Date: 10月 29th, 2020
Cate: 純度
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オーディオマニアとしての「純度」(カザルスを聴いておもうこと)

今年は、コロナ禍が始まった春から、
カザルスの演奏をよく聴くようになった。

チェリストとしてのカザルスも聴いた。
指揮者としてのカザルスは、もっと聴いている。

カザルスのモーツァルトにしてもベートーヴェンの交響曲にしても、
燃焼するとは、こういうことなのか、と思わざるをえない。

燃焼こそ純度だ、と思いたくなる。

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