエキゾティシズムへの憧れではないのか。」と書いた。

私にとってどうしても認めることのできない、
いわば「欠陥」スピーカーとでも呼びたくなるスピーカーを、優れたスピーカーと高く評価する人がいる。

私が「欠陥」と感じるのは、
グレン・グールドが弾くヤマハのピアノをグランドピアノではなくアップライトの、
それもバカでかいアップライトピアノのように聴かせ、
ミサ・クリオージャを冒瀆するような歌い方で聴かせるからである。

よく「百歩譲って……」という言い方をするが、
百歩どころかその十倍、もっと譲っても、そんなふうに鳴らしてしまうスピーカーを、
まともなスピーカーシステムとは思えない。

ひとつはっきりといえるのは、あきらかにほかのまっとうなスピーカーとは異質の音を聴かせることだ。
この異質の音を、ある一部の人たちは、新しい音と勘違いしているのではないのか。
それをエキゾティシズムと勘違いしているのではないか。

鼻孔をくすぐるものがエキゾティシズムとすれば、
エキゾティシズムは本能的なものであろう。

だが、異質な音は、鼻孔をくすぐっているのだろうか。
くすぐっているのは、別のところではないのか。

Date: 1月 25th, 2015
Cate: 測定

FLEXUS FX100(その4)

パソコンが登場し普及し、高性能化と小型化によって、
測定はずいぶんと身近なものになってきている。

30年ほど前、スペアナ(スペクトラムアナライザー)を持っている人は少なかった。
しかも、そのころのスペアナは10バンドのモノが多かった。30バンドのモノもあったが、
価格も40万円前後にはねあがる。

いまはタブレットでそれが可能になっている。
持ち運びもずいぶんと楽になっている。
しかも測定できる項目も増えてきている。

手軽に身近になり、それだけでなく精度も上ってきている。
しかもディスプレイはカラー表示である。

スピーカーの周波数特性も、マイクロフォンを用意して、
測定用のアプリケーションをインストールしてあれば、それだけで行えるようになった。

そういう時代に、NTi AUDIOFLEXUS FX100という、オーディオ専用の測定器は、
オーディオメーカーには重宝なモノであっても、一般ユーザーにとってそれほどのモノなのか、
そう疑問に思われるかもしれない。

自作を趣味としている人ならば魅力的な測定器であっても、自分には関係ない。
それにオプションをあれこれ揃えていくと、けっこうな値段になりそうではないか……。

私はそういう人にこそ、FLEXUS FX100に興味をもってもらいたいと思っている。
FLEXUS FX100の購入を検討する、とまでいかなくていい、
FLEXUS FX100に何ができて、どこまでできるのかを知ってほしい。

FLEXUS FX100は、室内における壁、天井、床からの反射の影響を除外して、
無響室でなくとも無響特性の測定が可能になっている。
詳細は、FLEXUS FX100の当該ページを参照してほしい。