日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その10)
瀬川先生は、若い書き手を育てよう、
もっといえば鍛えようとされていた──、
私はそう思っている。
くり返すが、後継者を育てようという意識はなかった、とも思っている。
そのうえで、鍛えた若い書き手から、
なにかを吸収しようとさえおもわれていたのではないか、そんなことすらおもっている。
ほんとうのところは、もうわからない。
瀬川先生と親しかった人にきいたところで、わかることでもない。
私の勝手な思い込みにすぎないのかもしれないが、
それでも、はっきりといえることは、
瀬川冬樹の後継者になりたい、とすること、
そんなことをおもった時点で、もう絶対に後継者たり得ることはない、ということだ。
瀬川先生がいて、瀬川先生に鍛えられた若い書き手がいて、
互いに触発されることがあってこその、オーディオ評論なのだ、と考える。
けれど瀬川先生は、もういない。
鍛えられた若い書き手も、いない。