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Date: 10月 31st, 2012
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その10)

モノーラル時代の大型スピーカーシステムは、そのほとんどが低音に関してもホーン型になっている。
しかも折曲げホーン、つまり縮小ホーンを採用している。

ホーン型は理論通り、計算式通りにつくると、大きくなりすぎる。
部屋ごと家ごとの製作となってしまう。
少なくとも運搬できる、製品として市場に流通できるものではなくなるから、縮小ホーンの採用となる。

縮小ホーンの代表格は、Kホーンとも呼ばれることの多い、
ポール・クリプシュによる考案のクリプッシュホーンである。

クリプシュホーンも、その原型はウェスターン・エレクトリックのW型フォールデッドホーンにまで遡るわけだが、
クリプシュホーンは、フルサイズの低音ホーンを1/16にまでできる、と謳っていた。

低音域までホーン型にでき、そのうえ通常のホーンよりも小型化できる。
いくつものスピーカーメーカーが採用するのもわかる。
クリプシュホーンそのまま、というものもあれば、
各社なりにオリジナルのクリプシュホーンをアレンジしているものもある。
そのどちらにしても、クリプシュホーンを採用する以上、ウーファーはかくれて見えない。

JBLのハーツフィールド、ヴァイタヴォックスのCN191、
これらをオーディオをまったく知らない人が見て、スピーカーだとわかる人はいないように思う。
一般の人がイメージするスピーカーはコーン型ユニットであり、
クリプシュホーンを採用したシステムでは、
通常のスピーカーのようにサランネットを外せばユニットが見える、ということはなく、
ホーンの開口部からのぞき込んでもウーファーの姿を見ることはできない。

クリプシュホーンとは、そういうホーンである。
通常ホーンを、最大1/16まで縮小できるかわりに、ウーファーからの直接音を聴くことはできない。
ウーファーからの音は、折り曲げられたホーンを通って開口部から放射される。

Date: 10月 30th, 2012
Cate: 表現する

夜の質感(その2)

ステレオサウンドの試聴室では、よくマーラーを聴いた。
作曲家別でいえば、やはりマーラーがいちばん多かったかもしれない。

私がステレオサウンドで働きはじめたのは1982年、
最初に試聴で聴いたマーラーはアバド/シカゴ交響楽団の第一番だった、と記憶している。
これはサウンドコニサーの試聴で、一楽章を何度も聴いた。
出だしの、あのはりつめた感じの温度感が、スピーカーが変ると、アンプが変ると、
きりっとした空気感が漂いはじめもするし、どこかぬるい澱んだ空気にもなったりして、
温度感もそれにともない上下する。
こんな朝の空気では目も覚めない、といいたくなるものもあれば、
しゃきっと目が覚めるような感じにもなる。

次はレーグナーの第六番だった。
インバルの第四番、第五番も何度聴いたことだろう。
小澤征爾の第二番は、井上先生がよく使われていた。

これら以外のマーラーも、単発で試聴に使われることがあった。

試聴はときどき夜にかかることもあったけれど、
ほとんどは昼間に行われる。場合によっては朝から、というときもあった。
明るい時間帯にマーラーの交響曲をくり返し聴く。

別にマーラーに限らないのだが、
マーラーを聴きたい気分だろうが、そんなことは関係なくくり返し聴くのが試聴であり、
それゆえに試聴レコードの選定の難しさがある、といえる。

自分のシステムで聴くマーラーとは違う接し方・聴き方のマーラーがあった。
そのおかげで気がつくことがあった。

Date: 10月 30th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十三・チャートウェルのLS3/5A)

マランツのModel 7とマッキントッシュのC22、
真空管コントロールアンプの名器として語られ続けている、このふたつ。
どちらが優秀なアンプなのか、ということになると、どこに価値を置くかによって違ってくる。

すでに書いているようにModel 7は欲しい、という気持がある。
けれどC22に対しては、そういう気持は、まったくとはいわなけれど、ほとんどないに近い。

こう書くと、お前はModel 7の方を優秀とみているんだな、と思われるだろう。
優秀という言葉のもつニュアンスからいえば、Model 7が優秀だと思う。
けれど、どちらもアンプにしても聴くのは音楽である。
そうなると、必ずしもModel 7がすべての面でC22よりも「優秀」とは限らない。

ステレオサウンドが1970年代に出していた「世界のオーディオ」シリーズがある。
McINTOSH号も出ている。
この本の巻末に特別記事として「マッキントッシュ対マランツ」が載っている。
サブタイトルは、〈タイムトンネル〉もし20年前に「ステレオサウンド」誌があったら……、である。

McINTOSH号は1977年秋に出ているから、20年前となると1957年となる。
ステレオサウンドはまだ創刊されていない。
ステレオLP登場直前のころである。
Model 7もC22もまだ世に出ていない。

だから、この記事に登場するのは、マッキントッシュはC8SとMC30をそれぞれ2台ずつ、
マランツはModel 1を2台とステレオアダプターModel 6を組み合わせたものと
Model 2(当然こちらも2台) を用意して、
スピーカーシステムはJBLのハークネスに、プレーヤーはトーレンスのTD124にシュアーのダイネティック。

これらのシステムを、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、四氏が試聴されている。

Date: 10月 30th, 2012
Cate: 表現する

夜の質感(その1)

五味先生は、著書「いい音いい音楽」のなかで、こんなことを書かれている。
     *
「ハイドンは朝きく音楽だ」
 と言った人があるほど、出勤前などの、爽快な朝の気分にまことにふさわしい音楽である。そしてあえて言えば、ハイドンは男性の聴く音楽である。
     *
すこし誇張された書き方なのはわかっている。
けれど、たしかにそうだ、と読んだときに思ったものだ。
ハイドンのすべての作品が朝きく音楽、というわけではないだろうが、
ハイドンの作品でよく知られているものに関しては、そんな気はするし、
特に男性の聴く音楽というところは、まさにそうだと思う。

ハイドンが朝きく音楽であるとすれば、夜きく音楽はマーラー、ということになるだろう。

いまの季節、快晴の日は空が高くて、しかもからっと気持がいい。
そんな日の朝に、マーラーの交響曲(第四番ならまだしも)は、ふさわしい音楽はいえない。
朝からどんよりとした陰鬱な朝であれば、まだマーラーの交響曲もいいかもしれないけれど、
やはりマーラーは夜きく音楽だろう。

朝、マーラーの交響曲、二番、六番、七番とかを聴いて、
さあ、仕事に出かけよう!、という人は、まぁ、いないと思う。

音楽の聴き方は自由、ともいえる。
いくつものことが自由である。
音量も、音質も、時間も、場所も。
ソースが手元にあれば、いつでもさまざまな音楽が聴ける。
聴けるから、といって、その音楽にふさわしい時間というものがあることを、聴き手は無視できない。

けれどそうもいってられない状況もある。
ステレオサウンドの試聴室での取材が、そうだ。
天気のいい昼間からマーラーをかけることが多かった。

Date: 10月 30th, 2012
Cate: SUMO

SUMOのThe Goldとヤマハのプリメインアンプ(その9)

なぜなのか? は、当時からもあれこれいわれていた。

ちょうどそのころからアンプの電源部のコンデンサーの容量が増えはじめたころでもあった。
だから、電源部のコンデンサーに電荷がたまるまでの時間が、それだけ必要だ、という説があった。
そうかもしれない。
でも、そうだとしたら電源を入れておくだけですむはずであって、
鳴らしておかなければウォームアップにはならない、ということはないはず。

実際は違う。鳴らさなければならないし、
やっかいなのは鳴らしておいて、しばらく聴かずにそのままにしておいて、
ふたたび聴こうとしたら、またウォームアップの時間が、短いとは必要となることもある。
電源は落としていないにもかかわらず、こういうことが起きる。
となると、電源部のコンデンサーだけの問題ではないことは、はっきりする。

いまのところ、ウォームアップの挙動にはバイアス回路が深く関係している、という一応の決着がついている。

ふたつのアンプがある、とする。
どちらも同じ回路、同じ部品、同じコンストラクションで組み立てられている。
バイアス回路もまったく同じ設計なのだが、その取付け位置だけが異る、というアンプでは、
ウォームアップの挙動に違いがあらわれる。

バイアス回路は出力段の温度補償も行っている。
トランジスターは温度が上昇すればバイアス電流が多く流れる性質がある。
電流が増えれば温度はさらに上昇する。上昇すれば電流はさらに多く流れる……。
そして熱暴走を起すのを防ぐためにも、バイアス回路は大事な役割を担っている。

バイアス回路を構成する一部の素子はヒートシンクに取り付けられる。
問題は、その取付け位置と取付け方法であり、
これによりウォームアップの挙動が大きく変ってくる。

Date: 10月 29th, 2012
Cate: SUMO

SUMOのThe Goldとヤマハのプリメインアンプ(その8)

ソリッドステートアンプの大半をしめる
NPN型トランジスターとPNP型トランジスターのペアによるプッシュプル回路、
正確にはSEPP(Single Ended Push-Pull)回路では、
ドライバー段のNPN型トランジスターとPNP型トランジスターのベース間にバイアス回路が設けられている。

バイアス回路が出力段の動作を決めるとともに、
出力段のトランジスターのアイドリング電流をコントロールしているわけで、
このバイアス回路が音質に影響しないのであれば、パワーアンプの設計はどれほど楽になるのわからないほど、
バイアス回路の設計、そしてその取付け位置は難しい、といわれている。

1970年代の後半からパワーアンプのウォーミングアップによる音質の変化が顕在化してきた。
電源をいれたばかりのときの音と、1時間、2時間、さらにはもっと長い時間鳴らしていることによって、
音質が明らかに良くなるアンプがある、といわれるようになってきた。

国産アンプでは、トリオのL07Mがそういわれていたし、
海外製のアンプではSAEのMark2500がそうだった。
これら2機種は、私自身が興味をもっていたこともあって、すぐ名前が浮んできたから、
こうやって書いているけれども、これら以外にもかなりの数のパワーアンプの、
いわゆる寝起きの悪さが、問題となりつつあった時期である。

しかもやっかいなのは電源をいれているだけではだめで、
実際に鳴らしていなければウォーミングアップは終らない、ということもあった。

仕事を終えて帰宅して、レコードを聴こうとする。
電源を入れてアンプがあたまって調子を出してきたころには、夜遅くになっている。
独身であれば帰宅後の時間は、ほぼすべて自由にできるだろうが、
家族をもっている人だと、そうもいかない。

そういう人にとっては、パワーアンプの長すぎるウォームアップの時間は、大きな問題である。

理想をいえば、電源をいれてものの数分で本調子になってほしい。
それが無理なことはわかっている。でも、できれば30分程度で、長くても1時間で本調子になってくれなければ、
家庭で音楽を聴く、ということ、つまりは生活の中で音楽をいい音で聴くには、
このウォームアップの問題はしんどすぎる。

Date: 10月 29th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十二・チャートウェルのLS3/5A)

マランツのModel 7について語られるとき、しばしば同じ時代の、
マランツとともにアメリカを代表するアンプメーカーであるマッキントッシュのC22が引合いに出される。

Model 7とC22、どちらも真空管時代の、もっとも著名なコントロールアンプであり、
オーディオ的音色の点から語るならば、対極にあるコントロールアンプともいえる。

C22の音について語られるとき、
その多くが、C22のもつ、いわゆるマッキントッシュ・トーンともいえる音色について、である。
その音色こそが、オーディオ的音色であって、
それこそがC22の魅力にもなっているし、C22の魅力を語ることにもなる。

Model 7は、というと、昔からいわれているように、
C22のようなオーディオ的音色の魅力は、ほとんどない、ともいえる。
だからModel 7の音は中葉とも表現されてきたし、
Model 7の音を表現するのは難しい、ともいわれてきている。

それはC22のようなオーディオ的音色が、そうとうに稀薄だから、である。

もちろんModel 7にも固有の音色がまったくないわけではない。
ただ、それはひじょうに言葉にしにくい性質ということもある。
Model 7は、そういうコントロールアンプである。

だから、私はModel 7に関しては、
Black BeautyではなくTRW(現ASC)のコンデンサーに交換したい、と思うわけだ。

それではC22だったら、どうするか、というと、正直迷う。
C22にもBlack Beautyが使われている。
当然、それらBlack Beautyはダメになっているわけだから交換が必要になる。
Model 7と同じようにASCのコンデンサーにするのか、となると、
良質のBlack Beautyが手に入るのならば、それにするかもしれない……。

購入する予定もないのに、そんなことを考える。
Model 7にはASCのコンデンサー、C22にはBlack Beautyとするのは、
何をModel 7のオリジナルとして捉えているのか、何をC22のオリジナルとして捉えているのか、
そこに私のなかでは違いがはっきりとあるからだ。

Date: 10月 28th, 2012
Cate: 録音

ショルティの「指環」(続々続・スコア・フィデリティ)

けれど、そのCDでもオペラによっては幕の途中でかけられるものがある。
ワーグナーのパルジファルや神々の黄昏、ジークフリートなどが、そうだ。

これはもうしかたのないことだと、CDが出たときからそう思ってもいたし、
もしもう少しCDのサイズが大きかったら、
ワーグナーの楽劇でも幕の途中でかけかえるということはなくなったかも、と思わないではなかった。

とはいえ、こういう長さの作品のほうが、音楽の全ジャンルをみてもごく少数なのだから、
注文をつけることではないのはわかってはいる。
それでも、今回のショルティのニーベルングの指環がブルーレイディスク1枚にすべておさまっている、
ときくと、やっとこういう時代が来た、という感がある。

ニーベルングの指環は四夜にわたって演奏されるわけだから、
ディスク1枚ごとに、ラインの黄金、ワルキューレ、ジークフリート、神々の黄昏がおさまって、
計4枚のセットでいいわけだが、それを飛び越えてすべてが1枚にまとまってしまった。

収録時間という点からのスコア・フィデリティにおいて、これ以上のものは必要としない。

とはいえ、CDでもリッピングしてコンピューターに取り込んでしまえば、
スコア・フィデリティは文句なしになる。

楽章の途中でも幕の途中でもリッピングしてしまうことで、
ひとつの楽章、ひとつの幕として切れ目なく再生してくれる。
このことはデジタルの大きなメリットだといっていい。

いまはハードディスクが大容量化されているから、
以前のように圧縮しなくてもCDのデータをそのまま取りこめる。
そうしたデータをコンピューターから再生してもいいし、
iPodにコピーして、ワディアのiTransportなどを利用してデジタル出力を取り出しD/Aコンバーターに接続、
という聴き方をすれば、
iPodがブルーレイディスクをこえる記録容量をもつパッケージメディアとみることができる。

だから私は、別項「ラジカセのデザイン!」の(その11)でも書いているように、
iPodを21世紀のカセットテープだと考えている。

カセットテープの対角線は、世に出なかったものの、もともとのCDの直径でもある11.5cm。
もしCDが11.5cmのまま登場していたら、
16ビット、44.1kHzの規格ではベートーヴェンの第九は1枚に収まらなかった。
フィリップスは最初14ビットで行こうとしていた。16ビットを強く主張し実現させたのはソニーである。
14ビットだったら、11.5cmでも第九はすんなりおさまったのかもしれない。

とにかくいまはどんなに長い演奏時間を必要とする作品でも、
切れ目なく再生することがいともたやすくできる時代になった。

それは、聴き手に音楽を聴くことのしんどさを思い出させてくれることでもある。

Date: 10月 28th, 2012
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その9)

5日前(10月23日)、こんな記事をインターネットで見かけた。
タイトルには「BALMUDA 風を発明した男」とある。
WIREDの記事だ。記事は5ページある。その4ページ目には、こうあった。
     *
「人間が自然の力や電気の力を利用して、自然界と類似の現象を再現することが機械の役割だとすると、自然の風を再現することこそが、これまでにない扇風機をつくるヒントになるんじゃないかと思いました。自然のそよ風は気持ちいいけれど、扇風機の風にずっと当たっていると、疲れますよね。それは、軸流ファンで空気を前に送り出すため、どうしても空気が渦を巻いてしまうからなんです。それに対して自然の風というのは、大きな面で移動する空気の流れなんです。これを、どうにかして扇風機で生み出せないかと考え始めました」

このとき、またしても寺尾を助けたのが春日井製作所であった。ここの職人たちが、扇風機を壁に向けて使っているのを、思い出したのである。

「職人さんたちは、快適な風を生み出す方法を、長年の経験から知っていました。風を一度壁にぶつけることで空気の渦成分が壊れ、面で移動する空気の流れに変わるわけです。確かにそうしてみると、風が柔らかくなるんですよ。やるべき方向性が見つかりました。あとは、どうやってそれを、『扇風機』のなかに落とし込むかでした」
     *
このところを読んだ瞬間、私の頭の中に同時に浮んできたのは、
エレクトロボイスの30Wの使い方だった。

扇風機が送り出す渦を巻いている風が、
ピストニックモーションによる低音だとすれば、
扇風機の風を一度壁に当ぶつけることで、その渦成分がくずれて風が柔らかくなるのであれば、
ピストニックモーションの低音が壁にぶつかることで、どうなるのか、
それを想像してしまった。

そして、この想像は、モノーラル時代の大型スピーカーシステムの構造へと飛ぶ。
エレクトロボイスのパトリシアン・シリーズ、ヴァイタヴォックスのCN191、JBLのハーツフィールドなどである。

Date: 10月 28th, 2012
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その8)

2002年、インターナショナルオーディオショウのタイムロードのブースにて、
ジャーマンフィジックスのThe Unicornを聴いて以来、
ジャーマンフィジックスのDDD型ユニットの音、The Unicornの音に惹かれるとともに、
ピストニックモーションに対する疑問が少しずつ大きくなってきている。

いま市場にあるスピーカー、
これまで登場してきたスピーカーのほぼすべてはピストニックモーションによって音を出している。
これまでは考えられてきた発音原理の多くもピストニックモーションの追求から生れてきている。

ピストニックモーションを完璧にすることがスピーカーの本当の理想像なのか、と思う。
完全なるピストニックモーションが実現できたとしたら、
その音に、音楽を聴いて何を感じるんだろう……とも思う。
正直、予測できない面もあり、もしかすると……と思う面もある。

でも、そういうことは完全なピストニックモーションが世に出てきたときに、
やっぱりそうだったのか、か、間違っていたな、とか、判断すればいいことと思いながらも、
DDD型ユニットのベンディングウェーヴという、非ピストニックモーションの発音原理のもつ可能性のほうに、
私の関心は、2003年からずっと、そこにある、といっていい。

現在のところ、低音域に関してはそれほど下まで再生はできないものの、
いちおうフルレンジ的に使えるスピーカーユニットとしては、
どちらもドイツ製の、DDD型ユニット、マンガーユニットがある。

ジャーマンフィジックスはDDD型のウーファーユニットを開発している、といっているものの、
いまだ登場しないところをみると、
実現は可能でも製品化が難しいのか、それとも実現困難なのか、はわからないが、
いまのところベンディングウェーヴで十分な低音域まで再生することは望めない。

そうなるとウーファーに関しては、現時点ではコーン型ユニット、
いいかえればピストニックモーション型のウーファーの助けを借りることになる。

ピストニックモーションのウーファーに、ベンディングウェーヴのフルレンジという組合せは、
竹に木を接ぐ的なところを感じなくもないが、実際にはこの手法しかないし、
それに菅野先生のリスニングルームでは、
竹に木を接ぐ的な面はいっさい感じさせない見事さが実現されていることを何度も耳にして体験しているだけに、
それほどウーファーの非ピストニックモーションにこだわることもない、とは思いつつも、
それでも非ピストニックモーションで、
ピストニックモーションのウーファーと同程度の低音再生ができないのか、とは考えてはいた。
それも無理すれば家庭におさまる範囲内で、である。

Date: 10月 27th, 2012
Cate: 録音

ショルティの「指環」(続々・スコア・フィデリティ)

ベートーヴェンの第九交響曲は、ベートーヴェンの作曲した交響曲の中でもっとも長いし、
ベートーヴェン以前の作曲家による、いかなる交響曲よりも長い演奏時間を必要とするけれども、
うまいぐあいにLPだと、それぞれの楽章がレコードの片面におさまってくれる。

けれど同じベートーヴェンのフィデリオになると、そううまくいかない。
フィデリオは2幕からなるオペラだが、
第1幕の演奏時間は約70分、第2幕は約60分だから、
LP片面に1幕すべてを刻むことは、
どんなにカッティングレベルを低くしたところで無理なことであって、
幕の途中でレコードをかけかえることが、聴き手に要求される。

とうぜん、きりのよいところでかけかえられるようにはなってはいても、
幕の途中であることにはかわりはない。
どんなにレコードの扱い、レコードプレーヤーの扱いになれている人でも、
カートリッジを盤面からあげてトーンアームをもどし、レコードをとりあげ裏返してターンテーブルにセットする。
それからカートリッジを降ろす。

レコードプレーヤー目の前に置いている人ならば、これだけの時間でまたフィデリオの再生は始まるが、
目の前にオーディオ機器を置くのが嫌なひとは、
レコードプレーヤーのところまでいって椅子に戻るまでの時間も、さらに必要となる。

ベートーヴェンがフィデリオを作曲していたときにはまったく考えていなかった、考える必要もなかった、
こんな時間が、LPのときには生じていた。

交響曲でもマーラーとなると、
たとえば第二交響曲の第五楽章は、通常33分ぐらいから38分ていど演奏時間がかかる。
LP片面の収録時間は約30分。
音を犠牲にすれば、なんとかカッティングできるのだろうが、
マーラーの交響曲で音を犠牲にしてしまっては……、ということにもなる。

SPにくらべればぐんと収録時間は長くなり、かけかえの回数も減ったLPでも、
曲によっては楽章、幕の途中でかけかえることになっていた。

CDでは74分、実際にそれ以上の収録時間になってたため、
フィデリオもマーラーの第二交響曲も幕、楽章の途中でのかけかえはなくなった。

この意味での、スコア・フィデリティは、SPよりもLP、LPよりもCDが高い、ということになる。

Date: 10月 27th, 2012
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その7)

エレクトロボイスに、以前は30Wという、その名の通り30インチ(76cm)口径のウーファーがあった。
パトリシアン800にも搭載されているウーファーで、
1970年代には15インチを大きくこえる大口径のウーファーといえば、
この30Wかハートレーの224HS(24インチ・60cm口径)ぐらいだった。
フォステクスの80cm口径のウーファーFW800が登場するのは、もう少し後のこと。

これら3つの大口径ウーファーのなかで、やや異色なのは30Wである。
224HSもFW800も、ダイレクトラジェーター型としての使用が前提である。
30Wはパトリシアン800に採用されていることからもわかるようにホーンロードをかけることが、
ほぼ絶対条件ともいえる設計のウーファーである。

私自身は、これらの大口径ウーファーを使ったことはないけれど、
井上先生によると、30Wはかなりの空気負荷をかけないと、ボイスコイルを擦ってしまうことがあり、
さらにコーンの振動板は一般的な紙ではなく、発泡ポリスチレンを使っているためもあって、
カサカサという附帯音が出てくる、とのことだ。

30Wは大口径だから、大きな内容積をもつエンクロージュアにいれて、
たとえばリスニングルームの隣りの部屋をエンクロージュア代りに使い、
30Wは聴き手の方を直接向いている、というのは、決して正しい30Wの使い方とはいえない。

30Wを導入しようとする人は、
一般的な大口径、つまり15インチのウーファーでは無理な領域の低音を再生したいがためであって、
それだけ低い周波数までホーンロードをかけて、ということになると、
低音ホーンの長さ、開口部の大きさは相当なものになり、ごくごく一部の人しか使えないことになってしまう。

現実的な方法としては、適度な内容積の密閉型エンクロージュアにおさめ、
30Wを壁に向けて鳴らす、ということになる。
壁と30Wの距離を10cmから20cmくらいのあいだで調整していくわけだ。

こうすることでボイスコイルが擦ることもなく、カサカサという附帯音も気にならなくなる、ということだ。

これはあくまでも、ホーンロードがかけられないときの使い方であると思っていたのだけれど、
実はそうではなくて、低音再生において、つまり30Wの使い方ということだけではなくて、
この使い方には大きなヒントがあることに気がついた。

Date: 10月 26th, 2012
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その6)

スピーカーケーブルでも、ピンケーブルでも、
いつごろから安いものと最も高いものとの価格差が、これほど大きくなってしまったのだろうか。

安いものに関しては、以前よりも安くなっている一方で、
高いものは、記録でも更新するかのように、より高価なケーブルが登場してくる。

価格には下限はあっても上限はないから、
買う人がいるのであれば、これからも価格の記録更新はされていくだろう。

こういう非常に高価なスピーカーケーブルを、
本田氏と中野氏が試されたこと、
つまりスピーカーケーブルの長さを30mにして使う、ということをやったらどうなるのか。

価格的にはとんでもない金額になってしまう。
だが、ここではその金額について、ではなく、
果して、この手のケーブルで、30mの長さにしても安心して使える製品はいくつあるのだろうか、
ということを考えてしまう。

パワーアンプの負荷となるのはスピーカーシステムだけではない。
スピーカーケーブルも含めて、パワーアンプの負荷となる。
スピーカーケーブルの長さが1mと30mとでは、パワーアンプにとっての負荷は変る。
それもスピーカーケーブルの種類によって、その変化も変ってくる。

試したことはないし、
1m数十万、もしくはそれ以上の価格のケーブルを30mとなったら、いったいいくらになるのか、
だから、これから先も試す機会は絶対にないから断言はできないものの、
非常に高価なスピーカーケーブルの中には、使える長さに上限があるのではないだろうか。

スピーカーケーブルとして、30mでも50mでも使えるケーブルが優秀であって、
ある長さでしか使えないケーブルは、長くしても使えるケーブルよりも劣っている、
といえるのだろうか。

30mという長さのスピーカーケーブルを必要を必要とする状況はほとんどない、
実際にはパワーアンプをスピーカーの、
ある程度近くに設置すればスピーカーケーブルの長さはそれほど必要としないから、
そういう30mという長さで使えない、としても、実際の数mの使用では問題にならない──、
これも、そういえるのだろうか。

Date: 10月 26th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十一・チャートウェルのLS3/5A)

マランツのModel 7は、私がオーディオに興味をもちはじめた1976年には、
製造中止になって10年以上が経過していたし、すでにコントロールアンプの名器として扱われてもいた。
Model 7を聴いたのは、数年後である。

だからなのかもしれない、
私がいまModel 7を手に入れて、コンデンサーを交換するのであれば、
Black Beautyではなく、TRW(現ASC)のコンデンサーにする。

そんなことをしたら、Black Beautyの音色が変ってしまう。
つまりはオリジナルではなくなる、という意見がある。
それもわからないわけではない。

でもBlack Beautyを使ったからといって、他の部品は製造ロットによって多少変更されている。
そういうModel 7の、どれをオリジナルとするのか。
ごく初期のModel 7を、オリジナルということにしよう。

そのごく初期のModel 7に使われている部品と同じものを集めてきて、
手に入れたModel 7をごく初期のModel 7とまったく同じ仕様にした、としよう。
それは、たしかにごく初期のModel 7と同じModel 7といえるかもしれない。

そういうModel 7に高い価値を見いだす人もいるけれど、
私はそうではない。

私がModel 7が、いまも欲しい、と思うのは、
コントロールアンプのとしての完成度の高さと、
基本性能の高さ(物理特性的ではなく、音楽を再生する上での性能)から、である。

ごく初期のModel 7の音色をそのまま手に入れたいわけではない。
だからBlack Beautyを使う気はさらさらない。

シドニー・スミスの頭の中にあった、
シドニー・スミスが世に出したかったModel 7こそが、私の欲しいModel 7であって、
実際に市場に出たModel 7の音色ではない。

そして、ここでいう、Model 7の音色とは、オーディオ的音色のことである。

Date: 10月 26th, 2012
Cate: オリジナル

オリジナルとは(続×十・チャートウェルのLS3/5A)

1980年代から1990年代にかけて、シドニー・スミスがマランツのModel 7の、
メインテナンスと改良を行っていた、と聞いたことがある。
シドニー・スミスの手によるModel 7の実物を見たことがないので、
その詳細についてははっきりしないけれど、コンデンサーをすべて別の銘柄に交換している、らしい。

Model 7の信号系に使われているのは、
アンプの部品にさほど関心のない人でも、名前だけは聞いたことがある、というBlack Beautyである。
これが高温多湿の日本では、ことごとくダメになってしまう。
どんなに大切に使われてきたModel 7でも、それが日本で、ということならば、
Black Beautyは全交換ということになることが多い。

そのダメになったBlack Beautyを、何と交換するのか。
Black Beautyの未使用の新品を何としてでも入手して交換するのか、
それとももっと信頼性の高いコンデンサーにしてしまうのか。

人によって、考え方によって、異ってくる。
シドニー・スミスはBlack Beautyは選ばずに、当時のTRWのコンデンサーに置き換えた、そうだ。
TRWのコンデンサーは現在のASCのコンデンサーである。
TRWになる前はGoodAllという銘柄のコンデンサーだった。

シドニー・スミスに直接確かめることはもうできないので真偽のほどはっきりしないものの、
Model 7にもGoodAllのコンデンサーが使われる予定だったのだが、
コストの面でBlack Beautyになってしまった、とのことである。

だから本来使われるはずであったコンデンサー、
つまりシドニー・スミスがメインテナンスを行っていた時期のTRWのコンデンサーへと置き換えている。

この変更をオリジナルの改変、さらにはオリジナルの冒瀆と捉える人もいれば、
逆に、TRWのコンデンサーへの換装こそが、
Model 7の設計者であるシドニー・スミスの頭の中にあった「オリジナル」の実現、という受けとめる人もいる。

これは、どちらが正しいか、ということではなく、何をオリジナルとするかの違いによって生じることである。