Archive for category テーマ

Date: 11月 1st, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その11)

組織の新陳代謝なんてことをいいながら、
新しい人をいれたところで、その人が、いわゆる替えの利く人であったならば、
新陳代謝なんてことは、期待しない方がいい。

替えの利かない〝有能〟な人をいれてこそ、新陳代謝は起こっていくもののはずだ。
けれど、替えの利かない〝有能〟な人は、そうそういるわけではない。

それにそういう人は、いつかふらっといなくなることだって、十分ある。

組織の維持のためには、替えの利く〝有能〟な人を集めた方がいいんだろう。
会社の経営者ならば、そう考えても不思議ではない。

もちろん替えの利かない〝有能〟な人と替えの利く〝有能〟な人、
どちらも雇えれば、それに越したことはないが、そうそううまくいくものではない。

替えの利かない〝有能〟な人だと思って雇ってみれば、
替えの利く〝有能〟な人だってこともあるし、
替えの利かない〝無能〟な人ということもあるだろう。

人を入れ替えただけでは、組織の新陳代謝は起こらない。
起らないから、老いていくだけなのだろう。

Date: 10月 31st, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その10)

菅野先生からこんな話をきいたことがある。
まだステレオサウンドにつとめている時だったから、30年以上前になる。

あるオーディオメーカーが、従来の音から脱却するため、
ブランド・イメージを一新するために、
このメーカーとは異る音を実現しているメーカーから優秀な技術者を引き抜いてきた。

ただ引き抜いてきただけでは、不十分だということで、
設計・開発だけでなく、部品の調達から製造ラインに関しても、
この人にかなりのところまでまかせた、とのこと。

にも関らず実際に出来上ってきたオーディオ機器は、
そのメーカーがそれまでつくってきた製品と同じ音のイメージで、
わざわざ引き抜いてきた技術者が以前在籍していたメーカーの音は、そこにはなかったそうだ。

頭で考えるならば、これだけやれば、そのメーカーの音というよりも、
その技術者が在籍していた以前のメーカーの音になるはず、である。

なのに、結果はそうではなかった。
繰り返すが、これはたとえ話ではなく、実際に、日本のメーカーで起ったことである。

なぜ、そうなったのかは、誰にもわからないのだろう。
結局は、組織の音を、その優秀な技術者(個人)は崩せなかった、ということ。

組織と個人では、つねにそういう結果になってしまうのだろうか。

二年ほど前に、別項でこんなことを書いている。
 ①替えの利かない〝有能〟
 ②替えの利く〝有能〟
 ③替えの利かない〝無能〟
 ④替えの利く〝無能〟

「左ききのエレン」というマンガに出ていた、会社員の分類だった。

菅野先生の話に出てきた他社の優秀な技術者は、替えの利く〝有能〟な人だったのではないのか。
替えの利かない〝有能〟な人だったならば、その会社の音は変ったのか。

菅野先生の話をきいた時には考えなかったことなのだが、
優秀な技術者が引き抜かれた会社の音は、その後、どうなったのだろうか。
おそらく変化しなかったはずだ。

オーディオ雑誌の編集者も同じだろう。

Date: 10月 31st, 2020
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

総テストという試聴のこと(その4)

別項で、「老いとオーディオ(とステレオサウンド)」を書いている。
書き手の年齢も読み手の年齢も、高くなっていくだけである。

若い書き手、若い読み手がそうとうに増えないかぎり、毎年、高齢化していくだけである。

読み手も高齢化しているのだから、書き手も高齢化していっても、特に問題はない──、
そう考えることもできる。
ステレオサウンドという雑誌自体も、高齢化しているのだから、
高齢化は受け入れるしかない。

書き手の高齢化は、総テストという、
ステレオサウンドの特徴の一つであった試聴のやり方をなくしていく。

試聴なんて、音を聴くだけだから、ラクだろう、と捉えている人が、
意外に多いのに、ステレオサウンドにいたころも、辞めてからでも、
少なくないことに驚くやら呆れるやら、といったことがある。

試聴は、体力勝負の面が強い。
以前のステレオサウンドがやっていた総テストは、
オーディオ評論家も編集者も、まだ若かったからやれた企画(特集)である。

これからのステレオサウンドの誌上で、
総テスト、総試聴という言葉が使われることはあるだろう。
でも、以前の総テスト、総試聴とは、そこに登場してくる機器の数が違う。
明らかに減っていることだろう。

若くて60前後、70代、80代の人に、昔のような数の総テストを依頼したところで、
ことわられるに決っている。
それはしかたない。

けれど、総テストをやらなくなったことで、どういうことが起るのか。
もう若い書き手は登場してこないのだから、そんなこと心配しても無意味なのかもしれないが、
総テストを経てきたことで、鍛えられるわけだ。

それがなくなってしまう。

Date: 10月 30th, 2020
Cate: オーディオ評論

二つの記事にみるオーディオ評論家の変遷(その1)

ステレオサウンド 94号、150ページに、こうある。
《よくコアキシャルは定位がいいとはいうが、それは設計図から想像したまぼろしだとぼくは思う。》

いま書店に並んでいる管球王国Vol.98に、
「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」という記事が載っている。

94号(1990年春)で、コアキシャルが定位がいいというのはまぼろしだ、と書いた人が、
30年後、「魅惑の音像定位」という記事を執筆している。

節操がない、とは批判しない。
30年も経てば、人は変る。
考えも、いろんな意味で変ってくる。

だからこそ、なぜ変ったのかを、オーディオ評論家ならばきちんと説明してほしい。

「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」は、まだ読んでいない。
30年前に、真逆のことを主張していた人が、なぜ、管球王国の記事を担当したのか。
そして、おそらく記事中では、同軸型スピーカーの定位のよさにふれているはず。

定位がいいのは、まぼろし、とまで書いた人が、真逆のことを認めるようになったのには、
いったい何があったのか。

執筆者の傅 信幸氏は、書かれているのか。
94号のことを憶えていない人は、
「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」をすんなり読むだけだろう。

でも、中には、私と同じように94号のことをしっかりと記憶している人もいる。
その人たちは、なぜ? とおもう。

その「なぜ?」に答えるのが、オーディオ評論家のはずだ、という時代は過ぎ去っていて、
いまでは答えないのが、オーディオ評論家なのだろう。

Date: 10月 30th, 2020
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その3)

カザルス指揮によるモーツァルトの後期交響曲六曲で、
20代のころ、いちばん聴いていたのは、ト短調(40番)だった。

ハ長調(41番)は、なぜだか、まったくといいほど聴かなかった。
カザルスの演奏が──、というよりも、
「ジュピター」のニックネームで呼ばれている、この交響曲を、
当時の私は、意識的に遠ざけていた。

いま思うと、なぜなんだろう? と自分でもなぞでしかないのだが、
ほかの指揮者でも「ジュピター」を聴くことは、ほとんどなかった。

40近くなったころに、なにかのきっかけで「ジュピター」を聴いた。
聴いていて、20代のころ、聴く機会はけっこうあったにもかかわらず避けてきた、
その理由をおもいだそうとしたけれど、何もなかった。

それでも、もっと早く聴いておけばよかった──、と思ったわけではない。
まったく聴いていなかったわけではないし、
カザルスの「ジュピター」も、数えるほどでしかないが、聴いていた。

とはいえ、記憶のなかで鳴り響くカザルスのモーツァルトは、ト短調ばかりだった。
カザルスの「ジュピター」は……、と思い出そうとしても、朧げだった。

カザルスの「ジュピター」は、熱かった。
こうなると、カザルスの「ジュピター」ばかり聴く日が、しばらく続いた。

不思議なもので、それでも、もっと早く聴いていれば、
そのよさがわかっていれば、といったことはおもわなかった。

いま聴いて、素晴らしいと思える──、
そのことに、音楽を聴く喜びを感じられれば、それでいいのだと。

Date: 10月 29th, 2020
Cate: audio wednesday

第117回audio wednesdayのお知らせ(Bird 100)

11月4日のaudio wednesdayのテーマは、
チャーリー・パーカー生誕100年だから、Bird 100である。

すでに何度か告知しているように、
チャーリー・パーカーを中心に、
ビリー・ホリディ、チェット・ベイカー、バド・パウエルなどもかける。

クラシックでは、サンソン・フランソワのショパンもかける。

どこか不健康な選曲になっていく。
だから、11月4日の最後にかける曲は、
チャーリー・パーカーとも、その他の人たちとも無関係の一曲をかけるつもりでいる。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 10月 29th, 2020
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(カザルスを聴いておもうこと)

今年は、コロナ禍が始まった春から、
カザルスの演奏をよく聴くようになった。

チェリストとしてのカザルスも聴いた。
指揮者としてのカザルスは、もっと聴いている。

カザルスのモーツァルトにしてもベートーヴェンの交響曲にしても、
燃焼するとは、こういうことなのか、と思わざるをえない。

燃焼こそ純度だ、と思いたくなる。

Date: 10月 28th, 2020
Cate: High Resolution

High Resolution to Higher Resolution(複雑化?・その2)

1982年10月に、CDとCDプレーヤーが登場した。
新しいプログラムソースの登場であった。

CDに興味を持った人もいれば、そうでなかった人もいる。
興味をもった人は、CDプレーヤーを買ってくれば、
それまでのシステムに導入できた。

デジタルだから、といって、小難しい設定に取り組む必要はなかった。
CDプレーヤーのライン出力を、
コントロールアンプ、プリメインアンプのライン入力に接続するだけで、
とにかくCDの音を聴くことができた。

その世代は、デジタルの導入の簡単さを実感したはずだ。
もちろんCDから、望む音を再生できるようになるには、
それだけですむわけがないのだが、それでも導入ということに関しては、
何も難しいことはなかった。

SACDが1999年に登場したときも、そのことに関しては同じだった。
SACD対応プレーヤーを買ってくれば、導入に関しては簡単だった。

いまハイレゾリューションがあたりまえのようになってきつつある。
そのための再生手段として、PCオーディオ、ネットワークオーディオなどについて、
オーディオ雑誌で記事が組まれている。

ハイレゾリューション再生も、いうまでもなくデジタルである。
けれど、CD、SACD登場のときのように、導入が簡単か、というと、
そうではないようだ、と感じている人はいる。

デジタルなのに……、というおもいがあるように感じている。
導入は簡単ですよ、という人もいるだろうが、
けっこう高いハードルと感じている人もいる。

それに選択肢が、いろいろありすぎる、と感じている人もいるはず。

私がMQAを高く評価し、MQAのエヴァンジェリストを自認するようになった理由は、
導入の簡単さが、まずあるからだ。

別項でメリディアンのULTRA DACを初めて聴いた時のことを書いている。
こんなに簡単に再生できるのか、と拍子抜けするほどであった。

Date: 10月 26th, 2020
Cate: ちいさな結論

ちいさな結論(44年を経て)

いまぐらいの季節になると、思い出すのは44年前のことだ。
「五味オーディオ教室」と出逢ったときのことだ。

書店で出逢ったわけではなかった。
田舎町のスーパーのなかに、小さな書籍コーナーがあった。
そこに「五味オーディオ教室」があった。

一冊だけあった。
手にして、パラパラとページをめくって、買っていた。
これだ! とおもった日のことだから、いまもはっきりと憶えている。

その日の記憶が鮮明のままだから、
44年が、つい最近のように感じられることもある。

けれど、44年は確実に経っている。
傍からみれば、道を踏み外したヤツ、ということになる。

そうだろうな、と自分でもおもうことはある。
母は、教師になってほしかった、といっていた。
父が中学で英語を教えていたから、
それまでは中学の理科の先生になりたい、とおもっていた。

「五味オーディオ教室」と出逢って、道を踏み外したのだろうか、
それとも、やっと途を見つけたのだろうか。
どちらなのかはわからないものだろう。

「五味オーディオ教室」からの44年。
いろいろあった。

「五味オーディオ教室」から得たものは、
オーディオの力を信じることだ。

オーディオの力を信じているから出せる音がある。

Date: 10月 24th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その13)

いま使っているiPhoneは、8である。
なので三年近く使っている。

大きな不満はないし、ディスプレイも、まだ割ったことはない。
このままあと一年くらい使い続けようか、と思うのだが、
一つだけ不満というか、不安的なことがあって、
それはモバイルSuicaに関することである。

iPhoneにSuicaのアプリを入れている。
使う前に思っていた以上に便利である。
けれど、iPhoneのバッテリーが切れてしまうと、Suicaとしても使えなくなる。

二つ前のiPhoneから予備電力が装備され、メインのバッテリーが切れてしまっても、
Suicaは問題なく使える。

モバイルSuicaにしてから、これまで何度かバッテリー切れ寸前ということがあった。
モバイルバッテリーを持ち歩いていれば、そうなっても大丈夫なのだが、
極力モノを持って出掛けたくないので、モバイルバッテリーを持ち歩くことはしない。

なので、そのうちの何度かはそそくさと帰宅についたことがある。
予備電力装備のiPhoneであれば、そんな心配はなくなる。

そんな理由で、新しいiPhoneにしたかった。
それにiPhone 12 Proには、やっとブルーが登場した。
これも理由の一つである。

iPhone 5cにもブルー(水色)はあったけれど、
このときはTouch IDが使いたくてiPhone 5Sにした。

発表前からiPhone 12にするつもりだった。
けれど、発表内容をみて、少し考えることが出てきた。

新しく搭載されたMagSafe機能のために、
iPhone本体にリング状のマグネットが内蔵されるようになった。

これが音質的に、どう影響するのか。

Date: 10月 24th, 2020
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その31)

アキュフェーズのE800のずんぐりむっくりは、すんなり受け入れられているようである。
私がみた範囲で、E800のずんぐりむっくりしたプロポーションに、
否定的なことを書いているオーディオ評論家はいなかった。

そうだろうな、と思いつつも、
その一年後に、今度はテクニクスから、ずんぐりむっくりのプリメインアンプが登場した。
価格的にも、ずんぐりむっくり的にもE800のライバル機種といえる。

数年前までのラックスの、ずんぐりむっくりに対しても、
オーディオ評論家は、何も言わなかった。
擁護する発言をする人はいたけれど。

音さえよければ──、という考えが、そこにはあるのだろうか。
ガレージメーカーの製品であれば、
それもデビュー作であったりすれば、しかたないかも……、とまだおもう気持はあるが、
ずっとオーディオメーカーである会社が、
恥ずかしげもなく、ずんぐりむっくりのまま市場に出してくる。

誰も何もいわなければ、ずんぐりむっくりのまま市場に送り出す方がラクだ。
それでいて、デザインにも配慮した、みたいなことをいう。

デザインに関しては、音のためにすべて犠牲にしました──、
そんなことをいったりはしない。

そして、今回のテクニクスのプリメインアンプのずんぐりむっくりに、
何もいわないオーディオ評論家ばかりなのだろう。

Date: 10月 24th, 2020
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その63)

オーディオの想像力の欠如のままでいて、
「古人の求めたる所を求め」ることのできない人が、「老害」を口にする。

Date: 10月 23rd, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その12)

インターネット以前は、あることに関する情報が、
どこにあるのかを知っているだけで、そのことの専門家とみられることがあった。

情報のありかはどうなのか。
インターネット以前は、そのことから調べなくてはならないことが多かった。

ここまでインターネットが普及しただけでなく、
SNS(ソーシャルメディア)の普及は、情報をありかを調べる(探す)ことは、
ほとんどなくなった、といっていい。

インターネット以前は、だから情報のありかを知っているだけの人が、
偉そうにしていたことすらあった。
ほかの世界ではどうだったのかは知らないが、オーディオの世界ではそうだった。

でも、情報のありかを知る人みながそうだったわけではない。
いとも簡単に教えてくれる人も、また多かった。

もったいぶるだけもったいぶって教えない、というのは問題外なのだが、
情報のありかをなかなか教えない、という人を、全面的に否定したいわけではない。

少なくとも、その人は調べる(探す)ことに、それなりの努力をしているわけだ。
いまでは、そうではなくなりつつある。

情報のありかを調べる(探す)能力を、
ほぼ失いつつある人が増えてくる(増えている)だろう。

情報のありかはすぐにわかるのだから、
そんな能力は、これから先は必要ではなくなる──、
ほんとうにそうなのだろうか。

そして、私が知識過剰だと感じる人は、
実のところ、情報のありかを自分で探し出すことができない人のような気がする。

Date: 10月 22nd, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その14)

ステレオサウンド 55号から、タンノイ研究が始まった。
菅野先生がずっと担当されていた。

51号からは4343研究が始まった。
こちらは瀬川先生が二回、柳沢功力氏が一回、
JBLのスタッフが一回だった。

タンノイ研究が菅野先生だけだったことに、特に不満はなかった。
それでも瀬川先生も登場してもいいのではないか、と何度か思いながら読んでいた。

そう思うのは、瀬川先生ならば、タンノイに、どのアンプを組み合わせられるか、
菅野先生とは趣向の違いがはっきりと出てくるだけに、
記事として、よりいっそう深みを増すのは、タンノイ研究にぴったりだからだ。

59号のベストバイの結果を見て、なんとなく瀬川先生が登場されない理由がわかった。
では、瀬川先生以外のほかの人となると、
菅野先生一人だけ、ということになってしまうのはわかる。

55号のタンノイ研究は、オートグラフだった。
55号には、五味先生の追悼記事も載っている。

五味先生は4月1日に亡くなられている。
タンノイ研究の企画は、いつ決ったのだろうか。

思うに4月1日以降なのではないだろうか。
そんな気がする。

私は、そうだろう、と確信している。
その理由は、ステレオサウンドで働くようになって、GRFメモリーについてのことをきいたからだった。
それがどんなことなのかは、まだとうぶん明かさないが、
そのことの準備期間まで含めると、非常に納得がいく。

納得いくことが、単なる偶然からきている可能性もあるだろう。
それでも、そのはずだ(はっきりと書かなくて申しわけない)。

Date: 10月 22nd, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(若い世代とバックナンバー・その7)

オーディオ雑誌のバックナンバーを、十年分くらい揃える。
昔のオーディオ雑誌は、けっこう出ていた。
休刊(廃刊)になったオーディオ雑誌の数は、けっこうある。

それらを集めて、真剣に読むのであれば、
同時に、ステレオサウンドが年二回出していたHI-FI STEREO GUIDEも、
できるだけ手に入れてほしい。

あのころもそうだったけれど、
古書店でも、ステレオサウンドよりもHI-FI STEREO GUIDEのほうが高いことがけっこうある。

HI-FI STEREO GUIDEは、いわゆるカタログ誌だ。
だからこそ、オーディオ雑誌のバックナンバーとともに揃えたい。

HI-FI STEREO GUIDEには、その時代、市販されていたオーディオ機器が、
ほぼすべて掲載されている。
価格もスペックも載っている。
海外製品だと、どの国なのかも載っている。

その時代のオーディオを俯瞰したいときに、HI-FI STEREO GUIDEは役に立つ。

そんなこと、オーディオ雑誌を毎号買って読んでいれば、
HI-FI STEREO GUIDEなんて必要ないだろう、と思うかもしれないが、
私が中三のころ、はじめてHI-FI STEREO GUIDEを買って、
こんなにも多くの製品が市場に出ているのかと驚いた。

そしてHI-FI STEREO GUIDEが一冊ではなく、
二冊、三冊と増えてくると、
HI-FI STEREO GUIDEはオーディオの年表がわりでもあることに気づいた。

すべてを網羅するカタログ誌は、時間が経つことで、存在感を増してくる。

同じことはレコード関係の雑誌についてもいえる。
レコード関係の雑誌のバックナンバーを揃えるのであれば、
レコード・カタログ誌も集めて、いっしょに見ていくべきである。