昨晩ひさしぶりに聴いたEMTのTSD15。
カートリッジは、ステレオサウンドで働いていたこともあって、
かなりの数を聴いている。
それでも自分のシステムで使ってきたカートリッジとなると、
十本にも満たないし、そのなかでいちばんながい時間聴いてきたのはTSD15だった。
いまもTSD15は持っている(聴いてはいないけれども)。
TSD15の構造は、いまどきのカートリッジということだけでなく、
私が使っていた時代でも、音質優先とは言い難い点がいくつもあった。
カートリッジ下側のカバーもそうだし、
ヘッドシェルとカートリッジ本体の取りつけに関して、そういえる。
TSD15には、トーレンス・ヴァージョンのMCH-Iがあった。
このMCH-I(正確にはSMEコネクターを採用したMCH-II)では、
下側のカバーを外した音を聴いては、やっぱりこのカバーはないほうがいい──、
そんなふうに感じていたけれど、TSD15となると、ずっとカバーをつけたまま使っていた。
一度は外した音を確認している。
もちろん音は変る。
それでも外したままにはせずに、すぐにつけなおした。
TSD15の針先が変更になったSFLタイプを買ってからも、
一度はカバーを外した音を確認して、結局はつけたままだった。
外した方がよくなるところはある。
けれど、ここでのテーマである音の毒、
そういうものをひっくるめての音として受けとめていたような気がする。
昨年のインターナショナルオーディオショウで、あるメーカーのカートリッジを、
数機種、安価なモデルから高価なモデルへという比較試聴があった。
こういう比較試聴をすると、確かに値段があがっていくごとに、
なるほどと感心する音が鳴ってくる。
ダイアモンド・カンチレバー採用の百万円超のモデルとなると、
さすがだな、と思っていたけれど、ここまで聴いて思っていたのは、
このカートリッジを欲しいのか、である。