オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その3)
facebookへのコメントは三人の方からあった。
二人目のかたは、「わかりやすさ」を求める読者へのサービスもあるのではないか──、
そう書いてあった。
わかりやすさについて、以前書いているし、
読者が求める「わかりやすさ」とは、答でもある。
けれど、私がオーディオ雑誌に、というか、
オーディオ評論に求めているのは、
そして、こうやって毎日書いているのは、
最終的な問いを求めて、である。
このことは別項「毎日書くということ(答えではなく……)」で書いている。
三人目のかたは、海外オーディオ雑誌は客観性を担保するために測定データを載せている──、
そんなことが某匿名掲示板にあったと書かれていた。
測定データがすべてとは思わないけれど、面白い話だと思った、とも。
このことはかなり以前からいわれているし、
なぜ日本のオーディオ雑誌は測定をやらない(やめたのか)にもつながっていく。
測定データは客観性を担保するのか。
客観性を担保するために、海外のオーディオ雑誌は測定をやるのか。
そうともいえるし、そうではないと考えることもできる。
特にアメリカの場合は、
客観性の担保というよりも、ある種の保険的意味あいが強いようにも考えることができる。
訴えられないために、である。