アンチテーゼとしての「音」(その9)
フツーにいい音が、「毒にも薬にもならない音」だとしたら、
「毒にも薬にもならない文章」は、フツーにいい文章なのかもしれない。
スピーカーを買い換え、謝罪した知人は、
文章のテクニックの向上には、つねに積極的で熱心だった。
けれど、そうしたところで知人は「毒にも薬にもならない文章」を自ら選択した──、
25年目でちょうど切れてしまった縁だが、
知人をみてきた私は、そう思っている。
フツーにいい音もフツーにいい文章も、無害を求めているのだろうか。
無害な文章であれば、
謝罪する(でも、それが間違っている、と思うのだが……)ようなことにはならない。
無害な文章といえば、
別項『「商品」としてのオーディオ評論・考』で書こうとしていることも結局はそうなのかもしれない。