所有と存在(その23)
音も音楽も所有できないからこそ、オーディオは素晴らしい、と、
以前よりも強くそう思うようになってきたのは、残り時間が少なくなってきたからなのだろうか。
私が死んだら、所有しているディスクやダウンロードした音源、オーディオ機器は残る。
それは所有できたものが残るだけのことであって、
私が追い求めてきた音、音楽は残らないからだ。
私とともに、それらは消失する。痕跡は微かに、短い期間は残るかもしれないが、
その僅かさえ、いつかは消えてしまう。
だから、素晴らしい。
音も音楽も所有できないからこそ、オーディオは素晴らしい、と、
以前よりも強くそう思うようになってきたのは、残り時間が少なくなってきたからなのだろうか。
私が死んだら、所有しているディスクやダウンロードした音源、オーディオ機器は残る。
それは所有できたものが残るだけのことであって、
私が追い求めてきた音、音楽は残らないからだ。
私とともに、それらは消失する。痕跡は微かに、短い期間は残るかもしれないが、
その僅かさえ、いつかは消えてしまう。
だから、素晴らしい。
自作スピーカーのトゥイーターを別のモノに交換したり、
既製品のスピーカーシステムにスーパートゥイーターを足さなくても、
同じ音の変化、つまり高音域が変ると、低音域の鳴り方も変ってくるを体験できる。
グラフィックイコライザーを積極的に使っている人ならば、確かにそうだ、と頷かれるだろう。
グラフィックイコライザーの使い始めの頃は、
操作している周波数あたりの音の変化に意識が集中しがちになるだろうが、
使いこなしていくうちに、そしてグラフィックイコライザーによる補整がうまくいくにつれて、
高い周波数をいじることで、低音域の鳴り方が変化していることに気がつくようになる。
こういうことを書いていると、
CDプレーヤーとパワーアンプ直結の音が冴えなかったのは、
マッキントッシュのMC2500のレベルコントロールに使われているポテンショメータのクォリティが良くなかったからだろう──、
そういうことを思う人、言う人もいる。
例えばMC2500の部品として、スペクトロールやP&Gのポテンショメータが使われていたら、
そんな結果にはならなかったはず、とまで言う人がいてもおかしくない。
それらのポテンショメータが使われていたとしても、
多少は音の変化はあったとしても、
大きな結果としては、やはり変らなかったと考えている。
パッシヴ型フェーダーを介した時はMC2500のレベルコントロールは、
時計方向いっぱいにしている。つまり減衰量は0の位置である。
CDプレーヤーと直結にすれば、このレベルコントロールのツマミを操作するわけで、減衰量ある一定量ある。
この場合、何が違うのか。
ポテンショメータを介していることには変りはない。
レベルコントロールのツマミを反時計方向に回すということは、
信号経路に直列に抵抗が入ることになる。
ポテンショメータは、その抵抗体が分割されることで、信号を減衰させる。
つまり信号経路に直列に入る抵抗分をR1、並列に入る抵抗分をR2とすると、
この二つの抵抗分、R1とR2の比で、減衰量が決まる。
つまりポテンショメータのR2を通じて、信号の一部、
絞り切ってしまえば、信号のすべてが信号源に還っていく。
残りがパワーアンプへと渡って行く。
このR2を通じて信号源に還って行く信号の経路が、どこに位置するのかによって、
その長さが大きく変化する。
パワーアンプの中には入力レベルを可変できるモノがある。
ポテンショメータで可変するもの、切り替えスイッチによるモノなどがある。
パッシヴ型フェーダーの接続による音の違いを確認していた時に使っていたのは、マッキントッシュのMC2500だった。
MC2500は左右独立の連続可変のレベルコントロールを持つ。
なのでCDプレーヤーの出力をパッシヴ型フェーダーも通さずに直接MC2500に接ぐ。
パッシヴ型フェーダー使用時では、
CDプレーヤーとパッシヴ型フェーダー間、パッシヴ型フェーダーとパワーアンプ間に、それぞれラインケーブルが必要になる。
CDプレーヤーとパワーアンプを直結すれば、ラインケーブルも一組で済む。
この時は、ラインケーブルは同じモノで揃えた。既製品のケーブルなので、
パッシヴ型フェーダーを介した時よりもラインケーブルの全長は少し短くなる。
それから接点も少なくなる。
短絡的に捉えるならば、パッシヴ型フェーダーを介するよりも音は良くなるはずだった。
けれど、こちらの期待に反して、全体的に冴えない。
この時、一緒に聴いていたO君も首を傾げるほどに、冴えない音へと変化した。
なので、またパッシヴ型フェーダーを介する。
やはり、こちらの方がいい。
介さない方がいいはず、という先入観は、私にもO君にもあった。にも関わらず、の結果である。
ここで試したのは三つの音。
CDプレーヤーとパッシヴ型フェーダー間のケーブルを短くした音、
パッシヴ型フェーダーとパワーアンプ間のケーブルを短くした音、
パッシヴ型フェーダーを介さずにパワーアンプと直結した音。
ここでの結果から推測できることがある。
真空管全盛期の真空管アンプには使われていなかったが、
トランジスターアンプになってからは、プリント基板が当たり前として使われているし、
真空管アンプにも使われるようになってずいぶん経つ。
古いアンプを修理した、という記事や投稿を見ても、
プリント基板については、ほとんど書かれていない。
悪くなった部品を交換した、とはあっても、プリント基板に関しては、まず記述はない。
けれどプリント基板にも寿命はある。
以前から気になっていたことで、インターネットで検索しても、
プリント基板の寿命についてはっきりしたことは見つけられなかった。
プリント基板の材質、品質によっても当然、寿命は違ってくるし、
使用条件によっても影響を受ける。
この使用条件は、筐体設計に関係してくることと、
ユーザーの使い方に関係してくるとがある。
筐体内温度がかなり高温になり、
しかも温度変化の大きい部屋に置いていたり、
埃が多く湿気も高い部屋で使用してたりすれば、
寿命は、高信頼性のプリント基板であっても短くなるのは容易に想像できる。
実際に、プリント基板のパターン(銅箔)が剥れることはある。
プリント基板の寿命は、何年とは言えない。
それでもプリント基板の劣化はいつかは起こる。
CDプレーヤーが登場し、ある程度普及したころから、
パッシヴ型フェーダーについて語られるようになり、製品もいくつか出てきた。
当時、パッシヴ型フェーダーに対しての否定的なこととしてよく言われていた(書かれていた)のは、出力インピーダンスが高いので、
パッシヴ型フェーダーとパワーアンプ間のケーブルをあまり長くできないが、あった。
当時製品化されたモノのインピーダンスは、たいていが10kΩだった。
けれど10kΩのフェーダーを使ったからといって、
そのパッシヴ型フェーダーの出力インピーダンスが10kΩになるわけではないことは、
少しばかり考えればわかること(はっきりすること)だ。
減衰量によって変動するとはいえ、パッシヴ型フェーダーの出力インピーダンスは、
前段のCDプレーヤーの出力インピーダンスとの兼ね合いで決まるものだ。
それにフェーダー(ポテンショメーターを含めて)は、
プリメインアンプ、コントロールアンプにも使われていて、
ライン入力からの信号は、まず入力セレクターを通り、
レベルコントロール(フェーダー、ポテンショメータ)へと行く。
そしてラインアンプへと接続されているわけで、
ここでもパッシヴ型フェーダーで指摘されていることは当然起こっている。
こう書くと、いや、アンプ内のケーブルは短いから、という人がいる。
確かにアンプ内でのレベルコントロールからラインアンプの入力まではそう長くはない。
そのくらいの長さならば問題は無視できる、とのことだ。
本当にそうなのだろうか。
パッシヴ型フェーダーは、ステレオサウンドの試聴室であれこれ試したことがある。
使い勝手は悪くなるが、パッシヴ型フェーダーをパワーアンプの近くに置き、
パッシヴ型フェーダーとパワーアンプ間のケーブルをかなり短くして聴いたこともある。
この場合、CDプレーヤーとパッシヴ型フェーダー間のケーブルは長くなる。
使い勝手は無視するとして、どちらが好結果が得られたかというと、
私が試した範囲では、CDプレーヤーとパッシヴ型フェーダー間のケーブルを短いした方だった。
二年前、別項「Noise Control/Noise Design(Silent Design)」で、
Silent Designという言葉を使った。
使っただけで、それについて説明したわけではないが、
Silent Designは、私にとっては大切なテーマである。
二年経って、何か書けるようになったかと言えば、まだだ。
それでも、Silent Designとは、天衣無縫な音へとつながっていると、いまは確信しているし、
天衣無縫な音よりも、天衣無縫の音とした方が、どうしてだかしっくりとくる。
五年前の(その16)で、
イェーツの“In Dreams Begin Responsibilities”を引用している。
いくつかの訳がある。
どれが、いまの自分にとってしっくりくるのか、
ずしっとしたものを感じるとか、
それは人によって違ってきて当然である。
“In Dreams Begin Responsibilities”、
これ自体に何も感じない人もいても不思議ではない。
そのくらい、人はさまざまである。
それでも、再び“In Dreams Begin Responsibilities”を引用しておきたい。
audio wednesdayを毎月第一水曜日にやる度に思うことがある。
オーディオ業界から離れている私だってやれることを、
どうしてステレオサウンドをはじめとするオーディオ雑誌はやらないのか、だ。
機材も人もそろっているわけだから、
私がやっているよりも、ずっと多くのことができるわけだし、協力してくれるメーカーや輸入元は、ほぼすべてと言ってもいいはず。
ステレオサウンド編集部が、こういうことを定期的にやりたいと、
メーカーや輸入元に声をかければ、断るところはないと思う。
特に準備期間はなくとも、すぐに始められるはずだけ。
けれど、やらない。
もったいないな、とも思う。
こんなことを、audio wednesdayをやりながら毎回思うし、
瀬川先生だったら、どんなふうにやられただろうか、も考えてしまう。
JBLの4343を鳴らしてから思い始めたことがある。
ロジャースのPM510を鳴らしてみたい、と。
別項で、屋上屋を架すとしか言いようのない音を出す人がいる、と書いている。
どうして、そんな音しか出せないのか。
そのことについて考えると、耳の記憶という積み木を、
彼らは積み重ねていくことができないのだろう、という結論が、
いまのところ見えてくる。
積み木を積むのに、接着剤とか釘、ボルト、ナットなどを使って、
積み木を一つずつを固定しながらやっていくのではない。
慎重に確実に積み上げていくしかない。
屋上屋を架す音しか出せない人は、ただ勢いだけで積み木を積んでいくのだろう。
基礎をしっかりした上で、ということをやらないのではないのか。
ただただ積んでいく。
それでもある程度の高さまではいける。
でも、所詮はそこまでだ。
きっと彼らには、その積み木が、耳の記憶だという認識もないのだろう。
今回の電源の比較試聴は、
Sboosterのリニア電源にはアクティヴ型のノイズフィルターがあるのに対し、
スイッチング電源の方にはないわけで、
このアクティヴ型のフィルターが、どれだけ音質の寄与しているのかは確かめられなかったし、
このアクティヴ型のフィルターをスイッチング電源にも使ったら、どういう結果になるのか。
Sboosterのウェブサイトには、アクティヴ型のフィルターも購入できるようだ。
このフィルターをスイッチング電源に使えば、どれだけ音は変化するのか。
今回の比較試聴では、リニア電源の方を取るが、
スイッチング電源にもいくつかの種類があるし、
別項で触れているようにそのノイズ対策もあれこれできるし、
アクティヴ型のフィルターも、Sboosterの製品もあれば、iFi Audioにも同様の製品はある。
なので、リニア電源でなければならない──、という結論には個人的には達していない。
それでも手元には、あるパワーアンプから取り外したEIコアの電源トランスがある。
何か使えるだろうととっておいているのだが、
roon rock用の電源をこれで作ろうかな、とも思い始めている。
《音楽は、いつでも、思い込みだけであれこれいわれすぎる》
黒田先生が、ずっと以前に書かれていたことだ。
ポール・モーリアの音楽も、たぶんにそうだ。
私にも、そういうところが全くないと言わない。
それでも私は黒田先生のことばに、23歳のころに出合っている。
そうでなかったなら、もしくはずっと後だったりしたら──、
音楽への接し方はずいぶん、いまとは違っていたはずだ。
ここでポール・モーリアについて書いてたりはしなかっただろう。
くり返そう。
《音楽は、いつでも、思い込みだけであれこれいわれすぎる》
音楽だけではない、オーディオも、またそうである。
roonのNucleus Oneには、リニア電源付きのオプションが用意されている、と、以前書いている。
昨日、ようやく、そのリニア電源付きのNucleus Oneを聴いてきた。
roonオリジナル設計のリニア電源ではなく、
ブルガリアのSboodterの電源をそのまま採用している。
Sboosterのウェブサイトには、内部の写真もある。
リニア電源本体はさほど凝ったものではないように見える。
他のリニア電源と違う点は、出力ケーブルの途中に、アクティヴ型のノイズフィルターが設けられている。
このノイズフィルターは取り外しできないので、その効果をありなしで確認はできなかった。
この電源、かなり大きい。意外に目につく形でもある。
外部電源なので、見えないところに置く場合は問題ないけれど、
常時目に入る位置には置きたくない
リニア電源付きのNucleus Oneには、一般的なスイッチング電源も付属している。
ただし、たまたま付いてきたのか、それともリニア電源付きのNucleus Oneには、
スイッチング電源も付いてくるのかは不明。
とにかく最初は、そのスイッチング電源で聴いて、
Sboosterのリニア電源に交換する。
音の変化はさほど大きくない──、であれば、
スイッチング電源のままでいいかな、と思うけれど、
少なからぬ違いは、やはりある。
スーパートゥイーターを足した場合、弦楽器ではヴァイオリン、
人の声では男声ではなく女声のディスクをかけた方が、
違いがよりはっきりするように、思いがちになるが、
実際に経験があれば、決してそうではないことを知っている。
今回かけた“John Coltrane & Johnny Hartman”のMQA-CDもそうである。
はじめ、エラックの4PI PLUS.2ありで一分ほど聴いて、結線を外した音を、同じく一分ほど聴いてもらった。
短い時間だが、違いは相当にはっきりと出る。
エラックなし、Ktêmaだけでも十分よく鳴っている。
これはこれでいい音なのだが、
ジョニー・ハートマンの歌い方を見事に再現してくれたのは、エラックありである。
歌唱方法を知りたい人、学びたい人は、絶対にエラックありを選ぶはず。
そのくらい違ってくる。
違いを聴いてもらった後は、もう一度最初から聴いてもらった。
ずっと以前からトゥイーターを変えたり足したりしたら、
低音域の鳴り方が変る、と言われてきている。
自作スピーカーでマルチウェイシステムに取り組んでいる人、
既成スピーカーシステムでもスーパートゥイーターをつけている人、
トゥイーターを交換したことのある人にとっては、常識でもある。
とはいってもそういう経験のない人もいる。
ない人の方が多いのかもしれない。
知識として、トゥイーターが変る、
高音域の鳴り方が変れば、低音域の鳴り方も変化することは知っていても、
だからといって体験しているわけではない。
実際、エラックの4PI PLUS.2を足すことで、
低音域の鳴り方は良くなる。
言い方を変えれば、低音域の鳴り方が良くならなければ、
そのトゥイーターの質が良くないのか、調整が悪いのかであるともいえる。
4月2日のaudio wednesdsyで、エラック無しの音も聴かせてほしい、とリクエストがあった。
どのMQA-CDでエラックのあるなしを聴いてもらうか、
よく考えていたわけではなく、かけたいMQA-CDをかけて、
その鳴り方をきいたうえて、このディスクにしようと、いわば直感的に決めた。
“John Coltrane & Johnny Hartman”にした。