Archive for category テーマ

Date: 5月 17th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるベートーヴェン 交響曲全集(その5)

CDであろうと、ファイル配信であろうと、
クリュイタンスのベートーヴェン全集が売れているのは、嬉しいことである。

嬉しいのは確かなんだけれども、
MQAで聴いていると、以前との印象に違いあるような気がしてならない。

昔聴いたのは、随分前だし、四番と八番を聴いているだけだ。
今回はすべて聴いている。
システムも違っている。

違っているところが多すぎるうえに、
記憶のうえでの比較なのだからあてにならない、と自分でも思うのだが、
MQAで聴くクリュイタンスのベートーヴェンは、思っていた以上に聴き応えがある。

昔聴いた印象では、なぜベルリンフィルハーモニーが、
カラヤンではなくクリュイタンスを、初の全集録音の指揮者に指名したのか。
その理由が、聴いているだけでは掴めなかった。

今回聴いて、はっりきと掴めた、とまではいわないが、
わかるような気はしてくる。

昔とは、リマスターされているかどうかの違いが大きいのか。
別項で書いたカルロス・クライバーのシューベルトもそうなのだが、
MQAだと、音がいいとか、いままで聴きとれなかった音が聴こえるとか、
そういうことではなくて、音楽の表情が豊かになる。

ここは、こんな表情をしていたのか、という発見が、
さんざん聴いたレコードなのに、ある。

クリュイタンスのベートーヴェンに関しては、CDボックスを買ってきて、
極力試聴条件を等しくして聴いてみれば、もっとはっきりとしたことがいえるようになるはず。

それをやるのもいいけれど、いまはもっともっとMQAで、
ベートーヴェンを聴いていくほうを優先したい。

Date: 5月 17th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるベートーヴェン 交響曲全集(その4)

e-onkyoで購入できるクリュイタンス/ベルリンフィルハーモニーによるベートーヴェンは、
2,306円である。交響曲と序曲あわせて、この値段である。

十分安いわけだが、
これがCDで輸入盤で発売されているのだが、こちらはさらに安く千数百円で買える。
CDは、もちろん44.1kHz、16ビット。

e-onkyoでは、flac、MQAともに96kHz、24ビットである。
なので価格差があってもいいのだけど、
どちらを買う人が多いのだろうか、とふと思う。

クリュイタンスとベルリンフィルハーモニーによるベートーヴェンは、
いつかはすべて聴きたい、と思っていた。

メリディアンの218があるから、迷うことなMQAを購入したが、
218がなければ、満足のいくMQAの再生環境がなければ、CDを迷うことなく買っていたはずだ。

千円ちょっとなのだから、買う。
いずれMQAの再生環境が整ったら、その時にMQAを買えばいい。
配信では廃盤(配信中止)ということは、あまりないことだろうから、それでいい。

こんなふうに考える人はいるはずだ。

それにしてもCDの価格は、いったいどうなっているのか。
以前も書いているが、安いをこえて安すぎる、と思うことがしばしばある。

クリュイタンスのベートーヴェンは五枚組。
今回のCDは、20117年に発売されたCDボックスと同じマスターが使われている。
96kHz、24ビットである。

おそらくe-onkyoでの配信も同じマスターであろう。
だとすれば、CDのほうがコストはかかっている。

プレスしてパッケージして出荷するわけだし、
それが輸入され、日本の店頭に並ぶのだから。

クリュイタンスのベートーヴェンは、
e-onkyoでのアルバム ランキングで、最近でこそ落ちてきたものの、
ずっとかなり上位だった。

CDボックスも売れていたのだろうか。
そんな気がする。

Date: 5月 17th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(常識の消失)

スーパーの精肉売場に行くと、
「豚肉はしっかりと火を通してください」という注意書きがある。
一つの店ではなく、何箇所かでみかけた。

豚肉はしっかり火を通す、というのは、昔からよくいわれていた。
いわば常識である。

けれど、その常識中の常識といえるこのことであっても、
常識すぎる、と思って、誰もいわなくなると、いつのまにか知らない人たちが出てきてしまうのか。

スーパーの注意書きは、つい最近になってみかけるようになった。
豚肉に関する常識を知らない人が増えてきたからなのだろうか。

周りに、豚肉はしっかりと火を通してから、ということをいってくれる人がいなければ、
知る機会もほとんどないのだろう。

つい常識だから、と思ってしまうことが、オーディオにあるはずだ。
でも、こちらにとっては当り前すぎる常識という認識があるから、
相手が、その常識を知っているものと、つい思ってしまいがちになる──、かもしれない。

そうやっていくつものオーディオの常識が、すでに忘れられつつあるのかもしれない。

そんな常識なんて、オーディオには要らない、という人もいるかもしれない。
でも、SNSを眺めていると、必要な常識と不必要な常識とがあることに気づかされる。

どちらにしろ、オーディオの常識は消失しつつあるようだ。

Date: 5月 17th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その19)

コロナ禍によって、次々とオーディオショウが中止になっている。
ショウ雑感というテーマなのに、今年はコロナ禍雑感になってしまっている。

先日、facebookの投稿で知ったのだが、
JELCO 市川宝石株式会社が、4月から休業しているだけでなく、
どうも廃業するようだ、とのことだった。

海外のオーディオ関係のサイト、What Hi-Fi?では、
五日ほど前に記事になっている。

JELCOのサイトは、こうなっている。
     *
新型コロナウイルス感染拡大の影響により、JELCO製品の受注は在庫限りとさせていただきます。また、当分の間生産を見合わせ製造ラインを休業致します。ユーザーの皆様・関係者の皆様におかれましては、ご不便をお掛けいたしますが、ご理解賜りますよう宜しくお願いいたします。
     *
廃業なのかどうかは、いまのところはっきりしない。
けれど休業がしばらく続くのは事実である。

What Hi-Fi?の記事にもあるように、
ラックスのアナログプレーヤーに搭載されいてるトーンアームは、JELCO製だし、
OEMがメインのメーカーなのだから、単にJELCOブランドの製品がなくなるだけではすまないはず。

Date: 5月 16th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その14)

インターネット以前の、互いの音を聴くという行為は、
自分の音をみつめなおすことであった。

そこには、自分の音を認めてほしい、という気持もあったはずだが、
一部の人の、いまほどには大きくなかったのではないか。
それをインターネットが肥大させてしまった。

肥大だけではなく、目覚めさせてしまったところもあるように思える。

オーディオは外に持ち出せるわけではない。
高価なクルマ、時計、バッグなどは外に持ち出せる。
不特定多数の人の目にふれる。
見せびらかすつもりがなくても、そうすることができる。

オーディオは、それは無理だった。
誰かにリスニングルームに来てもらってこそのところがあった。

いまもそのことはまったく変らないけれど、
オーディオ雑誌に掲載されることなく、多くの人の目にふれるようになった。

アクセス数の多い個人サイトをやっている人に来てもらえば、
ほぼ必ずオフ会の様子が公開される。

世間に広く知らしめてほしい、という欲求がある人にとっては、
インターネットはまさしく、その願いをかなえてくれる。

ひどい音であったとしても、ひどい音でした、と書く人は、ほとんどいない。
それは礼儀といえるのか。

五味先生はステレオサウンドの「オーディオ巡礼」で、
ひどい音の場合、一刀両断といえるほどの斬りかたをされる。

それは五味先生ほどの人だからできる、ということではなく、
五味先生自身、斬りかえされることを覚悟してのことだから、と思う。

悪くいった相手から斬りかえされることよりも、
そうでないところからの斬り返しはある──、
そう思っていた方がいい。

Date: 5月 16th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その13)

まったくよさのない音は、ないのかもしれない。
だからAさんによるBさんの音についての表現は、まったくの創作というわけではない。

それにしても、僅かな美点をそうとうにふくらませての表現であり、
そうでないところにはまったくふれていない。

これはいったい何になるのか。
Bさんにとって励みになるのか、といえばそうだろう。
自分のやってきた音は間違っていないどころか、正しかったとすら思うはずだ。
誇らしげに思っても不思議ではない。

AさんとBさんは親しい関係だ。
BさんはAさんを、人生の先輩、オーディオの先輩として尊敬しているところもある。
それはけっこうなことではあるが、
BさんはAさんの本音を知らないままだ。

知らないまま、その道をつきすすむ。
その結果の音を私は聴いて、絶句した。
それは別項で書いている「間違っている音」であった。

オーディオは自分自身の世界に閉じこもろうとすれば、どこまで閉じこもれるものかもしれない。
だから、昔から人に聴いてもらえ、とか、人の音を聴け、的なことがいわれている。

否定はしない。
しないけれど、そのことはインターネットの登場・普及によって変質してしまった。

以前ならば、聴きにいったり聴きに来てもらったりしたことは、
その二人のあいだのことに留まっていただろう。

それが不特定多数の人に向けて発信できるようになった。
そうなることで変ってしまった。

Date: 5月 16th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その12)

ある人(Aさんとしておこう)が、ある人(Bさん)のところに行った。
ずいぶん前のことだ。

もちろん二人ともオーディオマニアで、そのころはどちらも自分のサイトを持っていた。
Aさんが、Bさんの音について、自身のサイトで、オフ会の様子を公開した。
ずいぶん褒めているな、と感じた。

Aさん、Bさんとも知人だった。
どちらの音も聴いている。
だからBさんの音を、Aさんは、こんなふうに評価するのか、と不思議に思った。

それからしばらくしてAさんと話すことがあった。
Aさんいわく「 Bさんの音、あれじゃダメだね」と。

サイトで公開したこととずいぶん違うじゃないか、とはいわなかった。
Bさんの音は、確かに、そういう面を多分にもっているからなのだが、
それにしても、この人(Aさん)は、彼のサイトを読んでいる人に対して、
どういう気持で、オフ会のこと、Bさんの音について書いたのだろうか。

親しき仲にも礼儀あり、ということなのかもしれない。
いくらひどいと感じても、そのまま相手に伝えたり、
サイトで、その音について書いたりするのは憚りがある──、と考えてのことだろうか。

ならば黙っておけばいいじゃないか、と私は思う。
社交辞令的な美辞麗句を、自身のサイトで公開する。

Aさんの、その文章をとうぜんだがBさんも読む。
Bさんは嬉しく思ったはずだ。

Bさんを直接知らない、Bさんの音を聴いたことのない、
Aさんのサイトを読んだ人は、Bさんの音は、なるほど素晴らしいのか、と思う。

それは読み手の勘違いではなく、書き手がそう書いているからだ。

これは私が知っている一例なのたが、
ほんとうに一例にすぎないのだろうか。

Date: 5月 16th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その11)

5月19日発売のステレオの特集は「巣ごもりオーディオ」とのこと。
こういう状況下ゆえの特集と考えていいだろう。

とはいえオーディオという趣味は、本来巣ごもりではないか、とも思うから、
あえて巣ごもりとつけなくてもいいのだが、
インターネットの登場・普及、SNSの登場・普及によって、
そのあたりも変化してきたとも感じているから、巣ごもりとつけるのもわかる。

それから、いまではインターネットのおかげで、家から一歩も出ずとも、
いろんなモノを買えるし、商品が届く。

たしかに巣ごもりな面は強化されつつある。

インターネットが普及し、個人のオーディオサイトがいくつも登場したころから、
オフ会が、オーディオという趣味の世界でも活発になっていった。

それ以前も、親しいオーディオマニア同士で、互いの音を聴きにいくことはあった。
それがインターネットによって、一気に拡大してしまった。

あのころ(二十年くらい前になるか)は、
オーディオのオフ会花盛り、といえた。

オフ会をやった、オフ会に行った、素晴らしい音だった──、
そんなことがあふれていた。

読んでいると、こんなにも素晴らしい音が世の中にあふれているのか、と疑いたくなる。
社交辞令なのか、それとも本音だったのかは読んだだけではなんともいえないが、
もしかすると書いている本人も、そのへんのところが曖昧になっていたのかもしれない。

オフ会自慢、どれだけ多くのオフ会に参加したのかを自慢気に語る人もいた。

いまはこういう状況下だけに、オフ会も自粛気味らしい。
寂しがる人もいるようだが、むしろいいことだ、と思う。

Date: 5月 16th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その10)

瀬川先生は、若い書き手を育てよう、
もっといえば鍛えようとされていた──、
私はそう思っている。

くり返すが、後継者を育てようという意識はなかった、とも思っている。

そのうえで、鍛えた若い書き手から、
なにかを吸収しようとさえおもわれていたのではないか、そんなことすらおもっている。

ほんとうのところは、もうわからない。
瀬川先生と親しかった人にきいたところで、わかることでもない。

私の勝手な思い込みにすぎないのかもしれないが、
それでも、はっきりといえることは、
瀬川冬樹の後継者になりたい、とすること、
そんなことをおもった時点で、もう絶対に後継者たり得ることはない、ということだ。

瀬川先生がいて、瀬川先生に鍛えられた若い書き手がいて、
互いに触発されることがあってこその、オーディオ評論なのだ、と考える。

けれど瀬川先生は、もういない。
鍛えられた若い書き手も、いない。

Date: 5月 15th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その9)

オーディオ評論という仕事は、ほんらいプロフェッショナルであるだけでなく、
ひじょうにパーソナルなものなのかもしれない。

パーソナルなものであることを切り離してのオーディオ評論は存在しないのかもしれない。
パーソナルなんてものはいらない、
プロフェッショナルであれば、それで十分という読者もいることだろう。

けれど、いまのオーディオ評論家で、どれだけプロフェッショナルといえる人がいるのか。

別項「皆川達夫氏のこと」で、
サプリーム No.144掲載の「瀬川冬樹氏のための〝ラクリメ〟」を掲載した。

そこに《そうした表情のわたくしに、あなたは半分いたずらっぽく半分は照れながら、「これはあまり大きい声では言えませんが、オーディオの専門家だからといって誰にでも出来るというものではないんですよ」と、心に秘めた自信のほどを冗談めかしに垣間見せてくださったのも、今ではなつかしく、そして悲しい思い出になりました》
とある。

そうだろう、とおもう。
オーディオの使いこなしでプロフェッショナルといえる人は、ほんとうに少ない。
ケーブルを替えたり、いろんなアクセサリーを使うのが、オーディオの使いこなしではない。

いまオーディオ評論家を自称している人たちすべてに会ったことがあるわけではない。
けれど会ったことのある人の使いこなしの実力(というか程度)は知っている、
会ったことのない人でも書いていることを読んでいると、なんとなくは掴めるところがある。

使いこなしでプロフェッショナルといえる人は、もういない。
使いこなしでプロフェッショナルでない人が、
はたしてきちんとオーディオ機器を、その実力を聴くことができるのか。

このことについて書いていると、長くなって逸れてしまうので、このへんにしておくが、
プロフェッショナルでもない、パーソナルなものではない仕事として、
オーディオ評論をやっている人ばかりのようにしか思えない。

瀬川先生は後継者を育てようとは考えていなかった──、
私はそう思っている。

若手の書き手を育てようとはされていただろう。
だからといって、育てようとしていた人たちを後継者だと考えていたのかは、違うことだろう。

それに後継者を育てようと考えた時点で、
その人はそこで終ってしまうのではないのか。

Date: 5月 15th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その18)

誰のためのオーディオショウなのか。
コロナ禍でいくつものオーディオショウが中止になっている。
これから先、さらに中止になる可能性もあるだけに、
この機会に、きちんと考えてみるのもいいのではないだろうか。

オーディオマニアのため、なのか。
私の周りの熱心なオーディオマニアは、行く人もいればまったく行かない人もいる。

私はずっと行かなかった時期がある。十年くらいまったく行かなかった。
行けば楽しい、とは思っている。

それでも、一昨年あたりから、そろそろ行くのをよそうかな、と思い始めてもいる。
天気が悪かったりすると、今日はやめた、と思う。

どうしてなのか、と考える。
熱気が薄れてきているような感じを、毎年、少しずつ感じている。

出展社のスタッフによるプレゼンテーションでも、
熱いおもいが伝わってこない、と感じることが増えてきた。

仕事だから、やっています──、
そんな人が増えてきているように感じているのは私だけなのか。

話していることも、
オーディオ関係のウェブサイトや雑誌で読んだことのくり返しばかりだと、
音を聴く前に、もういいや、という気持がいっぱいになる。

きちんとやっているところ、
なにかが伝わってくるところはある。

でも、そうでないところのほうが、いまでは多いのではないのか。

こんなふうに考えていると、
オーディオショウは、出展社のため、とも思えなくなってくる。
となると、オーディオ評論家のためなのか。

Date: 5月 15th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その17)

10月17日、18日に開催予定だった真空管オーディオフェアも、中止になった。
ぎりぎりまでのばさずに、この早い時期での中止の決定はなかなかできることではないと思う。

オーディオショウは東京ではいくつか開催されている。
けれど、そのすべてに行く、という人はあまりいないように思う。

私はすべてのオーディオショウに行っているわけではない。
真空管オーディオフェアには、まだ行ったことがない。

OTOTEN、インターナショナルオーディオショウのような規模ではないが、
かなり多くの人が来場すると、行ったことのある友人からきいている。

真空管オーディオフェアだけに行くという人も、きっといるはずだ。
OTOTEN、インターナショナルオーディオショウとはかなり趣が異るだろうから。

11月開催のインターナショナルオーディオショウが、どうなるのか、
いつごろ決定になるのか、私はまったく知らない。

ぎりぎりまでのばしたほうがいいのか、それとも早めに決断したほうがいいのか。
その判断もむずかしいところなのだろう。

誰もいわないだろうが、出展社の本音はどうなのだろうか。
毎年出展しているところでも、二年に一度くらいでいい、とか、
毎年出展しても……、と思っているところがあるのかないのか……。

出展にはお金がかかる。
オーディオフェアのころに比べれば、その予算は少なくてすんでいるだろうが、
それでも負担と感じている出展社がいない、といいきれるだろうか。

インターナショナルオーディオショウの初日に行くと毎回感じていることがある。
オーディオ業界にずっといる人たちの同窓会のような雰囲気が、初日は特に強く感じる。

気づけば、一人欠け、二人欠け……、といつかはなっていく。
そう遠い日のことではないはずだ。

Date: 5月 15th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQA-CDのこと(その11)

カルロス・クライバーのMQA-CDは、ベートーヴェンの第五番と七番のカップリング、
シューベルトの第三番と八番のカップリングの二枚がある。

どちらもアナログディスクでもCDでも、くり返し聴いてきた。
どちらもおすすめなのだが、
特にシューベルトは、こんなにすごかったのか、と認識を改めるほどである。

MQA-CDは、2.8MHzのDSDマスターを352.8kHz、24ビットのMQAに変換したものだ。
e-onkyoでも、クライバーのベートーヴェン、シューベルトともに配信されている。
こちらは96kHz、24ビットである。

単純に考えれば、MQA-CDのほうがいい、ということになる。
けれどここで考えたいのは、e-onkyoで配信されている音源は、
MQA-CDとは違うプロセスを経ているかもしれない、ということだ。

つまりアナログ録音を一度DSDにして、さらにPCM変換して、というプロセスではないはずだ。
e-onkyoのどこにも詳細な情報はないから推測にすぎないが、
おそらくe-onkyoの音源は、アナログ録音をPCM(96kHz、24ビット)に変換したものだ。

MQA-CDはアナログ録音→DSD(2.8MHZ)→PCM(352.8kHz、24ビット)→MQA、
e-onkyoの音源はアナログ録音→PCM(96kHz、24ビット)→MQA、
確証はないが、こうだと思っている。

もう一つ違いがあって、MQA-CDはMQA Studio、e-onkyoはMQAである。
メリディアンの218はフロントパネルの右端のMQAのLEDが、
青色のときはMQA Studioで、緑色のときはMQAである。

この違いはさほど気にすることはないが、
変換プロセスの違いは、少なからぬ音の違いになっているであろう。

クライバーに限らず、ユニバーサルミュージックのMQA-CDで、
DSDからのMQA化のものに関しても、同じことがいえるはずだし、
そのなかで私にとってクライバーのシューベルトはe-onkyoでも買うことになりそうだ。

Date: 5月 14th, 2020
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(プリメインアンプの場合・追補)

ヤマハのアンプのラインナップから、
プリメインアンプの本格的なモデルが製造中止になっている、と(その2)で書いた。

A-S2100は2014年の登場だから、そろそろ新製品が出るのか、
コロナ禍で中止になったが6月にはOTOTENだったのだから、
それにあわせて新製品が出るのかもしれない──、そう思ってもいた。

今日(5月14日)、やはり新製品が発表になった。
A-S3200、A-S2200、A-S1200の三機種である。

六年経っているわけだから、
A-S2100よりもA-S2200はよくなっているはずだ。

そうだとして、今回のA-S2100の選択は失敗だったか、というと、
むしろ逆だと思っている。

ヤマハのウェブサイトをみてもらうとわかるが、
A-S2100は250,000円(税抜き)だったのが、A-S2200は350,000円になっている。
A-S1200が240,000円で、最上機種のA-S3200は640,000円となっている。

けっこうな価格の違いがあるのをどう判断するのかは、
音を聴いてみないことには何もいえない。

新製品だと、今回のような値段では買えなかった。
A-S1200でも予算オーバーとなる。

いいタイミングでの買物だった、と結果的に思っている。

Date: 5月 13th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その2)

池田圭氏の「盤塵集」に、こんなことが書いてある。
     *
このところ、アンプの方ではCR結合回路の全盛時代である。結合トランスとかリアクター・チョークなどは、振り返っても見られなくなった。けれども、測定上の周波数特性とかひずみ率などの問題よりも音の味を大切にする者にとっては、Lの魅力は絶大である。
 たとえば、テレコ・アンプのライン出力がCR結合アウトの場合、そこへ試みにLをパラってみると、よく判る。ただ、それだけのことで音は落着き、プロ用のテレコの悠揚迫らざる音になる。
     *
ここではテープデッキの出力となっているが、
CDプレーヤー、チューナー、コントロールアンプの出力の場合もだ。

その出力にライントランスの一次側だけを並列に接続する。
二次側は開放のままである。

「盤塵集」を読んで数年後に試したことがある。
タムラのライントランスで、一次側が20kΩ、二次側が600Ωの仕様だった。

たしかに池田圭氏の書かれているとおりの音になる。
音の静けさも変化してくる。

タムラのトランスは、別のことに使うことになり、取り外したが、
また追試してみよう、とは思っている。

なぜ、そのように音は変化するのか。
トランスは一次側の巻線を信号経路に並列にするだけである。

あれこれ、その理由を考えた時期がある。
結局、これも直流域での抵抗が低さが効いているのではないだろうか。

一次側が20kΩだと、直流抵抗はそれほど低くはない。
それでもアンプのライン入力インピーダンスの一般的な値よりはずっと低くなる。

そういえば池田圭氏は、なるべく太い巻線のトランスのほうが、より効果的とも書かれていた。
つまりは直流抵抗がより低いトランスのほうが、ということでもある。