オーディオ評論家は読者の代表なのか(その23)
2019年3月5日発売のステレオサウンド 210号の第二特集は、
「達人が明かすHi-Res再生の実践テクニック」である。
山之内 正、土方久明、逆木 一の三氏が登場している。
つまり山之内 正、土方久明、逆木 一の三氏は達人ということだ。
このころからとはっきりいえるわけではないが、
いつのころからか、こんなふうにオーディオ評論家を持ちあげるようになってきている。
つい先日も、「評価のプロたち」という表現が音元出版のPhile webであった。
ここでは、小原由夫、土方久明の二氏が、「評価のプロたち」ということだ。
これ以外にもいくつかあるのだが、
なんだか気色悪いものを感じてしまう。
オーディオ機器を評論する人を、なぜ、こんなふうに持ちあげるのか。
そのことに何も疑問を感じないのか。
読み手はどうなのか。
「達人」、「評価のプロたち」、
こんな枕詞がつけられている人のいうこと、書いていることは信用できるということなのか。
いつもはタイトルをまず決めてから本文を書き始めるのだが、
今日は本文を書いたあとで、タイトルをどうしようかと考えた。
新しいタイトルにするのか、これまで書いてきているどれかにするのか。
結局、このタイトルにしたのだが、
「達人」、「評価のプロたち」といった枕詞をなんの抵抗感もなく読んで、
受け入れてしまう人たちは、オーディオ評論家を自分たちの代表と思っているのか。
その代表であるオーディオ評論家が、達人であったり、評価のプロであるということは、
自分たちもそうだ、という意識なのかどうか。