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Date: 7月 15th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その6)

ステレオサウンド 52号で瀬川先生は、マークレビンソンのML6のことを書かれている。
     *
 新型のプリアンプML6Lは、ことしの3月、レビンソンが発表のため来日した際、わたくしの家に持ってきて三日ほど借りて聴くことができたが、LNP2Lの最新型と比較してもなお、歴然と差の聴きとれるいっそう透明な音質に魅了された。ついさっき、LNP(初期の製品)を聴いてはじめてJBLの音が曇っていると感じたことを書いたが、このあいだまで比較の対象のなかったLNPの音の透明感さえ、ML6のあとで聴くと曇って聴こえるのだから、アンプの音というものはおそろしい。もうこれ以上透明な音などありえないのではないかと思っているのに、それ以上の音を聴いてみると、いままで信じていた音にまだ上のあることがわかる。それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる。これがアンプの音のおもしろいところだと思う。
 ともかくML6の音は、いままで聴きえたどのプリアンプよりも自然な感じで、それだけに一聴したときの第一印象は、プログラムソースによってはどこか頼りないほど柔らかく聴こえることさえある。ML6からLNPに戻すと、LNPの音にはけっこう硬さのあったことがわかる。よく言えば輪郭鮮明。しかしそれだけに音の中味よりも輪郭のほうが目立ってしまうような傾向もいくらか持っている。
     *
また《ML6がML2Lの内包している音の硬さを適度にやわらげてくれる》とも書かれている。

瀬川先生と井上先生は、同じことをML6に関して言われている。
同時にふたりの違いもまた読み取れる。

4350Aではないが、4343の組合せを「続コンポーネントステレオのすすめ」でいくつかつくられている。
そのなかに4350Aの組合せとほぼ同じ例があり、
そこには「あくまでも生々しい、一種の凄みを感じさせる音をどこまで抽き出せるか」とある。

ここでの組合せはEMTのアナログプレーヤー950に、
アンプはマークレビンソンのML6とML2のペアである。

井上先生はリアリティのある音で聴きたいということでML6からマッキントッシュのC29に、
コントロールアンプを換えられた。
瀬川先生は、あくまでもパワーアンプにML2を使うことが前提ではあるものの、ML6を選択される。

《あくまでも生々しい、一種の凄みを感じさせる音》も、
リアリティのある音であり、それは《もはやナマの楽器の実体感を越えさえする》音でもある。

井上先生は「コンポーネントステレオの世界 ’80」で、C29とML6を水に例えられてもいる。
     *
たとえていうと、マークレビンソンの音が、きわめて純度の高い蒸留水だとすれば、マッキントッシュC29+MC2205の音は、鉱泉水、つまりミネラルウォーターのような、そんな味わいをもっています。自然の豊かさの魅力、とでもいったらいいでしょうか。
     *
アンプの音を水に例えるのは、瀬川先生も52号の「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」の最後でやられている。
     *
 アンプの音に、明らかに固有のクセのあることには、わたくしも反対だ。広い意味では、アンプというものは、入力にできるだけ正直な増幅を目ざすべきだ。それはとうぜんで、アンプがプログラムに含まれない勝手な音を創作することは、少なくとも再生音の分野では避けるべきことだ。
 しかし、アンプの音が、いやアンプに限らずスピーカーやその他のオーディオ機器一切の音が、蒸留水をめざすことは、わたくしは正しくないと思う。むろん色がついていてはいけない。混ぜものがあっても、ゴミが入っていても論外だ。けれど、蒸留水は少しもうまくない。本当にうまい、最高にうまい水は、たとえば谷間から湧き出たばかりの、おそろしく透明で、不純物が少なくて、純水に近い水であるけれど、そこに、水の味を微妙に引き立てるミネラル類が、ごく微量混じっているからこそ、谷あいの湧き水が最高にうまい。わたくしは、水の純度を上げるのはここまでが限度だ、と思う。蒸留水にしてはいけない。また、アンプの音が、理想の上では別として現実に蒸留水に、つまり少しの不純物もない水のように、なるわけがない。要は不純物をどこまで少なくできるかの闘いなのだが、しかし、谷間の湧き水のたとえのように、うまさを感じさせる最少限必要なミネラルを、そしてその成分と混合の割合を、微妙にコントロールしえたときに、アンプの音が魅力と説得力をもちうる。そういうアンプが欲しいと思う。そして水の味にも、その水の湧く場所の違いによって豊かさが、艶が、甘味が、えもいわれない微妙さで味わい分けられると同じように、アンプの音の差にもそれが永久に聴き分けられるはずだ。アンプがどんなに進歩しても、そういう差がなくならないはずだ。そこにこそ、音楽を、アンプやスピーカーを通じて聴くことの微妙な楽しみがある。
     *
私はC29もML6、どちらもミネラルウォーターだと思う。
ただ《その水の湧く場所の違い》があり、そのことによる含有されるミネラル類の量、割合に違いがある。
ML6は軟水のミネラルウォーターで、C29はML6よりは硬水という、そんな違いだと感じている。

Date: 7月 13th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その5)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」での、
井上先生の4350Aの組合せは、
マークレビンソンのML6のキャラクターとのミスマッチングかもしれないということで、
マッキントッシュのC29に変更されている。

記事では、ここで井上先生にML6に対する感想をきかせてください、とある。
     *
井上 ご承知のように、マークレビンソンにはLNP2Lというコントロールアンプがあります。ML6よりひとつ前の製品、ということになりますが、このLNP2Lはかなり明快な音で、輪郭をくっきりと出すアンプです。ただ音の作り方からいうと、やや古典的な感じがある。表情の豊かさとなめらかさ、それから音場感的な広がりという聴き方をしたときには、いまとなるとちょっと古典的かなという音になっているんですね。
 それに対してML6は、音の粒立ちもさらにこまかくなったし、帯域も広く感じるようになったし、いかにも現代的な音になっています。極端にいえば、アナログ録音に対するデジタル録音、といった感じがあるのです。
 しかし、JBL♯4350Aと組み合わせてみると、ややものたりなさがあります。音としてはたいへんきれいなんだけど、もうひとつ力感が不足なのですね。これだけの大型スピーカーを使うことの、大きな理由のひとつは、通常の音量でも力強く、リアリティのある音で聴きたい、ということでしょう。たんにきれいな音というだけでは、万全ではないと思うんですよ。それはむしろ、かつての古い聴き方で要求されたことです。つまり、レコードによごれた、きたない音が入っていても、それをいわば濾過してきれいに鳴らす、そういう要素がかつては重要視させていたのです。
 しかし、現代はそうではない。レコード側もずいぶん進歩して、録音もきわめてよくなってきていますから、最近では、再生音楽のなかのリアリティの追求ということが、大きくクローズアップされていると思います。そういう要素を追求する聴き手が、しだいに増加してきているわけです。
     *
この井上先生の発言を、
ステレオサウンド 52号の特集の巻頭、瀬川先生の「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」、
この中に登場してくるML6についての文章と対比させて読んでいくと、ひじょうに興味深い。

Date: 7月 11th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その4)

井上先生の4350Aの組合せはどうだろうか。
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」での組合せは次のとおり。

●スピーカーシステム:JBL 4350AWX(¥850.000×2)
●コントロールアンプ:マッキントッシュ C29(¥438.000)
●パワーアンプ:マッキントッシュ MC2300(低域用・¥798.000)/MC2205(中高域用・¥668,000)
●エレクトロニッククロスオーバー:JBL 5234(¥120.000)+52-5121(¥5,000×2)
●カートリッジ:オルトフォン MC20MKII(¥53.000)
●プレーヤーシステム:パイオニア Exclusive P10(¥300.000)
●昇圧トランス:コッター MK2 Type L(¥240.000)
組合せ合計 ¥4.227.000(価格は1979年当時)

菅野先生、瀬川先生の組合せでは予算の制約は設けられてなかったが、
井上先生の組合せでは400万円という予算の制約があってのものだ。

予算がもう少し上に設定されていれば、
アナログプレーヤーは上級機のExclusive P3になっていたと思う。

とはいえ、井上先生の意図は伝わってくる。

菅野先生、瀬川先生の組合せでは、アンプは最初から決っていたといえるのに対し、
井上先生の組合せではアンプ選びから始まっている。

最終的にはマッキントッシュのコントロールアンプとパワーアンプに決っているが、
最初はコントロールアンプを、瀬川先生と同じマークレビンソンのML6を使い、
低域に、当時ステレオサウンド試聴室のリファレンス的パワーアンプであったマランツのModel 510M。
このふたつを固定して中高域用のアンプとして、
ヤマハのB5、ビクターのM7050、デンオンのPOA3000を試されている。

この中ではPOA3000が粒立ちが滑らかですっきりとした音を聴かせてくれて、
組合せとしてはいいかな、ということになったけれど、
聴きつづけていると、4350Aの音を十全に鳴らしていないような感じがしてきた、ということで、
アンプの選択をコントロールアンプから再検討されている。

Date: 7月 11th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その3)

スイングジャーナルでの瀬川先生の組合せは次の通り。
この記事がいつだったのか正確には記憶していないが、1979年のものであることは確かだ。

ステレオサウンド 53号で4343を、
オール・マークレビンソン(しかもモノーラル仕様)のバイアンプで鳴らされた記事に、
このスイングジャーナルの4350の組合せ記事について触れられているのだから。

●スピーカーシステム:JBL 4350WXA(¥850,000×2)
●コントロールアンプ:マークレビンソン ML6L(¥980,000)
●パワーアンプ:マークレビンソン ML2L(¥800.000×6)
●エレクトロニッククロスオーバー:マークレビンソン LNC2L(¥630,000)
●カートリッジ:オルトフォン MC30(¥99,000)
●トーンアーム:オーディオクラフト AC4000MC(¥67,000)
●ターンテーブル:マイクロ RX5000+RY5500(¥430,000)
●ヘッドアンプ:マークレビンソン JC1AC(¥145,000×2)
組合せ合計 ¥8,996,000(価格は1979年当時)

LNC2はステレオサウンド 53号ではモノーラルで使われていたが、
スイングジャーナルでの試聴では都合がつかなかったのか、通常の使い方である。

1979年の瀬川先生は、ステレオサウンド 53号の「4343研究」で書かれている。
     *
サンスイオーディオセンターでの「チャレンジオーディオ」またはそれに類する全国各地での愛好家の集い、などで、いままでに何度か、♯4343あるいは♯4350のバイアンプ・ドライブを実験させて頂いた。そして、バイアンプ化することによって♯4343が一層高度な音で鳴ることを、そのたびごとに確認させられた。中でも白眉は、マーク・レビンソンのモノーラル・パワーアンプ6台を使っての二度の実験で、ひとつは「スイングジャーナル」誌別冊での企画、もうひとつは前記サンスイ「チャレンジオーディオ」で、数十名の愛好家の前での公開実験で、いずれの場合も、そのあとしばらくのあいだはほかの音を聴くのが嫌になってしまうなどの、おそるべき音を体験した。
 その音を、一度ぐらい私の部屋で鳴らしてみたい。そんなことを口走ったのがきっかけになって、本誌およびマーク・レビンソンの輸入元RFエンタープライゼスの好意ある協力によって、今回の実験記が誕生した次第である。以下にその詳細を御報告する。
     *
このころの瀬川先生は世田谷に建てられた新居でのリスニングルームで、
4343をマークレビンソンのML6とML2の組合せで鳴らされていた。バイアンプではなくシングルアンプで。

つまり4350の組合せは、瀬川先生のシステムを、
4343を4350Aにし、4350の仕様から必然的にバイアンプになり、
パワーアンプは同じML2でも、低域に関してはブリッジ接続へとなっていったものといえる。

このころの瀬川先生が1979年の時点で、
ご自身のシステムをゼロから、それも予算の制約がなく組まれたのであれば、
この4350Aの組合せそのままになっていたであろう。

このスイングジャーナルでの組合せでは、こんなことも書かれている。
     *
いうまでもなく4350は、最初からバイ・アンプ・オンリーの設計になっている。だが、この下手をすると手ひどい音を出すジャジャ馬は、いいかげんなアンプで鳴らしたのでは、とうていその真価を発揮しない。250Hzを境にして、それ以下の低音は、ともすれば量感ばかりオーバーで、ダブダブの締りのない音になりがちだ。また中〜高音域は、えてしてキンキンと不自然に金属的なやかましい音がする。菅野沖彦氏は、かってこの中〜高音用にはExclusiveのM−4(旧型)が良いと主張され、実際、彼がM−4で鳴らした4350の中高域は絶妙な音がした。
     *
そういえば岩崎先生もパラゴンをExclusive M4で鳴らされていた。
パラゴンには375、4350には375のプロフェッショナル仕様の2440が使われている。
この時代、JBLの2インチ・スロートのコンプレッションドライバーにはExclusive M4が合っていたようだ。

井上先生もHIGH-TECHNIC SERIES-1でのパラゴンの組合せに、
《ここではかつて故岩崎千明氏が愛用され、
とかくホーン型のキャラクターが出がちなパラゴンを見事にコントロールし、
素晴らしい低音として響かせていた実例をベースとして》Exclusive M4を、やはり選ばれている。

Date: 7月 9th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その2)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」での菅野先生の組合せは次の通り。

●スピーカーシステム:JBL 4350A(¥940,000×2)
●コントロールアンプ:アキュフェーズ C220(¥220,000)
●パワーアンプ:低域用・アキュフェーズ M60(¥280,000×2)/中高域用・パイオニア Exclusive M4(¥350,000)
●エレクトロニッククロスオーバー:アキュフェーズ F5(¥130,000)
●グラフィックイコライザー:ビクター SEA7070(¥135,000)
●ターンテーブル:テクニクス SP10MK2(¥150,000)
●トーンアーム:フィデリティ・リサーチ FR64S(¥69,000)
●カートリッジ:オルトフォン MC20(¥33,000)
●プレーヤーキャビネット:テクニクス SH10B3(¥70,000)
組合せ合計 ¥3,614,000(価格は1977年当時)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」とほぼ同じ頃ステレオサウンドから出たHIGH-TECHNIC SERIES-1、
この本の「マルチスピーカー マルチアンプの魅力を語る」で、菅野先生は書かれている。
     *
ウーファーが決まってみると、今度はそれをドライブするためのパワーアンプ遍歴が始まった。そして一応落着いた現在のラインアップはというと、エレクトロニック・クロスオーバーはアキュフェーズのF5でクロスオーバー周波数は500Hzと7kHz。パワーアンプは、ウーファー用にアキュフェーズのM60を二台、スコーカーはパイオニアM4、トゥイーターにサンスイAU607のパワーアンプ部を使っている。
     *
菅野先生の、このときのウーファーとはJBLの2205である。
「マルチスピーカー マルチアンプの魅力を語る」では2220と書かれているが、
これは菅野先生の勘違いでこの時点で2205を使われていた。
スコーカーはJBLの375+537-500、トゥイーターは075である。

4350Aを鳴らすアンプは、菅野先生が1977年当時自宅で使われていたラインナップと重なる。
もし菅野先生、1977年の時点でご自身のシステムをゼロから組まれたとしたら、
それもメーカー製のスピーカーシステムの中から選ばれるのであれば、
ほぼ間違いなくJBLの4350Aであっただろうし、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」での組合せとかなり近いシステムとなったはずだ。

菅野先生の4350Aの組合せの取材に立ち会われていた瀬川先生は、こう発言されている。
     *
瀬川 じつは菅野さんならこんな組合せになるんたろうと予想していたことが、ほとんど的中しましてね。内心ニヤニヤしながら聴いていたんですよ(笑い)。
     *
そうであろう。

Date: 7月 7th, 2015
Cate: 4350, JBL, 組合せ

4350の組合せ(その1)

別項でダブルウーファーのことを書いていると、
頭の中にJBLの4350のことが何度も浮んでくる。

私にとって、最初の、そしてもっとも強烈だったダブルウーファーのスピーカーは4350Aだった。
4350Aで聴いた菅野先生録音のザ・ダイアローグの音はすごかった。

調整に十分な時間がかけられていたわけでもないだろうし、
完全な鳴り方でもなかったのだけれど、それでも凄い音が鳴ってきた。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」で、
菅野サウンドのジャズ・レコードを製作者の意図したイメージで聴きたい、
という読者から手紙に応えて、菅野先生がつくられた組合せのスピーカーは4350だった。

《私としては自分がこのシリーズを録音したときの意図というものを、理想的に再生するシステムとしては、
JBLのスピーカーしか、現在のスピーカー・システムの中では見当たらないわけです》
と菅野先生は4350を選択した理由を語られている。

ステレオサウンド、別冊をみても、4350の組合せは意外と少ない。
バイアンプ駆動ということ、
組合せにはたいてい予算の制約が設けられているから、4350はその点で不利になる。
そんな理由であまり組合せ記事に登場してこなかったのか。

私が記憶している4350の組合せは上に書いた菅野先生の例と、
「コンポーネントステレオの世界 ’80」での井上先生の組合せ、
それからスイングジャーナルでの瀬川先生の組合せだけである。

スピーカーが同じでも組合せをつくる人が違うと、
そこで選ばれるアンプ、プレーヤーはずいぶん違ってくる。

三つの記事を並べて読むと、実に興味深い。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: 4343, JBL, 組合せ

4343の組合せ(その2)

「コンポーネントステレオの世界 ’77」の取材は1976年10月ごろ行われていることが、
岩崎先生によるエレクトロボイスSentryVの組合せの記事(222ページ)でわかる。

4343はステレオサウンド 41号の新製品紹介のページに登場しているから
黒田先生はまだ4343を購入されていない。
同じJBLの4320を鳴らされていた時期である。

架空の読者である金井さんがよく聴くレコードとして挙げられている三枚は、
ベーム指揮のコシ・ファン・トゥッテ、カラヤン指揮のオテロとボエームで、
レーベルはドイツ・グラモフォン、EMI、デッカとあえて違うようにしてある。

ベームのコシ・ファン・トゥッテは三種のレコードが出ている。
ここではドイツ・グラモフォン盤なので、ウィーンフィルハーモニーとのライヴ録音である。

カラヤンのとオテロは、再録音をよく行っていたカラヤンではあるが、
旧録音(デッカ)から10年ほどでの再録音である。
交響曲や管弦楽ならばこのくらいのスパンでの再録音はあっても、
オテロはいうまでもなくオペラである。
オペラで、このスパンの短さはほとんど例がない。

カラヤンの旧録音のオテロについて、
黒田先生は「録音のあとでカラヤンはしくじったと思ったのではないのか」と推測されている。
(ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’76」より)

これらのレコードを用意しての、組合せの取材である。
しかもスピーカーは最初から4343に固定してある。

これは井上先生とレポーターの坂清也氏、ふたりによるある種のワナのようにも思えてくる。
もちろん、いま読む、とである。
黒田先生への用意周到なワナである。

黒田先生は前年の「コンポーネントステレオの世界 ’76」巻頭の、
シンポジウム「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」で、
岡先生、瀬川先生とともに4343の前身である4341を聴かれている。

Date: 5月 17th, 2015
Cate: 組合せ

4343の組合せ(その1)

4343の組合せ。
これだけで私の頭の中にはあれこれ浮んでくる。

最初に浮ぶのはステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」での、
ふたつの組合せである。
ひとつは井上先生によるもの、もうひとつは瀬川先生によるもの。

井上先生の組合せは、コントロールアンプがAGIの511、パワーアンプがマランツのModel 510M、
カートリッジはピカリングのXSV/3000、ターンテーブルはビクターのTT101、トーンアームはビクターのUA7045。

この組合せはオペラ好きの架空の読者からの手紙に応えて、というもの。
この記事を読んだときは気づかなかった。
この井上先生の組合せは、おぶざーとして参加された黒田先生に対する、
いわばプレゼンテーションである。

ここでの架空の読者、金井康雄氏はヨーロッパのおぺハウスで毎年オペラをきかれてるという設定。
記事は井上先生と金井さんとの対話を中心にまとめられている。

この記事を読んだ中学二年のとき、
まだ架空の読者だということは知らなかったから、
ステレオサウンドの読者はレベルが高いなんだなぁ、と感心するとともに、
少しばかり驚いてもいた。

スピーカーは4343に固定で、まずパワーアンプを複数機種聴いていく。
そこでの金井さんの音についての印象の的確なこと、
それにはオペラのレコードに対する聴き方の心得方も感心しながら読んでいた。

Date: 2月 16th, 2015
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その52)

その51)を書いたのが三年半前。
(その51)でふれたコードのCPM2800も、つい最近CPM2800 MKIIになっている。
内蔵D/Aコンバーターが、HUGO同様のFPGAを使ったものに置き換えられている。

やっぱり出てきたか、と思い、期待したのは、リアパネルの写真だった。
でも、そこには私が期待していたものはなかった。

私がCPM2800 MKIIに限らず、
D/Aコンバーター内蔵のプリメインアンプに期待している(要望したい)のは、
デジタルIN/OUT端子である。

1980年代までのプリメインアンプは、TAPE関係の入出力端子が充実していた。
この端子を使うことで、プリメインアンプでも外付けのグラフィックイコライザーが使用できた。

私が期待しているデジタルIN/OUTは、TAPE入出力端子のデジタル版である。
この端子があれば、外付けのデジタル・シグナルプロセッサーが使えるようになるのに、と思うからだ。

Date: 11月 30th, 2014
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その21)

ベーゼンドルファーのVC7については、「Bösendorfer VC7というスピーカー」という項を立てて書いているように、
このスピーカーシステムには出た時から注目していたし、いいスピーカーシステムだといまも思っている。

いまはベーゼンドルファーのVC7ではなく、Brodmann AcousticsのVC7になっている。
輸入元もノアからフューレンコーディネイトに変っている。

昨年のインターナショナルオーディオショウから、
フューレンコーディネイトのブースに展示されるようになった。
今年のショウでVC7の音が聴けるかな、と思い期待していたものの、
タイミングが悪かったのか、聴けずじまいだった。

ショウの初日と二日目に一度ずつフューレンコーディネイトのブースに入ったけれど、
どちらも鳴っていたのピエガのスピーカーシステムだった。
VC7は鳴らしていなかった、と思っていたら、ショウに行った知人の話では鳴らしていたそうである。
なのでBrodmann AcousticsのVC7になってからの音は、まだ聴いていない。

ベーゼンドルファー・ブランドのVC7に私が感じた、
このスピーカーシステムならではの良さは引き継がれているようである。
だから、ここでの組合せにはベーゼンドルファーのではなく、Brodmann AcousticsのVC7として書いていく。

Date: 10月 5th, 2014
Cate: 組合せ

石積み(その1)

石積みには、練積みと空積み、ふたつの施工法がある。
練積みとは石と石とのあいだにモルタルやコンクリートを流し込んですきまを埋めていくやり方で、
空積みとはモルタルやコンクリートも使わずに、
大小さまざまな形の石をうまく組み合わせてすきまを埋めて積み上げていくやり方。

いま空積みができる職人が減っている、と建築関係の人から先日聞いたばかりである。
そうだろう、と思って聞いていた。

空積みはやり方を習ったからといって、誰にでもできるわけではないはず。

ここでの石とは、いくつかのことに例えられる。

石は、その人にとってこれまでの体験でもある。
大きな体験もあれば、日常的といえる小さな体験もある。
ひとつとして同じ大きさ、同じ形の石が存在しないように、
体験もひとつとして同じであるわけがない。

石は人でもある。
生きていれば、それだけ多くの人と接する。
家族が、もっとも身近にいる。
学校に通うようになれば、先生と接するようになる。
友人も、それまでよりも多くできるようになるし、多くの同級生だけでなく先輩、後輩もできる。
人も、ひとりとして同じ人はいない。皆違う。

音も石として例えられるだろう。
世の中にひとつとしてまったく同じ音は存在しない。
すべて違う。
同じシステムであっても、鳴らす人が違えば同じ音はしない。
同じシステムで、鳴らす人が同じであっても、昨日の音と今日の音はまったく同じわけではない。
なにひとついじっていない、変えていなくとも、音は変っていくものだから。

体験という石、人という石、それだけではない知識という石、知恵という石、
さまざまな「石」を積み上げていく。
大きな石だけでは、安定して積み上げることはできない。

それは練積みなのか、空積みなのか。

Date: 9月 28th, 2014
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その20)

カラヤンの「パルジファル」をそう受けとめるようになっているのだから、
それ以前とはスピーカーの選び方そのものが大きく変ってしまった。
以前だったら、もっと簡単にスピーカーを決めてしまっていただろう。

実を言うと、この項を書き始めた時、スピーカーシステムに何を選ぶかは決めていなかった。
なぜ、いまカラヤンの「パルジファル」をとりあげようと思ったのか、
そのこと自体を私自身が知りたかったから、書き始めた。

これだ、と思えるスピーカーシステムが思い浮ばなかったら……、と思わないわけではなかった。
しかも過去のスピーカーシステムではなく、いまのスピーカーシステムから選びたかった。

クナッパーツブッシュの「パルジファル」のためにはシーメンスのオイロダインがすぐに思い浮んだ。
クナッパーツブッシュの「パルジファル」は私が生れる前の演奏である。
私が「パルジファル」を知った時、クナッパーツブッシュはすでに亡くなっていた。

カラヤンの「パルジファル」はそこが私にとって違うところだ。
カラヤンは、まだ生きていた。
「パルジファル」は私がまだハタチになる前、青臭い少年だったときに出ている。

それだけでもクナッパーツブッシュの「パルジファル」とカラヤンの「パルジファル」は、
私にとっての意味合いが違ってくる。

これはだめだ、というスピーカーシステムは次々に浮んでいった。
それらのスピーカーシステムについて書いてもつまらない。

これだ、と思えるスピーカーシステムは、ほんとうにあるのだろうか……、
ほんとうに思い浮んでくるスピーカーシステムはあるのか……、
そんなふうにならなかったら、現行製品をひとつひとつ消去法で消していくしかないのか、
それで残ったスピーカーシステムは、カラヤンの「パルジファル」を聴くのにふさわしいといえるのだろうか。

いまは思い浮ばないだけで、きっとあるはず。そのおもいもあった。
ひとつあったことに、やっと気づいた。

ベーゼンドルファーから出ていたVC7である。

Date: 9月 25th, 2014
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その19)

「70歳になったらパルジファルを録音したい」であっても、録音のためには演奏するのだから、
「70歳になったらパルジファルを録音したい」も「70歳になったらパルジファルを演奏したい」も、
同じではないか、と考えることはできないわけでもない。

けれど、録音は残る。
10年、20年、さらには50年……、と残っていく。

その録音が世に登場したときは、最新録音であり、優秀録音だったのが、
古い録音といわれるようになったとしても、一度録音されたものは残っていく。

カラヤンが「70歳になったらパルジファルを録音したい」と常々口にしていたのは、
「パルジファル」をのこしたかったからなのだ、と思う。

だからカラヤンがいつのころから「70歳になったらパルジファルを録音したい」というようになったのかを知りたい。

同じ、このテーマで30のころ書いていたとしたら、違う書き方をしたように思う。
「70歳になったらパルジファルを録音したい」についてもとりあげなかったかもしれない。

でも、もう30歳ではない。
30歳ではないから、カラヤンの「パルジファル」について書いているようなところがある。

カラヤンは「パルジファル」を遺したかった。
30の時にはそう思えなかっただろうし、仮に思ったとしても、そのことの意味は20年前といまとでは違う。

「パルジファル」はカラヤンの遺言かもしれない。

Date: 9月 25th, 2014
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その18)

カラヤンの「パルジファル」は、1979、1980年の録音。
カラヤンは1908年4月5日生れだから、70をこえてからの録音ということになる。

カラヤンは「70歳になったらパルジファルを」と常々口にしていたということは、以前何かで読んでいるし、
HMVのカラヤンの「パルジファル」の紹介ページに書いてある。

「70歳になったらパルジファルを」だが、出典は知らない。
正しくどう言っていたのかまではわからない。

「70歳になったらパルジファルを」の後に続くのは、「録音したい」なのだと思う。
どこかのオペラ劇場で演奏したい、ではなかった、と思う。

私は、だからカラヤンは「70歳になったらパルジファルを録音したい」と常々口にしていたのだと思っている。

Date: 7月 10th, 2014
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(JBL D130・その8)

組合せは決った。
いったいどういう音がしてくるのか、
いま中古でここで挙げたコンポーネントを手に入れたとしても、うまいこと鳴ってくれる保証はない。

スピーカーにしろアンプにしろ、どんなモノであれ、長い年月を経ていれば、
どんなに大切に使っていたとしても性能的には劣化している。
そう思いたくなくとも、これは絶対不可避である。

井上先生が以前書かれていた。
     *
現実に状態の良いシステムを実際に鳴らしてみたとしても、かつて備えていた本来の状態をベースに聴かせた音の再現は完全には不可能であり、例えば、1モデルに1ヵ月の時間を費やしてメインテナンスをしたとしても、絶対年令は、リカバリー不能であろう。逆説的ではあるが、イメージ的に心にわずかばかり残っている、残像を大切に扱い、思い浮かべた印象を文字として表現したほうが、むしろリアルであろうか、とも考えている。
(ステレオサウンド別冊「音の世紀」より)
     *
その通りだと思う。
「イメージ的に心にわずかばかり残っている、残像」、
これを持っているか持っていないのか──。

JBLのD130を平面バッフルに取りつけて、
できるだけ価格を抑えた組合せは、いったいどんな音を聴かせるのか、よりも、
この組合せで、どのレコードを聴きたいのか。

私が聴きたいと思っているのは、ジャズではなく、
デッカのカートリッジを選んでいるようにクラシックであり、
ストラヴィンスキーによるストラヴィンスキーの「春の祭典」をまっさきに鳴らしてみたい。