妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その19)
「70歳になったらパルジファルを録音したい」であっても、録音のためには演奏するのだから、
「70歳になったらパルジファルを録音したい」も「70歳になったらパルジファルを演奏したい」も、
同じではないか、と考えることはできないわけでもない。
けれど、録音は残る。
10年、20年、さらには50年……、と残っていく。
その録音が世に登場したときは、最新録音であり、優秀録音だったのが、
古い録音といわれるようになったとしても、一度録音されたものは残っていく。
カラヤンが「70歳になったらパルジファルを録音したい」と常々口にしていたのは、
「パルジファル」をのこしたかったからなのだ、と思う。
だからカラヤンがいつのころから「70歳になったらパルジファルを録音したい」というようになったのかを知りたい。
同じ、このテーマで30のころ書いていたとしたら、違う書き方をしたように思う。
「70歳になったらパルジファルを録音したい」についてもとりあげなかったかもしれない。
でも、もう30歳ではない。
30歳ではないから、カラヤンの「パルジファル」について書いているようなところがある。
カラヤンは「パルジファル」を遺したかった。
30の時にはそう思えなかっただろうし、仮に思ったとしても、そのことの意味は20年前といまとでは違う。
「パルジファル」はカラヤンの遺言かもしれない。