Date: 11月 17th, 2022
Cate: 新製品

新製品(ヤマハ YH5000SE)

ヤマハのヘッドフォン、YH5000SEが正式に発表になった。

プロトタイプがヘッドフォン祭で発表展示されていたようなのだが、
ヘッドフォン祭には再開されてからも行っていない。

今年は、このヤマハのヘッドフォンが聴けたのであれば、行けばよかった──、
YH5000SEのプロトタイプの紹介記事を読みながら思っていた。

このヘッドフォンは、ヤマハのフラッグシップ5000シリーズとしての位置づけ。
そうとうに気合いの入ったヘッドフォンのように感じられる。

外観も、写真だけの判断なのだが、精悍な感じが、
他の5000シリーズとはあきらかに違う。ここも気に入っているところだ。

技術内容については、上のリンク先を読んでもらうとして、
以前、別項「オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ヤマハのヘッドフォン)」で、
ヤマハの現行ヘッドフォンのデザインには違和感をおぼえる、と書いている。

今回のYH5000SEには、そういう違和感はないどころか、
むしろ、とてもヤマハらしい、とも感じている。

価格は五十万円ほど、らしい。
とにかくじっくり聴いてみたい、ひさびさのヤマハの新製品だ。

Date: 11月 16th, 2022
Cate: German Physiks

Troubadour 40とウーファーのこと(その1)

ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40は、
いわばスピーカーユニット単体といえる存在ゆえに、
なんらかのウーファーを用意する必要がある。

Troubadour 40を単体で鳴らしたこともある。
Troubadour 40に見合うウーファーとはいえない、
たまたま知人宅にころがっていたといえる25cm口径のユニット、
バスレフ型のエンクロージュアを足して鳴らした音も聴いている。

これでも意外なほど鳴ってくれることは確認している。
それでもTroubadour 40に見合うだけのウーファー(低音)を用意する必要がある。

菅野先生はJBLの2205をお使いだった。
Troubadour 40を持っていた知人は、JBLの1500ALを購入した。
けれどエンクロージュアを用意する前に、Troubadour 40も1500ALも手放している。

私も、そのころは1500ALは最良の選択の一つと考えていた。
このころ、1500ALは販売されていた。
1500ALは1501ALとなったが、もうこのウーファーだけの販売は行われていない。

購入できるできないは別として、
どういう低音部がいいのだろうか、とあれこれ考える。

別項「2022年ショウ雑感」で、
Brodmann Acousticsのスピーカーは聴けなかったことを、あえて書いたのは、
Troubadour 40のことがあったためでもある。

現実的に、そういう使い方はしないのだろうが、
Troubadour 40とBrodmann Acousticsのスピーカーの低音の組合せ、
かなりうまくいきそうな予感だけはある。

そんなことを想像していたから、Brodmann Acousticsのスピーカーを、
今一度聴いてみたかったわけだ。

Date: 11月 16th, 2022
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その14)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
終のスピーカーを迎える私は、そういう音をはたして鳴らせるのだろうか。

Date: 11月 16th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(番外)

別項「オーディオと偏愛」で、ルコントのことを書いている。
私の大好きなケーキ店がルコントだ。

別項で書いているように、2010年に閉店し、2013年に復活した。
規模は縮小しての復活だったけれど、あきらめていたルコントの洋菓子が、
ふたたび食べられるようになったのは、
ルコントと同じくらいに大好きだった和菓子の三はし堂が、
やはり一度閉店しての復活だったのと同じで、やはり味のわかる人がいる──、
そうおもえて心強かった。

けれど三はし堂も、この店のことも別項で書いているが、
二度目の閉店でもう復活することはないだろう。
ルコントも、今年8月で全店が閉店した。

その前から、少しずつ店舗が減っていたから、厳しいのかなぁ、とは心配ではあった。
こういう不安だけは的中する。

おそらくもうルコントの洋菓子を食べることはないだろう。
予想できていたことだから、とてもさびしいというほどではないが、
私にとってルコントの洋菓子にかわる存在は、いまのところない。

東京には、いくつの洋菓子店があるのかわからないほどある。
デパートの食料品売場のフロアには、そういう店が入っている。

そういう店の洋菓子と比較すると、
いまとなってはルコントの洋菓子は地味な見映えだったような気もする。

そうであったとしても、変らぬ魅力を維持していたとも感じていた。

Date: 11月 15th, 2022
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(そしてMQAのこと)

その1)を書いたのは、2010年4月25日である。
十二年ほど前だから、まだMQAは登場していなかった。

MQAの音、つまりメリディアンのULTRA DACを初めて聴いたのは2018年9月だった。
2010年から2018年までの八年間、
ここでのテーマである朦朧体、音の朦朧体について考えていくうえで、
プログラムソースはどうするのか、それを再生するプレーヤーは? という問いが常にあった。

ULTRA DACの音は、MQAの音は、必要なコマがすべて揃った、
私にそうおもわせた。

とはいえ、2018年の時点で、
朦朧体の再生を実現するに必要なオーディオ機器は、私の元には何ひとつなかった。

2019年9月にメリディアンの218を導入。
これでMQA再生が日常的になった。

ここからが、私にとっての朦朧体の実現の第一歩になった。
だからこそ218には少しずつ手を加えていった。

ジェームズ・ボンジョルノの最高傑作は、SUMOのTHE GOLDである。
これはもう確信である。

とはいえ、コンディションのいいTHE GOLDはほとんど残っていない、といっていい。
いま手元にあるアンプは、GASのTHAEDRAとSAEのMark 2500。
どちらもボンジョルノの設計であり、基本設計である。

そしてジャーマン・フィジックスのTroubadour 40がやって来る。
本気で、THAEDRAとMark 2500のブラッシュアップを行う。

THAEDRAとMark 2500が最終的な答ではないだろうが、
だからといって、何があるのか、と考え込むことになる。

クォリティの高いアンプ、ついでに価格も高いアンプは、いまやいくらでもある。
それでも音の朦朧体に近いアンプは、いったいどれだけあるのだろうか。

朦朧体と書いてしまうと、朦朧ということで、
私がイメージしている音の朦朧体と正反対の音をイメージする人もいるだろう。
そういう音では決してないのだ、と力説しても、私が朦朧体だと感じる音を、
聴く機会はほとんどない、といっていいだろう。

それでもULTRA DACでMQAの音を聴く機会はあるはず。
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットの音を聴く機会もあるはず。

どちらか片方でも聴く機会があれば、そしてその音に良さを感じることがあれば、
私がこれまで書いてきている朦朧体という音についての手がかりにはなることだろう。

Date: 11月 14th, 2022
Cate: 終のスピーカー

ベンディングウェーヴとアンプのこと(その1)

別項「D130とアンプのこと(その22)」で、こんなことを書いている。

スピーカーに関しては、
ホーン型とかコーン型とか、その動作方式で分類する前に、
まずピストニックモーションかベンディングウェーヴかに分類できる。

そしてスピーカーの駆動についても、
真空管アンプかトランジスターアンプかという分類もあり、
回路や出力段の動作方式によって分類する前に、
定電圧駆動か定電流駆動かに分類できる。

つまりスピーカーとアンプの組合せでみれば、
現在圧倒的主流であるピストニックモーションのスピーカーを定電圧駆動があり、
ベンディングウェーヴのスピーカーを定電圧駆動、
ピストニックモーションのスピーカーを定電流駆動、
ベンディングウェーヴのスピーカーを定電流駆動、
──この4つのマトリクスがある。

この4つのマトリクスのなかで、私がもっとも聴いてみたいのは、
ベンディングウェーヴのスピーカーの定電流駆動の音である。

うまくいくいかない、そのことも大事なのだが、
それ以上にベンディングウェーヴのスピーカーを定電流駆動することで、
ベンディングウェーヴについての理解が深まる予感があるからだ。

Date: 11月 14th, 2022
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカーがやって来る(余談)

ウォルシュドライバーを採用したオーム・アコースティックスは、
いまも活動しているブランドである。

伊藤忠が取扱いをやめてからどこもやらなかった。
情報も入ってこなかったので、つぶれてしまったと勝手に思い込んでいた。

けれど今もニューヨークにある。
細々と──、とではなく、製品数もけっこうある。

古いモデルのスペアパーツも、古いモデルのアップグレードも行っているようだ。

Date: 11月 14th, 2022
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その13)

その9)で、MQAをマンガーやジャーマン・フィジックスといった、
ベンディングウェーヴのスピーカーで聴いたら、どんなに素晴らしいだろうか、
と書いているし、
別項「黄金の組合せ(番外)」でも、
MQAとベンディングウェーヴのスピーカーこそ、
ごく私的な黄金の組合せとも書いている。

どちらも今年の2月に書いている。
この時点では、ジャーマン・フィジックスの取扱いはまだ再開されていなかった。

7月にジャーマン・フィジックスのHRS130が輸入されるようになった。
9月に銀座のサウンドクリエイトで、
十年ぶり以上のひさしぶりのジャーマン・フィジックスの音を聴くことができた。

ジャーマン・フィジックス HRS130(とサウンドクリエイト・その3)」でも、
MQAで、それもULTRA DACとの組合せで聴いてみたい、と書いた。

書きながら、ほんとうに聴ける日がやってくるのかなぁ、ともおもっていた。

どこかで聴く機会はあまり期待できないことはわかっている。
となると自分でなんとかするしかない。
そんなことをなんとなく思い始めていたときに、Sさんからのメールが届き、
終のスピーカーが私のところにやって来ることになった。

これでMQAとベンディングウェーヴの組合せが実現する。
しかもグールドもMQAで聴ける時代になっている。

Date: 11月 14th, 2022
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカーがやって来る(その7)

ジャーマン・フィジックスのスピーカーを聴いたのは、
2002年のインターナショナルオーディオショウでのタイムロードのブースであった。
Unicornが鳴っていた。

DDD型ユニットの原型といえるウォルシュドライバーの音は、
1980年代後半、オームのスピーカーシステムが、伊藤忠によって輸入されていたので、
ステレオサウンドの試聴室で聴いている。

動作原理に関しては、
ステレオサウンド別冊のHI-FI STEREO GUIDEに載っていた用語解説で知ってはいた。

なのでUnicornを初めて見ても、特別奇妙なスピーカーとは思わなかった。
けれど、その音には驚いた。

オームのスピーカーとは完成度がまるで違っていた。

そうなのだ、今年はジャーマン・フィジックスのUnicornを聴いて、ちょうど20年目である。
傍からすれば、単なる偶然でしかないし、20年というきりのよい数字に何の意味があるのか、
そう問われれば、何もない、と答えるのだけれど、それは本心からではなく、
やっぱり何かあるんだろうな、とおもっている。

そういうことを含めての、私にとっての終のスピーカーである。

Date: 11月 13th, 2022
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカーがやって来る(その6)

2021年をふりかえって(その3)」で、こう書いている。
     *
2020年が、五味先生没後40年、
2021年の今年が、瀬川先生没後40年。

2020年には、タンノイのコーネッタを、ヤフオク!で手に入れた。
ステレオサウンドがキット販売したのを、誰かが組み立てたモノではなく、
別項で書いているように、はっきりと専門とする職人の手によるコーネッタである。

今年になって、そのことがわかり、いい買物をしたな、と実感している。

2021年には、SAEのMark 2500を手にいれた。
これもヤフオク!であり、ヤフオク!の相場よりも半分以下で落札できた。
こちらも程度はいい。

五味先生の没後40年の2020年にタンノイ、
瀬川先生の没後40年の2021年にMark 2500である。

不思議な縁が二年続いた。
     *
ほぼ一年前に、これを書きながら、さすがに来年(つまり今年、2022年)は、
こんなことはもう起らないだろう……、と思っていた。

今年、2022年はグレン・グールド没後40年である。
だからといって、グールドになにがしか関係のあるオーディオ機器が、私のところにやって来る、
そんなことは起りようがない。

だいたいにして、グールドに関係のある(深い)オーディオ機器って、
いったいなんだろう──、そういう状況なのだから、
不思議な縁といえるオーディオ機器がやって来ることはない、そう思っていた。

今年、別項で書いているようにGASのTHAEDRAがやって来た。
これも不思議な縁からやって来たモノといえる。

それでもグールド没後40年とはまったく関係ない。

THAEDRAがやって来たことは、嬉しかった。
ジェームズ・ボンジョルノ設計(基本設計)のアンプのペアが実現したからだ。

夏にはこれも別項で書いているように、
ラックスキットKMQ60と自作の真空管アンプがやって来た。
今年も、もうこれで充分じゃないか、
グールド没後40年ということとはどれも関係なかったけれど。

10月26日、夕方に、一通のメールが届いた。
そのメールの内容は、ほんとうに夢のようなことだった。

そして一週間後の11月20日に、私にとっての終のスピーカーがやって来る。
グレン・グールドを、このスピーカーで聴けるだけでなく、
自分の手で鳴らし、グールドを聴くことができる。

グールド没後40年の2022年に、
ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40がやって来る。
エラックのリボン型トゥイーターとともに、やって来る。

Date: 11月 12th, 2022
Cate: 夢物語

オーディオ 夢モノがたり(想像してみてほしい・その2)

いまや億を超える金額であっても、
オーディオに限っても夢のような金額とはいえなくなりつつある。

ならば十億円、百億円、さらには一兆円と考えてみる。
一兆円ほどあれば、世界中、好きな場所に望むままの家を建てられるし、
リスニングルームもいくつもも持てる。

オーディオ機器に関しても、気に入ったブランドを買収して──、
そんなことまで可能になる。

それにホールを建てて、オーケストラを自前でもち、
それこそ、そこで原音再生に取り組むことだってやれる。

一兆円という数字は、無尽蔵に思えるし、実際にそうであろう。
世の中には一兆円でも現実的な数字でしかない、という人もいるだろうが、
一兆円を生きているうちにすべて使い切ることを想像してみれば、
その金額の途方のなさを、少しは実感できようというものだ。

そうやって想像(妄想)のかぎりを考えていく。
そんなばかげたことをまじめに考えていくことで、
それではやりたいことをすべてやって、最後にしたいことは──、
この問いが残るのではないのか。

Date: 11月 12th, 2022
Cate: 夢物語

オーディオ 夢モノがたり(想像してみてほしい・その1)

瀬川先生が、ステレオサウンド別冊のHIGH TECHNIC SERIESの最初の号、
マルチアンプの号で書かれている。
     *
■思いがけない小遣いが入った。あなたはそれで、演奏会の切符を買うか、レコード店に入るか、それともオーディオ装置の改良にそれを使うか……
 実は、この設問には答えていただく必要は少しもないのだが、仮にもしあなたが、「むろん装置の改良に使う」とためらいなく答えたとすれば、もしかするとあなたは、マルチアンプはやらない方がいいタイプかもしれない。
 ……などというのは半分は冗談で、ほんとうに言いたいのは、実は次のようなことがらだ。
     *
当時、学生だった私は、けっこう真面目にこの設問について考えていた。
学生だったから、思いがけない小遣いも、いくらに設定しようか、そこから考えていた。

この設問は、いくつになっても考えるのは、けっこう楽しい。
大人になれば、思いがけない小遣いの金額も学生だった頃からは違ってくるし、
同じ金額であったとしても、答は違ってくる。

私は、この設問のために、ときどき宝くじを買う。
当るとはまったく思っていない。
買うのは、月に一回程度で、ナンバーズかロト6のどちらか。
しかも一口しか買わないから、一年間の出費も二千円ほど。

なぜ買うのかといえば、ナンバーズにしてもロト6しても、
一致した数字の数によって当籤金が違う。
この具体的な数字が、あれこれ想像するうえで大事だからだ。

このくらい当籤していたら──、
そんなことを想像するためだけに買っているといえる。
なので想像する期間を長く楽しむために、結果をすぐに調べたりはしない。

宝くじの当籤金もいまでは数億円になっている。
けれど、その数億円が当籤したとして、それは思いがけない小遣いではあるが、
それだけでどれだけのことがやられるのだろうか、と現実的にもなる。

たとえばきちんとしたリスニングルームを、と想像する。
広さは? 造りは? そんな具体的な考え、費用はどのくらいかかるのか。
それから欲しいと思うオーディオ機器をすべて揃えるとしよう。

たとえばマジコのM9が欲しい、という人もいる。
けれどM9だけで一億円である。これに見合う機器を揃えたら、
そしてM9の大きさと重量にたえられるだけの部屋ということ、
それらの維持費などを積み重ねていくと、数億円はあっというまになくなる。

Date: 11月 12th, 2022
Cate: 新製品

新製品(その23)

新製品とひと括りにしても、大きくわけて二つの種類の新製品があるといえる。
ひとつは、まったくの新製品である。
もうひとつは、改良モデルとしての新製品である。

どちらかであっても、新製品を聴く(ふれる)のは楽しい。
そうであっても、期待するところとなると、まったく同じなわけではない。
     *
 一つのものが、時間をかけて、愛情をもって練り上げられると、不思議に、そのものの個性が磨きをかけられて、強い主張として、見る者、触れる者に訴えかけてくるものである。このAU-D907リミテッドには、そうした熟成した魅力がある。例えは悪いかもしれないが、新製品にはどこかよそよそしい、床屋へ行きたての頭を見るようなところがある。きれいに整ってはいるが、どこか、しっくりこないあれだ。AU-D907リミテッドにはそれがない。刈ってから一~二週間たって自然に馴染んだ髪型を見るような趣きをもっている。中味を知って、音を聴けば、一層、その観が深まるであろう。
     *
菅野先生が、ステレオサウンド 53号の特集「ステート・オブ・ジ・アート」で、
サンスイのプリメインアンプ、AU-D907 Limitedについて書かれた文章からの引用だ。

それまでの型番の末尾に、MK2とかAとかがつく改良モデルとしての新製品。
従来モデルを使っている人が期待するのは、ここのところが大きいはずだ。

従来モデルを使っていない人、関心もあまりなかった人にとっては、
まったくの新製品としての位置づけになるだろうし、
その新製品への期待は、他の新製品への期待と同じだろうが、
従来モデルを使っている人、特に愛用している人は、
《自然に馴染んだ髪型を見るような趣き》を求めてのもののはずだし、
それに応えてくれる新製品(改良モデル)は、これまでどのくらいあっただろうか、
そしてこれから、どのくらい登場してくるのだろうか。

Date: 11月 12th, 2022
Cate:

日本の歌、日本語の歌(その7)

日本語の歌における日本語の流暢さは、
歌そのものが与えてくれる情景に、どれだけ関係しているのだろうか。

その5)で書いているように、
「よく、こんな日本語の歌、聴けますね」とか「がまんできますね」とか、
グラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いて、そういう人はけっこういる。

ホセ・カレーラスの「川の流れのように」をかけても、
まったく同じことをいう。

そんなことを言う人と私の、日本語の歌の聴き方はずいぶん違うわけだ。
私だって、流暢であればそのほうがいいとは思うけれど、
たいして、そのことが気になるわけではないし、気にすることもない。

それよりも、日本人の歌手(流暢な日本語)による日本語の歌よりも、
それまで聴きなれていた、とおもっていた日本語の歌に、
新しい輝き(もっといえば生命)を吹き込んでくれたように感じる。

だからこそ、多少日本語がまずかろうと、そんなこと気にせずに聴く。
歌の本質とは、そういうもののはずだ。

そして思うのは、まず流暢な日本語かどうかをすごく気にする人と私とでは、
音楽の聴き方(捉え方)が違うわけだから、それは音の聴き方(捉え方)も違う。

Date: 11月 12th, 2022
Cate: ディスク/ブック

Vitali: Chaconne in G Minor

TIDALのおかげで、今年も聴きたいとおもった録音の多くを聴くことができた。
聴きたいと思ってすぐに聴ける。

このありがたさを、私と同じ世代、上の世代の人たちは実感すると思う。
若い頃、聴きたいと思っても、そうそうすぐには聴けなかった。

学生だったころは、聴きたいと思っても、レコードをすぐには買えなかった。
しかもFM局は、私が住んでいた田舎はNHKだけ。

聴きたいレコードはあっても、そのうちのどれだけを買って聴けたのか。
環境によって大きく違ってくることだけに、そんなことはなかったという人もいれば、
確かにそうだった──、と頷く人もいる。

そういう時代を過してきただけに、
TIDALのありがたさは、増していくばかりだ。

TIDALのおかげで、ジャンルに関係なく、そして録音の古い新しいに関係なく、
聴きたいとおもった音楽を、すぐに聴ける。

もちろんTIDALにない曲もある。
それでも聴ける曲のほうが圧倒的に多い。

そうやって今年聴いたもののなかで、
私のなかでは一、二を争うほど印象が強かったのが、
ハイフェッツによるヴィターリのシャコンヌだ。

ヴィターリのシャコンヌは、ずっと以前に聴いている。
誰の演奏だったのか憶えていない。
ハイフェッツではなかったことだけは確かだ。

つまり、あまり印象に残っていない。
それもあって、ヴィターリのシャコンヌを聴いたのはほんとうに久しぶりのことだった。
ハイフェッツの演奏で聴けるから、聴いた──、
そんな軽い気持から、である。

ハイフェッツによる演奏を聴いたことのある人は、いまごろかよ──、というだろう。
自分でも、そう思う。
いまになって、この演奏をすごさを知ったのだから。

ハイフェッツのことは、歳をとるほどによさを強く感じるようになり、
好きになってきている。

そこにヴィターリのシャコンヌである。
まだ聴いたことがないという人は、だまされたと思って聴いてほしい。