「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その33)
audist(オーディスト、聴覚障害者差別主義者)という言葉がある。
ステレオサウンドでも、誌面に登場している。
いまから七年前のことだ。
山口孝氏が、使われている。
おそらく山口孝氏は、スラングとしてのaudistに、こういう意味があるのを知らずに使われたのだろう。
このaudist(オーディスト、聴覚障害者差別主義者)については、
別項『「オーディスト」という言葉に対して』で、ある程度は書いている。
書きたいことすべてを書いたわけではない。
まだくすぶっているのを感じている。
そして、そこでまったく触れなかったことがある。
オーディオマニアの中には、
偏見といわれるのは承知のうえだが、ハイエンドオーディオと呼ばれる世界のオーディオマニアの中には、
このオーディストがいる、と感じている。
ただここでのオーディストは、聴覚障害者差別主義者とまではいえない。
聴覚に障碍のある人を差別していないオーディオマニアであっても、
耳が悪い人を、どこか小馬鹿にするところがあるのではないか。
ここでの「耳の悪い」は、聴覚障碍ではなく、
聴覚検査では問題はなく健常な聴覚の持主であっても、
オーディオマニアとして耳が悪いと呼ばれてしまう、
微妙な音の違いがあまりわからない人に対して使われる「耳の悪い」である。
ハイエンドオーディオの世界のマニアの中には、
自分こそが鋭敏で、最先端の感性の耳の持主とでも思い上がっている人がいない、といいきれるか。
別にハイエンドオーディオの世界のマニアだけでなく、
ある程度以上のキャリアの昔からのオーディオマニアの中にもいよう。
それでもハイエンドオーディオを指向しているオーディオマニアの方に、
そんなオーディストが多いと感じていることこそが偏見なのだとわかっていても、
今回のavcat氏の一連のツイートに、
柳沢功力氏の試聴記に対しての反論というより、
柳沢功力氏に向けたかのように読めるツイートに、
そんなオーディストの澱のようなものを感じとれる。
そんなふうに読むのは、私ぐらいかもしれない──、
それもわかったうえで書いている。