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Date: 9月 16th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その16)

メリディアンのULTRAD DACで聴いたグラシェラ・スサーナの歌について、
情景ということばを使った。

ULTRA DACの音は、私にとって情景と深くつながってくるようなところがある。
ULTRA DACの音を聴いていて、ふと、こんなふうだったのか、という、別の情景を思い浮べてもいた。

私にとって最初のステレオサウンドは41号と、
同時期の別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」である。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」は一冊、組合せである。
編集部が想像した読者からの手紙に、オーディオ評論家が組合せをつくっていく。

そのなかに女性ヴォーカルをしっとり、ひっそりと聴くための組合せを、という手紙があり、
井上先生が担当されていた。

スピーカーシステムには、キャバスのBrigantinだった。
もうひとつロジャースのLS3/5Aも選ばれていた。
アンプはAGIの511とQUADの405、カートリッジはAKGのP8ES。

この組合せの試聴では、読者は存在しないわけだが、
井上先生、編集者、レポーターの坂清也氏、少なくとも三人以上がいるわけだ。

井上先生のことだから、きっと深夜の試聴になっていたことだろう。
そういえば、メリディアンの輸入元のハイレス・ミュージックの鈴木秀一郎さんから、
井上先生のエピソードを一つ聞いた。

鈴木さんは、あるオーディオメーカーに、そのころ勤められていた。
そのオーディオメーカーが井上先生に試聴を依頼した。
井上先生が、その会社に到着されたのは午前0時過ぎだった。

正面玄関は閉まっている。
こんな時間は、警備員のいる入口から入ることになる。
井上先生もそこから入られたわけだが、警備員が、0時すぎということもあって、
入場者名簿に名前を書いてほしい、と井上先生に言ったそうだ。

警備員の仕事として、それは当然なのだが、
井上先生は怒って帰られた、らしい。

担当者が、警備員に、井上卓也というオーディオ評論家が夜遅くに来社するということを伝えていれば、
こんなことも起らなかっただろうし、井上先生ももう少し早く(せめて日付が変る前に)、
着いていれば、そういうことにもならなかっただろう。

そういう井上先生だから、「コンポーネントステレオの世界 ’77」での試聴も、
きっと深夜から早朝にかけてだった、と思う。

そういう時間帯にいい歳した男三人(もしくはそれ以上)が、
Brigantinから鳴ってくる女性ヴォーカルに耳をすます──、
そういう情景を、ULTRA DACの音を聴きながら、
こんなふうだったのかなぁ、と想い浮べていた。

Date: 9月 15th, 2018
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(製品か商品か・その5)

商品と製品。
この二つを、何気なく使い分けているし、
場合によっては、ただおもいつくままにどちらかを選択していることだってあろう。

商品と製品。
二つの違いを考えていると、
ある製品がレッテル貼りをされると、商品となっていくような感じを受ける。
そして、貼られたレッテルによって売られていく。

商品すべてにレッテル貼りがなされているわけではない。
それでも、日本においては、レッテルが貼られているかいないのか、
その貼られたレッテルによってあれこれ語られていることが、
ずっと以前から続いているのではないのか──、
商品と製品について考えていると、そんなことを感じていた。

たとえばブランドも、一つのレッテルといえば、そうなる。
型番にしても、一つのレッテルになる。
価格すら、レッテルとも思えてくる。

これらのレッテルは、メーカー側によって製品に貼られる。
レッテルは、メーカー側によるものばかりではない。

オーディオ雑誌によるレッテルもあれば、
オーディオ店によるレッテルもある。
いまではSNSによるレッテルも出てきている、ともいえる。

その商品を見ている人すべては共通のレッテルは、メーカー側によるものだけである。
ブランド、型番、価格というレッテルは、すべての人が目にする。

それ以外のレッテルとなると、どのオーディオ雑誌を読んでいるのか、
行きつけのオーディオ店はあるのか、
インターネットにどれだけ接続し情報を得ているのか、などによって違ってくる。

Date: 9月 14th, 2018
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その7)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
裸の音楽は、裸の王様のための音楽(衣装)ではない(書くまでもないことだが)。

Date: 9月 14th, 2018
Cate: ジャーナリズム
2 msgs

オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その6)

アナログプレーヤーのプラッターの駆動方式は、
アイドラードライヴ、ベルトドライヴ、ダイレクトドライヴがある。

このなかで、アイドラードライヴをリムドライヴという人がいる。
リムドライヴといえば、この日本ではアイドラードライヴのことを指す、といっていい。
それで通用する。

私もリムドライヴを使わないわけではない。
けれどリムとはrimである。
rimは、周縁である。
周縁とはその漢字が示しているように、もののまわりである。

つまりアナログプレーヤーでいえばプラッターの縁のことである。
この縁をなんらかの方式で駆動することが、リムドライヴなのである。

昔のプレーヤーでは、この部分を駆動するものといえばアイドラードライヴだった。
ベルトドライヴはインナープラッター(サブプラッター)にベルトをかけるタイプが、
昔はほとんどだった。

アマチュアによる糸ドライヴ、それを製品化したといえるマイクロのRX5000+RY5500、
トーレンスのREferenceは、メインプラッターの外周にベルトをかけているから、
これらもリムドライヴということになる。

現在のベルトドライヴの大半は、リムドライヴということになる。
なのに、いまでもリムドライヴを、
アイドラードライヴに限定して使っている(書いている)人がいる。
それをそのまま誌面に載せるところもある。

通じればいい──、
そういう考えなのだろう、おそらく。
仲間内の会話ではないのだから、しっかりしてほしい。

Date: 9月 13th, 2018
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その24)

前回(その23)を書いたのは、一年半前。
そこでも、「今日facebookを見ていたら」と書いている。

今日も、そう書く。
今日facebookを見ていたら、やっぱりそうなんだ、と強く確信したことがある。

この項のタイトルは「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか」である。
ここまで読まれた方の中には、すでに気づかれている人もいよう。

「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか」は、はっきりと読み手である。
「ミソモクソモイッショにしたのは読み手である」。

オーディオ雑誌、オーディオ評論をここまでダメにしたのは、
もちろんオーディオ雑誌の編集者、オーディオ評論家を名乗っている書き手も含まれるのだが、
もっともミソモクソモイッショにしているのは、実のところ、読み手である──、
ともうずっと以前から感じていた。

今日、ほんとうにそうなんだなぁ、とダメ出しを喰らったような感じである。
もうどうしようもないくらいに、そうなんだなぁ、と感じていた。

私は、はっきりといまのステレオサウンドに否定的・批判的である。
けれど、多少は同情もしている。

そんな読み手なんだから……、という気持が編集者にあるのかどうかはわからないけれど、
あってもおかしくない、と思うほどに、今日は強烈なダメ出し的なことを目にした。

私が、そんな読み手と思う人たちは少数派なのかもしれないが、多数派なのかもしれない。
どちらなのかはなんともいえないが、少なくないようにも感じている。
そんな人たちは目立つ(目立ちがり屋なのだろう、きっと)からだ。

だからこそ「ミソモクソモイッショにしたのは何なのか」を考えていかなければならない。

Date: 9月 12th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(余談)

一週間前にメリディアンのULTRA DACを聴いている。
翌日から、この「メリディアン ULTRA DACを聴いた」を書き始めた。
いまのところ(その15)まで来た。
まだ書いていく、もう少し続く。

毎日、ULTRA DACのことを書くのは、楽しい。
読む側からすれば、またULTRA DACのことか、と思われるかもしれないが、
書いていて楽しいのだから、まだまだ書いていく。

ブログは、文字数の制約はない。
書きたいことがあれば、納得のいくまで書こうと思えば書ける。
そこは紙のオーディオ雑誌とはまったく違う。

オーディオ評論家(商売屋)であっても、元はオーディオマニアのはず。
オーディオマニアのところを忘れてしまったオーディオ評論家(商売屋)もいるだろうが、
そこまで堕ちてしまった人は少ない、と思いたい。

であれば、仕事でさまざまなオーディオ機器を試聴して、
これは! と思うオーディオ機器と出合うことはあるはず。
年に一回あるかないか、かもしれないが、まったくないことは、それこそないはずだ。

そういうオーディオ機器と出合う。
けれど、オーディオ雑誌の編集の都合上、
そのオーディオ機器について書けるとは限らない。
他の筆者が書くことだって、けっこうあるはずだ。

書きたいのに書けない。
そのもどかしさを味わったことのない人は、
もう根っからのオーディオ評論家(商売屋)だろう。

書くことができたとしても、ページ数(文字数)の制約が、必ずつきまとう。
もっと書きたいのに……、となる。

編集者に交渉する人もいるかもしれない。
私に書かせてほしい、もっと書かせてほしい、と。
それでもダメなことだってある。

以前なら、それでオシマイだったが、いまはインターネットという場がある。
ブログならば、いまなら簡単に作れて、公開できる。

書きたいことが書けない、
もっと書きたいのに書けない、
ならば書きたいことを納得のゆくまで書いて,公開すればいいではないか。

こんなことをいうと、「プロの書き手だから、金にならない文章は……」と、
オーディオ評論家(商売屋)はきっというであろう。

オーディオ雑誌の編集者と、そんなことをして揉めたくない、という人もいるに違いない。
それでも、書きたいことを書くことを、なぜ優先しないのか、と、問いたい。
そんなことだから、オーディオ評論家(商売屋)でしかないのではないか。

Date: 9月 11th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その15)

9月5日のaudio wednesdayでは、
メリディアンのCDプレーヤー、206と508も聴いている。

時代が違っていても、メリディアンの音といえるものがどちらにも感じられた。
私だけが、そう感じていたのではなく、聴いていた人みなそうだった(ようだ)。

ULTRA DACの音も、そうだった。
けれど、私の耳にはULTRA DACといっしょに聴いた206、508の音よりも、

記憶のなかにあるM20の音が、ULTRA DACの音へと結びついていく。
M20はパワーアンプ内蔵とはいえ、スピーカー(変換器)である。
ULTRA DACはD/Aコンバーター。
デジタル信号をアナログへと変換するわけだから、
どちらも変換器といえば、そうなのだが、
電気信号を機械的振動へと変換するトランスデューサーとコンバーターは、
決して同一視できないのはわかっている。

それでもULTRA DACの音はM20の音をしっかり受け継いでいた。
少なくとも、私の耳にそう聴こえた。

しかもM20に、こうあってほしい、と思いつづけていたところがすべて満たされている。

M20はスピーカーシステムとして大型だったわけではない。むしろ小型に属する。
ULTRA DACは、D/Aコンバーターとして、かなり大型である。

800シリーズから大型になったメリディアンを知っていても、
ULTRA DACを目の前にして、「やっぱり大きいですね」といってしまった。

audio wednesdayに来た人も、「うっ、大きい……」と言っていた。

無駄に大きいわけではない。
内部をみることはできなかったが、電源部がかなりのスペースを占めている、とのこと。
試作機の段階ではスイッチング電源も試してみたけれど、
音の点で、従来通りの電源になった、という話だった。

M20とULTRA DACの、このサイズの違いは、そのまま、というより、
それ以上に音にあらわれている。

Date: 9月 11th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その14)

もうひとつ思い出していた音(音触)がある。
30年ほど前に聴いているメリディアンのM20の音である。

M20はパワーアンプ内蔵のスピーカーシステム。
スタンド込み(一体型)のフロアー型となるけれど、
エンクロージュアのサイズ自体は大きくはない。

ウーファーは10cm口径を二発、ソフトドーム型トゥイーターを、
いわゆる仮想同軸配置している。

これまでに何度か書いているようにM20の音は、魅力的だった。
買おうと、かなり本気で考えていた。

プリアンプの機能をもつメリディアンのCDプレーヤー207との組合せは、
私にとっては、メリディアンの数々のモデルの中で、いまも欲しい(聴きたい)と思う。

M20と207だけでシステムが成り立つ。
魅力的なのは、その簡潔さよりも、やはり音である。

ひとりぽつねんとしている夜に、M20と207のシステム、
それに女性ヴォーカルの愛聴盤があれば、ひとりでいることを忘れさせてくれるだけでなく、
ひとりでいることを堪能できよう。
聴きふけることができるからだ。

満たされるはずだ。
それでも、これだけでは、すまないところがオーディオマニアなのであって、
満足できる、といいながらも、あと少しばかりスケール感があれば……、とか、
あれこれこまかな注文をつけたくなってくる。

そんなことを求めなければ、幸せな音楽のある生活を送れるのに──、とわかっていても、
どうしようもなく求めてしまう。

Date: 9月 10th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その13)

私としては、このままグラシェラ・スサーナの歌だけを聴ければそれで充分という気持もあった。
けれど聴いているのは私だけではないし、
私だって、グラシェラ・スサーナ以外がどう鳴ってくれるのかを確認したい気持はある。

ユニバーサルミュージックのクラシックのサンプラーを聴いてみた。
まずは通常のCDで、
カラヤン/ウィーンフィルハーモニーによるR.シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」。
1959年のデッカ録音。
冒頭のノイズ。この鳴り方が通常のCDとMQAとでは大きく違う。
もうここだけでMQAの優位性が感じられる。

「ツァラトゥストラはかく語りき」はあまり聴きたくない曲だし、
サンプラーということもあって、収録時間は短い。それでも違いは誰の耳にもはっきりとわかるはずだ。

続いて2トラック目のカルロス・クライバー/ウィーンフィルハーモニーによるベートーヴェンの五番。
通常のCDの音も優れている。
それでもMQAでの音を聴いてしまうと、その違いははっきりと耳に残る。

ここでアップサンプリングのフィルターを切り替えてみた。
それまではshortで聴いていた。
ちなみにMQAディスク再生時には、フィルターは関係なくなる。

shortの音、mediumの音、longの音。
グラシェラ・スサーナの「仕方ないわ」では、圧倒的にshortの音だったが、
ここでは圧倒的にlongの音をとる。

longでのフィルターで再生したCDの音は、
クライバーの五番を最初に聴いた時の感触を思い出させた。
LPで聴いている。

クライバーのディスクは、この日、「椿姫」もかけた。
ここでもクライバーの「椿姫」をLPで聴いていたころの感触を思い出していた。

艶のある黒い円盤の感触が、ULTRA DACの音を聴いていると思い出させられる。
これも音触なのか、と思いながら聴いていた。

Date: 9月 10th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その12)

「雪が降る」もそうなのだが、
「希望」の三番目に《寒い夜更けに》と歌詞がある。

ここのところは、「アドロ・サバの女王」での、私にとって重要な試聴ポイントである。
言葉だけの、表面的な《寒い夜更けに》であっては、情景はまったく浮ばない。
この短い《寒い夜更けに》でのグラシェラ・スサーナの歌い方は、
どうしてこう歌えるのだろうか、と最初に聴いた時からの疑問でもある。

「アドロ・サバの女王」は1973年7月に発売になっている。
グラシェラ・スサーナは1953年1月生れ。
このころの録音からレコード発売までの期間からすれば、
「アドロ・サバの女王」に収められている曲のほとんどはハタチになる前の録音のはずだ。
「サバの女王」に関しては、もう一年早い録音である。

アルゼンチンで生まれ育って、録音のために日本に来たグラシェラ・スサーナが、
どうしてこうも日本語の歌を情感豊かに歌えるのか、
「希望」の《寒い夜更けに》を、まさにそう感じさせる歌い方ができるのか。
それが不思議である。

才能といってしまえば、それまでだが、
才能だとしたら、その才能ゆえの表現で《寒い夜更けに》が鳴ってくれないと、
LPから、ずっとグラシェラ・スサーナを聴いていた聴き手は困るわけだ。

何の気負いもなく、自然な感じで、しかもこちらの望むように《寒い夜更けに》は鳴ってくれた。
「雪が降る」も、こんなに暑い季節に聴く曲なのか、と思われるだろう。
けれど、「雪が降る」にしても、《寒い夜更けに》と同じで、
グラシェラ・スサーナによって歌われたとき、その場は、その季節になっている。

もちろんいつもそうだとはいわない。
どうしようもない音だと、そんなふうにはまず感じない。
情報量が多くて、世評の高いD/Aコンバーターたから、そんなふうに感じるわけではない。

明らかに情景を描けるオーディオ機器とそうでないオーディオ機器とがある。

Date: 9月 10th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その11)

「アドロ・サバの女王」の一曲目は「アドロ」。
「サバの女王」はLPならばA面の最後、CDならば7トラック目である。

まず「アドロ」を聴いた。
「アドロ」もよく知られている曲だ。
私より若い人にはそうでないかもしれないが、私よりも上の世代には懐しい曲のはずだ。
通常のCDと比較するまでもなく、かなり違うのがわかる。
それでも比較試聴はやっている。

特にグラシェラ・スサーナの歌が違うだけでなく、
その肉体を感じられるような錯覚すらある。

歌手や演奏者の肉体が感じられるかどうか。
「五味オーディオ教室」からオーディオの世界に足を踏み入れた私にとって、
重要なことであり、それは「五味オーディオ教室」にあった
《いま、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす。 これこそは真にレコード音楽というものであろう》
この一節こそ、私のオーディオの始まりでもある。

五味先生も書かれているように、
録音の過程、再生の過程に、肉体の入りこむ隙間はない。
けれど聴き手は、歌い手の肉体を、ピアニストの肉体を、そこで鳴っている音に感じることがある。

メリディアンのULTRA DACは、いままで喫茶茶会記で聴いた、どのCDプレーヤー、D/Aコンバーターよりも、
肉体の復活を感じられた。
望む形で、とまではいわないが、それでも肉体の復活が感じられた。

もうこれ以上を肉体の復活を求めるのならば、細かく丹念に鳴らし込んでいくしかないだろう。
肉体の復活の気配を感じとれる音とそうでない音とがある。

私が聴きたいと望むのは、感じとれる音である。
それが錯覚であるとわかっていても、である。

「アドロ」を聴いた、次に「雪が降る」、「サバの女王」を聴いて、
最後の曲「希望」、それからひとつ戻って「爪」を聴いた。

聴いていて、こんなにあっさりと求めていた音が鳴ってくるのか、と思っていた。
というより、この音を無意識に求めていたことに気づかされた。

Date: 9月 10th, 2018
Cate: ディスク/ブック

JUSTICE LEAGUE(その1)

サウンドトラックはあまり買わない、というか、ほとんど買わない。
これまでに買ったサウンドトラック盤は十枚に満たない。

映画はよく観ていると思うし、
いまよりもずっと観ていた時期もあった。

それでもサウンドトラックを買うことは、ほぼなかった。
その頃渋谷にはサウンドトラック専門のレコード店があった。
何度か行った。
それでも買うことは稀だった。

自分でも不思議に思う。
なぜ、買わないのか、と。

JUSTICE LEAGUE(ジャスティス・リーグ)は、2017年11月に公開された映画であり、
今回久しぶりに買ったサウンドトラックである。

映画「ジャスティス・リーグ」は、
前作「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」の数ヵ月後を描いている。

スーパーマンに少年たちがスマートフォンでインタヴューするシーンから始まる。
この直後に流れたのが、“EVERYBODY KNOWS”だった。
歌っているのはレナード・コーエンではなく、女性だった。
SIGRIDというノルウェー出身の歌手だ、ということを映画が終ってから知る。

エンディングでかかるのは、“COME TOGETHER”である。
こちらもビートルズではなく、歌っているのは、Gary Clark Jr. and Junkie XLである。

どちらも、いい。
もう一度聴きたい、と思った。
だから、ひさしぶりにJUSTICE LEAGUEのサウンドトラック盤を買ってしまった。

Date: 9月 10th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その10)

「アドロ・サバの女王」は、百万枚をこえたグラシェラ・スサーナのアルバム。
グラシェラ・スサーナの名前を知らない人でも、
私よりも上の世代の人ならば、どこかで耳にされているかと思う。

熊本のオーディオ店に定期的に来られていた瀬川先生も、
一度「アドロ・サバの女王」のLPを持ってこられた。

「サバの女王」の試聴のポイントについても話された。
グラシェラ・スサーナの歌が、どれだけ情感豊かに鳴ってくれるか、
左チャンネルで、チッチッとリズムをきざむ音がどれだけ明瞭に聴きとれるか、
かといって耳障りに聴こえてはダメだ、とか。そんなことを話された。

そういうふうに、既に聴いていただけに嬉しかったこと思い出す。

私にとってグラシェラ・スサーナの歌は、LPで聴いてきた音でもある。
これまで、さまざなCDプレーヤー、D/Aコンバーターで、グラシェラ・スサーナの歌を聴いている。
いいなぁ、と思うこともあったが、
アナログディスクで聴いていた質感を思い出させてくれるモノ(音)は、なかった。

私は、アナログディスクの音こそが最高だとは思っていない。
アナログディスクには特有の欠点があるし、
CDも同じである。
それぞれに良さもあれば悪さもある。

私がメリディアンのULTRA DACについて、ここまで書いているのは、
初めて、デジタルで聴くグラシェラ・スサーナの歌の質感が、
LPで熱心に聴いていたころの質感を思い出させてくれた。

まったく同じとはいわない。
けれど同質である、と感じていた。

何がそう感じさせるのかは、いまのところははっきりと掴めていないが、
とにかくグラシェラ・スサーナの歌声がよみがえった、といえる。

CDで聴いても、MQAディスクで聴いても、
ULTRA DACが再生する声は、実に見事だ。
歌が好きな人ならば、愛聴盤をもってULTRA DACを聴いてほしい、と思うほどだ。

Date: 9月 9th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その9)

ULTRA DACと組み合わせるトランスポートについて書き始めると、
それだけでけっこうな文量になるし、なかなか先に進めなくなるので、このへんにしておく。

書きたいのは、CDトランスポートでかかるということは、
MQAディスクそのものは、CDと同じ規格だということである。

今回のaudio wednesdayでは、
ハイレス・ミュージックの鈴木秀一郎さんが持ってきてくださったMQAディスクには、
すでに市販されているディスクだけでなく、9月19日発売のディスクもあった。
グラシェラ・スサーナの「アドロ・サバの女王」も、そうである。

鈴木秀一郎さんがユニバーサルミュージックの担当の方に、
こういうことだから、と話をしてくださって、今回発売前のMQAディスクを聴くことができた。
感謝しかない。

しかもグラシェラ・スサーナだけでなく、同時発売の他のMQAディスク、
小椋佳、テレサ・テン、高中正義のディスクもあった。

これらのディスクは、プレスされたものではなく、CD-Rに焼かれたものだった。
このことも私には、ちょっとした驚きだった。

これに、DSDマスターを352.8kHz、24ビットのPCM信号に変換してのMQAディスクである。
それだけの情報量が、DVDやSACDではなく、CDそのものに収まっている。

9月19日に市販される邦楽30タイトルは、UHQCDでのプレスであるから、
今回聴いた音とはまったく同じとはいえないが、
それでもMQA方式のもつ良さは、感じとれた。

それにすでに市販されているMQAディスクは、当然ながらUHQCDだし、
それらのディスクのなかには、サンプラーも含まれていた。

このサンプラー(クラシックジャズポップス)も市販されている。
もちろん邦楽のサンプラーも発売される。

通常のCDとMQAディスクの二枚組にもかかわらず、価格は1,080円(税込)である。
こういうサンプラーを、この価格で発売したくなる気持は、MQA再生をいちど聴けば理解できる。
一人でも多くの人に聴いてもらいたい、という気持の表れのはすだ。

Date: 9月 9th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACを聴いた(その8)

グラシェラ・スサーナのベスト盤は、他の曲も聴きたかったが、
時間は限られているし、MQAでの音も早く聴いてみたい気持は高まってくる。

ここでMQAディスクを聴くことにするわけだが、
だからといってなにかシステムの一部を変更する必要があったわけではない。
そのままMQAディスクを、メリディアンのCDプレーヤー508にセットし、PLAYボタンを押すだけである。

トランスポートに関しては、従来のモノでいい。
つまりSPDIF出力を持っていればいい。

SACDのように対応トランスポートが必要になるわけではない。
必要なのはMQA対応のD/Aコンバーターであり、今回はそれがULTRA DACである。

このことは文字情報で知ってはいた。
それでもほんとうにそれだけでいいのか、とも思っていた。
MQAディスクとMQA対応D/Aコンバーターがあれば、MQAの再生はできる──、
というのは、実際に体験してみるまでは、なかなか信じにくいかもしれない。

頭でわかっていても半信半疑のまま、508のトレイに、
グラシェラ・スサーナの「アドロ・サバの女王」のMQAディスクをセットする。
再生すれば、ULTRA DACのディスプレイに、MQAと表示される。

確かに、拍子抜けするほどあっけなくMQAディスクの再生である。
MQAのメリットのひとつは、トランスポートの選択肢が増える、というか、
圧倒的に多い、ということが挙げられる。
SPDIF出力をもっているCDプレーヤー、CDトランスポートであればいい。

だからこそ508という、1990年代のCDプレーヤーであっても、すんなりMQAディスクがかかる。
508をトランスポートした音に、特に不満があったわけでない。
それでもオーディオマニアは欲深いところがある。
私もそうだ。

508で、これだけの音が鳴るのならば、
例えはスチューダーのA730だったら、どんな音がしてくるのか、と思ったし、
メトロノームのKalistaならば(高価すぎるトランスポートだけど)、
いったいどういう音が鳴ってくるのか、想像をこえた音がしてくるのかもしれない。

私がULTRA DACと、最も組み合わせたいトランスポートは、
47研究所の4704/04 “PiTracer”である。