Archive for category 菅野沖彦

Date: 10月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その9)

菅野先生と黒田先生の発言のあとは、こう続いている。
     *
菅野 煮つめていって同じであることをはっきりさせようっていうんですか。
黒田 いやそうじゃなくて、本当にいっしょになっちゃうのか、それとも全然別のことをお考えになってるか。
菅野 なるほど。いやそりゃねえ、煮つめりゃ同じですよね。だけれどもこれはやっぱり登り道がちがうし、見る景色の見方がちがうでしょうね。だけどその、その奥を煮つめればね、これはやっぱり同じになりますね。
黒田 同じになっちゃう。
菅野 なりますね。まちがいなくね。
     *
五味先生が、菅野先生と瀬川先生の音を聴かれたのは、1970年のことだ。
菅野先生も瀬川先生も30代。
登り道の途中である。

そういう二人の登り道の違いを、五味先生は聴かれていたのか、とも思うし、
五味先生の登り道は瀬川先生側であること、
つまりプレゼンスであることは、「五味オーディオ教室」を読んでいても、はっきりとわかる。

五味先生は「五味オーディオ教室」に書かれている。
ステージの重要性を書かれている。
     *
 つまりいかなる場合も、ピアノはステージに置かれていなければならない。スピーカーは、そのピアノのどっしりした安定感をまず出さねばならない。いろいろな機種の比較試聴のすえにようやく、私はこのことを知った。いい再生装置ほどピアノではなくピアノから響き出た音を、聴かせてくれることを。パラゴンが拙宅のオートグラフに勝るのは、衝撃音の鮮明さだけのように思えた。つまり歯切れがいいだけであるように。
 レコードで音楽を聴く場合、音楽を流しているのはスピーカーではない。鳴っているのは、じつは部屋の空気そのものだ、ということにようやく私は気がついたのだ。つまりスピーカーそれ自体は単なる一機能にすぎない。エンクロージァ全体が、さらに優秀な場合は部屋の空気の隅々が、音楽を満たすようにできているものなので、専門家ならわかりきったことと言うにきまっている。
 がしかし、実際に、空気全体が(キャビネットや、ましてスピーカーが、ではない)楽器を鳴らすのを私はいまだかつて聴いたことがない。鳴っているのはスピーカーのコーンでありキャビネットであった。今、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす。これこそは真にレコード音楽というものであろうと、私は思うのである。

 さてわれらのタンノイである。たとえば『ジークフリート』(ショルティ盤)を聴いてみる。「剣の動機」のトランペットで前奏曲が「ニーベルングの動機」を奏しつつおわると、森の洞窟の『第一場』があらわれる。小人のミーメに扮したストルツのテナーが小槌で剣を鍛えている。鍛えながらブツクサ勝手なごたくをならべている。そこへジークフリートがやってくる。舞台上手の洞窟の入口からだ。ジークフリートは粗末な山男の服をまとい、大きな熊をつれているが、どんな粗雑な装置でかけても多分、ミーメとジークフリートのやりとりはきこえるだろう。ミーメを罵り、彼の鍛えた剣を叩き折るのが、ヴィントガッセン扮するジークフリートの声だともわかるはずだ。しかし、洞窟の仄暗い雰囲気や、舞台中央の溶鉱炉にもえている?、そういったステージ全体に漂う雰囲気は再生してくれない。
 私は断言するが、優秀ならざる再生装置では、出演者の一人ひとりがマイクの前に現われて歌う。つまりスピーカー一杯に、出番になった男や女が現われ出ては消えるのである。彼らの足は舞台についていない。スピーカーという額縁に登場して、譜にあるとおりを歌い、つぎの出番のものと交替するだけだ。どうかすると(再生装置の音量によって)河馬のように大口を開けて歌うひどいのもある。
 わがオートグラフでは、絶対さようなことがない。ステージの大きさに比例して、そこに登場した人間の口が歌うのだ。どれほど肺活量の大きい声でも、彼女や彼の足はステージに立っている。広いステージに立つ人の声が歌う。つまらぬ再生装置だと、スピーカーが歌う。
     *
おそらく、でしかないが、五味先生にとっての肉体の復活を感じさせる音に不可欠なことは、
ステージの再現だった(はずだ)。

そのことは、「五味オーディオ教室」の冒頭、
つまり菅野先生の音について書かれているところにも、ある。
《たとえて言えば、ステージがないのである》と。

Date: 10月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その8)

別項「確信していること(その26)」でも引用していることを、
もう一度書いておこう。

「ステレオのすべて ’77」の、
「リアリティまたはリアリスティックとプレゼンスの世界から いま音楽は装置に何を望むか」は、
黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹、三氏による鼎談であり、
ひところ同じといえるJBLのシステムを鳴らしながらも、
菅野先生の音と背が保線性の音は、はっきりとした違いもあったはず。
二人の音について考える上でも読んでおきたい。

しかもこの年の春に出ているステレオサウンド 38号の、
いわば続きといえる内容だけに、
38号の特集「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」とあわせて読みたい。
     *
菅野 僕は瀬川さんといつもよく話すことなんだけど、瀬川さんもJBLが好きで、僕もJBLが好きで、何年か前に瀬川さんのところへ行ってJBLを聴かせていただいた時にものすごくすばらしい音だと思った。だけどそこで聴いた音はね、僕からするとまったく今我々の申し上げたプレゼンスの傾向としてすはらしい音だと思ってしびれたわけです。それで僕が鳴らしているJBLというのは今度は今いったリアルの傾向で鳴らしているわけですね。それでよくお互いに同じスピーカーを使ってまあ鳴らし方がちがうなというふうに言っているわけで、つまりこれは鳴らし方にも今製品で言ったけどね、鳴らし方にもそういう差が出てくるというね、そこまで含められてくるでしょうね。
黒田 それで今回のこの企画のことを話された時に、菅野さんのそのリアリスティックで聴くっていう話しを聞いて、僕はやっぱり以前その聴かせていただいた音がピンときている。なるほどあれはリアリスティックという言葉を好んで使いそうな男の音だと、それで瀬川さんはプレゼンスだと。全くそうだと。それはその両者がそういう言葉を頻繁にお使いになるのは当然だと僕は思ったんです。で、ただその煮つめていけばどっかで同じになっちゃうことなんで、それを何かここではっきりさせようというのがどうもその編集部の意図らしいんです。
     *
鼎談のタイトルになっているリアリティ(リアリスティック)とプレゼンス。

このふたつは、
そして菅野先生と瀬川先生の音は、最終的には同じになってしまうであろうことは、
菅野先生のリスニングルームで、
ジャーマン・フィジックスのDDDドライバーを中心としたシステムの音を聴いていて、
感じていたし、そのことは菅野先生にも話している。

菅野先生も、瀬川先生が生きておられれば、
ジャーマン・フィジックスを鳴らされているだろう、ということに同意された。

Date: 10月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ベートーヴェン観)

昨晩、そういえば──、と思い出した。
菅野先生は指揮者ピエール・モントゥーがお好きだった。

ピエール・モントゥーって、誰? という人も、いまではいるだろう。
モントゥーは、1964年に亡くなっている。

クラシックはさほど関心のない人でも、フルトヴェングラー、カラヤン、
ワルター、バーンスタインの名前は知っていようが、
モントゥーの名前を知っていて、録音を聴いたことがある、という人は、
いまやほんとうに少ない、と思う。

モントゥーはフランス人だった。
フランス人のクラシック演奏家といえば、イヴ・ナットもお好きだった。

イヴ・ナットのベートーヴェンのピアノソナタ全集は、菅野先生の愛聴盤でもある。
イヴ・ナットに師事していたフランスのピアニスト、ジャン=ベルナール・ポミエの全集も、
ナット以来の愛聴盤となった、とステレオサウンド別冊「音の世紀」で書かれていた。
     *
ドイツ系の演奏も嫌いではないが、ベートーヴェンの音楽に共感するフランス系の演奏家とのケミカライズが好きなのだ。ベートーヴェンの音楽に内在する美しさが浮き彫りになり、重厚な構成感に、流麗さと爽快さが加わる魅力とでも言えばよいか?
     *
ポミエについて書かれていることは、そのままイヴ・ナットにも、
ピエール・モントゥーの演奏にもあてはまる。

「音の世紀」では、カルロス・クライバーのベートーヴェンの交響曲第五番と七番も、
21世紀に残したディスクの一枚として選ばれている。

クライバーはフランス系ではないが、クライバーのベートーヴェンも、
重厚な構成感に、流麗さと爽快さが加わる魅力を有している。

イヴ・ナットをお好きだったことは、かなり以前から知っていた。
それでも、ナットの素晴らしさをすんなり理解できるようになったのは、
私の場合、40になっていた。

後期のソナタも素晴らしかったけれど、それ以上に私の耳には初期のソナタが魅力的だった。

いまになって、菅野先生と、
ナットのこと、モントゥーのこと、ポミエのことを話しておけばよかった──、とおもうばかりだ。

Date: 10月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(音における肉体の復活・その2)

どちらかが正しくて、もう片方は間違っている、おかしい──、
そう思い込めれば、こんなにながく、ひとつのことについて考えてくることはない。

五味先生が正しい──、そうおもうのはいい。
けれど、菅野先生が間違っている──、とおもうのは楽である。

その反対でもいい。
五味先生が間違っている──、そうおもえて、
菅野先生が正しい──、そうすれば、簡単に答(のようなもの)は出てくる。

けれど、私は、どちらも正しい、とおもっている。
だからこそ、ずっと考えてきていて、いまこうやって書いている。

不思議と、どちらかが正しくて、どちらかが間違っている、とおもったことは一度もない。
二人とも正しい。

それが答であり、問いである。

Date: 10月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(音における肉体の復活・その1)

「五味オーディオ教室」の冒頭に出てくる「肉体」とはどういうことなのか。
音には音像がある。
音像が肉体なのか、というと、五味先生がいわれるところの肉体はそうではないことは、
「五味オーディオ教室」をくり返し読んでいるから、わかっている。

別項「評論家は何も生み出さないのか(その6)」で、向坂正久氏の文章を引用した。
もう一度、引用しておく。
     *
 評論とはくり返し書くが、文学の領域の仕事である。そこでは筆者の主観が、あらゆる客観的な事実に勝るのである。たとえ資料が乏しくとも、あるいはそれが不確かでであっても、その筆者のいおうとすることによって、それは枝葉末節にすぎない。ほんとうの幹は筆者の肉体だからである。
 ここでもうひとつの例をあげよう。名高い小林秀雄の「モオツァルト」には今日偽作と断定されている手紙の引用がある。研究論文ならば、すでにそのことで、この評論の価値は減少しよう。しかし、このエッセイの価値はそんなことで微動だにしないのだ。その手紙は小林にとって、ひとつの動機になったにすぎないのだから、そこから織り出していく彼自身の芸術論に価値があるのであって、引用そのものは極端にいえば誰の手紙でも構わないとさえいえるのである。
 論文と評論の差はここにある。そしてまた音楽好きの読者が、ほんとうに求めているのは客観的なものではなくて、より主観的なものであり、その主観を表現し得る技術を磨くことこそ、評論家たちが骨身を削って体得しなければならないことなのである。音楽のジャーナリズムはそのことを忘れているだけでなく、当の評論家たちさえ、そのことに悩むことが少なすぎるのである。
     *
ステレオサウンド 8号に載っている「音楽評論とは何か」からの一節だ。
ここにも「肉体」が出てくる。《ほんとうの幹は筆者の肉体だから》とある。

菅野先生がAXISのMY VIEW OF DESIGNで語られることも、本質的には同じことだ。
     *
菅野 人間というものは自分以上でも自分以下の仕事もできないものです。自分以上の仕事は無理で、以下の仕事は絶対にしてはいけません。したがって優れたモノを作ろうとするにはまず自分自身を改造していかなくてはならない。そしてそれは一朝一夕には完成しないものです。学習することももちろん大切なことで、知識を増し磨いていく努力も大切ですが、頭でっかちでデザインを云々していくだけでは、人が納得できるだけの感動的なものは生み出せないのではないかと思います。もの作りの芯になるところでは、自分が本音として欲しいものを作るという気持ちが不可欠ではないでしようか。最近のデザインを取り巻く様子を見ていると、どうも知識面ばかりが大きくなりすぎて、受け取るほうも頭で受け取っており心では受け取っていない、そんな気がしてなりません。ですからこのあたりで本書をもう一度振り返ってみるというか、デザイナーの方々には本音で欲しいと思えたり美しいと思えるモノ作りを追求していただき、私たちも素直に楽しめる、その関係がよいのではないかと思います。
     *
ここに出てくる《もの作りの芯となるところ》、
それは《ほんとうの幹》でもあり、
それこそが「肉体」につながっている。

Date: 10月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その7)

肉体のない音、肉体の感じられる音。
このことについては、「五味オーディオ教室」を読んだ時から、
つまりオーディオに興味をもったときからの、大きな課題にようになっている。

はっきりとした答は、いまとなっては誰にもわからない。
そのままにしておけばいい、と思えればいいのだけれど、そうもいかない。

こうやってオーディオ、音楽について毎日書いていると、
このことは意識するしないにかかわらず、ずっとどこかについてまわっている。

もしかすると、こういうことではないのか。
そんな仮説のようなことをいくつか考えた。
それでも、すっきりとしない。

私が最初に買ったステレオサウンドは、
41号と別冊の「コンポーネントステレオの世界 ’77」とすでに書いている。

どちらも1976年12月に出ている。
同じころに、音楽之友社から「ステレオのすべて ’77」も、売られていた。
ステレオサウンドのとなりに置いてあった。

中学二年だった私は、「ステレオのすべて ’77」も買いたかったが、
1,600円の41号と「コンポーネントステレオの世界 ’77」、
ごれだけ買ったら、もう余裕はまたくなくなっていた。

「ステレオのすべて ’77」は1,800円だった。
41号と「ステレオのすべて ’77」という組合せも考えた。
「ステレオのすべて ’77」と「コンポーネントステレオの世界 ’77」の200円の差は、
そのころの中学二年の私には、小さくなかった。

その「ステレオのすべて ’77」を、Kさんから譲ってもらったのは数年前。
もうボロボロになっていることと、もう一冊もっているから、ということで譲ってくれた。

「ステレオのすべて ’77」を読んでいて、そういうことだったったのか、
と気づかせてくれるキーワードがあった。

Date: 10月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その6)

ステレオサウンドで働くようになってから、ずっと菅野先生に、
直接、五味先生が書かれたことについて訊きたかった。

とはいえ、なんとなくストレートに切り出すのは気が引けていた。
何かの試聴のときに、ある話題が出た。
この時ならば、訊ける、と思ったので、ストレートに菅野先生に疑問をぶつけてみた。

あまり多くは語られなかったけれど、
「反論したかった」とまずいわれた。

でも、五味先生のステレオサウンドでの精神的支柱といえる存在、
菅野先生のとの年齢差、そういうこともあって、反論しにくかった……、
そんなようなことをいわれた。

肉体の感じられる音を目指していたのに、そこを否定されてしまった、ともいわれた。
そうだろう、と思ってきいてきた。

五味先生が聴かれたのは、菅野先生が37歳のころの音。
私が菅野先生の音を初めて聴いたとき、菅野先生は50をこえられていた。

私は、そのころの菅野先生の音を聴いていない。
だからはっきりしたことは何もいえないのだが、
それでも、菅野先生が肉体を感じさせる音を目指されていたのは、
書かれていたものからも感じていた。

ならば、なぜ五味先生は、菅野先生が目指されている音と正反対のことを書かれたのか。
五味先生は1980年に亡くなられているから、五味先生に訊ねることはできない。

菅野先生にも、五味先生が、ああ書かれたのか、その理由はわからない、と。
わからないから、あるメーカーの人のように、
菅野先生がパイプだったのが、五味先生は気にくわなかった──、
そんなことがいわれることにつながっているのだろう。

けれど、オーディオ巡礼を読んでいた人ならば、
五味先生がそういう人でないことは感じとっているはずだし、わかっている。

疑問は残ったままだった。

Date: 10月 17th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その5)

「五味オーディオ教室」のしばらくあとにステレオサウンドと出合った。
41号と別冊の「コンポーネントステレオの世界 ’77」である。

この二冊のステレオサウンドで、菅野先生の書かれたものを初めて読む。
他の方の書かれたものもそうだった。

それから42号、43号……、と毎号ステレオサウンドを買っては、
文字通りじっくり読んでいた。

鞄のなかには教科書といっしょにステレオサウンドを必ず一冊いれて学校に通っていた。
休み時間には読んでいた。
学校で読み、家に帰ってからも読み、という学生時代だった。

それだけの読み応えがあった。
これだけ読んでいれば、それぞれのオーディオ評論家の音の好みは、
自然とわかってくる。

「五味オーディオ教室」から二年近く経っていただろうか、
菅野先生の音が、肉体の感じられない、肉体の臭みのない音とは思えない、と。

私がステレオサウンドを読みはじめたのは、1976年12月から。
五味先生が菅野先生のリスニングルームを訪問されてから七年ほど経っている。

七年前と同じ音を鳴らされているわけではない。
としても、整合性がここにはない。
どういうことなのだろうか、と思い始めていた。

ステレオサウンドで働くようになったのは、1982年から。
ここでも二年くらい経ったころに、あるメーカーの人と、この話になった。

その人は、こういっていた。
「五味さんの嫉妬から」だと。

そのころの菅野先生はパイプというイメージがあった。
五味先生は1921年生れ。菅野先生よりも11上である。

その人は、若造(菅野先生のこと)がパイプなぞ吸っている──、
そこが五味さんは気にくわなかったから、あんなことを書いたんだよ、と。

そんなふうに解釈する人もいるんだ、と思いながら聞いていた。
反論する気も起らなかった。

Date: 10月 16th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その4)

井上卓也、岩崎千明、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、
私が読みはじめたころのステレオサウンドのメインは、この人だった。

七人のオーディオ評論家。
私は、菅野先生の名前を最初に知った。
「五味オーディオ教室」で知った。
     *
「オーディオすなわち〝音〟であり、〝音〟をよくすることによって、よりよい〝音楽〟がえられる」——この一見自明である理が、はたしてほんとうに自明のことであるのかどうか、まずその疑問から話を始めたい。
 以前、評論家の菅野沖彦氏を訪れ、その装置を聴いたときのことである。そこで鳴っているのはモニターの鋭敏な聴覚がたえず検討しつづける音であって、音楽ではない。音楽の情緒をむしろ拒否した、楽器の明確な響き、バランス、調和といったものだけを微視的に聴き分ける、そういう態度に適合する音であった。むろん、各楽器が明確な音色で、バランスよく、ハーモニーを醸すなら当然、そこに音楽的情緒とよぶべきものはうまれるはず、と人は言うだろう。
 だが理屈はそうでも、聴いている私の耳には、各楽器はそのエッセンスだけを鳴らして、音楽を響かせようとはしていない、そんなふうにきこえる。たとえて言えば、ステージがないのである。演奏会へ行ったとき、われわれはステージに並ぶ各楽器の響かせる音を聴くので、その音は当然、会場のムードの中できこえてくる。いい演奏者ほど、音そのもののほかに独特のムードを聴かせる。それが演奏である。
 ところがモニターは、楽器が鳴れば当然演奏者のキャラクターはその音ににじんでいるという、まことに理論的に正しい立場で音を捉えるばかりだ。——結果、演奏者の肉体、フィーリングともいうべきものは消え、楽器そのものが勝手に音を出すような面妖な印象をぼくらに与えかねない。つまりメロディはきこえてくるのにステージがない。
 電気で音をとらえ、ふたたび電気を音にして鳴らすなら、厳密には肉体の介在する余地はない。ステージが消えて当然である。しかしそういう電気エネルギーを、スピーカーの紙の振動で音にして聴き馴れたわれわれは、音に肉体の復活を錯覚できる。少なくともステージ上の演奏者を虚像としてではなく、実像として想像できる。これがレコードで音楽を聴くという行為だろう。かんたんにいうなら、そして会場の雰囲気を音そのものと同時に再現しやすい装置ほど、それは、いい再生装置ということになる。
 レコード音楽を家庭で聴くとき、音の歪ない再生を追及するあまり、しばしば無機的な音しかきこえないのは、この肉体のフィーリングを忘れるからなので、少なくとも私は、そういうステージを持たぬ音をいいとは思わない。そしておもしろいことに、肉体が消えてゆくほど装置そのものはハイ・ファイ的に、つまりいい装置のように思えてくる。

 この危険な倒錯を、どこでくい止めるかで、音楽愛好家と音キチの区別はつくと私は思ってきた。オーディオの世界に足を踏み入れたものなら一度は持ってみたいと思うスピーカー、ジム・ランシング(JBL)のトーン・クォリティを、以前から、私がしりぞけてきたのはこの理由からである。ジムランが肉体を聴かせてくれたためしはない。むろん、人それぞれに好みがあり、なまじ肉体の臭みのない、純粋な音だけを聴きたいと望む人がいて不思議はない。そしてそういう、純粋に音だけと取組まねばならぬ職業の一人が録音家だ。この意味で菅野さんがジムランを聴くのは当然で、むしろ賢明だと思う。
 しかしあくまでわれわれシロウトは、無機的な音ではなく、音楽を聴くことを望むし、挫折感の慰藉であれ、愛の喪失もしくはその謳歌であれ、憎悪であれ、神への志向であれ、とにかく、人生にかかわるところで音楽を聴く人に、無機的ジムランを私は推称しない。むろんこれは私個人の見解である。
     *
ステレオサウンド 16号での「オーディオ巡礼」でのことである。
1970年のことだ。

このときの「オーディオ巡礼」で、瀬川先生のところにも訪問されている。
瀬川先生も、菅野先生のスピーカーとほぼ同じ構成であったころだ。

瀬川先生のところでは、肉体が消えてゆく、ということはなかった。

このことを菅野先生に訊いたことがある。

Date: 10月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その3)

1月14日。
杉並区の中央図書館の視聴覚ホールにて、
オクタヴィア・レコードの江崎友淑氏による講演会「菅野録音の神髄」が行われた。

十年ぶりに、この日、菅野先生と会えた。
短い時間ではあったが、話もできた。

この時、「これが最後かも」という予感があった。
そうなってしまったけれど、人は必ず死ぬ。

世の中に「絶対はない」といわれているけれど、
死は絶対である。

50をすぎたころから、友人たちにもよくいうようになった、
「50過ぎたら、いつ死んでも不思議じゃない」と。

そう思っている私は、今日、菅野先生の訃報をきいても、
頭の中がまっしろになったりはしなかった。
冷静に受け止めていた。

こうやって菅野先生のことを書き始めた。
だからといって感傷的になっていたわけではなかった。

それでも(その2)に、川崎先生のコメントがfacebookであった。
読んでいて、涙が出てきた。

Date: 10月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その2)

同じころだったか、
菅野先生のさみしそうな表情を見ている。

みんな、いなくなった……、
そんなことをいわれての表情だった。

みんなとは、まさしくみんなである。
オーディオの仲間でありライバルでもあった人たち、
同世代の人たち、
1977年に岩崎先生が、1981年に瀬川先生が……、
そうやって菅野先生のまわりから、みんながいなくなった。

若い人たちがぼくの話をきいてくれるのは嬉しい、といわれていたけれど、
みんないなくなってしまったさみしさは、どうにかなるものではない。

最後まで生きていた者があじわうさみしさは、
菅野先生にあった(とおもっている)。

Date: 10月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(その1)

不謹慎なヤツとか薄情なヤツとかいわれそうだが、
10月になると、ここ数年、もしかすると……、とおもっていた。

もう十年以上前になる。
菅野先生と話していて、グレン・グールドのことが話題になった。
そのとき、菅野先生の誕生日とグールドの誕生日が近いことを言った。

二人とも1932年9月生れで、
グールドは25日、菅野先生は27日である。

グールドはトロント、菅野先生は東京。
時差はけっこうある。

グールドが何時ごろなのかはしらないが、
もしグールドが26日になる寸前に生れていて、
菅野先生が27日になったと同時ぐらいだったら、ほぼ同時ぐらいではないか、
そんなことを菅野先生に言った。

菅野先生も、グールドには、他の演奏家(クラシック、ジャズ関係なく)には感じない、
強いつながり、ひじょうに近いものを感じている、といわれた。

だから10月は気になっていた。
グレン・グールドは10月4日に亡くなっている。

誕生日が近いだけじゃないか──、
それだけのことと思う人はそれでもいい。

でも、私はここ数年、10月の第一週あたりは、特に気になっていた。
今年も何もなく10月の第一週は過ぎた。

少しだけ、ほっとしていた。
けれど、やはり10月だった……。

Date: 10月 15th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと

菅野沖彦(1932年9月27日 – 2018年10月13日)

Date: 7月 27th, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その18)

その10)で引用した
青山ホールの《響きをとったわけじゃない》という菅野先生の発言。

ホールの響きをとらないのに、スタジオではなくホールなのか。
ステレオサウンド 49号で、そのことについて語られている。
     *
菅野 ただね、エコーがなくても、空間感というのは、必要なんですよ。よくジャズだから、エコーいらないのだから、そんな広いホールでやる必要ないという人がいますが、実はそうではないのてす。やはり、ホールの持っている容積は、そこで出る音を決定的に左右するわけなんです。必ずしもエコーだけのためでなく、ある空間の中でのびのびした音というようなことから使うわけです。
保柳 のびのびというのかな。
菅野 要するに、音の抜けがよくなる。そんな意味からも使う。デッドであっても、容積の大きなホールは、音が抜けるということもあるし、逆に小さなところであれば、抜けが悪く飽和して、モヤモヤになってしまう。まあ、音楽の性格を考えたとき、必ずしもエコーを必要としなくても、ある容積を持ったホールを使うことになります。
保柳 よくいうんですけれど、アコースティック楽器というのは、ある空間を初めから、計算に入れて作られていますね。
菅野 そうそう、だから大きすぎるのも困る。
保柳 ヴァイオリン一つにしても、スタジオでとると、これはという音がなかなかとれない。確かにある水準はとれる、いいスタジオであれば。しかし、どこか違う。抜けというか、ほんとうのヴァイオリンの音になってこない。その同じヴァイオリンがホールへ持っていくと不思議とヴァイオリンの音になってくるんですね。
     *
ここでのエコーは、その前の発言で、
保柳健氏がいわゆるエコーをつけることを語られているため、
電気的なエコーと録音空間の残響とが一緒くたになっているようだ。

空間の大きさと空気の硬さとの関係は、何も録音の現場だけでの話ではなく、
再生の場、つまり家庭での空間についても、ひとしく同じことがあてはまる。

昔から、小さな空間は空気が硬い、といわれていた。

Date: 4月 27th, 2018
Cate: 菅野沖彦, 録音

「菅野録音の神髄」(余談)

菅野先生の録音とはまったく関係ない話だが、
昔ステレオサウンドで読んだ、あるエピソードは、興味深いものがある。

55号の音楽欄に掲載されている。
「今日の歌、今日のサウンド ポピュラー・レコード会で活躍中の三人のプロデューサーにきく」
RVCの小杉宇造氏、CBSソニーの高久光雄氏、ポリドールの三坂洋氏が登場されている。
聞き手は坂清也氏。

9ページの記事。
引用するのは、三坂洋氏の発言のごく一部である。
機会があれば、この時代の日本の歌の録音を聴く人は、読んでほしい、と思う。
     *
 たとえば森田童子の最初のLPを制作したときのことですが、彼女は弾き語りでうたったときのニュアンスが最高にいいんです。彼女のメッセージの背後にあるデリケートな体臭とか人間性が、弾き語りのときには蜃気楼みたいにただようんです。それをレコーディングのときに、まずオーケストラをとり、リズム・セクションをとり、そのテープのうえに彼女のうたをかぶせる、といった形で行なうと、その蜃気楼みたいなものが、どこかへ消えてしまうんじゃないか、と確信しました。
 そこで、まずいちばん先きに彼女のギターとうただけをとり、そこにベースをかぶせドラムスをかぶせ、さらに弦をかぶせて、そのあとでベースとドラムスをぬいてしまったんです。したがって出来上りは、弦のうえに彼女の弾き語りがのっかる、という形になったわけです。ベースとドラムスは弦のためみたいなもので、ことにドラムスのリズムの拍数が分らないと、弦は演奏できませんから(笑い)。
     *
森田童子の最初のLP、
「GOOD BYEグッド・バイ」でとられたこういう手法は、
何もこのディスク(録音)だけにかぎったことではなく、
ずいぶんと多いと思います、と三坂洋氏はつけ加えられている。