黒田恭一氏のレコード・コレクション
黒田先生のレコード・コレクションが、渋谷にあるbar bossaにて展示されている。
しばらくの間の展示とのこと。
詳しいことは、bar bossaのnoteをお読みください。
黒田先生のレコード・コレクションが、渋谷にあるbar bossaにて展示されている。
しばらくの間の展示とのこと。
詳しいことは、bar bossaのnoteをお読みください。
二年前の(その9)で、いまのステレオサウンドの見出しならば、
ChatGPTにまかせてもいいぐらいと書いたし、
さらに編集作業のいくつかはChatGPTにまかせたほうがクォリティが高くなるくらいには、
なっていてもおかしくない、とも書いている。
Googleのおせっかいな機能が、ステレオサウンド・オンラインの記事を表示した。
《惚れ惚れするような余韻の細かさと美しさ。Qobuzの真価、魅力をさらけ出す!》とある。
普段ならば、アクセスすることはしないが、
《さらけ出す!》を、こういう見出しに使うのか、
誰が書いているのか知らないが、本文にも《さらけ出す!》とあるのか。
それが気になって本文を読んでみた。
どこにも《さらけ出す!》は、ない。
ステレオサウンド・オンラインの編集者が、《さらけ出す!》としたのだろう。
見出しは何も本文中にある言葉だけを使うものではない。
とはいえ《さらけ出す!》は、ないだろう。
さらけ出すは、曝け出すと書く。
この漢字が、どういう意味なのか、どういう使い方なのかを表している。
ずいぶん前から、耳障りを、耳ざわりとして、耳ざわりのいい音という使い方をする人がいる。
言葉は変っていくものだから、さらけ出すも、そういうふうになっていくのもしれないが、
まだいまのところは、いい意味での使われ方はわざわざではないだろうか。
《さらけ出す!》と、ステレオサウンド・オンラインの編集者が、見出しとする。
それがそのまま公開される。
ステレオサウンド・オンラインには編集長はいないのか。
誰もチェックしないのか。
ChatGPTならば、《さらけ出す!》と、見出しにつけるだろうか。
グラシェラ・スサーナのアルバムは、ほぼ全て、私にとっても青春の一枚といえる。
アナログ録音で、LPで聴いてきたスサーナのアルバムは、
十代を青春というのであれば、どれもが青春の一枚である。
グラシェラ・スサーナのアルバムで一番売れたのは、「アドロ/サバの女王」である。
ミリオンセラーと聞いている。
この「アドロ/サバの女王」を録音した時、スサーナはまだ十代だった。
そのことをこれまで長いことスサーナを聴いてきたけれど、意識したことはなかった。
カセットテープで聴いていた時も、LPで聴いていても、
CDで聴くようになっても、意識したことはなかった。
それがMQA-CDを、メリディアンのULTRA DACで、スピーカーはフランコ・セルブリンのKtêmaで聴いて、初めて気づいた。
喫茶茶会記でもアルテックのシステムで、ULTRA DACで、
スサーナのMQA-CDは聴いている。
けれど、その時はスサーナが十代とは意識しなかった。
Ktêmaというスピーカーを通じて、初めて気づいた。
書き手だけでなく、それぞれのオーディオ雑誌のリファレンス機器にも、個性、カラーはあらわれていた。
スピーカーシステムは、ステレオサウンドはJBLの4343、
1980年代になり後継機の4344だったが、
他のオーディオ雑誌は違っていた。
それが良かった。いまはどうだろうか。
優秀なスピーカーシステムならば、どのオーディオ雑誌でもリファレンス機器とする──、
そういう見方、捉え方もできるが、
何も優秀なスピーカーシステムは一つだけではない。
他のブランドにも、優秀なスピーカーシステムはある。
なのに、いまのオーディオ雑誌は、とあえて指摘するまでもないだろう。
昔はスピーカーシステムが違えば、アンプも違っていた。
このことですぐさま頭に浮ぶのは、Lo-Dのパワーアンプ、HMA9500である。
MOS-FETを出力段に採用したアンプは、長岡鉄男氏が高くて評価されてたし、
自宅でも使われていたから、長岡鉄男信者、長岡教信者の間では、
高い人気と評価を得ていたが、ステレオサウンドでは、その熱気がウソのような取り上げられ方だった。
HMA9500は、だから中古市場でも人気のようだが、
私はそのことを傍観者として眺めている。
HMA9500が優れていたとかそうでなかったとか、言いたいのではなく、
HMA9500は、オーディオ雑誌によって、取り扱われ方の熱気が違っていた、ということだ。
今日、明日開催のOTOTEN。
行くつもりでいたけれど、今日もダメで明日も行けそうにない。
どんな感じなのだろう、と思い、X(旧twitter)で検索してみると、かなりの数が表示される。
若い人と思われる投稿多い。
初めてのOTOTENと思われる人も、けっこう多い。
ネガティヴな反応ではなく、楽しんでいる感じが伝わってくる。
OTOTENは、インターナショナルオーディオショウは違う。
そのことが今年はよく出ているように感じるだけでなく、うまくいっているようにも感じられる。
私がオーディオ雑誌を初めて手にしたのは1976年の終りごろだった。
まずステレオサウンドがあった。
ステレオがあった、オーディオピープルが、サウンドメイトが、別冊FM fan、ステレオ芸術、サウンドレコパルが、オーディオアクセサリーなどがあった。
それぞれに、その雑誌を代表すると言える書き手(オーディオ評論家)がいた。
この雑誌しか書かないという専属制ではなかったけれど、
ステレオサウンドならば、菅野沖彦、瀬川冬樹の二人を中心に、
井上卓也、上杉佳郎、岡 俊雄、長島達夫、山中敬三といった顔ぶれだった。
これらの人たちが、他の雑誌には書かないわけではなかったけれど、
活動の中心としてステレオサウンドがあった、と言える。
他のオーディオ雑誌には、それぞれの人たちがいた。
ステレオ、別冊FM fanには長岡鉄男がいた。
オーディオアクセサリーには江川三郎がいた。
他の人たちも、どれかのオーディオ雑誌を活動の拠点としていた。
そのことが、それぞれのオーディオ雑誌の個性(カラー)を生んでいた。
それが、いまはどうだろうか。
書き手の顔触れだけで、どのオーディオ雑誌なのか、昔はすぐにわかったものだが、この点に関しても、いまはどうだろうか。
JBL D44000 Paragon。
死ぬまでに一度鳴らしてみたいスピーカーの筆頭だ。
パラゴンが、私にとっての終のスピーカーとなることはあまりないけれど、
一年間、じっくりと取り組んでみたい、といまでも思う。
パラゴンとともに大きな部屋が欲しいわけではない。
オーディオ専用の空間であれば、六畳間くらいの部屋でもいい。
パラゴンにグッと近づいて聴く。小音量で鳴らしたい。
だから、静かなオーディオ機器を用意したい。
電源トランスも唸らず、空冷用のファンもないアンプで鳴らす。
ローレベルのリニアリティ、S/N比の良さだけでなく、
ローレベルのリアリティの優れたアンプを持ってきたい。
今朝、facebookを眺めていたら、アルフレッド・ブレンデルが亡くなったことを知った。
若いころ、ブレンデルは好きなピアニストではなかった。才能、実力はすごいと思っていたし、
コンサートにも行ったことはある。
でもブレンデルの新譜が出れば必ず買うわけではなかった。
どうしても好きなピアニスト、演奏家のディスクを買うほうを優先する。ブレンデルでは、後回しになってしまう存在だった。
ブレンデルを、そんな頃よりも少し好きになったのは、フィリップスから出た「エリーゼのために」を聴いたからだった。
このアルバムには「エロイカ変奏曲」も収められている。
こちらの方がメインだろう。
でも私の耳を捉えたのは、「エリーゼのために」だった。
前回、書いた「編集者の善意」について考えていて思い出す記事がある。
ステレオサウンド 95号の特集、
「最新スピーカーシステム 50機種 魅力の世界を聴く」の巻頭座談会である。
菅野沖彦、長島達夫、山中敬三、三氏による座談会の最後の方で語られていることだ。
*
──たとえばJBLのK2が『ステレオサウンド』誌上で高く評価されていますね。タンノイしかり、エレクトロボイスしかり。一方あたらしく出てきた平面型スピーカーのように、K2ほどには評価が高くないのは……。
菅野 人によってものすごく評価してるよ。
長島 視点の違いですよ。
菅野 つまるところは人間なんですよ。その人の音の世界、音楽の美の世界にとっては、もう素晴らしいものになる。たとえばアポジーの好きなX氏にとっては、おそらくアポジーと出会うことによって、オーディオの世界が完成したと思うんだよ。X氏は意識しないうちに、あの世界を彼の理想のオーディオ世界としてイメージしていたんだろうと思いますよねそれは人によってみんなちがうんだ。世の中うまくしたもので、理想の異性の顔って、一人として同じということはない。
山中 だからうまくいっている。
菅野 スピーカーもそれと同じだと思うんですよ。
レベルの差じゃない。X氏にとって、あれはほんとうに理想の世界なんですよ。たまたまX氏と同じような感性の人が少ないだけ……。
長島 ここの場にはね(笑)。
山中 それだけのことなんです。雑誌の好みといってもいい。この雑誌に関わっている人たちの好みが反映しているかもしれない。
長島 それは雑誌として非常に大事なことだね。
菅野 雑誌のカラーだからね。
長島 普遍的なほうがいいという一般論があるけど、これは違うと思う。
菅野 雑誌はやっぱりひとつの主張とカラーがないと意味がない。特にこういう趣味の雑誌が八方美人だったら困る。
*
編集者が八方美人になることは、編集者の善意なのだろうか。
この座談会が行われた時代は、まだオーディオ雑誌それぞれに「雑誌のカラー」が残っていた。
昨晩の(その35)に、facebookにコメントがあった。
《伝言ゲームの中で、情報が損失されている印象。》
このことは私も感じていた。
オーディオに限らず、いろんなところにあることだろうが、
特に趣味の世界では、その傾向は強いように感じることがある。
ソーシャルメディアの普及は、特にそうである、とも言える面を持っている。
しかも伝言ゲームは、往々にして大事なところから伝わらなくなる傾向も持つ。
オーディオにおいてそれを正していくのが、オーディオ雑誌の務めなのだと思うのだが、
そんなことを微塵も考えていない編集者もいるように感じている。
(その34)で終りのつもりだったのだが、そういえば、と思い出したことがあったので、また書いている。
ずいぶん前のことだが、池田 圭氏が
《シングルアンプは電源を作るようなものである》、
そんなことを書かれていた。
その通りである。
なのに、いまではそういうことを書く人は、いるのだろうか。
わかっていても、もう書かなくてもいいだろう、と思っているのか、
それとも、わかっていないだけなのか。
わかっていない人がいるのはわかるのだが、
初心者には五極管のシングルアンプがいい、とすすめる人もまた、このことがわかっていないのだろう。
わからずに初心者にすすめる。そんな時代になってしまったのか。
カセットテープはフィリップスの特許に基づいているため、
その規格を勝手に変更はできない。
カセットテープのテープ速度
を、ナカミチは半速、マランツは倍速にできるカセットデッキを発売したけれど、
後に続くモデルが登場しなかったのは、特許があってのこと。
エルカセットは、その点、自由だったはず。
オープンリールテープと同じ1/4インチ幅のテープを、
カセットテープと同じようなハウジングに収めたものだから、
オープンリールデッキがテープ速度を選択できたように、
半速、倍速が装備されていたら──、
当時も思っていたし、こうやってエルカセットについて書いていると、
余計にそんなことを考えてしまう。
それでも遅かれ早かれ、エルカセットは消えていっただろう。
ロックウッド Majorと同時代で、
同じ15インチ口径の同軸型ユニットを搭載していたタンノイのスピーカーシステムには、Ardenがあった。
ロックウッドに興味があった中学生だった私は、MajorとArdenのスペックを比較して、疑問を持っていた。
Ardenの外形寸法はW66.0×H99.0×D37.0cm、重量は56.0kg。
ロックウッドのMajorの外形寸法はW71.0×H114.0×D44.5cm、重量は54.0kg。
同じスピーカーユニットを搭載し、Ardenよりも堅固なエンクロージュアの造りで、しかも外形寸法も大きいにも関わらず、
なぜかカタログ発表値は、Majorの方が軽い。
しかも15インチ口径の同軸型ユニットを二発搭載している上級機のMajor Geminiの重量も54.0kgである。
タンノイのHPD385Aの重量は14kgと発表されていたから、本来ならば、Major Geminiは10kg以上重たいはずなのに、である。
おそらくなのだがロックウッドの54kgというのは、エンクロージュア単体の重量なのだろう。
以前、別項で、もしジャズ喫茶をやることになったら、スピーカーは、イギリスのロックウッドのMajor Geminiを第一候補と考えていると書いている。
ロックウッドはタンノイの同軸型ユニットを採用し、エンクロージュアを独自製作したスピーカーを手掛けていた。
1970年代、シュリロ貿易が輸入元だった。
音は聴いたことがない。オーディオ店に展示されていたのを見ただけである。
同じタンノイのスピーカーユニットでも、タンノイ・ブランドのスピーカーシステムとは、ずいぶん違う音を聴かせてくれるそうだ。
エンクロージュアも、タンノイのモノよりもずっと堅固に作られている、ということだった。
この点に関しては、実際にロックウッドのスピーカーを手に入れられた方の話によると、それほどでもないらしい。
それでもロックウッドのスピーカーの音は、
瀬川先生、長島先生の書かれたものを読んでは、鳴らしてみたい、と想いを募らせていた時期がある。
シュリロ貿易がオーディオから離れてロックウッドを輸入することところはなかった。
ウワサも聞かなくなっていたから、会社がなくなったものだと思っていた。
実際、1980年代に火災にあって会社はなくなったが、創業者の孫が2017年に復活させている。
いま、ロックウッドは健在だ。
タンノイの15インチ口径のユニットを二発収めたMajor Geminiはラインナップにはない。
でも一発の方のMajorはある。
現行製品のMajorは、タンノイのどのスピーカーユニットを搭載しているのか。
ウェブサイトには、“15 Inch (385mm) Lockwood Green HPD/SL”とある。
HPDなのか。
耐入力、出力音圧レベルを見ると、HPD385のようだ。スピーカーユニットの写真を見ることはできないので、
これ以上のことはなんともいえない。
それでも聴いてみたい、そして鳴らしてみたいスピーカーシステムである。
ダイナコのSCA35は真空管プリメインアンプだから、専用とはいえウッドケースをつけるのは、
放熱の点では好ましくない。
同時のダイナコの輸入元はハーマン・インターナショナルだった。
なんとなくなのだが、ウッドケースは日本で企画され製造されたものではないだろうか。
そんな気がしてならない。
別にそれでもいいと思っている。
放熱が心配なだけで、問題ないとわかったら、今も欲しい気持は残っている。
私が使っていたのは、信頼できる人が整備してくれたモノで、
出力管の6BQ5は、シーメンスかテレフンケンのEL84になっていた。
真空管の選別をきちんとやれば、SCA35はローコストの真空管プリメインアンプにしては、
なかなか品のある音を出してくれる。
いまの時代、SCA35的なアンプを求めようとなると、何があるだろうか。