オーディオマニアとしての「純度」(カザルスを聴いておもうこと)
今年は、コロナ禍が始まった春から、
カザルスの演奏をよく聴くようになった。
チェリストとしてのカザルスも聴いた。
指揮者としてのカザルスは、もっと聴いている。
カザルスのモーツァルトにしてもベートーヴェンの交響曲にしても、
燃焼するとは、こういうことなのか、と思わざるをえない。
燃焼こそ純度だ、と思いたくなる。
今年は、コロナ禍が始まった春から、
カザルスの演奏をよく聴くようになった。
チェリストとしてのカザルスも聴いた。
指揮者としてのカザルスは、もっと聴いている。
カザルスのモーツァルトにしてもベートーヴェンの交響曲にしても、
燃焼するとは、こういうことなのか、と思わざるをえない。
燃焼こそ純度だ、と思いたくなる。
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