オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その20)
瀬川先生は、ダストカバーの項目のひとつ前、コントロールスイッチのところで、
こんなことを語られている。
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それから感覚的なことをいえば、さっきいったことの繰り返しになるんだけれども、パワースイッチ、あるいは速度調整のツマミを押し、あるいは回したときのボタンなりツマミなりレバーなりの感触──指ざわり──というものが、非常に冷たいメカニックな感じでなく、どこか暖かみというか、柔らかさを感じさせるオーガニックな感触であってほしい。
つまり、レコードというビニールの材料を取り出して、ターンテーブルに載せる。このレコードを触った感触というのはある柔らかい感覚をもっている。その感触が手に残っている間に、同じ手でレバーなりボタンをなりをいじるのだから、そこに極端な違和感があるのは、ぼくはとってもおかしなことだと思う。いま柔らかいビニールを持った手が、こんどはすごくとがった、シャープなボタンをカチンと押すというそういう感覚は、ちょっとおかしいですね。非常にドライにストンとスイッチが入るよりも、ある種の粘りみたいなものが感じられる、やはり一種のオーガニックな動き方の方が好ましい。レコードの感触がそのまますべてに延長されているというのがいいプレーヤーだということを、ぼくは非常に強調したいわけです。
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EMTの930st、927Dstはそうだった。
レバーの感触には、ある種の粘りがある。
使っている(いた)人ならばわかるはずだ。
930st、927Dst、どちらにもダストカバーはないから、
使っている時には気づかなかったが、
ダストカバーには、レコードの感触が残っているうちに触れる。
このことを無視して、ダストカバーの材質、形状、それに操作性は語れない。
ダストカバーの材質が冷たく硬いもので、しかも角がとがっていたら……。
若いころは、プレーヤーのダストカバーがアクリル製が大半なのは、
安く作れるからだ、と思っていた。
確かに大量生産によって安価に生産できていたはずだが、
そればかりがダストカバーがアクリル製で、
ああいう形状なことの理由のすべてではないではないことに気づいた。