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Date: 2月 6th, 2018
Cate: 「本」

雑誌の楽しみ方(書店の楽しみ・その1)

渋谷駅の南口に山下書店がある。

以前はよく渋谷にも出掛けていたが、ここ十年ほどは、めっきり足が向かなくなった。
以前ならばタワーレコードがあるし、東急ハンズもあるし、ということだけで渋谷に出掛けていた。

たまに渋谷に行ってもタワーレコードに寄って、
そのまま原宿まで歩いて電車に乗る、といった感じだ。

山下書店がある側にはほんとうに行かなくなっていた。
昨年12月、山下書店の前を通ることが数回あった。

特に買いたい本があったわけではないが、
ひさしぶりだな、と思って入った。

ぐるっと店内を一周して思ったのは、
山下書店には成人雑誌(ようするにエロ本)のコーナーがあった。

書店には小学生のころから行っている。
私が住んでいた熊本のイナカ町の書店にも、エロ本が置かれているコーナーがあった。
むしろ、この手の本をまったく置いてない書店はなかったように記憶している。

書店(というより本屋)は、そういうものだという認識が私にはある。
そんな私だから、山下書店にその手の本のコーナーがあって、いい本屋さんだな、と思った。

いまでは個人経営の書店からも、この手の本のコーナーはなくなりつつある。
いつごろからそうなっていったのだろうか。

雑誌がつまらなくなっているように感じはじめたころと、
書店からエロ本が排除されるようになってきたころというのは、無関係なのだろうか。

Date: 2月 6th, 2018
Cate: Noise Control/Noise Design

聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(その8)

大事なことだから、(その5)で書いたことをもういちど書いておく。

スピーカーユニットにCR方法を施すことで、聴感上のfレンジがのびたように聴こえるため、
そう書いているが、正しくはCR方法を施す前は、
なんらかの要因によって聴感上のS/N比が悪くなっており、
そのため聴感上のfレンジが狭く聴こえる、ということだ。

どっちでも同じことじゃないか、と考えないでほしい。

このことは聴感上のダイナミックレンジに関しても同じだ。
聴感上のS/N比がよくなると、
聴感上のダイナミックレンジが拡がるように聴こえる。
だから同じボリュウム位置でも、音量が増したようにも感じられる。

確かに聴感上のS/N比がよくなると、聴感上のダイナミックレンジが増す。
それでも正しくは、聴感上のS/N比が悪くなると、聴感上のダイナミックレンジが狭く聴こえる。
そのため音量が少し下がったようにも聴こえる。

ここでも、どっちでも同じじゃないか、と考えないでほしい。

Date: 2月 5th, 2018
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その11)

写す、といえば、まず浮ぶのは写真だ。
カメラを構えシャッターを切ることで、写す。

そうやって写したものを現像して印画紙に映す。
それは移すでもある。

この移す段階で、選ぶことが加わる。
シャッターを切って写した数多くのカットから、選ぶ。

「選ぶ」を五年待つ──、
今年(まだ一ヵ月くらいしか経っていないが)聞いた言葉で、
もっとも印象に残る、と言い切れるほどに、考えさせられる。

写真家のマイク野上(野上眞宏)さんから直接きいた、
この《「選ぶ」を五年待つ》は、できる場合とできない場合とがある。

定期刊行物の雑誌では、そんな悠長なことはいってられない。
月刊誌、週刊誌ではそれこそ撮影した現場で、使用するカットを選ぶこともある。

そこでの「選ぶ」には、感情が多分に含まれている。
撮影時のもろもろの感情を忘れ去るのに、時間がかかる。

Date: 2月 5th, 2018
Cate: 「オーディオ」考

オーディオがオーディオでなくなるとき(その8)

その店で売られているのは、
スピーカーシステム、アンプ、CDプレーヤー、ケーブルなどである。
非常に高価なモノばかりであっても、アンプはアンプであり、
スピーカーはスピーカーであるわけだ。

スピーカー、アンプ、プレーヤーをまとめてオーディオ機器と、
これまで何気なく呼んでいた。

けれど、ここにきて、アンプはアンプにかわりはないけれど、
つねに、どんな場合であってもオーディオ機器なのか……、
秋葉原のその店(オーディオ店と呼ぶよりトロフィー屋がふさわしい)に行ってから、
そう考えるようになった。

あの店は、立派なオーディオ店だよ──、
そう思っている人にとっては、その店で売っているアンプやスピーカーは、
紛れもないオーディオ機器ということになろう。

けれど私や私の考えに同意してくれる人にとっては、
その店で売られているスピーカーやアンプは、オーディオ機器なのか……、
と考え込んでしまう。

その店で売られているスピーカーやアンプが、
別の店(オーディオ店と呼べる店)で売られていたら、
オーディオ機器と、私だって認識する。

同じ製品が、ある店ではオーディオ機器として、
別の店ではオーディオ機器とは呼べない何か、として売られている(扱われている)。

また屁理屈をこねまわしている──、
そう思っている人もいるだろう。
私だって屁理屈かな、と思っているところはある。

それでも、屁理屈をこねまわしているだけだろうか、とやはり思うわけだ。
オーディオ機器とは何なのかを考えることが、
「オーディオがオーディオでなくなるとき」を考えることにつながっている、と感じている。

Date: 2月 5th, 2018
Cate: 「オーディオ」考

オーディオがオーディオでなくなるとき(その7)

別項「快感か幸福か(秋葉原で感じたこと・その3)で、
その店は、オーディオ店ではなくトロフィー屋だと書いた。

オーディオがオーディオでなくなった実例だ、と私は思っている。

Date: 2月 4th, 2018
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その13)

より正確な波形再現を目指して、
スピーカーの前にマイクロフォンを立てての、実際の音楽波形を使っての測定。

マイクロフォンセッティングに関するこまかなこともきちんとやったうえで、
かなり正確といえるレベルまできたとしよう。

アマチュアの場合、無響室などないから、
マイクロフォンの位置はスピーカーから1mも離れていないであろう
近距離、数10cm程度のところで測定しての波形再現である。

もちろんスピーカーは一本での測定での波形再現である。
そうやって製作したスピーカーで音楽を聴くのであれば、
左右のスピーカーは、左右の耳の真横、
それもスピーカーとマイクロフォンの距離と同じだけ離して置くことになる。

10cmのところで測定していたのであれば、
耳から10cmのところにスピーカーを置く。
向い合った二本のスピーカーのあいだに聴き手は座って聴くかっこうになる。

私がSNSでみかけた波形再現を追求したという人は、
通常のセッティングで聴いていた。
それでは、ほんとうに波形再現を目指していた、といえるのか。

その人の測定の方法からすれば、耳の真横に置くことになる。
さらにいえば、左右のスピーカーの音が混じりあわないように、
中央に仕切り板も必要となる。

つまり仕切り板で、聴き手の右耳と左耳とを分離しなければならない。
それがその人がやっていた波形再現の理屈である。

そうなってくると、巨大なヘッドフォン(イヤースピーカー)といえる。
そしてそれはステレオフォニック再生ではなく、バイノーラル再生である。

Date: 2月 4th, 2018
Cate: 再生音

続・再生音とは……(波形再現・その12)

マイクロフォンを使ってスピーカーの測定には、つねに曖昧さといっていいものがつきまとう。
正弦波を使っての、もっとも基本的な測定であっても、
スピーカーからの距離が変れば、高域の特性は変化する。

スピーカーから1mでの周波数特性と2m、3m……と離れていった場合の特性は、
高域の減衰量が違ってくる。
同じ距離であっても、マイクロフォンの高さが違えば、また変ってくる。

それから微妙なことだが、マイクロフォンがきちんと正面を向いているかどうか。
少し斜め上になっていたり、左右どちらかに少しズレていたりしたら、
それだけでも測定結果は変ってくる。

距離も高さも同じでも、湿度が違えば、また違ってくる。
空気も粘性をもっているのだから、考えれば当然のことである。

そこにマイクロフォンのことが絡んでくる。
測定用のマイクロフォンなのかどうかである。
測定用であっても、きちんと校正されているのかどうか。

いまではスマートフォンとアプリがあれば、簡単な測定は可能である。
外部マイクロフォンをもってくれば、もう少し正確な測定ができるようになる。
測定が手軽に身近になっているのは、いいことだと思う。

それだけに、いま自分が何を測定しているのかは、常に意識しておく必要がある。
特にスピーカーからの音をマイクロフォンで拾い、
その波形とCDプレーヤーからの出力波形とを比較して、
どれだけの再現率があるのかをみるのに、どんなことが要求されているのか、
ほんとうに理解しての波形の比較なのだろうか。

しかもスピーカーは、ステレオ再生の場合、二本必要である。
モノーラルが二つあれば、
それでステレオ(正確にはステレオフォニック)となる──、
そう考えているのだとしたら、正しくはない。

Date: 2月 3rd, 2018
Cate: 再生音

実写映画を望む気持と再生音(STAR WARS episode VIII・その1)

2017年は、最初のSTAR WARSが公開されてから40年目だった。
とはいえ1977年に公開されたアメリカであって、日本公開は1978年である。

1978年にSTAR WARSを観たときのことは、いまでも思い出せる。
特に冒頭のシーン。

そのころ特撮は日本が優れている──、そんなことがいわれていたけれど、
なんてことはない、STAR WARSの冒頭数分で、覆されていった。

それは日本とアメリカという国の大きさの違い、パワーの違いのようにも感じた。
ある意味、特撮の最新技術に昂奮していたところもある。

それから40年間に、映画の技術も進歩し変化していった。
CG(Computer graphics)によるCGI(Computer-generated imagery)、
具体的にいえばジュラシックパークの一作目を観たときも、
そこにはSTAR WARSの一作目と同じ昂奮を感じていた。

CGはどんどん進歩していっている。
もう描けないシーンはないのでは……、といえるほどになっている。
もうたいていのことでは、観る側も驚かなくなっている。

昨年12月にSTAR WARSの最新作を観た。
通常の上映、つまり2Dの上映で観た。

今年の2月1日、IMAX 3DでもういちどSTAR WARSを観た。
二度目の鑑賞にも関らず、冒頭のシーンで昂奮した。
40年前の昂奮が、目の前にスクリーンにあった。

昨年春に「GHOST IN THE SHELL」をIMAX 3Dで観ていたから、
STAR WARS episode VIIIも確かめてみたい、と一回目を観たときから思っていた。

Date: 2月 2nd, 2018
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その14)

寒い日が続いているし、これからも続いていく。
なんらかの暖房をつけておけば、部屋は暖まる。

けれど暖房を切ってしまうと、部屋の温度は下っていく。
寒さを意識するくらいに部屋は冷えていく。

冬だからあたりまえ。
今年の冬だけのことではない、ずっと以前の冬もそうだった。

そんな冬のある日に「オーディオ彷徨」を最初から読みはじめた。
最初は暖房をつけていた。
なのになぜかスイッチを切った。

部屋の温度は下っていく。
けれど読み進むスピードは落ちない。
読み終えたころには、かなり寒くなっていた、と記憶している。

おかしな読み方をしているな、と思われてもいい。
こんな読み方をするのは、なにも私ひとりではないからだ。

友人のAさんと以前「オーディオ彷徨」について話していた時、
彼も私と同じ読み方をしていることを知った。

Date: 2月 2nd, 2018
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その13)

汚れてしまった手を洗い流してくれる水は、冷たい水よりも温かい水のほうが適している。
ここちよいと感じられる水温の水で洗い流す。

その行為には、何もない。
真冬に冷たい水で洗い流すつらさは、そこにはない。

汚れを洗い流すのに、つらさや力は必要ないし求められてもいない──、
そう思う者が聴く音楽、たとえそれがベートーヴェン、それも後期の作品であっても、
「音楽を聴くことで浄化された」ということばの、なんと薄いことか。

Date: 2月 2nd, 2018
Cate: audio wednesday

第85回audio wednesdayのお知らせ(SACDを聴く)

喫茶茶会記にSACDプレーヤーが導入された。
マッキントッシュのMCD350である。

これでプレーヤー、アンプがマッキントッシュで揃った。
マッキントッシュで鳴らすアルテック──、
こんなふうに書いてしまうと、いかにも昔ながらのジャズ喫茶のシステムのようでもある。

確かに喫茶茶会記のアルテックは、ジャズ喫茶全盛時代のころのモノだ。
マッキントッシュは、その時代のモノではないし、
そのころのマッキントッシュの音のイメージと、現在のマッキントッシュの音のイメージは、
ずいぶんと変化してきているところがある。

パネルフェイスからして、ガラスパネル採用は変らずだが、
そのイメージはかなりの変化だ。

それはもう昔のジャズ喫茶のイメージではなくなっている。

MCD350を聴くのは、初めてとなる。
どんな音が鳴ってくるのか、私自身楽しみにしている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 2月 1st, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その10)

(その9)での引用の続きを書き写しおく。
     *
保柳 実をいうと、菅野氏録音をですね、最近ちょっとやってみたのですけれど自分の音じゃないと思うんです。
菅野 そうでしょう。だからそこを聞きたい。
保柳 オーケストラを、LPで13枚作らされたわけです。オーケストラは変る、ホールは変る。ところが、シリーズとして出すんだから、一つの統一された音色がなければならない。私のやり方だと普通はそうじゃないわけです。そのホールとオーケストラのムードを出さなければならないわけです。たとえば、その使ったホールが、聴いた人にイメージアップするようなホールを使っていこうとするわけです。この13枚が一つのシリーズとなって出てくるんですね。再生される音は同じじゃなきゃ困るわけです。そのため、全部オンマイクになっているわけです。気分的に落ち着かないですよ。名古屋、東京、埼玉でとったのですが、それを同じ音にしていく。自分でいつも使っている反対の手法でいくわけです。非常に落ち着かなかった。しようがないので、実をいうと、最後の整音段階で、自分のイメージの中にある、一番きれいなホールをイメージアップする。好きな席に坐って聴いたその音を頭の中に入れておいて、全部その音に統一していくというやり方をするわけです。
菅野 私には、そのホールの響きを計るなど、そんな考えは頭からないんです。今思い出したのですが、私は盛んに青山タワーホールを使う。あれまでは、誰も使いませんでした。使うことを決めたときも、ずいぶんと反対意見が出ました。マイクロフォンのためには、あのホールを利用できるのです。ホールの響きをとったわけじゃない。つまり利用して、ある程度、自分の意図通りに成功したわけです。それから、あのホールがやたらと使われはじめた。そして、中には、実に変な録音があるんです。つまり、あのホールの音をとろうとして、アプローチしたのは全部失敗しているのですよ。
保柳 そうでしょうね。あのホールは、決していい音のホールではない。そこなんだな。あるホールでは、リサイタルを仕方がなくとったことはあるが、決して録音のために使おうという気はしないですね。
菅野 だから、あのホールでとったものは、中には非常に成功したものもありますが、失敗したものも多いですね。もし私と同じようなアプローチでいけば、あのホールも使えますよ。
     *
40年前に読んだときも、上に引用した箇所は強く印象に残っている。
40年前はまだ高一だった。
音楽の録音をやったことはなかった。
録音の基礎的な知識を、文字だけで知っていたころであっても、
この箇所は大事なところだな、と思っていた。

菅野先生の《ホールの響きをとったわけじゃない》と、
ピアノ録音におけるマイクロフォンの向きとが、
同じことを語っているように感じられる。

Date: 1月 31st, 2018
Cate: audio wednesday

第85回audio wednesdayのお知らせ(SACDを聴く)

1月3日のaudio wednesdayでは、
パイオニアのSACDプレーヤーPD-D9がなかなかいい音を聴かせてくれた。

そのときは何の問題もなく再生できたが、その後、再生が止ることが発生したらしい。
しかも毎回止るわけではなく、ときどきその現象が発生するとのこと。

2月7日のaudio wednesdayでは、だから別のSACDプレーヤーが用意されることになっている。
今年中にはSACDプレーヤーを導入します、と店主の福地さんは昨年から宣言していた。
PD-D9の音、そして不調が導入の時期を早めることになりそうだ。

テーマは「SACDを聴く」でいく。
大丈夫のはずである。

ただ心配なのはスピーカーである。
1月のときにも、左チャンネルのドライバーの音が、うまく鳴っていないことを、
セッティングをやっているときから感じていた。

ある客が、アルテックのドライバーの上に、グッドマンのトゥイーターを落としたようだ。
トゥイーターの端子とハウジングの一部が欠けていたし、
ドライバーの下の角材の一部も固い物がぶつかった跡が残っていた。

もしかするとスピーカーが万全とはいえない状態かもしれない。
そうだっとしても、なんとか鳴らしていくつもりだ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 1月 31st, 2018
Cate: 菅野沖彦

「菅野録音の神髄」(その9)

江崎友淑氏の話は、曲と曲とのあいだだけだったから、
トータルしてもそれほど長くはなかった。
正直もっと話を聞きたいと思うほど、興味深い内容だった。

ピアノ録音についての話があった。
これは初めて聞くことだった。

どんな人でも、アマチュアであろうとプロフェッショナルであろうと、
ピアノを録音しようとした際、マイクロフォンの正面をピアノに向ける。

マイクロフォンの高さや角度、ピアノとの距離などは人によって違ってきても、
ピアノに向けずに、という人はいないだろう。

江崎友淑氏が菅野先生とピアノ録音をやったとき、
マイクロフォンのセッティングは江崎友淑氏がやられた。
その時、菅野先生が「こういうセッティングはどうだろう」とやられたのは、
マイクロフォンの正面をピアノではなく床に向けてのセッティングだった。

ピアノ録音については、ステレオサウンド 47号「体験的に話そう──録音と再生のあいだ」で、
保柳健氏と対談をされている中でも語られている。
     *
保柳 あなたのピアノのとり方を見ていると、確かに私なんかより、ずっとピアノに接近しているのですね。いつだったか、それこそ、深町純のピアノをいろいろな形でとってもらった。全体に私より、イメージがアップなんてす。あの場合スタジオでしたから、まわりの雰囲気というのは全くないわけです。
菅野 雰囲気でしょ、あなたは。そこが違うんです。私は雰囲気ではないんです。響きのよいホールでは、スタジオよりマイクロフォンを遠くへ置きます。それは雰囲気をとるためじゃないのです。それは、そういう音をとるためなのです。良いソノリティを持った複雑な成分、間接の成分を持ったホールの場合には、雰囲気ではなくて、そのようなホールで鳴っているピアノの音を、そうした方が良い音になるから、そうする。決して雰囲気のためではない。あなたをホールへ導きますよとか、こういうホールで鳴っているんですよと伝えるために、やっているのではないのです。だからスタジオへ行くと、全然楽器の響きを助けないわけです。無駄ですからね。むしろ、楽器そのものの音をとろうと、アップになります。
     *
この対談は47号だけでなく、48号、49号の三回連載であり、濃い内容だ。
40年前、ステレオサウンドは、こういう記事をつくっていたのだ。

この対談からは、もう少しばかり引用していく。

Date: 1月 30th, 2018
Cate: 「オーディオ」考

指先オーディオ(その2)

指先オーディオ。
ここでは、どちらかといえばネガティヴなな意味で使っている。
でも、指先オーディオのすべてがネガティヴなものではない。

指先オーディオだからこそコントロール(調整)できるパラメータがあるわけだし、
最新のデジタル信号処理技術の進歩は、指先オーディオの未来でもある。

なのに、こんなことを書いているのは、
指先オーディオは感覚の逸脱のアクセルになることもありうるからだ。

dbxの20/20から始まった自動補正の技術は、
感覚の逸脱のブレーキとなる。
別項で書いているフルレンジのスピーカーも、感覚の逸脱のブレーキとなる。
優れたヘッドフォンもそうである。

自動補正(自動イコライゼーション)も、指先オーディオの機器のひとつといえる。
いまではスピーカープロセッサーと呼ばれる機器も登場している。

本来スピーカープロセッサーは、スピーカーシステムの最適化のために開発されたモノ。
けれど使い方によっては、スピーカープロセッサーは、感覚の逸脱のアクセルとなる。
簡単になってしまう。

実にさまざまなパラメータを、指先でいじれてしまう。
アナログ信号処理ではいじれなかった領域まで、指先ひとつでいじれる。

人によっては、ハマってしまう。
ハマってしまうことで、感覚の逸脱のアクセル化へと向うのは、
使い手に欠如しているものがあり、それを自覚していないからだ。