Date: 12月 26th, 2012
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その30)

たとえばアルテックの同軸型ユニットの604シリーズ。
604Eまではインピーダンスは16Ω、
604-8Gから、型番の末尾にアルファベットだけでなく数字の8が加わったことからもわかるように、
インピーダンスは8Ω仕様に変更されている。

これは604Eのころはまだまだ真空管アンプで鳴らされることが前提だったのが、
604-8Gが登場した1975年には真空管アンプは市場からほとんど消え去り、
トランジスターアンプで鳴らされることが多くなってきていたからである。

トランジスターアンプは真空管アンプのように出力トランスをしょっていないため、
スピーカーのインピーダンスによって出力が変る。
理論通りの動作をしているパワーアンプであれば、
16Ω負荷では8Ω負荷時の1/2の出力に、4Ω負荷では8Ω負荷時の2倍の出力となる。

真空管とくらべるとトランシスターは低電圧・大電流動作のため、
スピーカーのインピーダンスはある程度低いほうが出力を効率よく取り出せる。

アルテックの604シリーズを例に挙げたが、
他のメーカーのスピーカーでも、これは同じことであり、それまでは16Ωが主流で32Ωのユニットもあったのが、
1970年代にはいり、スピーカーのインピーダンスといえば標準で8Ωということになっていく。

トランジスターのパワーアンプが登場する前、
真空管アンプで出力トランスを省いたOTLアンプが一時的に流行ったころには、
16Ωでも真空管のOTLアンプにとってはインピーダンスが低すぎて、
効率よく出力を取り出せないために、
OTL専用のスピーカーユニットとしてインピーダンスが100Ωを越えるものが特注でつくられていた、と聞いている。

スピーカーのインピーダンスの変化をみていくと、
それはアンプの主流がなんであるかによって変っていっているわけだから、
アンプが、その意味では主ともいえなくもないわけだ。

Date: 12月 25th, 2012
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その29)

コーン型スピーカーの始まりは、1925年に世界初のスピーカーとしてアメリカGEの、
C. W. RiceとE. W. Kellogの共同開発による6インチのサイズのものとなっている。
けれど以前にも書いているように、スピーカーの特許は、
エジソンがフォノグラフの公開実験を成功させた1877年に、アメリカとドイツで申請されている。

このときの特許が認められなかったのは、
スピーカーを鳴らすために必要不可欠なアンプが、まだ世の中に誕生していなかったからである。
ようするに真空管が開発されアンプが開発されるまでの約50年間の月日を、
スピーカーは待っていたことになる。

スピーカーはスピーカーだけでは、ほとんど役に立たない。
おそろしく高能率のスピーカーと、同程度に高出力のカートリッジがあれば、
カートリッジをスピーカーを直接接続して音を出すことはできるだろうが、
それは音が出る、というレベルにとどまるであろう。

現在のような水準にまで高められたのは、やはりアンプが誕生し、改良されてきたからである。

こんなふうに歴史を振り返ってみると、
オーディオの再生系においてスピーカーが主でアンプは従という関係は、
実のところスピーカーが従であり、アンプが主なのかもしれない──、
そんな見方もできなくはない。

そして、いまのスピーカーシステムは、
いまのパワーアンプ(定電圧駆動)でうまく鳴るようにつくられている。

そんなこと当然じゃないか、といわれるかもしれない。
でも、ほんとうに再生系においてスピーカーシステムが主であるならば、
主であるスピーカーシステムをうまく鳴らすようにつくられるのはアンプのほうであるべき、ともいえる。

このことは鶏卵前後論争に近いところがあって、
そう簡単にどちらが主でどちらが従といいきれることではない。

Date: 12月 25th, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その11)

1980年にはいってからオーディオ雑誌に頻繁に登場するようになった言葉のひとつに、音場と音場感がある。

音場と音場感──、
語尾に「感」がつくかどうかの違いだけで、
意味にも大きな違いはないかのように使われているようにも感じている。
けれど音場と音場感は、決して同じ意味のことではない。

音場とは文字通り、音の場、つまり音の鳴っている場であり、
オーディオは録音された音楽を再生するものであるから、
ここでの音場とは、音楽の鳴っている(鳴っていた)場のことである。

つまり録音された場のことと定義できる。
スタジオであったりホールであったり、ときに個人の家ということもある。
とにかく録音された演奏がなされた場こそが音場であるし、
これはあくまでも「録音の音場」である。

録音に音場があれば、再生側にも音場が存在するわけで、
この再生側の音場の定義は、録音の音場の定義のように簡単ではないところがある。

Date: 12月 24th, 2012
Cate: D130, JBL

D130とアンプのこと(その28)

私はD130を、いまいくつかの形式のアンプで鳴らしてみたい、と考えている。

市販のほぼすべてのパワーアンプでそうであることからも、
現代のアンプとして一般的な形式で定電圧駆動をひとつの基準としたうえで、
あえてD130が生れたころと同時代のアンプで鳴らすということ、
それから定電流駆動という選択も当然考えている。

定電圧駆動と定電流駆動の中間あたりに属するアンプもおもしろいと思う。
トランジスターアンプでも出力インピーダンスが高めで、ダンピングファクターが低めのもの。
市販されているアンプではファーストワットのSIT1が、これに相当する。
出力インピーダンスが4Ωだから、16ΩのD130に対してはダンピングファクターは4になる。
真空管のOTLアンプも考えられるが、
年々夏が暑くなっているように感じられる昨今では、
あの熱量の多さを考えると、やや消極的になってしまう。

それからヤマハのAST1で聴いた負性インピーダンス駆動とバスレフ型の組合せがもたらした、あの低音の見事さ。
ASt1を聴いた時から考えているのが、負性インピーダンス駆動とバックロードホーン型の組合せである。

AST1において負性インピーダンス駆動をON/OFFすると、低音の表情は大きく変化する。
この音の変化を聴いている者には、負性インピーダンス駆動とバックロードホーンの組合せが気になって仕方がない。
必ずしも、うまくいくとは思っていない。
失敗の確率もけっこう高そうではあると思いつつも、一度は試しておきたいパワーアンプの形式である。

どれがD130+バックロードホーンに最適となるのかは、
他の要素も絡んでくることだからなんともいえないことはわかっている。
それでも、実際にこんなことを試していく過程で、
これまで見落してきたこと、忘れてきたことを再発見できる可能性を、そこに感じてもいる。

D130はもともと高能率で、それをバックロードホーンにおさめるのであれば、
パワーアンプにはそれほどの出力を求めなくてもすむ。
これは、いくつもの形式のアンプを試していく上でも大きなメリットになる。

Date: 12月 24th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(続々・Electro-Voice Ariesのこと)

エアリーズに対しては、さほど関心をもつことはなかった。
私が読みはじめてからのステレオサウンドにはエアリーズは登場していないし、
ステレオサウンドにエアリーズが登場したのは22号だけのはず。

22号の特集は「中・小型フロアー・スピーカー・システム総まくり」で、
1972年3月発行の号だから、エアリーズが登場して約1年後だから、
エアリーズが22号で、どういう評価を得ているのか、いまごろになって関心をもっているのだけれど、
22号は手もとにない。

22号では岡先生、菅野先生、瀬川先生が試聴メンバーで岩崎先生の名前は、そこにはない。
エアリーズは高い評価を得たのか、それともほどほどの評価だったのか。
22号を大きな図書館に行って読めばわかることだが、
なんとなくではあるけれど、絶賛という評価ではなかったように思える。

22号で非常に高い評価を得ていたのであれば、
その後のステレオサウンドに、もう少し登場していてもおかしくないからだ。

私がエアリーズに対して関心が薄かったのは、ステレオサウンドでの扱われ方も大きく影響している。
私のなかではエアリーズの存在は小さかった。
それがここにきて、急に大きくなってきている。

ステレオサウンド 38号をみれば、岩崎先生はエアリーズを鳴らすために、
デュアルのプレーヤー1009にオルトフォンのM15E Superをとりつけて、
アンプはというとマランツの#7と#16のペアがあてがわれている。

エアリーズの価格からすれば、贅沢な組合せといえよう。
それに38号の写真をみればみるほど、
暖炉の両脇に置かれたエアリーズはスピーカーには見えない、家具の一種としてそこに存在している。

パラゴンの置かれていた部屋にはハークネスも620Aも、ヴェローナもあり、
アンプも幾段にも積み重ねられている。
エアリーズの部屋はスピーカーはエアリーズだけである。

だから、またあれこれ考えてしまう。

Date: 12月 23rd, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(続・Electro-Voice Ariesのこと)

エレクトロボイスのエアリーズは、
外形寸法W69.9×H56.5×D41.3cm、重量29.5kgと、サイズ的にはブックシェルフ型に分類されるだろうが、
仕上げを見てもわかるようにエアリーズは床置きを前提としている。
その意味では、小型のフロアー型ともいえる。

エレクトロボイスは、エアリーズを”Console Speaker System”と呼んでいるし、
また”fine furniture design”とも謳っている。

オリジナルのカタログをみると、仕上げは3種類用意されている。
トラディショナル/チェリー、スパニッシュ/オーク、コンテンポラリー/ペカンであり、
岩崎先生が購入されたのはトラディショナル/チェリーである。

ユニット構成は、30cm(12インチ)のウーファー、約15cm(6インチ)のスコーカー、
約6cm(2.5インチ)のトゥイーターからなる3ウェイで、
岩崎先生はスイングジャーナルでの最初の紹介文に「ドーム型の中音、高音」と書かれているが、
写真を見るかぎりでは、コーン型と思われる。

価格は1971年当時で169000円(アメリカでは275ドル)。
安い、とはいえないものの、非常に高価なスピーカーシステムでもない。
エレクトロボイスには、もっと大型で、もっともっと高価なパトリシアン800があった。

パトリシアン・シリーズと比較すれば、エアリーズの影は薄い。
エアリーズは、日本にどれだけ入ってきたのだろうか。
エレクトロボイスのコンシューマー用スピーカーシステムをみかけることは、
JBLやアルテックと較べると、そうとうに少ない。
エアリーズを見かけたことはない。

日本ではそういうスピーカーという見方ができないわけではない。
しかも岩崎先生といえば、
JBLのD130、パラゴン、ハークネス、アルテックの620A、
エレクトロボイスにしてもパトリシアン、と大型スピーカーのイメージが強い。
エアリーズは、どこかサブ的な存在だったように、
ステレオサウンド 38号で岩崎先生のリスニングルームに置かれたエアリーズを見た時、
なんとなくそんなふうにとらえていた。

けれど暖炉のある部屋(パラゴンの置かれた部屋とは別の部屋)に置かれたエアリーズは、
部屋の雰囲気と見事に調和していた。
だから、よけいにサブ的な存在とも思ってしまったわけなのだが。

Date: 12月 23rd, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(Electro-Voice Ariesのこと)

スイングジャーナルのオーディオのページには、新製品紹介のコーナーがいくつかあった。
「SJ選定新製品試聴記」、「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ紹介」、「今月の新製品紹介」で、
「SJ選定新製品試聴記」が2ページ見開き、「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ紹介」が1ページ、
「今月の新製品紹介」が1ページに数機種、コマ割りとなっていた。

岩崎先生は「SJ選定新製品試聴記」と「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ紹介」を担当されていた。
「今月の新製品紹介」は上杉先生と大塚晋二氏だった。
「今月の新製品紹介」を岩崎先生が書かれることはない、とずっと思ってきていた。

ところがスイングジャーナルのバックナンバー(1971年4月号)を手にとってみたら、
「今月の新製品紹介」のページは紹介文の最後に括弧で、筆者名が括られているのだが、
そこになぜか、(岩崎)とあった。

「今月の新製品紹介」の扉には、上杉佳郎・大塚晋二とあるだけだ。
岩崎千明の文字はない。
けれどイレギュラーで、岩崎先生が1コマ(1機種)だけ書かれている。
それが、エレクトロボイスのスピーカーシステム、Aries(エアリーズ)である。

勝手に想像するに、エアリーズに惚れ込まれた岩崎先生が自ら編集部に申し出て、紹介文を書かれたのだろう。
きっとそうだと思う。

その後、エアーズのことは「SJ選定新製品試聴記」(1971年7月号)に書かれていて、
最後に、(本誌4月号新製品紹介も参考ください。岩崎)とわざわざつけ加えられている。

Date: 12月 23rd, 2012
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタル/アナログ変換・その2)

今日Twitterを眺めていたら、興味深いことが目に留まった。

いま3Dプリンターがかなり安くなってきている。
3Dプリンターの個人利用も現実のものとなってきていて、
例えば、割れてしまった部品を3Dプリンターで作ることも、もう夢ではなくなっている。

とはいえ、オーディオと3Dプリンターの融合ということを、
今日まで考えたことはなかった。
だから今日Twitterで知った、この利用法には、負けた、と感じてしまった。

どういう利用法かは、このリンク先を見てほしい。
デモの動画がある。

これは3Dプリンターでアナログディスクを出力する、という利用法である。
3Dプリンターだから、ここに接がれているのはコンピューターであり、
音楽信号(もちろんデジタル信号)を、アナログディスクの形に出力(プリント)する、というもの。
つまり、これもデジタル/アナログ変換ということになる。

いままで考えもしなかったデジタル/アナログ変換である。

デモの動画で聴けるクォリティは、まだまだ改良の余地が多くある、というレベルだが、
このデジタル/アナログ変換を改良していけば、
カッティングを必要としないアナログディスクづくりが可能になる。

クォリティがもっともっと高くなれば、
アナログディスクに関する実験もできよう。
いままで推測だけとどまっていたことを、家庭で、個人で検証することがある程度可能になる。

Date: 12月 23rd, 2012
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタル/アナログ変換・その1)

デジタル信号はどこかでアナログへと変換しなければ、
われわれは音として聴くことができない。

一般的にはCDプレーヤーであれば、内蔵されているD/Aコンバーターによってアナログ信号へと変換される。
D/Aコンバーターを別筐体としたものもある。

CDプレーヤーが登場する数年前に、
ビクターはデジタル・スピーカーというプロトタイプを発表していた。
ボイスコイルを複数設けることで、スピーカーのところでデジタル/アナログ変換を行う。

ゴールドムンドはデジタル伝送経路を拡張するために、
パワーアンプへD/Aコンバーターを搭載することもやっている。

とにかく、どこかでアナログへの変換が必要になる。

これらのことはデジタルのなかのPCM信号であり、
デジタルでもDSD信号となると、カッティングヘッドにDSD信号をそのまま入力すれば、
音溝を刻める、ということを以前聞いたことがある。
たしかに、数年前タイムロードのイベントで、
dCSのトランスポートの出力(DSD信号)を直接コントロールアンプのライン入力に接いだときの音を思い出すと、
カッターヘッドにDSD信号を入力する、という、これもひとつのデジタル/アナログ変換ということになる。

ほんとうにカッティングが可能なのか、
可能だとしたら、どの程度のクォリティが得られるのか、興味のあることだが、
個人で実験できることではない。

Date: 12月 22nd, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その10)

いまではそうではなくなっているのだろうが、一時期のジャズ録音での極端なオンマイクのセッティングでは、
マイクロフォンがとらえることができるのは近接する楽器の直接音がほとんどで、
間接音(演奏の場の反響、残響)はまったくといっていいほどとらえられていない。

だから、そんなジャズの録音は不自然だということになるのだけれど、
そこには演奏の場が、クラシックの録音におけるそれと比較するまでもなく、
ほとんど収録されていない、ともいえるわけで、
こういう録音を再生する場合には、場の再生より楽器そのものの再生というふうに考えられる。

場の再生を考えずにすむということは、
録音の場と再生の場のスケールの違いは、無視していいともいえる。

つまり、そういうジャズの録音では、再生の場に置かれているスピーカーを、
録音の場の楽器に相当するものという考えがあるのなら、
さほど編成の大きくないジャズの録音こそ、クラシックの大編成のものよりもずっと自然といえる。

ステレオ初期にジャズの録音では、ステレオ効果を出すために、
中抜けの、いわゆるピンポン録音が行なわれていた。
ステレオフォニックではなくて、モノーラル再生が2チャンネルある、
といった録音だっただけに、このことも不自然な録音という評価に関係していたのたろうが、
それでもスピーカーを楽器に置き換える、という考えでは、このほうがむしろ自然だったのかもしれない。

それにステレオフォニック再生では、基本的には音像は実音源ではなく、虚の音源、仮想音源である。
ステレオ初期の音がどういうものであったのかは聴いたことがないからはっきりしたことはいえないが、
もしかすると……、と思うことはある。

それまでモノーラルで1本のスピーカーでの再生では音像は実音源であり、
実音源だからこその実在感、迫力が感じられたのが、
ステレオフォニックになりそういったことが稀薄になってしまう。

ジャズにおいて、その稀薄さを嫌い、できるだけ実音源に近い形で再生しようと考えれば、
あえて中抜けの録音にして、左右のスピーカーに完全に振り分けるという手法になる。

これが正しい考え方とはいわないものの、
こういう考え方もできるわけだし、
そういう考え方でみれば、不自然と思えた録音が、別の視点からは自然な音を求めてのものだったことになる。

Date: 12月 21st, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その30)

このころはB&Oの美しいプレーヤーがリニアトラッキングだった、
それからすこし遅れて登場したルボックスのプレーヤーもそうだった。
日本ではマカラ(エアーフローティングを採用した最初のプレーヤー)とヤマハからも出ていた。

B&OのBeogramは、オーディオのことは何もまだ知らない少年の目にも、美しい、と映った。
こういうプレーヤーが採用しているのだから、それだけでもリニアトラッキング型のトーンアームは理想と思えた。
ルボックスB790とB&Oとでは、同じリニアトラッキング型でも実現のための方式は違っていた。

ヤマハのリニアトラッキング型を採用したPX1のデザインは、
B&Oとは大きく違っていて、
PX1がプリメインアンプのCA2000、CA1000と同系統のデザインだったら……、とそんなことを思ってしまうほど、
路線が変ってしまっていたプレーヤーの姿だった。

マカラのプレーヤー4842Aは、メカニズムというつくりで、B&Oとは正反対のプレーヤーであった。
ある部分EMT的でもあったし、とにかくそれまで日本のプレーヤーではあり得なかった造形であった。
4842Aはなかなか実物を見る機会もなかった。
製造中止になってかなり経って、やっと見ることができた。
でも、音は聴けなかった。
完動品があれば、一度は音を聴いてみたい機械である。

1970年代も終り近くになると、
リニアトラッキングは高級プレーヤーだけのものではなくなっていた。
ダイヤトーンからは縦置きの普及クラスのプレーヤーに、
テクニクスではLPジャケットサイズのプレーヤーSL10に、リニアトラッキングを採用していた。

リニアトラッキングは、もう特殊なトーンアームではなくなりつつあった。
これは、スピーカーにおいて平面型振動板が一時期流行したことと、
すくなくとも日本では同じ現象でもあったと思う。

そして1980年代のなかごろに、海外の小さなメーカーから、
リニアトラッキング型のトーンアームがいくつか登場してきた。
ゴールドムンド、エミネント、サウザーなど、である。

Date: 12月 21st, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その29)

物量を投入したプレーヤーでなければ聴けない音があることは、何度か書いてきている。

私が小さいころには、テレビから「大きいことはいいことだぁ」というコマーシャルが頻繁に流れていたし、
EMTの930st、927Dst、トーレンスのリファレンス、
マイクロのRX5000 + RY5500、SX8000IIといったプレーヤーの音に惹かれてきたからこそ、
いまでもそう思ってしまうのだろうが、
そう思う理由は、カッティングマシーンという存在にあるのではなかろうか。

カッティングマシーンといえば、1990年頃だったと記憶しているが、
ある人から、「カッティングマシーンの出物があるけど、買わない?」という話が来た。
価格は驚くほど安かった。
無理すれば買えない金額ではなかった。
けれど、設置場所のことを考えると、購入したところで結局は手離すことになってしまう。
それに、カッティングマシーンが再生用のレコードプレーヤーとして理想的なものかというと、
決してそうでないことを知っていたので、買わなかった。

そのころは、カッティングマシーンへの憧れは持っていなかった私も、
オーディオに関心をもちはじめたころは、そうではなかった。
カッティングマシーンこそが、再生においても理想的なマシーンである、と盲目的に信じていた。
だからトーンアームは一般的な弧を描くタイプではなく、
リニアトラッキング型こそが理想である、と信じていた。

まだリニアトラッキング型のトーンアームを備えたプレーヤーの音を、
なにひとつ聴いたことがなかったにもかかわらず、である。

Date: 12月 21st, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その9)

クラシックの録音でも比較的楽器の近くにマイクロフォンを設置するということもあるが、
大編成のオーケストラの録音においては、録音会場となるホールの残響(間接音)を含めての収録となる。

つまり演奏(録音)される場として、ひじょうに広い空間があり、
その広い空間の特質をも録音時にとらえているわけである。

その録音を、われわれは狭い部屋では4.5畳くらいから広い部屋でも20〜30畳くらいか、
よほど恵まれている人であれば、もっと広い部屋での再生ということになるけれど、
それでも録音の場となった大ホールからしてみれば、4.5畳も20畳も50畳の部屋であっても、
そうとうに縮小された空間ということになってしまう。

録音と再生における、このスケールの違いは、
考えようによってははなはだ不自然なことといえる。

しかも100人もの人間が演奏(運動の結果)して出す音をそのまま再生することは、
まだまだ無理があるのが現状であるし、
これから先、どれほど技術が進歩しようとも、
オーケストラの再生を、音量を含めて、サイズの縮小をせずに実現することは、
2チャンネルのステレオ再生(2本のスピーカーシステム)ではかなり困難であるはず。

だからといって伝送系の数を増やす(つまりマルチチャンネル化)していくことで、
再生できるエネルギー量は増す方向に進むものの、
そうなればなるほど、元のスケールとの差がよけいに気になってくるのではなかろうか。
つまり、オーケストラの再生を家庭で行うことそのものが、
不自然な行為であることを強く意識するようになるのではなかろうか。

結局、2チャンネルだから、スピーカーが目の前の2本だけだからこそ、
聴き手は、そこに虚構のオーケストラを聴いている(感じている)のだと思う。

オーケストラの録音・再生は不自然なことという大前提があり、
そのなかで、われわれは、この響きは自然だ、とか、不自然である、とか、いっている、ともいえる。

Date: 12月 20th, 2012
Cate: オーディオ評論,

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(賞について・その1)

いま別項で、オーディオ機器に与えられる賞について書いている途中だが、
10年ほど前から思っていることがあって、
それは、なぜオーディオ雑誌による賞はオーディオ機器にのみ与えられるのか、
オーディオ評論を対象とした賞がないのか、なぜなのか、である。

こんなことを考えるのは、
私がステレオサウンドを、
以前も書いていたように、オーディオ評論の雑誌としてとらえているところが大きいと思う。

オーディオ機器を紹介するオーディオ雑誌であれば、
オーディオ機器を対象とした賞だけでもいい。
けれど、ステレオサウンドは、もともとはそういうオーディオ雑誌ではなかった。

そんなオーディオ雑誌だったとしたら、五味先生が原稿を書き続けられることはなかったのではなかろうか。
五味先生の文章が巻頭にあることが、
ステレオサウンドが、他のオーディオ雑誌と最も異るところであった。
だから、ステレオサウンドは、ある時期まで成功した、といえよう。

あのころといまとでは、オーディオ評論家と呼ばれる人たちが、まったく変ってしまった。
ステレオサウンド創刊当時に書かれていた人たちは、みないなくなってしまった。
菅野先生の不在は、ほんとうに大きいと思う。

だからこそ、と思う。
該当者なしの年も出てくると思うけれど、
1年を振り返って、もっとも精力的に活動した人、
読み手の心に残る文章を書いてきた人、
オーディオ界をよくしていこう、と尽力してきた人、
とにかく、人を対象とした賞があってもいい、というよりも、
いまは必要なのかもしれない、と考える。

実際にやろうとしたら、
どんな人たちが選考委員となるのか、
どこまでを対象として、選考基準をどうするか、など、
いろいろと詰めていかなければならないこともたくさん出てくるであろう。

毎年が無理であれば、オリンピックのように4年に一度でもいいではないか。
オーディオ機器の賞とは別に、人を賛える賞が、なぜないのか。

Date: 12月 19th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(聴かない、という選択・その7)

スピーカーシステムの欠陥として考えられることといえば、どんなことであろうか。

周波数レンジが狭い──、というのは欠陥ではなく欠点である。
耐入力があまりない──、これも欠陥とはいわない、欠点である。
能率が低い──、どの程度低いかによるけれど、
それこそ1kWのパワーアンプをもってきても蚊の鳴くような音しか出せない極端に能率の低いものならば、
さすがに欠陥といえなくもないけれど、かなり低いものであっても欠陥ではなく欠点ということになる。

……こんなふうに見ていって、
アナログプレーヤーの規定の回転数を出せない、といったレベルでの欠陥は、
スピーカーシステムの場合、考えられるのは帯域の一部がごそっと抜け落ちている、とか、
スピーカーの歪が音として変換されるレベルよりも大きい、
こんなことが考えられるが、そんなスピーカーシステムは市場にはない。

その意味では欠陥スピーカーシステムなど、市場には存在しない、ともいえる。
そんな、誰の耳にもはっきりとわかる欠陥をもつオーディオ機器は、
スピーカーだけでなく、アナログプレーヤーでもアンプでも、
これだけ広い世の中だから、日本に輸入されていないモノのなかに、ひとつやふたつぐらいはあるかもしれない。

仮にあったとしても、それらはすぐに市場から消えてゆくことだろう。
すくなくとも、ある一定期間、市場に残っていて日本に輸入されるオーディオ機器には、
欠点をもつモノはあっても、欠陥といえるモノはない──、たしかにそういえる。

だから、私は、「欠陥」スピーカー、と書いてきているのだ。