Date: 9月 10th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC
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メリディアン ULTRA DACを聴いた(その11)

「アドロ・サバの女王」の一曲目は「アドロ」。
「サバの女王」はLPならばA面の最後、CDならば7トラック目である。

まず「アドロ」を聴いた。
「アドロ」もよく知られている曲だ。
私より若い人にはそうでないかもしれないが、私よりも上の世代には懐しい曲のはずだ。
通常のCDと比較するまでもなく、かなり違うのがわかる。
それでも比較試聴はやっている。

特にグラシェラ・スサーナの歌が違うだけでなく、
その肉体を感じられるような錯覚すらある。

歌手や演奏者の肉体が感じられるかどうか。
「五味オーディオ教室」からオーディオの世界に足を踏み入れた私にとって、
重要なことであり、それは「五味オーディオ教室」にあった
《いま、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす。 これこそは真にレコード音楽というものであろう》
この一節こそ、私のオーディオの始まりでもある。

五味先生も書かれているように、
録音の過程、再生の過程に、肉体の入りこむ隙間はない。
けれど聴き手は、歌い手の肉体を、ピアニストの肉体を、そこで鳴っている音に感じることがある。

メリディアンのULTRA DACは、いままで喫茶茶会記で聴いた、どのCDプレーヤー、D/Aコンバーターよりも、
肉体の復活を感じられた。
望む形で、とまではいわないが、それでも肉体の復活が感じられた。

もうこれ以上を肉体の復活を求めるのならば、細かく丹念に鳴らし込んでいくしかないだろう。
肉体の復活の気配を感じとれる音とそうでない音とがある。

私が聴きたいと望むのは、感じとれる音である。
それが錯覚であるとわかっていても、である。

「アドロ」を聴いた、次に「雪が降る」、「サバの女王」を聴いて、
最後の曲「希望」、それからひとつ戻って「爪」を聴いた。

聴いていて、こんなにあっさりと求めていた音が鳴ってくるのか、と思っていた。
というより、この音を無意識に求めていたことに気づかされた。

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