Date: 12月 21st, 2022
Cate: 訃報

大野松雄氏のこと

大野松雄氏の訃報を、facebookで知った。

大野松雄氏といっても、誰? という人が少なからずいると思う。

2020年6月のaudio wednesdayで、「鉄腕アトム・音の世界」をかけた。
「鉄腕アトム・音の世界」に収録されている音、
この音たちは、それまで世の中に存在しなかった音であり、
この存在しなかった音たちを生み出したのが、大野松雄氏である。

大野松雄氏は音響デザイナーである。
大野松雄氏の名前を知らなくても、
大野松雄氏によってうみだされた音たちは、どこかで耳にしているはずだ。

Date: 12月 21st, 2022
Cate: 境界線

感動における境界線(その5)

元気をもらった、という表現がある。
○○のライヴに行って、元気をもらった──、
そんなことを目にすることがわりとある。

○○には、自分の好きな演奏家、歌手の名前をあてはめてもらえばいい。

ここで問いたいのは、○○の音楽ではなく、
元気をもらった、とのところだ。
元気でなくてもいい、勇気をもらったでもいい。

ほんとうに○○の音楽から元気(もしくは勇気)をもらったのだろうか。
元気(勇気)がわいてきた、ではないだろうか。

○○の音楽と、聴いた人の裡にあるなにかとが共鳴しての元気(勇気)がわいてきたり、
化学反応のようなものが起り元気(勇気)がうまれてきたのを、
元気(勇気)をもらった、と受け手側が錯覚しているだけではないのだろうか。

時には、聴き手側のそういう発言を耳にして、
音楽の送り手側の人間もそんなふうに勘違いしたりはしないだろうか。

フルトヴェングラーは、
「感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ」を語っている。

感動とは、そこに存在しているわけではない。
確かなものとして、どこかにある存在でもなく、
うまれてくるもののはずだ。

その意味で、元気(勇気)も同じではないのか。
ここを曖昧にしたままでも音楽は聴ける。
元気になれる、それでいいじゃないか、といわれればそれまでなのだが、
ここを曖昧にしたままではなんなとく釈然としないものが、こちら側に残ってしまう。

Date: 12月 20th, 2022
Cate: Claudio Abbado

Abbado 90(その2)

気にはなっていたものの、ステレオサウンドの試聴で初めて聴いたのだから、
それまではクラウディオ・アバドの聴き手ではなかったわけで、
マーラーの第一番を聴いても、熱心な聴き手になったわけでもなかった。

それでもアバドの演奏(録音)は、気になる作品が出ればわりと聴いてきた、と思っている。
思っているだけで、アバドの夥しい録音量からすれば、わずかとかいえないのだが、
それでもアバドが残した演奏(録音)のなかで、いくつかは愛聴盤といえるものがあるし、
ことあるごとに聴いているレコード(録音物)もある。

シカゴ交響楽団とのマーラーの一番に続いて、
ステレオサウンドの試聴ディスクとなったアバドのディスクは、
ベルリオーズの幻想交響曲である。

マーラーの一番は、サウンドコニサーの試聴だけだったが、
幻想交響曲は、いくつかの試聴で使われたから、
聴いた回数はマーラーの一番よりもずっと多い。

マーラーの一番はLPだった。
幻想交響曲は最初はLPで途中からCDにかわった、と記憶している。

マーラーの一番は買わなかったけれど、幻想交響曲はLPを購入した。
シーメンスのコアキシャル・ユニットを、
平面バッフル(1.8m×0.9m)に取りつけて聴いていた時期だ。

ステレオサウンドの試聴室で聴いて、
その音が耳に残っているうちに帰宅してからも幻想交響曲を聴いていた。

アバドの残した録音で、回数的(部分的であっても)には、
幻想交響曲をいちばん聴いているといえるが、だからといって、
アバドの幻想交響曲が愛聴盤というわけではない。

愛聴盤は他にある。
ベルクの「ヴォツェック」だったり、シューベルトのミサ曲、
ポリーニとのバルトークのピアノ協奏曲などがそうである。

Date: 12月 19th, 2022
Cate: Claudio Abbado

Abbado 90(その1)

来年(2023年)は、クラウディオ・アバド生誕90年ということで、
ドイツ・グラモフォン&デッカ録音全集が発売になる。

CD237枚、DVD8枚組で、来年2月中旬ごろの発売予定。
通常価格は12万円を超えている。

ドイツ・グラモフォン、デッカからこういうCDボックスが出るということは、
EMI録音も、ワーナーから出てくると思われる。

アバドは、いったいどれだけの録音を残しているのか。
そうとうな数としかいいようがないけれど、私はそのうちのどれだけを聴いているのか。

私がアバドということを意識して聴いた最初のレコード(録音物)は、
シカゴ交響楽団を指揮してのマーラーの交響曲第一番だった。

1982年、ステレオサウンドの別冊サウンドコニサー(Sound Connoisseur)での試聴においてだった。
つまり、それまでは気になる指揮者ではあったものの、
他に聴きたい演奏家が大勢いて、ついついアバドに関してはあとまわしにしていた。

そんな時に聴いたアバドの演奏は、なんと生真面目な演奏なのだろうか、と、
その徹底ぶりにそうとうに刺戟を受けた。

Date: 12月 19th, 2022
Cate: 終のスピーカー, 組合せ

終の組合せ(その1)

終のスピーカーがやって来た。
だから、終の組合せというものを考えているところだ。

ここでの終の組合せは現実的に購入できる価格帯のモノではなくて、
予算に制約のない、いわば妄想組合せでもある。

ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40が、
終のスピーカーとして私のもとにある。

では、このTroubadour 40を中心にしての終の組合せをどう考え、どう展開していくのか。
いまのところ、ただぼんやりとしているだけだ。
はっきりしているのは、D/AコンバーターはメリディアンのULTRA DACということだけ。

この二点だけは決っている。
私にとっては変えようがない決定でもある。

あとはアンプとトランスポートである。
妄想組合せといっても、現行製品のなかから選んでいきたい。

価格の制約こそないものの、
すべての制約をなくしてしまっては組合せを考える愉しみは薄れてしまう。

とはいうものの、これがいちばんの制約のようにも感じている。

Date: 12月 18th, 2022
Cate: Noise Control/Noise Design

CR方法(その28)

ここで書いてきているCR方法は、
もちろんジャーマン・フィジックスのTroubadour 40でもやる。

いまは部屋の片づけに追われているのと、
最初はCR方法を施さない音を十分聴いてからのほうが、
CR方法がTroubadour 40に対して、どう作用するのか。

それはピストニックモーションのスピーカーに対しての作用とまったく同じなのか。
基本的には同じのはずだろうが、変化量も同じなのか。
もしかすると大きいのか小さくなるのか。

そのへんのことをきちんと把握する上でも、来年、少し落ち着いたら、
Troubadour 40にCR方法を施してみる。

Date: 12月 18th, 2022
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その84)

オーディオの想像力の欠如した者は、「正しい音なんて、ない」と断言できてしまう。

Date: 12月 17th, 2022
Cate: アナログディスク再生, 世代

アナログディスク再生の一歩目(その5)

アナログプレーヤーを構成する部品のなかで、カートリッジは交換が簡単に行える。
オーディオマニアならば、カートリッジを複数個持っている人は大勢いる。

いまは、カートリッジはこれだけです、という人でも、
そこにたどりつくまでにはいくつものカートリッジを使ってきたはずだ。

けれどトーンアームとなるとどうだろうか。
トーンアームの比較試聴をしたことがある人は、それほど多くないはずだ。
まして若い世代となると、トーンアームの比較試聴をやったことのある人は、
もっともっと少なくなる。

同じカートリッジであってもプレーヤーシステムがかわれば、音はかわる。
プレーヤーシステム全体の比較試聴をしたことのある人は、そこそこいよう。
けれどトーンアームをつけ替えても比較試聴となると、どうだろうか。

私はステレオサウンドで働いていたから、トーンアームの比較試聴の機会にめぐまれた。
けれどそうでなかったら、どれだけのトーンアームの試聴ができただろうか。

昨晩のaudio sharingの忘年会で、私より若い世代の人との話で、
やはりトーンアームのこのことが話題になった。

カートリッジとターンテーブルはそのままでトーンアームの比較試聴の機会はない──、
そうだろうと思いながら聞くだけしかできなかった。

そういう機会を、いまのところつくることもできないし、
ここに行けばトーンアームの比較試聴ができるよ、というところはあるのだろうか。
私は知らない。

Date: 12月 17th, 2022
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その31)

昨晩は、audio sharingの忘年会だった。
四谷三丁目の喫茶茶会記がなくなり、audio wednesdayをやらなくなって二年。
今年9月に再開したけれど、仮再開といった感じで、
喫茶茶会記のように、毎回決ったところに集まってという感じでは行えない。

audio wednesdayの常連だった方たちとはときおり会うことはあっても、
常連の人たちが集まってということは、二年間なかった(やらなかった)。

昨晩は私を含めて九人。
ひさしぶりに常連の人たちが、ほぼ揃った感じだった。

みな音楽好き、オーディオ好きだから、年齢に関係なく話は盛り上る。
約三時間、いろんな話題が出て、たっぷり笑っていた。

やっぱりこうやって集まるのはほんとうに楽しい。
年一回であっても、こういう集まりはやっていきたい。

Date: 12月 16th, 2022
Cate: German Physiks

ジャーマン・フィジックス Troubadour 40のこと(そのセッティング)

持っていないので私のところでは試していないが、
知人宅でTroubadour 40のセッティングで、あることを試してみた。

知人は磁石の反発力を利用したフローティング機構のSAPを持っていた。
Troubadour 40の下にSAPを置く。
つまりTroubadour 40をフローティングしたかっこうになる。

試す前から、そうとうな音の変化が得られるであろうことは、
以前、スピーカーシステムをコロ支持することでの音の変化を体験しているだけに、
容易に想像がついていた。

出てきた音の変化は、予想を超えていたところもあった。
結果は成功といってよかった。

なので私のところのTroubadour 40でも同じことを試すつもりである。
と同時に気になる製品がある。

ウェルフロートのバベルである。

試してみたいと思っても、そうとうに高価なモノだ。
しかもTroubadour 40用には二台必要となるから、さらに高価となる。

私はバベルを試したことはないし、実物をみてもいないが、
友人は、このバベルによる音の変化を録音の現場で体験している。

その音の変化を興奮気味に語ってくれたことからも、
そうとうな実力だということは伝わってきた。

Troubadour 40とウェルフロートのバベル。
ユニークな組合せとなるはずだ。

Date: 12月 15th, 2022
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Troubadour 40と4PI)がやって来た!!!(余談)

JBLのハークネスの上には、預かりもののJBLの375+537-500がのっている。
そのすぐ近くにTroubadour 40と4PI PLUS.2を置く。

菅野先生のところと見た目だけは近くなる。

Date: 12月 15th, 2022
Cate: ディスク/ブック

バッハ ヴァイオリン協奏曲

この数日、集中して聴いていたのは、バッハのヴァイオリン協奏曲である。
古い録音から最新録音まで、TIDALで検索してめぼしいと感じた録音をかなり聴いた。

聴いて気づいたことは、私だけのことなのかもしれないが、
他の曲(バッハにかぎらず、他の作曲家の作品)では、
演奏が素晴らしければ、録音の古さはそれほど気にしなかったりするのだが、
バッハのヴァイオリン協奏曲に関してだけは、録音の出来がひどく気になってた。

録音が優れていても演奏が……、というのはいらない。
演奏は優れていても、録音がやや……、というのが、なぜか気になる。

ヒラリー・ハーンがドイツ・グラモフォンに移籍した第一弾となった録音、
ジェフリー・カヘイン指揮ロサンジェルス室内管弦楽団とによる演奏が、
私には、他のどの録音よりも魅力的に感じた。

SACDで出ていたはずだからDSD録音なのか。
TIDALでは88.2kHzのMQAで聴ける。

2003年に出たアルバムを、いまごろ聴いて、うわーっと驚いているしだい。

Date: 12月 15th, 2022
Cate: 純度

純度と熟度(とモービル・フィデリティの一件・その7)

ステレオサウンド 225号にも、モービル・フィデリティの、
いわば擬装事件のことは記事になっていない。

この件は今夏にあきらかになっている。
すでに半年が経っている。けれど記事にはなっていないということは、
来年3月発売の226号で記事になる可能性は、かなり低い。

おそらくそのままだんまり、黙殺、無視だと私は思っている。
記事になることを期待していたわけではなかったし、
決して取り上げないだろうと思っていたから、やっぱりか、とおもうだけである。

そしてもうひとつ、別項で書いているショルティの「ニーベルングの指環」。
現時点で「ラインの黄金」と「ワルキューレ」のSACDが発売になっている。
e-onkyoやTIDALではMQAの配信もある。

これまでにエソテリックのSACD、デッカのBlu-Ray Audio盤、
ステレオサウンドのSACD、そして今回のSACDと配信(192kHz、24ビット)。

それぞれにマスターテープから、と謳っているけれど、
ここにきて、それぞれのマスターテープが何を指しているのかが明らかになっている。

この件も記事にしないのだろうか。

それともモービル・フィデリティの件とあわせて、
マスターテープの定義についての徹底した記事を出してくるのだろうか。

Date: 12月 14th, 2022
Cate: 世代

世代とオーディオ(その表現・その11)

フツーにおいしい、フツーにいい音。
これらの「フツー」とは、一種の予防線のようなものだと感じていると、
その10)で書いている。

いまもそう考えているけれど、もうひとつ思うようになったことがある。
フツーにおいしい、フツーにいい音は、背徳感を孕んでいない、ということだ。

Date: 12月 14th, 2022
Cate: 老い

老いとオーディオ(若さとは・その19)

老成ぶっている人たちは、もしかすると、
自分にはもうのびしろがない、ということに気づいている人なのかもしれない。
はっきりと気づいていなくとも、なんとなく感じているのかもしれないからこそ、
老成ぶるしかないのか──、
のびしろがないこと、なくなってしまったことを、
素直に受け入れられるのであれば老成ぶることはないのかもしれない。

ここにきて、そうおもう。