Archive for category テーマ

Date: 4月 26th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(Good Reproductionの和訳・その1)

300Bのプッシュプルアンプについて書いてきていて、
グッドリプロダクション(Good Reproduction)のことに触れ始めている。

グッドリプロダクションについては、これまで何度か書いてきている。
Good Reproductionを心地よい音、としてきた。

たしかに心地よい音、響きである。
でも、それだけでは何か足りないような気も、ずっとしていた。

無理に日本語にすることなく、グッドリプロダクションでいいではないか──、
とも思うけれど、それでももっとぴったりとくる言葉はないものかと、
これを書きながらも思っている。

最近おもうようになったのは、
Good Reproductionとは、居心地のよい音、響きだということだ。

Date: 4月 25th, 2019
Cate: オーディオマニア

「シャカリキ!」(その1)

今日、24年ぶりに少年チャンピオンを買った。
今日発売の21+22号は、創刊50周年の特別企画として、
以前掲載されていたマンガを再掲載している。

21+22号には、曽田正人氏の「シャカリキ!」である。
1992年から1995年まで、私はこの「シャカリキ!」に胸を熱くしていた。

もう30になっていたのに、まだ少年マンガ雑誌を買っていたのか、とバカにされようが、
なんとも思わない。

「シャカリキ!」によってロードバイクに興味を持った。
オーディオもそうだが、自転車も、私の周りにやっている人はいなかった。

オーディオは「五味オーディオ教室」、
自転車は「シャカリキ!」から始まっている。

今回再掲載されたエピソードは、第134話の「坂の求道者」である。
どのエピソードが再掲載されているのかは、買ってみるまでわからなかった。
ページをめくって、やっぱりこのエピソードか、とおもう。

「坂の求道者」で、主人公の野々村輝の母親が、心の中で呟いている。
《自転車でしか伝えられない
 この子はそういう子なんだわ》

当時、何度も読み返していた。
一度目、二度目と読み、
三度目くらいで、ふと己をふり返った。

《オーディオでしか伝えられない》ことを持っているだろうか、と。

三年ほど前「会って話すと云うこと(その8)」で書いたころとは、
この時期でもある。

そのころの私は、
「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」

こんなことをいっていた。
ある知人が、せっかくの才能なんだからオーディオの仕事をしたらどうですか、
何か書いたらどうですか、
そんなことを何度もいっていたから、
それに対して、こう言って返した。

けっこう本気でそう思っていた。
これこそがいちばん贅沢かもしれない、とも思っていた。

そう思い込もうとしていただけかもしれないが……。

「会って話すと云うこと(その8)」でも書いてるが、
「シャカリキ!」とともに、このころ川崎先生のDesign Talkを読んでいた。

読んでいなかったら、そのままでいまもいたかもしれない。
こんなふうに毎日ブログを書くことはやっていない。

《オーディオでしか伝えられない》ことを持っているからオーディオマニアのはずだ。

Date: 4月 24th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その17)

伊藤先生は、無線と実験の349Aのプッシュプルアンプの記事に、こう書かれている。
     *
 他人の作ったものばかり食べている人にはわかりますまいが、本当の食通は他人に嘲笑わても厨房に入りたがるものです。
 一番大切なことをいいましょう。「誰がこれを食べるのか」ということなのです。若い人か、年寄りか、肉体労働をしている人か、どんな条件(部屋)の雰囲気で食べるのか、とそれまで考えてやるべきでしょう。アンプにしてみればスピーカーとの組合わせなのです。プリ・アンプもカートリッジももちろん大切には違いありまんが、それにも増してスピーカーとの関係を大切にしなければなりません。
 測定ではわからないのです……というと、学識のある方に嘲笑われますが、こればかりは如何にもなりません。
 それはスピーカーというものは前述したように不思議なもので、アンプに較べて完璧なものが存在しないのです。あるスピーカーを捉えて、こんなアンプならいい音がするだろうなどと極めて無責任な考え方で音を出すのです。私にはそうしか方法がないのです。スピーカーの気嫌を取結ぶためにアンプを組んでいるのです。
 そして、スピーカーからきめてかかるのが一番良い音を出す途への近道なのです。
 良いスピーカーほど癖のあるもので、どんなアンプでも良く鳴るものにはろくなものはありません。
 ここでいう癖は忌(いや)な音というのではありません。誤解しないでください。
     *
349Aのアンプを作りたい、ということを伊藤先生に話したことがある。
「349Aはいい球だよ」といってくださった。
そしてアンプを自作するのならば、まず一時間自炊をしなさい、ともいわれた。

この時のことは別項「伊藤喜多男氏の言葉」に書いている。

平成の三十年間は、夕食に関しては、毎日とまではいかないけれど、自炊してきた。
「誰がこれを食べるのか」も、
三十年間ということは20代の私から50代の私まで、となる。
若い私から初老の私ということになる。

贅沢な自炊をしてきたわけではない。
伊藤先生は、こうもいわれた。
「いきなり300Bにいっても、300Bという球のほんとうの良さはわからないよ」
「349Aから始めるのはいいことだよ」

贅沢な自炊をしたくてもできない時期がけっこう続いた。
でも、それでよかったのだろう、たぶん。

Date: 4月 24th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その4)

東芝クレーマー事件についての詳細は、検索していただきたい。
私が書きたいのは、
この事件(なのか)の中心人物の個人サイトで公開された音声に関して、である。

東芝の渉外管理室の担当者の電話対応の録音は、衝撃的だった。
暴言を吐かれた、といったことが、そのサイトには書かれていた。
音声を公開しました、ともあった。

最初は聞く気はなかった。
当時はダイヤルアップ回線でインターネットに接続していた。
従量制だったから、そんなものを聞くのに、わざわざ接続するのもなぁ……ぐらいだった。

それに大袈裟に書いてあるものだとばかり思っていた。
先に聞いた友人から、驚くよ、という連絡があった。

ほんとうかなぁ、と疑いつつも聞いてみると驚く。
東芝のビデオデッキを購入し、修理を依頼し、個人サイトを公開した人物と、
東芝のどちらに非があるのか、そういうことは全部吹き飛ぶほどに暴言(恫喝に近い)だった。

この人物が東芝に対して要求していたことは、
クレームだったのか、コンプレイントだったのか。

別項『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その56)』で書いているように、
クレーム(claim)とは、原語では、正当な主張、もしくは請求の意味であり、
いまの日本で一般的に通用しているクレーム、
つまり英語のclaimではなく、日本語のクレームは、英語のコンプレイント(complaint)である。

コンプレイントは、苦情、不平である。

東芝クレーマー事件の「クレーマー」は、
コンプレイントのほうであろう。
けれど渉外管理室の担当者の暴言によって、
コンプレイントはクレームへとなっていったのか。

東芝クレーマー事件以前にも、同じようなことは、各メーカーでもあったのかもしれない。
けれど、それらは表に出てこなかった。
関係のない人たちが知ることはまずなかった。

けれどインターネットの普及は、そこを変えた。

Date: 4月 23rd, 2019
Cate: audio wednesday

第100回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を聴く)

5月1日のaudio wednesdayでは、電源コード第二弾を持っていく予定でいる。
まだ作っていないけれど、今週末には作る予定だ。
ぎりぎり当日に作るかもしれないが、
3月のaudio wednesdayでの電源コードを聴いてもらって、
今回はマッキントッシュのMA7900用である。

前回作った電源コードだと少し細い。
もう少し太くしたい。

前々から目をつけていたケーブルが、今回の用途にぴったりと合う。
しかも価格もそう高くはない。

2月のaudio wednesdayで、ある海外メーカーの電源コードが持ち込まれた。
それに少しばかり刺戟を受けた。

欲しいとは思わなかったし、
その電源コードの良さも認めるけれど、
現在喫茶茶会記で使っているベルデンの電源コード(手を加えている)も悪くなかった。

それならば、と思い立ったわけだ。
メリディアンの218用も、実は用意している。
コネクターも買ってきている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 4月 23rd, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その16)

ここまで読まれた方のなかには、
ならば349Aのプッシュプルアンプを作った方がいいのではないか、
そう思われる人もいよう。

私もそうおもう時がある。
とにかく349Aのプッシュプルアンプのデクレッシェンドしていく音の美しさに魅了された。
しかも、それ以降、その美しさを、どのアンプでも聴くことがかなわなかった。

なので思い始めていたことがある。
真空管の電極の大きさが、あのデクレッシェンドの美しさに深く関係しているのではないのか、と。
だとしたら300Bのアンプでは、
いまも耳に残っているといえる、あの美しい音は出せないのかもしれない。

むしろ出せない可能性が高いのではないか。
ならば349Aを、いままた探してくるか。

349Aも、ずいぶん高くなった。
三十数年前は一本五千円程度だった。
ベースにでは、ガラスの上部に、349Aと入っている、
いわゆるトップマークの349Aでも、八千円から一万円くらいだった。

私のなかには、いまさら、という気持が少しある。
だから349Aの代りに、45という選択もあるな、と実は考えていた。

直熱三極管で、電極のサイズも大きくない。
それに45は、瀬川先生がAXIOM 80のために作られたアンプの真空管でもある。

にもかかわらず300Bのプッシュプルアンプを目指そうとしているのは、
別項「MQAのこと、349Aプッシュプルアンプのこと」でのことが関係している。

デクレッシェンドしていく音楽の美しさに、ここで再び出逢えたからである。
ならば300Bプッシュプルアンプでも、トータルで出せる──、
そう確信できたからだ。

もっともそのためにはメリディアンのULTRA DACが前提となるけれど……

Date: 4月 23rd, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その4のコメントを読んで)

(その4)にfacebookでコメントがあった。
(その4)で、私は「すくっと立ち上って」と書いた。

正しくは「すっくと立ち上って」という指摘だった。
確かにそうである。

ずいぶん前になるが、どこかで「すっくと」と「すくっと」について書かれいてることを読んでいる。
勘違いしていた、とその時思ったことを、指摘を受けて思い出した。

思い出した、ということは、いままで忘れていたわけで、
だから「すくっと立ち上って」と書いてしまっていたわけだ。

指摘してくださった方も書かれていたが、
擬態語なので、意図的に使っているのであれば誤用とまではいえない、ともあった。

ここまで読んで、もしかすると、と思い出したことがある。
「すっくと」を「すくっと」としてしまうのは、
おそらく小学生だったころに読んでいたマンガの影響かもしれない。

マンガには吹き出しのなかのセリフの他に、
効果音を文字で表現している。
マンガで立ち上る動作に「すくっと」もしくは「スクッと」といった表現が使われていた──、
のかもしれない。

それでいつのまにか「すくっと」と思い込んでしまっていた。
それに「すっくと」が正しいと知った時、
なんとなくしっくりこない、とも感じていたのも、
マンガの影響下にずっとあったためかもしれない。

といっても、どんなマンガなのかもはっきりと思い出せないのだから、
マンガの影響と思い込んでいるのだけかもしれない。

どちらにしても、私の感覚としては「すっくと」よりも「すくっと」がしっくりくる。
誤用といわれればそうである。

だから「すくっと」ではなく「すっくと」にすればいいわけだが、
おそらく今後も、今日書いたことも忘れてしまって、
また「すくっと」と書いてしまう、と思っている。

最後に言い訳がましくつけ加えれば、
大辞林には、こうある。
     *
勢いよく立ち上がるさま。まっすぐ,すっと立つさま。すくっと。「—立ち上がる」
     *
「すくっと」はどうやら誤用とまではいえないのか。
今回の指摘によって、思い出したことがあった。
ありがたく感じている。

Date: 4月 23rd, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス ヴァイオリン協奏曲二長調 Op.77(その2)

今年はジネット・ヌヴー生誕100周年である。
ヌヴーのリマスターが出るかもしれないぁ──ぐらいの期待はもっていた。

今日タワーレコードからのクラシック新着メールを見ていたら、
GINETTE NEVEU THE COMPLETE RECORDINGS”がある。

EMI録音の、2019年リマスターということである。

ワーナーからは、いまのところMQA-CDは登場していないが、
e-onkyoのサイトをみれば、ワーナー(旧EMI)録音は、MQAでも配信されている。

ということは今回の“GINETTE NEVEU THE COMPLETE RECORDINGS”も、
e-onkyoでのMQAでの配信が行われる可能性が、十分考えられる。

CD四枚組の発売は6月21日である。

Date: 4月 22nd, 2019
Cate: audio wednesday

第100回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を聴く)

5月1日のaudio wednesdayでは、
4月3日のaudio wednesdayと同じくブリテンのモーツァルトから始めようと考えている。

ステレオサウンドから出ているSACDとCDの二枚組。
5月のaudio wednesdayでは、
スチューダーのD731ではなくマッキントッシュのMCD350をトランスポートとして使う。

理由は218にはAES/EBUのデジタル入力がないし、
D731にはAES/EBUのデジタル出力しかないからだ。

なのでMCD350でブリテンのモーツァルトのSACDを聴き、
その次にCDを聴く。
CDはステレオサウンド盤とデッカ盤の二枚を聴く。

このあとに218を接続して、ここでもステレオサウンド盤とデッカ盤の両方を聴く。
これから先は、その場のノリで決めていく。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 4月 22nd, 2019
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その8)

ここで書いていることで具体的なことは何ひとつない、ともいえる。
私が頭のなかで描いていてる唯一の具体的なカタチがある。

といっても、そこに何ら技術的な根拠や裏づけがあるわけではない。
なんだ、ただの直感かよ、といわれようが、
私としては、それこそがatmosphere designに必要なカタチだという確たる直感である。

別項「2016年に考えるオーディオのイノヴェーション(その3)」で最後に書いている。
つまりトーラスである。

Date: 4月 22nd, 2019
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その10)

オーディオで音色といった場合、
楽器の音色のこともあれば、オーディオ機器固有の音色を指す場合とがある。

そしてオーディオにおける音色の魅力となると、
オーディオ機器固有の音色を指す場合が多い。

このオーディオ機器固有の音色は、実に、というか、時として魅力的である。
しかもオーディオというシステムが、一つのオーディオ機器だけで成り立つわけではなく、
最低でもプレーヤー、アンプ、スピーカーシステムが必要となり、
それぞれに固有の音色を持っている。

そこに実際の使用ではケーブルが加わる。
いうまでもなくケーブルにも固有の音色がある。

固有の音色を持つモノをいくつも組み合わせてのシステムとしてトータルの音色、
つまりそれぞれの色が混じりあっての音色を、われわれはスピーカーから聴いている。

私がBBCモニターの音に惹かれるのも、この固有の音色ゆえといえるところが大きい。
そればかりではないけれど、
オーディオ機器固有の音色の魅力から逃れられる人は、オーディオマニアではないのだろう。

音楽が好きで、好きな音楽が少しでもいい音で聴きたいと思っていても、
オーディオ機器固有の音色に惹かれる人とそうでない人とがいる。

後者は、その意味ではオーディオマニアではないのかもしれない。
その意味で、私ははっきりとオーディオマニアである。

BBCモニターもそうだし、
ここに関係してくることとして、
セレッションのHF1300というトゥイーターが搭載されているスピーカーの音色も好きである。

そういう固有の音色がうまく混じり合って、
しかも好きな音楽の音色をうまく際立ててくれる瞬間が、オーディオにはある。

その瞬間、オーディオマニアは背中に電気が走ったりするわけだ。

けれど、audio wednesdayでの音出しでは、意図的にそういう音色は避けるようにしている。
そういうことを含めての(その7)でもある。

Date: 4月 21st, 2019
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その7)

空気のデザイン(atmosphere design)とは、
別項の「Noise Control/Noise Design」に深く関係してくるというのは、私の予感であり、
その5)で書いている「空間のレイヤー化」とは、ノイズのレイヤー化とも思っている。

そしてディフューザーである。
川崎先生が書かれている「ディフューザーは音響の実は要だと思っている」。

これが「空気のデザイン(atmosphere design)」と深く関ってくる、
というのが私の直感である。

Date: 4月 21st, 2019
Cate: 映画

MARIA BY CALLAS(DVD)

昨年12月に公開された「私は、マリア・カラス(MARIA BY CALLAS)」。
DVDが、8月2日に発売になる。

Date: 4月 21st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その4)

海外ドラマが好きで、よく見ている。
医療関係のドラマも好きである。

アメリカのドラマを見ていて気づくのは、
患者が退院する際、必ず病院関係者玄関までが車椅子にのせられていく。

玄関から先ではすくっと立ち上って退院していく。
問題なく歩ける人がなぜ? と疑問に最初は感じていた。

これは病院の建物を出るまでに何かあったら、訴えられるからだと気づいた。
玄関までの通路で、何かが原因で足を滑らせて骨折したとかになったら、
アメリカのことだから、裁判に訴えられて多額の賠償金を支払うことにもなるからなのか。

そのへんの事情に詳しい人に確認したわけではないが、おそらくそうだと思う。
ひとつのドラマだけでそうなのではなく、いくつかのドラマでもそうなのだから。

訴訟大国といわれるアメリカなのだから、さもありなんだ。

もちろん裁判対策だけとはいわないが、
アメリカのオーディオ雑誌における測定は、
ずっと以前からすれば、訴訟されないためという意味あいが強くなってきているのではないのか。

日本でも、オーディオでの裁判、それ第三者からみてばかげた訴訟があった。
以前書いているように、あるオーディオ機器の重量が、カタログ発表値よりも少しだけ重かった。
そのことで輸入元を訴えた人がいる。

この件は、幸にして裁判官がオーディオに理解のあった人のようで、
オーディオ機器は重たい方がよいとされているのでしょう、といって終った、ときいている。

とにかく、アメリカのオーディオ雑誌の測定を、
客観性の担保ということだけで捉えるのは、
時代の変化を無視しすぎのような気さえする。

それにしてもいつの時代も、日本のオーディオ雑誌と海外のオーディオ雑誌を比較して、
なにかあるごとに「測定、測定」という人はいる。

しかし、もう少し考えてほしいのは、
海外のオーディオ雑誌に掲載されているのは、
オーディオ評論なのか、ということだ。
批評と評論を区別せずに、
海外のオーディオ雑誌とくらべて日本のオーディオ雑誌は……、と嘆くのは、
いつになったら変っていくのか。

Date: 4月 21st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その3)

facebookへのコメントは三人の方からあった。
二人目のかたは、「わかりやすさ」を求める読者へのサービスもあるのではないか──、
そう書いてあった。

わかりやすさについて、以前書いているし、
読者が求める「わかりやすさ」とは、答でもある。
けれど、私がオーディオ雑誌に、というか、
オーディオ評論に求めているのは、
そして、こうやって毎日書いているのは、
最終的な問いを求めて、である。

このことは別項「毎日書くということ(答えではなく……)」で書いている。

三人目のかたは、海外オーディオ雑誌は客観性を担保するために測定データを載せている──、
そんなことが某匿名掲示板にあったと書かれていた。
測定データがすべてとは思わないけれど、面白い話だと思った、とも。

このことはかなり以前からいわれているし、
なぜ日本のオーディオ雑誌は測定をやらない(やめたのか)にもつながっていく。

測定データは客観性を担保するのか。
客観性を担保するために、海外のオーディオ雑誌は測定をやるのか。

そうともいえるし、そうではないと考えることもできる。
特にアメリカの場合は、
客観性の担保というよりも、ある種の保険的意味あいが強いようにも考えることができる。
訴えられないために、である。