Archive for category テーマ

Date: 7月 20th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・「BEM」)

アナログディスクに続いて、カセットテープもブームとはいわれている。
ナガオカが、22日からカセットテープを発売することが、昨日ニュースになっていた。

ノーマルタイプで、60分テープが220円という安さである。
私が中学生のころ、近くの電器店に100円テープが入荷していた。

ブランドは表記してなかった。
中国製だったのかもしれない。
とにかく製品情報が何もなかった。

60分で100円は、安かった。
安かろう悪かろう、とわかっていても、一本買ってみた。
まぁ、ひどかった。

中国では、いまもカセットテープは生産されている。
AliExpressで検索すると、ノーマルテープが表示される。

なので、最初ナガオカがカセットテープを出す、と聞いたときは、
中国製なのかと思ってしまったが、国内生産とある。
四十年前と物価はずいぶんと違ってきているのに、
この価格で利益が出るのか、とちょっと心配にもなるが……。

ナガオカのカセットテープがそこそこヒットしたら、
以前カセットテープを生産していたメーカーも続いてくるのだろうか。

そういえば昨年は「妖怪人間ベム」50周年だった。
つい先ごろ、「BEM」の放送が始まった。

若者が街中で踊っているシーンで、大型のステレオラジカセが登場する。
カセットテープである。

登場人物はスマートフォンを使っているのに、
そのシーンではラジカセというのも、カセットテープがブームになりつつある、といえるからなのか。

Date: 7月 20th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その15)

私がグラシェラ・スサーナのミュージックテープを買っていた1976、77年は、
LPよりもミュージックテープの方が高かった。
3,800円とか3,200円していた。

3,000円を切るミュージックテープは、当時、グラシェラ・スサーナに関してはなかった。
高いなぁ──、と感じていた。

高い割には、テープヒスが多いじゃないか……、
そんなことも、実は思っていた。

ミュージックテープの製作は、手抜きしているんじゃないか、とさえ思ったこともある。

LPよりもミュージックテープが高くなるのは、理解はしていた。
LPはスタンパーを作れば、あとはプレスで大量生産できる。
テープはそうはいかない。

一本のミュージックテープのために一台のデュプリケーターが必要になる。
高速ダビングしているであろうが、それでもそこそこの時間はかかってしまう。
定価が高いのはわかっていた。

それならば、もっとクォリティが高くてもいいんじゃないか、と勝手に思っていた。

でも今回K1dでグラシェラ・スサーナのミュージックテープを聴いて、
単に私の再生環境(テープデッキ)が良くなかっただけだったのかもしれない。
そんなことも思いはじめている。

そのころの普及クラスのカセットデッキは、そういうレベルだった、ともいえるし、
そういえば、と思い出すのは、以前瀬川先生がFM fanで書かれていたことだ。

Date: 7月 20th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その14)

そのころステレオサウンドにはテープサウンドという隔月刊誌があった。
テープに特化したオーディオ雑誌であるから、
ステレオサウンドでは、ナカミチの1000ZXLクラスになると、
カラーページで新製品紹介することはあっても、
新製品のすべてを取り上げることはなかった。

というよりも取り上げる機種はわずか、といってよかった。
なのでステレオサウンドの試聴室で、カセットデッキを試聴したのは、多くはない。

カセットデッキの全盛時代にステレオサウンド編集部にいたにも関らず、
この時期におけるカセットデッキ、カセットテープの推移をほとんど知らない。

だから、いまごろになってヤマハのK1dのS/N比の良さに驚いている。
K1dの後に登場した各社のカセットデッキは、どうだったのか。

K1dクラスのS/N比を実現したいたのだろうか。
単なるカタログスペック上だけでなく、実際に音を聴いた場合にどうだったのか。

K1dは中級クラスのカセットデッキである。
K1dよりも高価なカセットデッキは、当時はいくつもあった。
それらの機種はどうだったのか。

いまごろになってK1dの音を聴いて、
しのころ私が気にしていたテープヒスとはなんだったのか、と考える。
録音アンプの残留ノイズ、再生アンプのノイズが加わっての、
全体としてのテープヒスだったのか。

録音アンプ、再生アンプのS/N比が優れていれば、
テープヒスはさほど気にならないものなのか。

私の乏しいカセットデッキの経験では、はっきりとしたことは言えないが、
それでも小さくないはずである。

Date: 7月 20th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その13)

ステレオサウンドの試聴室でカセットデッキ、カセットテープの音を聴いたのは、
ナカミチの700ZXLが最後である。

それ以降、きちんとした環境でカセットデッキ、テープの音を聴いた記憶はない。
700ZXLの音を聴いた時、ドルビーはかけていた。
テープヒスは少なかった、と記憶している。

テープヒスが気になった、という記憶がないからだ。
ドルビーをかけない音は、つまり聴いてない。
ドルビーをかけない状態でのテープヒスがどのくらいだったのかは、
そしてドルビーのかかっていないミュージックテープを再生した場合のテープヒス、
これがどうなのかは聴いていない。

そのころの私にとっては、ドルビーはかけることが前提だった。
ドルビーによる音への影響はもちろん知っていたし、
ある程度は自分の耳でも確認していた。
それでもノイズが大幅に減ることのメリットは大きかったし、
ドルビーも、登場したころよりも良くなってきている、という話を、
瀬川先生が、熊本のオーディオ店でカセットデッキの試聴の際に話されていた。

この時も、ドルビー使用での試聴だった。

ミュージックテープも、1980年代になってからである、ドルビーが使われるようになったのは。
それまではドルビーはかかっていなかった。

グラシェラ・スサーナのミュージックテープを買ってきて聴いたのは、
ラジカセであった。モノーラルのラジカセである。

テープヒスがけっこう気になった。
その後、アイワの普及クラスのカセットデッキを購入した。

そこでもテープヒスは、気になっていた。
FM放送をエアチェックする際には、必ずドルビーをかけていたから、
グラシェラ・スサーナのミュージックテープもドルビーがかかっていたら……、
何度そう思ったことか。

つまり、グラシェラ・スサーナのミュージックテープを聴いたのは、
ここで一旦終っている。
そしてテープヒスに関しての記憶も、ここでのものがずっと残っていた。

Date: 7月 19th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その12)

41号が初めて買ったステレオサウンドだった。
続く42号は、プリメインアンプの特集だった。

ここでのヤマハのプリメインアンプ、CA1000IIIとCA2000は、
群を抜く優秀性だった。
特にS/N比の高さは、他社のどのアンプもかなわなかった、といえる。

しかもヤマハのアンプのS/N比の高さは、入力ショート時だけではなく、
カートリッジを実装した状態でも、S/N比の高さを維持していた。

入力ショート時では、高S/N比のプリメインアンプは他社製でもいくつかあった。
けれど、そのほとんどがカートリッジ実装状態では、芳しくない。

この時(1977年3月)から、私のなかでは、
ヤマハのアンプはS/N比が、単にカタログスペック上だけでなく、
実際の使用条件においてもそうである、という印象ができあがった。

この二つのプリメインアンプだけではない。
ヤマハの他のプリメインアンプ、コントロールアンプもS/N比はいずれも優秀である。
そんなことはわかりきっていることでもあった。

なのに、今回K1dを聴いて、そのことを思い出していた。
アンプだけでなく、カセットデッキでも、ヤマハはS/N比を優秀性を誇っている。

ステレオサウンド 6号での、
菅野先生がK1dのS/N比にびっくりされたことは忘れていなかった。

それでも実際に自分の耳で確認して、ほんとうにそうだ、と実感している。
k1dが、ナカミチの1000ZXLのように五十万円を超えるカセットデッキだったら、
それほど驚かなかったけれど、K1dは中級機である。

今回聴いたのは、グラシェラ・スサーナのミュージックテープである。
ドルビーはかかっていない。

Date: 7月 19th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その11)

十年以上前、ヤフオク!で、そこそこの価格でアンプを落札した。
写真では、かなり程度は良さそうだった。
説明文もそんなことが書かれていた。

期待して、届くのを待っていた。
開梱して、ずいぶん写真とイメージが違うことに、まずがっかりした。
細部をじっくり見るまでもなく、けっこうくたびれているな、と感じた。

実物を見ることができるわけではないインターネットオークションなのだから……。
それっきりヤフオク!は、思い出したときに眺めて楽しむぐらいがちょうどいい──、
そんなふうにしていた。

そんなことがあったものだから、K1dが到着するまでは、
あれこれおもっていた。
私が予想していたとおりのK1dなのか、それ以下の程度のK1sか、
もしかすると予想よりもいい状態のK1dなのか。

結果は予想していたよりも、ずっと、とまではいかないが、
いい状態のK1dだった。
細かな傷は確かにあるが、全体的に眺めた時にくたびれた印象が、まずないことが嬉しかった。

1981年に登場している。
私のところに届いたK1dがいつごろ製造されたものかはわからないが、
三十数年以上経っているわけで、そんな感じがしなかった。

ヤフオク!で上限を決めて入札するのは、
修理のことを想定しているからだ。

ただ音が出れば、それで満足できる人ならば、
それにふところに余裕のある人ならば、高値で落札するのもいいだろう。

でも、製造されて十年以上経過しているオーディオ機器(特に電子機器)は、
ひどい状態のことも考慮したほうがいい。

今回、私はいい出品者と出会えたからであり、
いい出品者というのは、ヤフオク!の評価高いから、ここでいういい出品者とはかぎらない。

今回のK1dは、私にとって初めてのヤマハのオーディオである。

Date: 7月 18th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その10)

7月3日のaudio wednesdayから、カセットデッキのことが気にかかっていて、
ヤフオク!をほぼ毎日のように眺めていた。

いったい、どの程度のコンディションのカセットデッキが、
どのくらいで購入できるのだろうか。
ヤフオク!には、どんなカセットデッキが出品されているのか──、
そういったことが知りたくて、iPhoneにインストールしたヤフオク!のアプリを眺めていた。

結局、当り前のことなのだが、売れたカセットデッキは出品されているし、
あまり売れなかったであろう、たとえばラックスのカセットデッキはみかけなかった。

なんとしてでも、あのカセットデッキが欲しい、手に入れる、
という強い気持を持っているわけではない。

これまで挙げたいくつかのカセットデッキのなかで、
程度が良くて、価格もほどほどといった虫のよいことが前提としてあった。

完動品といえるコンディションであれば、それなりの価格になるのもわからないわけではないが、
動作品ぐらいのレベルのモノに応札合戦する気はまったくなかった。

上限も決めていた。
その範囲内で落札できるモノ──、
そんなモノが見つかるのか、と思われるだろうが、
結果をいえば、見つかった。

ヤマハのK1dである。
ブラックパネルのK1dだった。

説明文には動作品とあった。
写真では、小さいな傷がないわけではないが、状態は良さそうである。
上限は12,000円と決めていた。

9,500円で落札できた。
送料を含めても、予算の12,000円以内でおさまった。

Date: 7月 18th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その9)

ヤマハのカセットデッキといえば、私にとってはTC800GLである。
マリオ・ベリーニのデザインのカセットデッキは、
中学生の私でも、
他のカセットデッキとははっきりと違うデザインということはわかった。

マリオ・ベリーニはMario Belliniである。
ずいぶん後になって気づくのだが、
作曲家ヴィンチェンツォ・ベルリーニはVincenzo Belliniであり、
カタカナ表記は少し違うものの、二人ともBelliniである。
遠縁だったりするのだろうか。

TC800GLは、類型的になりがちなカセットデッキにおいて、
とにかく光っていた。
似た形態のナカミチのデッキも存在していたけれど、TC800GLは光っていた。

このころのヤマハのカセットデッキの型番はTCから始まっていた。
それがKから始まる型番に変った。

その一号機がK1だったはずだ。
TC800GLからは様変りした。
類型的になったわけだが、それでもヤマハのオーディオ機器らしいパネルである。

目立つことはないし、地味な印象を持っていた。
それにヤマハのカセットデッキの最上級機であるのに、
十万円を切る価格は、優れた製品がほどほどの価格で買えるのはありがたいことなのに、
なんとなく中級機どまりの印象もあったりした。

ヤマハのセパレートアンプ、プリメインアンプはもっと価格帯が上であった。
メカニズム、録音アンプ、再生アンプなどから構成されるカセットデッキが、
これだけの価格ということは、どこかでうまくコストダウンしているに違いない──、
そんなことを思ったりもした。

そんな印象を勝手にもっていただけに、瀬川先生のリスニングルームにも、
菅野先生のリスニングルームにも、K1aかK1dがあることは、ちょっとした驚きだった。

Date: 7月 18th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その8)

ステレオサウンド 50号で、
瀬川先生の「ひろがり溶け合う響きを求めて 私とリスニングルーム」の連載が始まった。

瀬川先生の新しいリスニングルームは、ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌でも、
それからしばらくしてから誌面に登場するようになった。

FM fanのカラーグラビアもそのう一つだった。
穴が開くほど見た。

そこにヤマハのK1、カセットデッキがあった。
時期からすればK1aだったかもしれない。

K1かK1aなのか、写真だけでは判断できなかった。
ステレオサウンド 55号、ベストバイの特集で、
カセットデッキのMy Best3として、
テクニクス RS-M88(145,000円)、サンスイ SC-77(73,800円)、
ヤマハ K1a(98,000円)の三機種を挙げられていた。

ステレオサウンド 60号で、
「プロが明かす音づくりの秘訣」が始まった。
一回目は菅野先生で、菅野先生のリスニングルームのアンプ棚にも、
ヤマハのカセットデッキがある。K1dである。

K1aにdbxのノイズリダクションを搭載したモデルである。
60号、270ページに、K1dの写真があり、その下の説明文にはこう書いてある。
《このデッキで初めて録再した時は、ほんとにびっくりしたよ。(カセットとしては)とにかくノイズが少なかった》

菅野先生もヤマハのK1なのか、と思ったことを、いまも憶えている。
K1aもK1dも十万円をぎりぎり超えない。
この時代のカセットデッキとしては中級機ということになろうが、
いいデッキなんだろうなぁ、買うとしたらK1dだな、と思ったのは、
いまから三十八年前である。

Date: 7月 17th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、カセットテープのこと(その2)

手元に片方だけ先バラにした赤白ケーブルがあった。
先バラにした方をフォーンプラグにハンダ付け、
もう片方がRCAプラグで、
SB-F01のヘッドフォン端子用にミニフォンプラグ(2極で、RCAジャックがついてる)と接続。

五分ほどの工作でケーブルが完成して、カセットデッキのヘッドフォン端子とSB-F01を結ぶ。
どのくらいの音量が出るかといえば、それほど大きいわけではない。

ラジカセのほうが、ずっと大きな音量で鳴る、といえるだろう。
でも、もともとそういう音量で聴くスピーカーではないし、
それにたまたま見つけたケーブルを使ったため、少々短かった。

SB-F01はカセットデッキの天板に置いた。
左右いっぱいに広げたかったけれど、ケーブルが短くて、
左右のスピーカー間は20cmくらいである。

そういう間隔だから、音量を上げたいとは思わない。
音量は、様々なことに最適音量が決ってくるもので、
左右のスピーカーの狭くて、スピーカーのサイズも小さいとなると、
音量も自ずと上限は決ってくる。

レベルコントロールの位置は、ほほ中央。
これで充分と思えた。
もっと上げることはできる。
それはわかっているけれど、上げる必要を感じない。

こんなことをやっていて、そういえば、高校生だったころ、
同じようなことをやっていた、と思い出した。

その頃使っていたサンスイのAU-D907 Limitedの上に、
やはりSB-F01を置いていた。
ヘッドフォン端子にではなくスピーカー端子に接いでいた点は違うが、
近距離で音量を絞って聴いていた。

AU-D907 Limitedにはターンオーバー周波数切替えのトーンコントロールがあるから、
低音は150Hz、高音は6kHzにして、絞りきって鳴らしていた。

時には低音を300Hz、高音を3kHzにしては、やはり絞りきって鳴らしてもみた。
それにサブソニックフィルターも入れていた。
とにかくナロウレンジの音を楽しんでいた。

Date: 7月 16th, 2019
Cate: ロングラン(ロングライフ)

定番(その5のその後)

その5)で書いている友人Aさんの友人のCさんのこと。

奥さんに黙ってCL1000を購入。
奥さんが旅行で留守にしている隙に、
それまで使ってきたC1000をCL1000へと置き換える。

Cさんの計画通りに事は運んだ。
けれど数日後、奥さんが「どこか変えた?」と言ってきたそうである。

音がずいぶん良くなっているから、どこか変えたでしょう、とCさんに問いつめた。
そのくらい音が良くなって、Cさんも一瞬どきっとしたものの、なんとか切り抜けたそうである。

交換したことは一部認めたそうである。
計画は成功したとはいえ、こんなにも早くバレるくらいに、
音が良くなったことこそ、嬉しい誤算といえることなのだろう。

Date: 7月 16th, 2019
Cate: High Resolution

MQAのこと、カセットテープのこと(その1)

テクニクスのSB-F01というスピーカーが、ずっと以前にあった。
手のひらにのるサイズの、
ヘッドフォンのドライバーをアルミ製エンクロージュアに取り付けた、ともいえるスピーカーである。
それゆえヘッドフォン端子に接続して鳴らすこともできるようになっている。

高校生のとき、私も買った。
買った、という人はけっこういる、と思う。

私が買ったSB-F01は、いまでも実家にある、と思う。
いま私の手元にあるSB-F01は瀬川先生の遺品である。

とはいえ毎日鳴らしているわけでもなく、
ここ数年はまったく鳴らしていなかった。

ふと思いついた。
カセットデッキに、SB-F01を接いで鳴らしてみよう、と。

まずカセットデッキのライン出力をSB-F01に入れてみた。
SB-F01は入力を二つもち、ヘッドフォン端子からの信号を受ける場合用に、
インピーダンスを20Ωとした端子も用意されている。

どのくらいの音量が出るのかな、と試してみたら、
やっぱりダメだった。

CDプレーヤーならば2Vの出力をもつが、
カセットデッキは340mVで、インピーダンスもさほと低くない。

蚊の鳴くなような音量しかとれない。
部品箱を探したら、フォーンプラグが見つかったので、
今度はヘッドフォン端子に接続する。

今度は大丈夫である。

Date: 7月 15th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その7)

(その6)へのコメントが、facebookであった。
そこには、80年代末に、憧れのナカミチを手に入れることができた、とあった。

1980年代末、そのころカセットデッキが販売店でどういう扱いをされていたのか、
自分の目で確かめているわけではないが、
おそらく定価からかなり割引いて売られていたのであろう。

だからこそ、(その6)へのコメントであったはずだ。

コメントを読んでいて、私にとっての憧れのカセットデッキは? としばらく考えていた。
なかったなぁ、というのが正直なところである。

アナログプレーヤーであれば、EMTの930st、927Dst、トーレンスのReferenceがそうだった。
アンプにも、同じくらい憧れていたモノがいくつかあった。

学生だったころ、いつかはEMT、いつかはマークレビンソン、
そんなふうに憧れていた時代だった。

けれどカセットデッキとなると、
そういう強い憧れを持たずに、ここまできてしまった。

ルボックスのB710はいいなぁ、と思ったけれど、
930stに感じていた憧れと同じとはいえない。

カセットデッキに夢中になれなかったことを、改めて感じている。

ナカミチのデッキといえば、友人のAさんは、
ハタチ前後のころ、秋葉原にあった光陽電気でアルバイトをしていた。

彼は、ナカミチのDragonを、店でいちばん売った男である。
光陽電気内だけというよりも、全国的にみても、そうとうな数を売っていたみたいだ。

Aさんが商売上手だったからなわけではない、と思っている。
Aさん自身が、ナカミチのDragonに強い憧れを抱いていたからこその売上げだ、と思っている。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その16)

ステレオサウンド 74号掲載の記事は、
Celloを興したばかりのマーク・レヴィンソンへのインタヴューである。

ここには筆者名がない。
ほんとうは筆者名(オーディオ評論家)が入るはずだった。

マーク・レヴィンソンにインタヴューしたのは、その人であった。
記事をまとめて原稿を書いたのは、その人である。
けれど、記事には筆者名がないのは、
これも〆切りをすぎてあがってきたうえに、ひどい内容だったからだ。

書き直してもらう──、
その選択肢は時間的余裕がすでになくて無理だったし、
ここでも書き直してもらったからといって、よくなる可能性は低かった。

結局、どうしたかというと、私が書くこと、まとめなおすことになった。
筆者に渡していたテープ起しのワープロ原稿と録音したカセットテープとがある。

このテープ起しは、編集部で行ったのではなく、テープ起し専門の会社に依頼したものだった。
以前から、この会社に依頼していて、
担当もその都度かわるのではなく、専門用語が出てくることもあって、
同じ人がやってくれていたようだったが、それでもオーディオに関心のない人には、
荷が重い作業のはすだ。

テープを、今度は私が聞いてワープロで文字にしていった。
そのうえで新たに記事としてまとめたのが、74号に載っているものである。

この記事も私が担当ではない。
けれど時間が迫っていればそんなことはいってられない。

それに私が新たに書いたもののほうが、ずっと濃い内容になっている。
というか、なぜ、あそこまで薄い内容にまとめられたのかが、不思議なほどである。

ここまで読まれた人のなかには、
沢村とおる氏の名前は出していて、
74号の記事では、誰なのか書かないのか、と疑問に思われるかもしれない。

沢村とおる氏の場合は、不本意ながらそのまま原稿が記事になっているから、
記事に沢村とおる、とある。

けれどCelloの記事は、私の原稿だから、
編集部原稿となってしまったから、筆者名はない。
だから、ここでの誰なのかは書かないだけである。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド

編集者の悪意とは(その15)

いまになって、三十年も前のことを、
具体的に書く必要があるのか、と疑問に思う人もいていい。

沢村とおる氏をダメな書き手と思われる人もいるだろうし、
私に批判的な人もいよう。

この項を読まれて、どう思われるのか。それは読み手の自由であって、
私は、編集者の悪意とは何か、について考えてもらいたいだけである。

沢村とおる氏の原稿を、担当者から「なんとかしてくれ」と渡されるまで、
こんな記事があったのを知らなかった。

アンケートの項目についても、どうも沢村とおる氏にまかせっきりだったようだ。
ステレオサウンドは70号の管球式アンプの特集でも、
国内外の管球アンプのメーカーにアンケートを送っている。

そこでの質問は、すべて編集部で話しあいながら決めたものだった。
私が出した質問も、二、三採用された。

こんな原稿になったのは、沢村とおる氏だけの責任ではない、とも思う。
それでも〆切りをすぎて、この程度の原稿である。
書き直してもらう時間も、書き直してならったからといって、よくなる保証はない。

せめてメーカーからアンケートへの回答が手元にあれば、まだどうにかできた可能性はあったが、
それすらない。
あるのは〆切りをすぎた程度の低い原稿のみである。

同じことは別の筆者でも、以前にあった。
74号(1985年春号)掲載の、
「Cello by Mark Levinson ミュージックレストアラー〝オーディオパレット〟登場」
がそうである。