Archive for category テーマ

Date: 9月 1st, 2017
Cate: オーディオの科学

閾値(その3)

8月のaudio wednesdayでやったことを、
常連のHさんは自宅でも試した、とメールが届いた。

自宅のシステムの三個所に試してみて、明らかな違いが聴きとれた、とのこと。
Hさんひとりの感想ではなく、奥さまも一緒に聴かれての違いの確認である。

CDプレーヤーに対しては、Hさんは試したほうがよかった、
奥さまは試さないほうが好ましい、と意見はわかれたそうだが、
他の個所では意見は一致されたのだろう。

どこに試すかによって意見の相違はあっても、
そのことを試すことによる音の変化は、オーディオの関心のない人の耳にも明らかだ。

ならば、どんなことをやったのか、ここで書いても、と思うのだが、
絶対、試しもせず、聴きもせず、そんなことで音は変らない、と言い張る人がいるし、
興味を多少なりとももって試す人もいるだろうが、
この方法はいくつかの条件を満たす必要がある。

そう大したことではない。
それでも、その大したことでない、三つぐらいの条件を満たさずに試す人がいるのも、
これまでの他の例でいくつも知っている。
それでいて、効果がなかった、という。

だから文字だけで伝えることはしない。
とはいっても出し惜しみもしない。
audio wednesdayで来てくださった人たちの前で試しているくらいなのだから。

どういうことをやったのかは、あくまでも音出しといっしょに伝えることにしている。

Date: 9月 1st, 2017
Cate: audio wednesday

第80回audio wednesdayのお知らせ(結線というテーマ)

今月のaudio wednesdayテーマは「結線というテーマ」で、
前回書いたように、
サイズ考」でネットワークについて書いていることをやる。

なのでどういうことうやるのかおおよそ想像がつく人もいよう。
この方式をやるには、スピーカーケーブルがさらに必要になるが、
喫茶茶会記で使っているケーブルはカナレのスターカッド構造のモノである。
1mあたり千円もしないケーブルのはずだ。

今回のテーマに、スターカッドのケーブルは都合がいい。
ケーブル関係は何ひとつ用意せずに試すことができるからだ。
手間は少しかかるが、費用はかからない。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 9月 1st, 2017
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(その10)

ステレオサウンド 50号の巻頭座談会で、
ステレオサウンドが36号でスピーカーシステムのリアル・インピーダンス測定を始めたことが、
やや自画自賛的に語られている。
     *
 長島達夫さんが、リアル・インピーダンスを計測するようになったのは、何号からでしたかね。
長島 第36号からです。
 これは日本では、それまでいわれていなかったことですね。メーカーでさえいっていなかったんですよ。
山中 「ステレオサウンド」のテクニカルなテストというのは、つねにメーカーをリードしていたといっても、ぼくはそれほどいいすぎではないと思う。さまざまなジャンルで、それまでまったくやっていなテストを試みて、メーカーや読者を驚かせてきたわけでしょう。しかも、ふつうのテクニカル・リポート的なことは、いっさいやらない。そんなものは興味がない、といったような顔をしてほ(笑い)。この面の「ステレオサウンド」の貢献はずいぶん大きいと思う。
井上 たとえばそのころには、インピーダンスカーブがどこかで落ちこんでいるスピーカーが、ずいぶんあったけれど、いまはすっかり是正されているんですね。
山中 少なくとも、そういったカーブではぐあいがわるいということが、スピーカーの新しい製品を開発する際に、メーカー側の関係者の頭に浮かんだのはたしかでしょう。
井上 そして、物理特性としても、しかるべくギャランティするという風潮がでてきたことは、事実ですよね。
山中 しかも、音がよくなくてはいけないという姿勢も、厳然としてある。
     *
50号のころは、41号から読みはじめた私にとって、
36号の測定がどういう影響を与えたのかはわからなかった。

それでもインピーダンスカーヴは、基本的手測定項目のひとつであっても、
重要な項目のひとつであることは、なんとなく感じていた。

つい先日、あるところでヘッドフォンアンプを聴く機会があった。
ヘッドフォンも四種類用意されていた。

音を聴き、そのヘッドフォンアンプ・メーカーの社長の話をきいて思っていたのは、
ヘッドフォン、イヤフォンのインピーダンスカーヴのことだった。

「ヘッドフォン インピーダンスカーブ」で検索すると、
いくつかの製品のインピーダンスカーヴがグラフで表されているのがいくつも出てくる。
最初に見たいくつかは、割合にフラットだった。
優秀だな、と思って、他のいくつかのサイトをみてみると、
驚くほどうねっている製品があるのがわかる。

それうねりかたは、36号以前のスピーカーのインピーダンスカーヴのひどいのよりもひどい。

インピーダンスカーヴがひどい機種には共通していることがある。
同じ構成の物がすべてそうなのかはサンプル数が少ないので、これ以上は書かないが、
やはりそうなのか、と思うところはある。

Date: 9月 1st, 2017
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(フィデリティ・リサーチ FR7)

フィデリティ・リサーチのカートリッジFR7が登場したのは1977年。
40年前のことで、ステレオサウンド 47号の新製品紹介で取り上げられている。

記事では製品写真だけでなく、発電構造図も載っていた。
そこの説明文には、完全なプッシュプル発電をめざしている、と書かれてあった。

たしかにマグネットを左右にふたつ配して、それまで見たことのない発電機構だった。
フィデリティ・リサーチは、FR1からずっとコイル巻枠に鉄芯を使わない、
いわゆる純粋MC型カートリッジを一貫して作ってきたメーカーである。

鉄芯を使わない空芯型は、どうしても発電効率が低くなりがちである。
FR7ではプッシュプル発電により、0.25mV(5cm/sec)の出力電圧を、
内部インピーダンス2Ω(負荷インピーダンス:3Ω)で実現している。

同時期のオルトフォンのSPUが鉄芯型で、同じスペック、
MC20も鉄芯型だが、こちらは0.07mVと低いのをみても、
FR7の発電効率の高さはわかる。

もっともマグネットをふたつ内蔵していることもあって、
FR7はヘッドシェル一体型とはいえ自重30gの重量級ではあった。

FR7の発電機構は、他に例のないものだった。
だから、そこばかりに目が行っていた。

1978年の長島先生の「図説・MC型カートリッジの研究」に、FR7も取り上げられている。
内部構造図もある。

それを見ていて、ふと気づいた。
他のカートリッジとコイルの描き方が少し違うことに気づいた。

構造図はふたつあって、ひとつは内部構造の全体図と、振動系の断面図だ。
断面図のほうのコイルは、通常、巻枠の断面図、つまり縦に二本の直線、
それにコイルの断面図、これは○がいくつも一直線に並んでいる。

巻枠にコイルが巻かれているわけだから、断面図はこうなる。
ところがFR7の断面図は、○だけでなく両側の○と○を結ぶ水平方向の直線も描かれていた。

なぜ、FR7だけ違うのか、と最初は疑問だった。
図面を描き慣れている、見慣れている人ならば、
この断面図が意味するところはすぐに理解できるだろうが、
高校生だった長島先生の解説が必要だった。
     *
発電径の中心をなすコイルは、各チャンネルにそれぞれ二個のコイルが使用され、計四個のコイルが籠型に組み合わされているが、巻枠は全く持っていない。完全に中空で作られた籠型コイルの中心をカンチレバーが貫通した形になっている。これは、ともすれば質量が大きくなりがちなMCカートリッジのコイル部分を少しでも軽量化するため、このような手法が採られたのであろう。コイル用導線はわりと太めの銀線が使用されている。
     *
コイルの巻枠がないから、
同じようにコイルが組み合わされている他社のカートリッジとはコイルの断面が違う。
つまり非磁性体の巻枠もないため、まさしく空芯なのがFR7である。

アナログブームといわれ、アナログディスクの製造枚数は増えいるようだし、
カートリッジの新製品も登場してきている。
高価すぎるカートリッジも登場している。

けれどいまFR7のコイルを巻けるのか、と思う。
40年前に、55,000円で販売されていたカートリッジと同等のカートリッジを、
いま作れるのだろうか。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: 価値・付加価値

「趣向を凝らす」の勘違い(その2)

趣向を凝らす、とはいったいどういうことなのか。

ステレオサウンド 52号で、
岡先生と黒田先生が「レコードからみたカラヤン」というテーマで対談されている。
     *
黒田 そういったことを考えあわすと、ぼくはカラヤンの新しいレコードというのは、音の面からいえば、前衛にあるとはいいがたいんですね。少し前までは、レコードの一種の前衛だろうと思っていたんだけど、最近ではどうもそうは思えなくなったわけです。むろん後衛とはいいませんから、中衛かな(笑い)。
 いま前衛というべき仕事は、たとえばライナー・ブロックとクラウス・ヒーマンのコンビの録音なんかでしょう。
 そこのところでは、黒田さんと多少意見が分かれるかもしれませんね。去年、カラヤンの「ローマの松」と「ローマの泉」が出て、これはびっくりするほどいい演奏でいい録音だった。ところがごく最近、同じDGGで小沢/ボストン響の同企画のレコードができましたね。これはいま黒田さんがいわれた、プロデューサーがブロック、エンジニアがヒーマンというチームが録音を担当しているわけです。
 この2枚のレコードのダイナミックレンジを調べると、ピアニッシモは小沢盤のほうが3dB低い。そしてフォルティシモは同じ音量です。したがって全体の幅でいうと、ピアニッシモが3dB低いぶんだけ小沢盤のほうがダイナミックレンジの幅が広いことになります。物理的に比較すると、そういうことになるんだけれど、カラヤン盤のピアニッシモのありかたというか、音のとりかたと、小沢盤のそれとを、音響心理学的に比較するとひじょうにちがうんです。
黒田 キャラクターとして、その両者はまったくちがうピアニッシモですね。
 ええ。つまりカラヤン盤では、雰囲気とかひびきというニュアンスを含んだピアニッシモだが、小沢盤では物理的に小さい音、ということなんですね。物理的に小さな音は、ボリュウムを上げないと音楽がはっきりとひびかないんです。小沢盤の録音レベルが3dB低いということは、聴感的にいえば6dB低くきこえることになる。そこで6dB上げると、フォルテがずっと大きな音量になってしまうから聴感上のダイナミックレンジは圧倒的に小沢盤の方が大きくきこえてくるわけです。
 いいかえると、カラヤンのピアニッシモで感心するのは、きこえるかきこえないかというところを、心理的な意味でとらえていることです。つまり音楽が音楽になった状態での小さい音、それをオーケストラにも録音スタッフにも要求しているんですね。これはカラヤンがレコーディングを大切にしている指揮者であることの、ひとつの好例だと思います。
 それから、これはカラヤンがどんな指示をあたえたのかは知らないけれど、「ローマの松」でびっくりしたところがあるんです。第三部〈ジャニロコの松〉の終わりで、ナイチンゲールの声が入り、それが終わるとすぐに低音楽器のリズムが入って行進曲ふうに第四部〈アッピア街道の松〉になる。ここで低音リズムのうえに、第一と第二ヴァイオリンが交互に音をのせるんですが、それがじつに低い音なんだけど、きれいにのっかってでてくる。小沢盤ではそういう鳴りかたになっていないんですね。
 つまりPがひとつぐらいしかつかないパッセージなんだけれど、そこにあるピアニッシモみたいな雰囲気を、じつにみごとにテクスチュアとして出してくる。録音スタッフに対する要求がどんなものであったかは知らないけれど、それがレコードに収められるように演奏させるカラヤンの考えかたに感嘆したわけです。
黒田 そのへんは、むかしからレコードに本気に取り組んできた指揮者ならではのみごとさ、といってもいいでしょうね。
     *
カラヤンの「ローマの松」も小澤の「ローマの松」、どちらも持っていないけれど、
このことはわかる。
デジタル録音になってからの小澤征爾の、フィリップス・レーベルのマーラー。
ステレオサウンドの試聴で何度となく聴いている。

ここでのマーラーでも、小澤のピアニッシモは、岡先生が指摘されたとおりのピアニッシモだった。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: ディスク/ブック

完全な真空

スタニスワフ・レムの「完全な真空」。
この本を手にしたのは、出版社が国書刊行会だったということも大きい。

1989年に翻訳が出た。
ステレオサウンドを辞めてしばらくしてのことだった。

当時編集顧問をされていた方から、国書刊行会の本は読んだほうがいいよ、と言われていた。
他に読みたい(買いたい)本もあったけれど、「完全な真空」を手にとってレジへ行った。

「完全な真空」は架空の書籍の書評集である。
いまも手に入る本だし、特にその内容について書くつもりも、この本の書評を書くつもりもない。

当時「完全な真空」に刺激されて、架空のオーディオ機器の批評を考えた。
その数年後に、サウンドステージの編集を手伝う機会があって、
実は一本だけ記事を作ったことがある。

架空の、海外のオーディオ雑誌を翻訳するというかたちでの、
架空のオーディオ機器の批評記事である。
三本ほど、どんなことを書くかも考えていた。

結局、サウンドステージの仕事から離れることになり、掲載されることはなかった。
この記事につけていたタイトルが「絶対零度下の音」である。

絶対零度下では分子運動さえ止ってしまう。
つまり音は存在しない状態のはずだ。

完全な真空がありえないように、絶対零度下の音も存在しない。

この「絶対零度下の音」は、私にとって、のちに別の意味をもちはじめた。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: 価値・付加価値

「趣向を凝らす」の勘違い(その1)

何らかの趣向を凝らさないと聴き手にアピールできない世の中になったのか、と思うのは、
facebookのタイムラインに表示されるクラシックの演奏会の動画を見ていた時だった。

いくつかのレコード会社をフォローしていると、
そのレコード会社がアピールしたい演奏家の動画が流れることがある。

そうやってなんとなく目に入ってきた演奏会の動画、
そこに映っていたのは肌の露出の多い衣装でのピアノ演奏だった。

肌の露出が多いのが下品といいたいのではなく、その衣装がまたひどかった。
こんな衣装(もうそう呼べない)で演奏するのか。

これが趣向を凝らすということではないだろうに……、と思いながらも、
音をあえて流さずに眺めていると、滑稽でしかなかった。

趣向を凝らす、とはこういうことではないけれど、
こういうことが趣向を凝らすことだというふうになりつつあるのは、
なにもクラシックの演奏会におけることだけでなく、
オーディオ機器においても、
どこかズレたところで趣向を凝らすことが行われているとも感じることが出てきている。

特にそれを強く感じるのは、ヘッドフォン、イヤフォンの世界である。
どう考えても納得のいかないことを持て囃す風潮がある。
それにのっかるメーカーが少なからずある。

物分りのいい人(ぶっている)は、それが差別化だよ、というのだろう、
もしくは、ここでも付加価値なんだよ、というのか。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

ホーン今昔物語(その15)

Interface:Dを開発していたころ、
エレクトロボイスは、ジム・ロングが語っているように他社ほど成功しているとはいえなかった。

過去の名器としてPatricianシリーズがあっても、
メーカーには、そういう時期も必ず来る。
JBLもそういう時期があったし、アルテックにもARにもあり、
他のメーカーにもある。

そういう時期だったからエレクトロボイスは、
他社が取り入れていない理論を受け入れやすかった、ともいえよう。
だから定指向性ホーン(Constant-Directivity Horn)が、
エレクトロボイスに在籍していたドン・キールによって打ち立てられた、ともいえよう。

ドン・キールはエクスポーネンシャルホーンが、それほど神聖か、という論文も書いているそうだ。

アルテックのマンタレーホーンの縦長のスリットをみていると、
トーンゾイレ型スピーカーと重なってくる。

トーンゾイレ型も、
スピーカー軸上から外れたところでも指向特性の範囲内でのエネルギー分布を均一するという目的で、
マッキントッシュのXRT20のトゥイーターアレイも同じ設計思想であり、
これをホーンを上下に何段も積み重ねるでなく目指したのが、定指向性ホーンである。

そう考えると、トーンゾイレ型スピーカーにホーンを取り付けたら……、となる。
コーン型ウーファーに縦方向に数発並べてのトーンゾイレ型をつくり、
その前にホーンを置く。

そんなことを考えていたら、アルテックの817Aエンクロージュアは、それに近い。
15インチ口径ウーファーを二本、縦方向に配置し、フロントショートホーンがつく。

817Aをひとつではなくもうひとつ用意して重ねれば、
よりトーンゾイレ型に近づく。

下側の817Aには515Eを二発、
上側の817Aには604-8KS(フェライト仕様になり奥行きが短くなったことで収まる)を二発、
その上にマンタレーホーンを置く。

604-8KSのトゥイーターを使うことで3ウェイにできる。
あまりにも大型すぎて、聴くことは叶わないが、悪くはないはずだ。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(その4)

一時間ほど残業していた日だった。
終ってそろそろ帰ろうとしていたら、となりの編集部、
そのころOさんはサウンドボーイの編集長だった。
伊藤先生の記事を作っていたOさんが「メシに行くぞ」と声をかけてくれた。

それまでも六本木にあるいくつかの店に連れていってもらっていた。
今日はどこなんだろう、と会社を出たら、裏にある駐車場に歩いていく。
会社の車に乗り、向ったのが浅草の河金だった。

しかも行き先は到着するまで教えてくれなかった。
浅草に来たのも初めてだった。
店に着いて、ここが、あの編集後記に書かれていた洋食やKなのか、とわかった。

メニューは豊富だった(と記憶している)。
何にしようかと迷っていたら、Oさんが勝手に注文してくれた。

編集後記にあるコロッケ二個とメンチカツ二個のニコニコ、
それにオムライス(それも大盛りで)、豚汁、
そしてトンカツだった。

河金のトンカツはサイズで選べる。
Oさんは「お前は大食いだから、このぐらいいけるだろう」と言って、
私の分は二百匁のトンカツを頼む。

そのころの私は匁という単位を知らなかった。
二百匁がどの程度の大きさなのか想像がつかなかった。
ただ大きいんだろうな、ぐらいに思っていたら、テーブルに置かれたとんかつのサイズは、
いままでみたことのない大きさだった。

一匁は3.75g、二百匁だから750gのトンカツである。
Oさんは五十匁だった。

この大きなトンカツ、コロッケ、メンチカツにかけたのは、もちろんウスターソースである。
Uソースのウスターである。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(その3)

ステレオサウンド 52号のOさんの編集後記。
     *
 新ジャガのウマい季節がやってきた。毎年旭川の知人に頼んで、メイクインを一箱送ってもらっている。今年の出来はどうだろうか。
 レストランやビストロで出すクロケットも悪くはないけれど、なぜかボクはイモコロッケの方に強い執着をおぼえてしまう。
 もう何年前になるだろうか。I先生に連れていっていただいてから、すっかり気に入ってしまったKという洋食やが、浅草にある。最初に食べたのはニコニコライスというもので、何と、コロッケが2個、メンチカツが2個なのでそう呼んでいるのだ。ここには上コロッケと並コロッケがあり、もちろんボクは挽肉の少ない並の方に、いつもウスターソースをたっぷりかけて食べる。ソースはUソースがいちばんうまい。ところが、この頼みの綱のUソースから、トンカツソースが売り出されて、この店でも2つ容器を置くようになってしまった。最近は容器を振ってたしかめてからかけなければならない。
 ここの調理場はとても広く、客席の方がずっと狭いくらいだ。あまり上品な店ではないけれど、だいいち清潔だし、従業員のサービスも痒いところに手が届くようだ。
 こういう店で食べるだけで、ボクは本当に嬉しくなってしまう。それにしても、アンパンだのコロッケだのは日本の大発明なのではないだろうか。
     *
I先生とは、伊藤先生のこと。
浅草の洋食やKとは、河金のことである。

いまはホテルになってしまっているが、以前はそこに国際劇場があったところのすぐ側に河金はあった。
BRUTUS 852号によると国際劇場で公演したルイ・アームストロングも訪れた、とのこと。

残念ながら、この辺一帯の再開発で昭和末に閉店してしまった。
いまも河金は入谷と千束にあるし、つい最近大阪にも出来た、ときく。

入谷と千束の河金にも行った。
浅草の河金が閉店してからだ。

でも私にとって河金は、浅草の河金であり、
ここに連れていってくれたのが、Oさんだった。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(商売屋か職能家か・その2)

オーディオ評論家(商売屋)は、どういう人たちなのか。
ひとつはっきりいえるのは、怒りを忘れてしまった人、持てなくなった人であること。

おそらく、オーディオ評論家(商売屋)が、怒る時は、
自分の仕事領域を誰かに侵されたり、自分のことをバカにされたときぐらいだろう。

けれど、それらは怒りとはいわない。
そんなことにも気づかなくなっているのが、オーディオ評論家(商売屋)だ。

Date: 8月 31st, 2017
Cate: 名器

名器、その解釈(Technics SP10の場合・その12)

月曜日、中古ばかり扱っているオーディオ店を覗いてみたら、
テクニクスのSP10が並んでいた。

SP10MK2でも、MK3でもなく、最初のSP10だった。
珍しいなぁ、と思って眺めていたら、
昨晩日付が変るころの、SP10Rが発表になり2018年夏に発売される、というニュース。

やっぱりSP10なのか、とまず思った。
それから2019年には、あのジャケットサイズのSL10を出してくれるのか、と思った。

SL10の登場は1979年。
ちょうど40年後の2019年に復活させるのにタイミングがいい。

SP10R、型番末尾のRはreferenceを意味している。
ターンテーブルの標準原器ともいえるSP10の型番に、そのRをつけるということは、
SP10は、これで最後のモデルという決意のあらわれなのだろうか。

それとも数年後にはSP10R MK2となったりするのか。
そのへんはなんともいえないが、SP10Rの写真を見て、
デッキの形状が変更になり、
それまでのSP10の形状から受けていた土俵という印象がなくなっている。

基本的にはSP10と変らない。
それでも土俵とは感じなかった。
発表された段階で、ターンテーブルシートなしの状態の写真。

シートを、どんな材質にして、どんな形状に仕上げてくるのかでも、
全体の印象はかなり変ってくる。

それからSP10にはなんらかのベース(キャビネット)が必要となる。
以前はSH10B3という専用ベースが用意されていた。
それ以外にも、他社からSP10に使えるベースがいくつも出ていた。

けれどSH10B3が、似合っていた。
今回もSH10B3に代るベースを用意してくるはず。
基本的にSH10B3と同じなのか、あえて変えてくるのか。

ただSP10Mk3が出たときにも思ったのは、
ターンテーブルプラッターをあれだけの重量(10kg、SP10Rは7kg)にしてしまうと、
ベースの重量は、それにも増して必要となってくるのが道理である。

それからサスペンションはどうするのか。
発売まであと一年。
細部を予想していく楽しみが、それまである。

Date: 8月 30th, 2017
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーとデザイン(その5)

いまもまだいうのだろうか、と思い出したのが、
デコレーションケーキである。

私が小学生のころは、確かにそう呼ばれていたケーキがあった。
熊本に住んでいたころは、
デコレーションケーキという言葉はよく耳にしていたし、目にしていた。

Googleで検索すれば、いまもふつうに使われているようだけれど、
目にすることは、以前にくらべるとずっと減った、と感じている。

デコレーションケーキ、
装飾されたケーキである。

装飾されたお菓子ということで、
ここでも伊藤先生の真贋物語を思い出す。

このころのステレオサウンドを、何度読み返したことか。
伊藤先生の真贋物語もくり返し読んでいた。
だから、こうやって思い出すことになる。

43号の真贋物語に、プリンとホットケーキのことが出てくる。
     *
 カスタード・プッディングはキャラメル・ソースがかかっているだけのが本来なのに、当節何処の喫茶店へ行っても、真面(まとも)なものがない。アラモードなどという形容詞がついて生クリームが被せてあって、その上に罐詰のみかんやチェリーが載っていたりして、いや賑やかなことである。何のことはないプッディングは土台につかっての基礎工事なのである。味は混然一体となって何の味であるかわからないように作ってある。幼児はそれを目にして喜ぶかも知れないが成人がこれを得得として食べている。
 カスタード・プッディングは繊細な味を尊ぶ菓子であるだけに悪い材料といい加減な調理では、それが簡単なだけにごまかしが効かない。一見生クリーム風の脂くさい白い泡とまぜて、ブリキの臭いのする果物のかけらと食えば折角のキャラメル・ソースの香りは消え失せて何を食っているのか理解に苦しむ。しかしこうした使い方をされるプッディングは概ね単体でもまずいものであろう。
 価格は単体でなく擬装をして手間をかけてまずくしてあるから単体よりも倍も高い。長く席を占領されて一品一回のサーヴ料金を上げなければならないから止むを得ぬ商策であろうが、困った現象である。
 ホット・ケーキはホームメイド的で、メープル・シロップをかけてバターを溶かしてなすって食うのが最高である。これも基礎工事につかわれて小倉と名づけた煮小豆がのっていて、一見どら焼風になっていたり、苺とアイスクリームがなすってあったりしてホットの上にアイスが載って冷やしている奇妙なものもある。これも篦棒に高価になっている。朝食にベーコンかハムと一緒に食う本来の姿は何処へやら、堕落したものだ。いやデコレーション・ケーキとなって高級になったのかもしれないが哀れである。
     *
伊藤先生がステレオサウンドに書かれたものは、
「(続)音響道中膝栗毛」におさめられているが、もう絶版のようだ。
ステレオサウンド掲載時の文章と読み比べてみると、かなり手直しされていることに気づく。

伊藤先生の、この文章はカレーうどんのこと、そばのことへと続く。
この文章には、「絢爛たる混淆」という見出しがついている。

Date: 8月 30th, 2017
Cate: 対称性

対称性(発想のモザイク)

その9)で引用した瀬川先生の文章を入力していて感じていたのは、
別項で紹介した「発想のモザイク」のことだった。

1972年に出た本だから、ステレオサウンド 40号の四年前。
瀬川先生がいつごろ読まれていたのかははっきりしないが、
40号の文章を読んでいると、「発想のモザイク」を読まれたあとだと、はっきりと感じられる。

私は昨年手に入れて読んだ。
「発想のモザイク」を読んだあとで、
もういちど瀬川先生の文章を読み返してみるのもおもしろい。

Date: 8月 30th, 2017
Cate:

日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・番外)

“voice of…”につづくのは、
オーディオマニアならば、ほとんどの人がアルテックのA5、A7の代名詞ともいえる
“The Voice of the Theatre”を思い出す。

A5、A7は改めて説明するまでもない大型のスピーカーシステム。
このふたつとは対極的なスピーカーユニットの銘板に、
“the voice of high fidelity”と書かれている。

イギリスのジョーダン・ワッツのモジュールユニット背面の銘板に、
そう書いてある。

ここでのvoiceは、soundと同じ意味の音声かもと思いながらも、
ならば”the sound of high fidelity”とするのではないだろうか。

voiceとなっているのだから、素直に「声」という意味で受け取っていいと思う。
だとすれば、モジュールユニットの”voice”は、家庭用のVoiceであり、
これはこれでなかなか興味深い、とあたらめて思っているところ。