確信していること(その26)
音楽之友社から1976年末に出た「ステレオのすべて」に、
黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹、三氏による記事
「リアリティまたはリアリスティックとプレゼンスの世界から いま音楽は装置に何を望むか」。
この鼎談は、瀬川先生の音について考えていく上で読んでおきたい記事であり、
同時に菅野先生の音について考える上でも読んでおきたい。
しかもこの年の春に出ているステレオサウンド 38号の、
いわば続きといえる内容だけに、
38号の特集「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」の後に読むべき記事である。
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菅野 僕は瀬川さんといつもよく話すことなんだけど、瀬川さんもJBLが好きで、僕もJBLが好きで、何年か前に瀬川さんのところへ行ってJBLを聴かせていただいた時にものすごくすばらしい音だと思った。だけどそこで聴いた音はね、僕からするとまったく今我々の申し上げたプレゼンスの傾向としてすはらしい音だと思ってしびれたわけです。それで僕が鳴らしているJBLというのは今度は今いったリアルの傾向で鳴らしているわけですね。それでよくお互いに同じスピーカーを使ってまあ鳴らし方がちがうなというふうに言っているわけで、つまりこれは鳴らし方にも今製品で言ったけどね、鳴らし方にもそういう差が出てくるというね、そこまで含められてくるでしょうね。
黒田 それで今回のこの企画のことを話された時に、菅野さんのそのリアリスティックで聴くっていう話しを聞いて、僕はやっぱり以前その聴かせていただいた音がピンときている。なるほどあれはリアリスティックという言葉を好んで使いそうな男の音だと、それで瀬川さんはプレゼンスだと。全くそうだと。それはその両者がそういう言葉を頻繁にお使いになるのは当然だと僕は思ったんです。で、ただその煮つめていけばどっかで同じになっちゃうことなんで、それを何かここではっきりさせようというのがどうもその編集部の意図らしいんです。
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リアリスティックとプレゼンス。
ステレオサウンド50号から連載が始まった瀬川先生のリスニングルームの記事。
そのタイトルは「ひろがり溶けあう響きを求めて」であり、
これらのことを抜きにして、たんなる音のバランスだけで、
瀬川先生の音を、活字(誌面)から読みとろうとしても、無駄というよりも、
知人のように間違った方向にいくことだってある。
4年前に「4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その14)」を書いたことを、もう一度書いておく。
それでは瀬川先生の音のバランスの特長は、どこにあるのかといえば、
それは、基音(ファンダメンタル)と倍音(ハーモニクス)とのバランスにある、と推断する。
これを理解できずに、瀬川先生の出されていた「音」を、周波数スペクトラム的な観点から、や、
使用されていたオーディオ機器への観点から追い求めても、まったく似ても似つかぬ(ただの)音になってしまう。
残念なのは、基音と倍音のバランスの観点(感覚)から、
実際に瀬川先生の「音」を聴かれた人の、瀬川先生の「音」について語られているのが、ない、ということだ。