オーディオにおけるジャーナリズム(その11・余談)
この項の(その11)で、わかりやすさについて書いた。
文章において、わかりやすさは必ずしも善ではない。
これはスピーカーの音についても、言える。
他者からの「承認」がえやすい音のスピーカーがある。
これも、いわば「わかりやすい」音のスピーカーのなかに含まれることもある。
この場合も、わかりやすい音は、必ずしも善ではない。
聴き手を育てていくうえでの、ひとつのきっかけにならないからだ。
優れたスピーカーとは何か、と問われたときに、
聴き手を育てていく、ひとつの要素となるモノ、と私は答える。