賞からの離脱(その49)
State of the ArtとStereo Sound Grand Prixまでの、
ステレオサウンドが行っている賞の名称の変更は、わかりやすくなってきている。
わかりやすいことが善だととらえる人にとっては、
State of the ArtよりもComponents of the year、
Components of the yearよりもStereo Sound Grand Prixのほうがより直接的でわかりやすいのだから、
賞の名称変更は善(よかった)と受けとめるだろう。
だがわかりやすいは、ほんとうに善なのだろうか。
つねに善といえるのだろうか。
「オーディオにおけるジャーナリズム(その11)」でも、このことは書いた。
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わかりやすさが第一、だと──、そういう文章を、昨今の、オーディオ関係の編集者は求めているのだろうか。
最新の事柄に目や耳を常に向け、得られた情報を整理して、一読して何が書いてあるのか、
ぱっとわかる文章を書くことを、オーディオ関係の書き手には求められているのだろうか。
一読しただけで、くり返し読む必要性のない、そんな「わかりやすい」文章を、
オーディオに関心を寄せている読み手は求めているのだろうか。
わかりやすさは、必ずしも善ではない。
ひとつの文章をくり返し読ませ、考えさせる力は、必要である。
わかりやすさは、無難さへと転びがちである。
転がってしまった文章は、物足りなく、個性の発揮が感じられない。
わかりやすさは、安易な結論(めいたもの)とくっつきたがる。
問いかけのない文章に、答えは存在しない。求めようともしない。
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いま賞ほどわかりやすいものはない──、
そんな時代になっている。
けれど、賞とは本来そういうものではなかったはずだ。