オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その4)
海外ドラマが好きで、よく見ている。
医療関係のドラマも好きである。
アメリカのドラマを見ていて気づくのは、
患者が退院する際、必ず病院関係者玄関までが車椅子にのせられていく。
玄関から先ではすくっと立ち上って退院していく。
問題なく歩ける人がなぜ? と疑問に最初は感じていた。
これは病院の建物を出るまでに何かあったら、訴えられるからだと気づいた。
玄関までの通路で、何かが原因で足を滑らせて骨折したとかになったら、
アメリカのことだから、裁判に訴えられて多額の賠償金を支払うことにもなるからなのか。
そのへんの事情に詳しい人に確認したわけではないが、おそらくそうだと思う。
ひとつのドラマだけでそうなのではなく、いくつかのドラマでもそうなのだから。
訴訟大国といわれるアメリカなのだから、さもありなんだ。
もちろん裁判対策だけとはいわないが、
アメリカのオーディオ雑誌における測定は、
ずっと以前からすれば、訴訟されないためという意味あいが強くなってきているのではないのか。
日本でも、オーディオでの裁判、それ第三者からみてばかげた訴訟があった。
以前書いているように、あるオーディオ機器の重量が、カタログ発表値よりも少しだけ重かった。
そのことで輸入元を訴えた人がいる。
この件は、幸にして裁判官がオーディオに理解のあった人のようで、
オーディオ機器は重たい方がよいとされているのでしょう、といって終った、ときいている。
とにかく、アメリカのオーディオ雑誌の測定を、
客観性の担保ということだけで捉えるのは、
時代の変化を無視しすぎのような気さえする。
それにしてもいつの時代も、日本のオーディオ雑誌と海外のオーディオ雑誌を比較して、
なにかあるごとに「測定、測定」という人はいる。
しかし、もう少し考えてほしいのは、
海外のオーディオ雑誌に掲載されているのは、
オーディオ評論なのか、ということだ。
批評と評論を区別せずに、
海外のオーディオ雑誌とくらべて日本のオーディオ雑誌は……、と嘆くのは、
いつになったら変っていくのか。