Archive for category テーマ

Date: 7月 6th, 2018
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その18)

10日ほど前、「黒田恭一氏のこと(「黒恭の感動道場」より)」を書いた。

最後、こう書かれている。
     *
自己の全人格を賭けてなどと、大袈裟なことをいうつもりはないが、少なくとも、これはと思った情報を伝える時には親しい友だちに伝えるときの真剣さを忘れべきではないと思う。
     *
いまから11年前に書かれている。
iPhone登場前であり、
SNSもmixiがあったくらいである。

黒田先生は、この文章を書かれた後の世の中の変化を、もうご存知ない。
いまなら、なんと書かれるだろうか、とおもうことがある。

《親しい友だちに伝えるときの真剣さ》とある。
けれど、いまはどうだろうか。

iPhoneに代表されるスマートフォンが、一人一台といえるくらいに普及していると、
そのディスプレイに表示されている情報を、
それこそコピペ(こうした略語は極力使わないようにしているが、ここではコピペがふさわしい)して、
親しい友だちに送信する。

手軽である。それだけにスピーディでもある。
わざわざ会って話して伝えるのにくらべて、ずっと楽である。

でも、そこで口コミは、もう口コミではなくなっていることが多いのではないか。
真剣さは、ここでも稀薄になりつつある。

Date: 7月 5th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアの覚悟(その9)

その6)で、
「カールじいさんの空飛ぶ家」(原題:Up)という2099年の映画のことを書いた。

同じく2009年の映画である「スタートレック」でのセリフについて、
別項『「基本」(スタートレック・スポックのセリフより)』で書いている。

いまになってリンクしていることに気づく。

Date: 7月 5th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアの覚悟(その8)

その1)を書いたのは2014年。
ぽつぽつと書いているテーマだ。

趣味なのだからなんと大袈裟な……、大仰な……、
そう思う人が少なくないであろうことはわかっている。

それでも書いていかなければ、と思っているテーマだ。

Date: 7月 5th, 2018
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(軽い実験)

昨晩のaudio wednesdayでは、
スピーカーとは直接関係のないところで、ちょっと実験的なことをしてみた。

使用したコントロールアンプのLNP2のモジュールを、
途中で一部だけ交換してみた。

LNP2の借用をKさんに頼んだとき、
Kさんから、バウエン製モジュールにしますか、LD2モジュールにしますか、ときかれた。
LD2で依頼した。

届いていたLNP2はLD2モジュールが搭載されていた。
Kさんは、その他にバウエン製モジュールも持参されていた。

今回はグッドマンのAXIOM 402を鳴らすことがメインテーマだから、
モジュールについてそれほど時間は割けなかったが、
それでも以前から試してみたいことがひとつあった。

バウエン製モジュールとLD2モジュールの同居である。
一台のLNP2の中に、バウエン製とLD2を組み込む。
今回はINPUT AMPをバウエン製モジュールにしてみた。

けっこうな音の変化があった。
LD2で統一した方がいいのか、バウエン製モジュールとLD2の混成がいいのか、
これはもう好みかもしれない。

もし黙って聴かされて、
バウエン製モジュールのLNP2か、LD2モジュールのLNP2なのか、と問われたら、
バウエン製モジュールのLNP2と答えてしまうそうになるくらいの音の変化である。

これはじっくり時間をかけて、交換するモジュールの位置もあれこれ変えてみた上で、
どの構成が、どういう音になるのか試してみたい。

それでもごく短時間の試聴では、LD2で統一した方が、安心して聴ける。

Date: 7月 5th, 2018
Cate: オーディスト, 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その33)

audist(オーディスト、聴覚障害者差別主義者)という言葉がある。
ステレオサウンドでも、誌面に登場している。
いまから七年前のことだ。
山口孝氏が、使われている。

おそらく山口孝氏は、スラングとしてのaudistに、こういう意味があるのを知らずに使われたのだろう。
このaudist(オーディスト、聴覚障害者差別主義者)については、
別項『「オーディスト」という言葉に対して』で、ある程度は書いている。
書きたいことすべてを書いたわけではない。

まだくすぶっているのを感じている。
そして、そこでまったく触れなかったことがある。

オーディオマニアの中には、
偏見といわれるのは承知のうえだが、ハイエンドオーディオと呼ばれる世界のオーディオマニアの中には、
このオーディストがいる、と感じている。

ただここでのオーディストは、聴覚障害者差別主義者とまではいえない。
聴覚に障碍のある人を差別していないオーディオマニアであっても、
耳が悪い人を、どこか小馬鹿にするところがあるのではないか。

ここでの「耳の悪い」は、聴覚障碍ではなく、
聴覚検査では問題はなく健常な聴覚の持主であっても、
オーディオマニアとして耳が悪いと呼ばれてしまう、
微妙な音の違いがあまりわからない人に対して使われる「耳の悪い」である。

ハイエンドオーディオの世界のマニアの中には、
自分こそが鋭敏で、最先端の感性の耳の持主とでも思い上がっている人がいない、といいきれるか。

別にハイエンドオーディオの世界のマニアだけでなく、
ある程度以上のキャリアの昔からのオーディオマニアの中にもいよう。

それでもハイエンドオーディオを指向しているオーディオマニアの方に、
そんなオーディストが多いと感じていることこそが偏見なのだとわかっていても、
今回のavcat氏の一連のツイートに、
柳沢功力氏の試聴記に対しての反論というより、
柳沢功力氏に向けたかのように読めるツイートに、
そんなオーディストの澱のようなものを感じとれる。

そんなふうに読むのは、私ぐらいかもしれない──、
それもわかったうえで書いている。

Date: 7月 5th, 2018
Cate: コントロールアンプ像

コントロールアンプと音量設定の関係(その1)

audio wednesdayで、マークレビンソンのLNP2を鳴らしたのは昨晩で三回目。
ステレオサウンドの試聴室にも、それ以前のリファレンスとしてLNP2があった。

何度か試聴室で鳴らしたことがある。
そのころはさほど強く意識してこなかったことを、
長いブランクをはさんで、いまLNP2にこうやって触れると感じることがあった。

感じること、というより、自分の行動をふりかえって気づいたことがあった。
それは音量設定を、細かくやっている自分に気づく。

LNP2のブロックダイアグラムからわかるように、
左右独立のINPUT LEVELと、
いわゆるボリュウムにあたるOUTPUT LEVELの設定は、
物理的なS/N比に関係してくる。
それゆえに細かく調整する必要も出てくるのだが、
ここで書きたいのは、そういう理由ではなく、ツマミの形状、大きさ、感触、
レベルコントロールのツマミ周囲の表示、
そういった要素によって、積極的に(細かく)レベル調整をする気になる、ということだ。

個人的には径の大きなツマミは好まない。
ツマミじゃなくて、ニギリだろ、と悪態をつきたくなるような大きなツマミはイヤだ。

中に使われているポテンショメーターが同じなら、ツマミの径が大きい方が、
周囲の表示もより細かくできるのは頭でほかっていても、
なんとなく径が大きい(というか大きすぎると感じる)ツマミだと、
こんなところでいいかな、と逆になってしまう。

ではツマミの径がちょうどよい小ささならばいいのかというと、
例えばマッキントッシュのツマミとLNP2のツマミの径はそれほど変らない。

けれど、そこには感触の違いがまずある。

Date: 7月 5th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その4)

最初に鳴ってきたAXIOM 402の音は、
大口径のフルレンジということもあって、さほど高域は延びていない。

それでも思っていたよりも出ている、という印象。
この感じだと、別項「聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ」でも書いているように、
聴感上のS/N比をよくしていけば、聴感上のfレンジもよくなる、という直観が働く。

もちろん、どれだけやったところでトゥイーターの必要性をまったく感じなくなる、
そういうレベルにはならない。
かけるディスク(音楽)によっては、トゥイーターを、
質のよいドーム型トゥイーターを、カットオフ周波数はかなり高いところで、
コンデンサーだけでのローカットフィルターで足してみたら、
そんなことを私だけでなく、他の人も思っていたようだ。

けれどトゥイーターがほんとうに必要なのか、と思わせるほどよく鳴ってくれるディスクもあった。
喫茶茶会記の店主、福地さんが取り出してくれたディスク、
ディック・ヘイムズの「Rain or Shine」。

1950年代半ばの録音、つまり真空管を使った録音器材。
ぴたっとはまる、といいたくなる印象で鳴ってくれる。

男性の声がいい。
こういうところにも、BBCモニターの系譜が聴きとれる、といっていいのだろうか。
LS5/1Aの38cmウーファーはグッドマン製だった。

そんなことを聴いているときに思い出していたわけではない。
いいなぁー、と思い聴いていただけで、片付けのときに、そんなことを思っていた。

それからブラジル音楽好きのHさんが持参されたラテン系のCDもよかった。
セルソ・シン(Celso Sim)の「O AMOR ENTROU COMO UM RAIO」は、
昨年発売の新しいCDにも関らず、いい雰囲気で鳴ってくれた。
ナラ・レオンのCDもよかった。

イギリスのスピーカーなのに、この手の音楽もうまく鳴らすのか、と少し意外だっただけに、
これらのCDを昨晩聴けたことは、こういう会をやっていればこそ、だ。

私にとって、もっとも意外だったのはカンターテ・ドミノのSACDだった。

Date: 7月 5th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その3)

昨晩のaudio wednesdayのセッティングは、いつもに比べれば楽だった。
16時30分ごろに喫茶茶会記について、
アンプの梱包を解いたり、隣の部屋に置いてあるグッドマンのスピーカーを移動したり、
そんなことをやって音を出したのは17時30分ごろ。

ひさしぶりに夕食をとれる時間の余裕があった。
いつも夕食抜きでやっているから、
スピーカーが違うと、こうも楽なのか、と実感していた。

鳴ってきた音を聴いて、いくつかのことをやる。
といっても、それほど大袈裟なことではなく、
私が準備しているところを見ていない人ならば、
何をやったのかは、見ただけではわからないセッティングである。

19時から始まって、それからも数箇所いじっている。
そうやって鳴らし続けていた。

伸びやかになってきたと感じられるようになったのは21時ごろだったか。
22時くらいになると、最初に鳴ってきた音は、鳴りっぷりが違う。

三時間以上鳴らしていての変化である。
今回はスピーカーだけでなく、パワーアンプのAleph 3もしばらく使われてなかったようだ。
このふたつのオーディオ機器が、本調子に戻ってくるまでの時間が、
それだけかかった(必要だった)わけだ。

終了したのは23時30分ごろ。
これだけ鳴らしていると、Aleph 3のヒートシンクはさらに熱くなっていた。
21ごろに触れたときよりも、しっかりと熱くなっている。

昔マークレビンソンのML2のヒートシンクを触っては、
カチンカチンに熱くなっている、という表現を使っていたが、
そんな感じに熱くなっていた。

そこまでの音の変化を聴いていると、
この状態で、あと一週間ほど毎日鳴らしては、
こまかなチューニングをしていけば、けっこうな音が鳴ってくれる予感もしてくる。

Date: 7月 5th, 2018
Cate: audio wednesday

第91回audio wednesdayのお知らせ

8月のaudio wednesdayは、1日。
テーマは未定だが、音出しの予定。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 7月 5th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その2)

AXIOM 402は、カタログには40Hzから11,000Hzとなっている。
ユニット背面にもそう明記してある。

AXIOM 402は1975年は20,000円だった。
1977年には27,000円になっている。

このころJBLのLE8Tは37,200円、アルテックの755Eは22,200円、
AXIOM 402j同じ30cm口径ダブルコーンのフィリップスのAD12100/M8は、
17,000円(1975年)、20,500円(1977年)。

755E、LE8Tは20cm口径、
このころのアルテック、JBLの30cm口径のフルレンジは、というと、
420Aが46,400円(1975年)、D123は40,100円、D131は49,400円だった。
いずれもユニット一本の価格だ。

余談だが1975年当時、ジェンセンのG610Bは現行製品だった。
価格は195,000円である。

AXIOM 402は普及クラスのフルレンジユニットである。
フレームは鉄板プレスで、この部分はAXIOM 401と比較すると見劣りする。
インピーダンスもAXIOM 401は15Ωであり、AXIOM 402は8Ωとなっている。

カタログ発表値は、AXIOM 401の周波数特性は30Hzから12,000Hzと、
AXIOM 402よりも広い。

もっとも実測グラフをみれば、おそらく大きな違いはないはずで、
表示の基準が違ってきているためであろう。

AXIOM 402は指定箱と思われるエンクロージュアにおさまっていた。
ARU付きである。
見た感じで判断すれば国産エンクロージュアのようだった。

いつごろ購入されたAXIOM 402なのかははっきりしないが、
少なくとも40年は経っている。
それに元の持主の方は、最近あまり鳴らされていなかったようにも、
最初に鳴ってきた音からは感じたし、その前の設置のときもそう感じていた。

Date: 7月 5th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その1)

昨晩のaudio wednesdayは、
いつも鳴らしているアルテック中心のスピーカーではなく、
別項で書いているようにグッドマンのAXIOM 402を鳴らした。

別項ではAXIOM 401としていた。
402かもしれないと思って、喫茶茶会記の店主、福地さんに確認した。
福地さんを譲ってくれた人にきいたところ、401だということだった。
けれど実際にユニットを外して確認したところ、AXIOM 402だった。

401と402、裏側から見れば違いは一目瞭然なのだが、
表側からみると違いはわかりにくい。
どちらも30cm口径のダブルコーンのフルレンジユニットである。

ダブルコーンといってせ、サブコーンの形状、大きさによって、
設計思想は同じとはいえない。
なのでダブルコーンのユニットすべてに関心があるわけでもないが、
ダブルコーンのフルレンジユニットは好きなタイプである。

これまでもいくつかのダブルコーンのフルレンジユニットを聴いてきた。
とはいえ、これまで聴いてきたダブルコーンでいちばん大きかった口径は、
グッドマンのAXIOM 80の9.5インチ(約24cm)である。

30cm口径のダブルコーンは聴いたことがなかったし、
それをミッドバスユニットとして使用したり、
良質のトゥイーターを、ほんの少しばかり鳴らすような追加の仕方を前提とするならば、
話は違ってくるが、フルレンジ一発のシステムとしては、
本音をいえば、関心外だった。

AXIOM 80を特別な存在とすれば、20cm口径のダブルコーンまでが、
フルレンジ一発のシステムとしては関心の対象であった。

Date: 7月 4th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その32)

染谷一氏は、ステレオサウンドの編集長である。
編集長にいきなりなったわけではなく、その前は編集者であった。

私は編集者だけの経験しかないが、
それでも編集者と編集長の違いは、雑誌のあり方を含めてのことであることは感じている。

ステレオサウンドも雑誌のひとつである。
雑誌の編集長とは、将棋の棋士のようにも思う。

将棋の駒は、すべてが同じ動き(力)をもっているわけではない。
歩もいれば飛車、角行もいて、八種類。

これらの駒をどう活かしていくのかが、良き棋士なのではないか(将棋は素人なのだが)。
こう書いてしまうと、編集長の下にいる編集者がそれぞれの駒と受けとられるかもしれないが、
そうではなく、一冊の雑誌に掲載されるいくつもの記事こそが、それぞれの駒にあたる。

つまり編集長は棋士として、それぞれの駒(記事)を活かしていくことである。
ひとつの駒に力を一極集中してしまっては、勝負に勝てるわけがない。

いい記事をつくることは、いい編集者ならばできよう。
だからといって、編集者みなが、金将のような記事ばかりをつくっても、
いい雑誌になるとは限らない。

編集長がいるのは、そういう理由から、と考えることもできる。
編集長の仕事は、他にもあるのはわかっている。

ならば編集長(将棋の棋士)に求められるのは、先を読むこともそのひとつであろう。
行き当たりばったりに駒(記事)をいじっても、どうにもならない。

ステレオサウンド 207号は、特集としてスピーカーの試聴テストがあり、
ソナス・ファベールのパオロ・テッツォン氏による「三つの再生システムを聴く旅」もあり、
その他にも二本の導入記、新製品紹介などの記事がある。

編集長(棋士)としての、それぞれの記事(駒)の配置だとしたら、
なぜ、avcat氏に謝罪したのか──、と思うわけだ。

逆から考えれば、謝罪したことで、
染谷一氏の編集長(棋士)としての資質を疑っているわけでもある。

Date: 7月 4th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その4)

フルトヴェングラーの「音楽ノート」をひさしぶりに読み返していて、
ここをまた一度引用しておこう、とおもうところにであう。

これを引用するのは、これで三回目である。
     *
権力そのものではなく、権力の乱用が悪である。ビスマルクではなくして、ヒトラーが悪なのだ。思考する人間がつねに傾向や趨勢をのみを「思考する」だけで、平衡状態を考えることができないのは、まさに思考の悲劇である。平衡状態はただ感知されるだけである。言い換えれば、正しいものは──それはつねに平衡状態である──ただ感知され、体験されるだけであって、およそ認識され、思考されうるものではない。
     *
このフルトヴェングラーの言葉すら、
受けての「理解」によって、どうなっていくのだろうか。

Date: 7月 4th, 2018
Cate: 終のスピーカー

無人島に流されることに……(その6)

ロック・ポップス、ジャズに、ほんのわずか触れたけれど、
私が聴くのはクラシック音楽だから、
「無人島に……」という問いには、クラシック音楽について考えることになる。

その3)で、シェイクスピア全集にあたるのは、
ワーグナーの楽劇だろう、とした。

そういえば……、とフルトヴェングラーの「音楽ノート」をひっぱり出してきた。
     *
 たいていの人は(ヘルマン・ヘッセにしても、詩人といえば美しい言葉で美しい感情を表現することのできる人間であると考えている。私の見かたによれば、詩人、とりわけ劇作家とは人間を創造しうる人にほかならない。詩人が言葉をまったく必要としないとき、すなわち状況もしくは人間の行為や反応がすでに一切を言い尽くしてくれるとき、彼は最も偉大である。シェイクスピア、ヴァーグナー、グリルパルツァーなどはこのような詩人である。月並みのドイツ人は詩人としてのヴァーグナーとグリルパルツァーを看過している。ヴァーグナーあるいはグリルパルツァーが描く形象の深い真実は、それが語るものを通して示されると同様に、それが沈黙するもの、すなわち語らないものを通しても示される。これらすべての形象はいくらかのものを──場合によってはきわめて多くのものを──沈黙せねばならぬ。ただし、それらの本性のうちに宿る沈黙を通してであり、たとえばイプセンに見られるような文学上の「技法」によって沈黙するのではない。
     *
シェイクスピア全集にあたるものとして、
クラシック音楽においてはワーグナーの楽劇は的外れでは決してない。

だからマタイ受難曲とワーグナーの楽劇は、
必ず無人島にもっていくものとして除外して考えることになる。

Date: 7月 4th, 2018
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その3)

セレッションのトゥイーター、
個人的には名トゥイーターといいたくなるHF1300。

いまBBCモニターのLS3/5Aの復刻モデルが、各社から出ている。
LS3/5Aに搭載されていたKEFのユニットは製造中止になって久しいから、
オリジナルの復刻にはユニットの復刻から、始めることになる。

そうやった復刻されたユニットを見ると、なかなかの仕上がりだ。
BBCモニターの復刻はLS3/5Aだけではない。

グラハムオーディオからはLS5/8とLS5/9も出ている。
LS5/1Aまでは期待しないものの、LS5/5は復刻されないものか。

LS5/5の復刻にはHF1300(正確には改良型HF1400)が不可欠だと、思っている。
ここが他のトゥイーター、どんなにそれが優秀であってもLS5/5の復刻とは呼べないはずだ。

ようするにどこかHF1300を復刻してくれないか、と思っているわけだ。
HF1300を単体のトゥイーターとして使ってみた(鳴らしてみた)ことはない。

自分でそうやって使う(鳴らす)ことで、確かめたいことがある。
それはHF1300独自の音色について、である。

ここでのタイトルは、
好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた、としている。
そうである。

そうなのは確かだが、HF1300は各社のスピーカーシステムに使われている。
組み合わされるウーファーもさまざまだ。

そこにおいて音色のつながりに不自然さを感じさせるスピーカーシステムはなかった。
ということは、HF1300はそれほど主張の強い音色をもっていないのではないか。
そう解釈することもできるからだ。

ステレオサウンド 35号「’75ベストバイ・コンポーネント」で、
井上先生は、
《英国系のスピーカーシステムに、もっとも多く採用されている定評のあるユニットだ。滑らかで、緻密な音質は、大変に素晴らしく他社のウーファーとも幅広くマッチする。》、
瀬川先生は、
《イギリス製のスピーカーシステムに比較的多く採用されている実績のある、適応範囲の広いトゥイーター。BBCモニターの高域はこれの改良型。高域のレインジはそう広くない。》
と書かれている。

HF1300は適応範囲の広いトゥイーターだということが読みとれる。