野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会(その2)
野口晴哉氏は、1976年6月22日に亡くなられている。
野口晴哉氏のリスニングルームが掲載されている朝日新聞社の「世界のステレオ」は、
1976年12月に出ている。
「野口晴哉コレクションより 幻の名器」、
この記事の冒頭には、こうある。
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工業製品は技術の進歩にともなって、日ごと、その姿をかえてゆくものです。オーディオ機器もその例にもれることなく、数多くの製品が現われ、そして消えてゆきました。しかし、その中のいくつかは、消しても消えない光を放っていたのです。純技術的にはすでに過去のものでも、趣味性を重んじる愛好家にとっては、手の込んだ良き時代の製品がもつ人間味、音のうるおい、こうしたものはえがたい魅力なのです。オーディオでいう幻の名器とは、こうした魅力をもつ製品です。
ここで紹介する製品はすべて故・野口晴哉氏のコレクション。氏は生前オーディオ愛好家として、また名器のコレクターとしても知られてました。惜しくも今年6月になくなられましたが、その直前までオーディオ製品を見る目は厳しく、すぐれた機器を手元におかれていたようです。今回、幸いにしてその一部を取材する機会にめぐまれました。幻の名器も、そここに見いだすことができます。
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「野口晴哉コレクションより 幻の名器」はカラー6ページの記事だ。
ステレオサウンド 15号「オーディオ巡礼」は1970年6月だから、
六年後のリスニングルームである。
「オーディオ巡礼」はリスニングルームの写真は、なぜかない。
「オーディオ巡礼」の扉は、
野口晴哉氏のクレデンザの前で正座されている五味先生の後ろ姿の写真だ。
本文中も、野口晴哉氏の写真、床や棚に置かれているスピーカーユニット、
それから簡単なブロックダイアグラムぐらいである。
「オーディオ巡礼」から「野口晴哉コレクションより 幻の名器」までの六年間で、
どういう変遷があったのかはわからない。
リスニングルームも同じなのか、改装されたのか、そのへんも記事からははっきりと読みとれない。
二つの記事をみていると、かなりかわっているともいえるのだが、
音はどうだったのだろうか。
「オーディオ巡礼」では、
《野口さんに会うのはコーナー・リボン以来だから、十七年ぶりになる》とある。
この十七年間でも、システムはかわっていたはずだ。
それでも、五味先生は書かれている、
《ちっとも変らなかった。十七年前、ジーメンスやコーナーリボンできかせてもらった音色とクォリティそのものはかわっていない。私はそのことに感動した》と。