うつ・し、うつ・す(その12)
デザイナーの亀倉雄策氏が、そういえば、同じことをいわれている。
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私はなぜ撮影に立ち合わないか。理由は簡単だ。立ち合うとその場の苦心が理解され過ぎて、選択の冷酷な目が失われるからである。この冷徹な透視力があってこそ、最後の一撃ができるのである。
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(その11)での写真家のマイク野上(野上眞宏)さんと同じことである。
亀倉雄策氏の場合、撮影する者と選択する者の二人がいるから、
撮影に立ち合わないことで、選択が可能になる。
野上さんの場合は、撮影するのも選択するのも同じ人、野上さんである。
だから、そこには五年の月日が必要になる。
野上さんは「冷酷な目」という表現は使われなかったが、
撮影時に関するもろもろのことを切り離しての、冷静な目での選択──、
それは、どちらも写真(視覚の世界)のことではあって、
音(聴覚の世界)においては、どうなのか、と考えさせられている。