カラヤンと4343と日本人(その12)
別項「アレクシス・ワイセンベルク」を書いていて、
この項を思い出し、そういえば4343でワイセンベルクを聴いたことはないことに気づいた。
JBLの4343を、マークレビンソンのLNP2とSAEのMark 2500のペアで鳴らす。
あの時代、この組合せそのまま、もくしはこれに近い組合せで、
ワイセンベルクを聴いていた人は少なからずいるはずだ。
どんなだったのだろうか。
別項「アレクシス・ワイセンベルク」を書いていて、
この項を思い出し、そういえば4343でワイセンベルクを聴いたことはないことに気づいた。
JBLの4343を、マークレビンソンのLNP2とSAEのMark 2500のペアで鳴らす。
あの時代、この組合せそのまま、もくしはこれに近い組合せで、
ワイセンベルクを聴いていた人は少なからずいるはずだ。
どんなだったのだろうか。
カラヤンとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲を聴いたあとで、
ジュリーニとのブラームスのピアノ協奏曲も聴いていた。
このブラームスにも驚いた。
ジュリーニは好きな指揮者だし、よく聴いている。
なのにワイセンベルクとのピアノ協奏曲は知ってはいても、
なんとなく遠ざけていて、聴いたのはついこのあいだが初めてだった。
どう驚いたのかは書こうと思いながら、一ヵ月以上が経っていた。
どんなふうに書こうかな、と考えているうちに、
ここ数ヵ月、ワイセンベルクの演奏にいままでにない関心をもつようになったし、
すごい演奏だ、とも感じている。
それでもワイセンベルクのディスクが、
これから先、私にとって愛聴盤となっていくのだろうか──、
そんなことを考えるようになってきた。
いまのところ、答は、おそらく愛聴盤とはならないだろう、なのだが、
それでは、どうして愛聴盤とならないのかについて考えることになる。
同時に、私にとって愛聴盤といえるのは、どのディスク(演奏・録音)なのか。
そのことを改めて考えることになる。
こんなことを考えている(書いている)と、五味先生の文章を引用したくなる。
*
最近、復刻盤でティボーとコルトーによる同じフランクのソナタを聴き直した。LPの、フランチェスカッティとカサドジュは名演奏だと思っていたが、ティボーを聴くと、まるで格調の高さが違う。流麗さが違う。フランチェスカッティはティボーに師事したことがあり、高度の技巧と、洗練された抒情性で高く評価されてきたヴァイオリニストだが、芸格に於て、はるかにまだティボーに及ばない、カサドジュも同様だった。他人にだからどの盤を選びますかと問われれば、「そりゃティボーさ」と他所ゆきの顔で答えるだろう。しかし私自身が、二枚のどちらを本当に残すかと訊かれたら、文句なくフランチェスカッティ盤を取る。それがレコードの愛し方というものだろうと思う。
(「フランク《ヴァイオリン・ソナタ》」より)
*
ワイセンベルクの演奏が、ここでのティボーにあたるといいたいのではない。
《レコードの愛し方》。ここである。
スメタナの「わが祖国」を、いろんな指揮者で聴いているわけではない。
数える程しか聴いていない。
先日、ふと、そういえばカラヤンは「わが祖国」は録音していないのでは? と思った。
カラヤンの「わが祖国」といえば、
モルダウだけをベルリンフィルハーモニーで録音しているディスクがある。
日本盤には、「モルダウ〜カラヤン/ポピュラーコンサート」とつけられていた。
それからウィーンフィルハーモニーとのドヴォルザークの交響曲第九番にも、
モルダウだけがカップリングされている。
カラヤンのモルダウ(ウィーンフィルハーモニー)を聴いていた。
TIDALにあるから、思い立ってすぐ聴けるのは、ほんとうにありがたい。
流麗なモルダウだった。
カラヤンは、モルダウだけを演奏しているわけだから、
モルダウだけということでは、名演といえるだろうな、と思う。
クラシックに強い関心のない人でも、モルダウのフレーズは耳にしている。
日本語の歌詞がつけられていたりするからだ。
そういう人にとっては、カラヤンのモルダウは名演となるだろう。
けれど「わが祖国」を聴いている人にとっては、
モルダウは交響詩「わが祖国」の第二曲であるわけだがら、
モルダウだけを聴いていたとしても、「わが祖国」と切り離して聴くということはないはずだ。
カラヤンのモルダウを聴いていると、そこのことがひっかかる。
カラヤンのモルダウは、モルダウだけ、なのだ。
「わが祖国」は思い出したように数年おきに聴くぐらいである。
全曲通して聴くことは、いまではほとんどない。
モルダウだけを聴いて、ということが多い。
だったらモルダウだけの演奏で完結してしまっているカラヤンの演奏でもいいのではないか──、
自分でもそんなことを思ったりする。
なのにカラヤンのモルダウを聴いて、これは「わが祖国」ではないと憤ったりする。
先月、ハーマンインターナショナルがアーカムを取り扱うことが発表になった。
SA750のベースモデルであるアーカムのSA30も取り扱う。
ステレオサウンドの次号(221号)の新製品紹介の記事で、
SA30は取り上げられるのだろうか。
SA750はカラー2ページだったが、
SA30も同じくカラー2ページになるのか──。
おそらくモノクロページ扱いだろう。
それも2ページではなく、1ページになるかもしれない。
誰が担当するのだろうか。
SA750と同じ小野寺弘滋氏なのだろうか。
その可能性は低いだろう。
となると誰なのか。
誰になっても、書きにくいだろうな──、と同情してしまう。
JBLもアーカムもハーマンインターナショナルだから、よけいに書く側は困る。
けれど読む側からしたら、おもしろい読み方ができる新製品紹介の記事になるはずだ。
当り障りのないことだけを書いた、さらっとした紹介記事になっていたとしても、
それはそれで、220号のSA750の小野寺弘滋氏の記事と比較しながら読めば、
面白くなるはずだ。
SA750の記事、SA30の記事、それぞれ単体の記事として読むのではなく、
並べて読むことで浮び上ってくることに気づくはずだ。
20代のころは、映画館のはしごをごくあたりまえにやっていた。
日曜日は映画を三本観ることが多かった。
そのころはシネコンなんてものはなかった。
映画を数本観るということは、映画館をはしごすることであった。
いまはシネコンばかりになってきているから、
映画館をはしごすることなく、二本、三本の映画を観ようと思えば、
以前よりも楽になっている。
とはいうものの、30を超えたころから、映画を観る本数が減ったし、
一日に数本観ることもやらなくなっていた。
最後に映画館をはしごしたのは、もういつのことだろうか。三十年ほど経っているはずだ。
今日、ひさしぶりに映画を二本たてつづけに観てきた。
ここでとりあげている「MINAMATA」と007の二本を観てきた。
007「ノー・タイム・トゥ・ダイ」、最後で涙するとは予想していなかった。
「MINAMATA」は、007とはまったく違う映画だ。
スクリーンのサイズも違う。
けれど、意外にも多くの人が来ていた。
高齢者の方も多かった。
007は9時20分から、「MINAMATA」は13時25分と上映開始時間が違うため、
単純な比較はできないけれど、
007と同じくらいの人が、私が観た回にはいた、と思えるくらいだった。
忘れられていない。
そう思っていた。
「MINAMATA」も、最後のところで涙が出た。
映画を観ての涙であっても、同じではない。
「MINAMATA」の公開にあわせて、
ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの写真集「MINAMATA」が復刻されている。
SA600の時代とSA750の時代は違う。
製品数もまるで違う。
大きく違っている。
SA750にSA600と同じことを求めることは無理だ、ということは百も承知だ。
SA750は、SA600とまったく違うアピアランスで登場していたら、
こんなことは書いていない。
JBLの創立75周年モデルであり、SA600を意識したモデルであるから、
やっぱりあれこれいいたくなる、というか、期待したくなる。
アーカムのSA30をベースとしていることは、音さえ良ければどうでもいいことだ。
すべての音楽を夢中になって聴ける──、
そんなことまで望んでいるわけではない。
ある特定の音楽ジャンルだけでもいいし、
特定の楽器だけでもいい。
たとえばピアノを鳴らしたら、夢中になって聴いてしまった──、
そういう存在であってほしい。
なぜJBLは75周年モデルとして、SA750を企画したのだろうか。
SA600のオマージュモデルという意図自体は素晴らしいことなのに、
なぜ、こんなに中途半端に出してきたのだろうか。
いまのJBLの開発陣に、SA600を聴いた人はどれだけいるのだろうか。
SA600が当時どう評価されていたのかを知っている人はいるのだろうか。
どのメーカーかは書かないが、JBLよりも古いあるオーディオメーカーは、
企業買収されたことで、古株の社員がみないなくなってしまった。
そのため古い製品について知っている社員が一人もいない。
そのメーカーの広報の人が日本に来て、オーディオ雑誌の取材を受けた際に、
古い製品についてたずねたところまったく知らない。
むしろインタヴュアーから教えられていた──、
そんな話を十年以上前に、ある人から聞いている。
JBLもそうなのかどうかは、私は知らない。
けれどSA750の記事を読んで思うのは、それに近いのかも、ということだ。
別項「Falstaff(その3)」で、
夢中になって聴くことについて触れた。
JBLの新製品SA750は、夢中になって楽しめる新製品なのだろうか。
SA750についての関心は、私の場合、ただこの一点のみにある。
それというのも、瀬川先生の影響である。
(その11)で書いているように、
瀬川先生はSA600を借りてきての自宅での試聴(もう試聴ではないのだけれど)をされている。
ステレオサウンド 52号の特集の巻頭で、
《SA600を借りてきて最初の三日間というものは、誇張でなしに寝食を惜しみ、仕事を放り出して、朝から晩までその音に聴き耽った》と、
1981年、ステレオサウンド別冊の巻頭では、
《およそあれほど無我の境地でレコードを続けざまに聴かせてくれたオーディオ機器は、ほかに思い浮かばない》
と書かれている。
まさしく夢中になって聴かれていたわけだ。
ステレオサウンド 220号掲載のSA750の記事をようやく読んだ。
小野寺弘滋氏が書かれている。
そこには《本機SA750は、SA600へのオマージュモデル》とある。
ステレオサウンドよりも先に出ていたオーディオアクセサリーの記事(小原由夫氏)にも、
オマージュモデルとある。
何をもってオマージュなのか。
アピアランスが似ていれば、そういえるのか。
オマージュモデルに関しては項を改めて書きたいぐらいだが、
私には、ステレオサウンド(小野寺氏)とオーディオアクセサリー(小原氏)、
どちらを読んでも、まったくそうとは感じなかった。
私にとってSA750がSA600のオマージュモデルであるためには、
《最初の三日間というものは、誇張でなしに寝食を惜しみ、仕事を放り出して、朝から晩までその音に聴き耽った》
そういう音を、いまの時代に聴けるかどうかである。
夢中になって音楽を聴ける音。
ただそれだけをSA750には求めていた。
でも、それは無理なこと、とは最初からわかっていたといえばそうである。
それでも、どこか期待していた。
だから音はどうなのか。
小野寺弘滋氏の文章は、あっさりしたものだ。
まったく熱っぽさがない。
小野寺氏を責めたいのではない。
SA750が、そういう音であった、というだけのことだ。
真剣に音楽を聴く、
まじめに音楽を聴く、
音楽と向きあいながら聴く、
そんなふうに音楽を聴く態度を表現するわけだが、
これらと「夢中になって聴く」とは、同じとはいえそうなのだが、
違うといえば違うところがある。
何をしながら音楽を聴く、ということからすれば、どちらも同じことである。
まじめに音楽を聴いているのだから。
それでも夢中になって音楽を聴くは、少し違う。
その演奏をまじめに聴く人と、その演奏を夢中になって聴く人とは同じではない。
一人の聴き手に、まじめに音楽を聴くと夢中になって音楽を聴くとがある。
ジュリーニによる「ファルスタッフ」を、これまでまじめに聴いてきた。
少なくとも私のなかではそうであった。
けれど夢中になって聴いてきただろうか、と、
今回バーンスタインの「ファルスタッフ」を聴き終って、そんなことを考えていた。
TIDALにバーンスタインの「ファルスタッフ」があった。
あったのは知っていたけれど、今回初めて聴く気になったのは、
MQA Studioで配信されるようになったからだ。
とりあえずどんな演奏なのか聴いてみよう、
そんな軽い気持からだった。
聴き始めた時間も遅かった。
十分ほど聴いたら、きりのいいところで寝るつもりだった。
なのに、最後まで、二時間ほど聴いてしまった。
夢中になって聴いていたからだ。
不遜な人Aと不遜な人Bとがいる。
ソーシャルメディアを眺めていると、
不遜な人Aの投稿、不遜な人Bの投稿、
そのどちらにもコメントを書き込んでいる人がいる。
不遜な人Aも不遜な人Bも、ソーシャルメディアでの、いわゆる友人づくりには熱心なようだ。
実をいうと、不遜な人Aと不遜な人Bとも、私はソーシャルメディアでは友達である。
私から友達申請したのではなく、向うからの申請があったからだ。
不遜な人Aとも不遜な人Bとも直接の面識はない。
不遜な人Aと不遜な人Bの投稿、両方にわりと頻繁にコメントしている人とは、
ソーシャルメディア上でも友達ではない。
なのにどちらにもコメントしていることに気づくのは、
服に特徴があるからだ。
それにコメントの内容にも、あっ、あの人だ、と思わせるところがある。
この人は反論めいたコメントは、
不遜な人Aと不遜な人Bの投稿に対してはしていないようだ。
他の人に対してはどうなのかは知らない。
意外にきついことをコメントしている人なのかもしれない。
ただ不遜な人Aも不遜な人Bも、メーカーの技術者であり、
わりと名の知られている人だから、そういう態度なのかはどうかはなんともいえないが、
その人のコメントは、私が嫌うタイプのコメントである。
私が嫌っているから、コメントとして程度が低いとかそういうことではなく、
どこかご機嫌取り的でもあるし、
私は、あなたのいうことをきちんと理解しています、といいたげでもある。
もっといえば、どこか、新興宗教の初期の信者のようでもある。
そう感じていたところに、
(その2)へのTadanoさんのコメントさんのコメントがあった。
周波数領域の特性よりも時間軸領域の特性こそ重要である、
と主張する人が増えてきている。
このことを言っている人たちのなかには、
周波数特性を狭義のほうで捉えていたりする人もいるわけだが、
以前、周波数特性については書いているので、ここではくり返さない。
時間軸領域の特性こそ、という主張に異論はない。
時間軸の重要性ということではMQAも、そこから生れた技術である。
けれどそんなことがいわれる前から、
気づいていた人たちはいた、と私は見ている。
*
こうしたことをなぜいわなければならないのかというと、ジェームス・バロー・ランシングのスピーカーに対する姿勢というものをはっきりさせておきたかったからだ。あくまでも彼はスピーカーの高能率化を何よりも強く望んでいたに違いない。能率が高いということは彼にとって何を意味していたのであろうか。少なくともJBLサウンドを再建したときには、彼は家庭用のハイファイ・スピーカー・メーカーとしてスタートをきったはずである。つまり家庭用なのであるから、それほど高能率の必要はなかったのではないのか、当然そういう疑問が生じてくる。そう考えるとジェームス・バロー・ランシングが目ざした高能率とは音圧のためのではなく、もっと他のための高能率ではなかったのだろうか。他の理由──つまり音の良さだ。
周波数特性や歪以外に音の良いという要素を感じとっていたに違いない。その音の良さの一つの面が過渡特性であるにしろ、立ち上がり特性であるにしろ、それを獲得することは高能率化と相反するものではない。むしろ高能率イコール優れた過渡特性、高能率イコール優れた立ち上がり特性、あるいは高能率イコール音の良さということになるのではないだろうか。私にはジェームス・バロー・ランシングが当時において今日的な技術レベルをかなり見抜いていたとしか考えられない。そうでなければあれだけのスピーカーができるはずがない。
*
岩崎先生の文章だ。
「オーディオ彷徨」にもおさめられている「ジェームズ・バロー・ランシングの死」の中に出てくる。
書かれたのは、1976年、雑誌ジャズランドの10月号である。
これを読んで連想することは人によって違うのかもしれないが、
私は、時間軸領域の特性の重要性を、すでにランシングはわかっていたはずだ。
理論的としてではなかったかもしれないが、
少なくとも感覚的にはわかっていた、と思っている。
SAEのMark 2500が届いて三ヵ月ちょっとが経った。
コーネッタから音を出さない日も、毎日眺めているのだが、
こんなに小さかったっけ、と思う。
アメリカのアンプだから、19インチ・ラックマウントのフロントパネルをもつ。
それに300W+300Wの出力だから、決して小さいアンプなわけはない。
Mark 2500をステレオサウンドで知ったとき、
大きいアンプだな、と思っていたし、
実物を見ても、やはりそう感じていた。
なにをもってフルサイズというのか、
それを語るところから始めなくては──、と思いつつも、
Mark 2500は、当時のアンプとしてフルサイズといえる一台だった。
つまり大きなアンプだったのだ。
なのにMark 2500の登場から四十年以上が経ち、
Mark 2500はむしろ小さく感じられるようになっている。
金属ブロックを削り出してシャーシーを作っているアンプ、
大きく重く見せようとしているアンプを見慣れてしまうと、
Mark 2500のサイズはコンパクトだな、ということになる。
自然空冷でなく強制空冷ということでヒートシンクの造りが、
簡単なモノですんでしまっていることも、そう感じてしまえることに関係している。
おもしろいもので、Mark 2500のサイズとプロポーションが、
自分のモノとして毎日眺めていると、発売から四十年以上経っているのに、
やたら新鮮に思える。
中学生のころ、Mark 2500を小さく感じられるようになるなんて、
そして新鮮に感じられるようになるなんて、想像できなかった。
オンキヨーがe-onkyo music事業を、
Qobuzを運営しているフランスの会社、Xandrieへ譲渡している。
8月に、e-onkyoがどこかに売却されるというウワサを聞いていた。
なので、今回のニュースにそんなに驚かなかった。
ただQobuz(Xandrie)だったのは、ちょっと意外だった。
e-onkyoがこれからどうなるのかはわからない。
しばらくはe-onkyoのままだろうが、Qobuzに取り込まれていくかたちになって、
Qobuz日本への上陸の足がかりとなるのか。
そんな気がするのだが、そうなったとしてMQAをQobuzはどうするのだろうか。
私が気がかりなのは、ここだけといっていい。
TIDALで多くのアルバムがMQAで聴けるようになっている。
e-onkyoにはないタイトルがかなりある。
一方で、TIDALにないMQAのアルバムもけっこう多いし、
サンプリング周波数に違いもあって、いまのところどちらもないと困る。
単なる予感でしかないのだが、TIDALのニュースも近々出てきそう。
(その2)には、facebookでのコメントが数人の方からあった。
そして、昨日(9月27日)に、こちらにもコメントがあった。
Tadanoさんという方からのコメントである。
ひじょうに興味深いコメントをいただいた。
(その2)にコメントがあったことは、私以外の人は気づきにくい。
なので、ここで取り上げている。
これから書く予定の(その3)以降の内容にも関ってくるので、
この項のテーマに関心のある方だけでなく、一人でも多くの人に、
Tadanoさんのコメントを読んでもらいたい。
菅野先生の誕生日に関することで、ひっかかっていることが一つある。
ステレオサウンド 206号(2018年春号)の特集。
97ページに、こうある。
*
たとえば『ザ・ダイアローグ』。猪俣猛(ドラムス)が、荒川康男(ベース)や増田一郎(ヴィブラフォン)、西条考之介(テナーサックス)など、7人のミュージシャンと楽器で対話する楽しいアルバムで、77年11月、菅野沖彦先生46歳のとき、イイノホールでの収録だ。
*
菅野先生は、何度も書いているように1932年9月27日生れだ。
1977年11月の時点では、1977-1932で45歳である。
黛 健司氏の文章だ。
黛氏のミスなのか。
多くの人はそう捉えるだろう。
それにしても編集部は、誰一人として、菅野先生の誕生日を知らなかったのか。
文章校正で誰も気づかなかったのは、そのためなのか。
でも、ほんとうにそうなのだろうか、と私は思う。
黛氏は原稿で45歳と、間違わずに書かれていたのかもしれない。
それを編集部が勘違いで46歳としてしまった──。
そんなことまずありえないだろう、と多くの人はいうだろうが、
私は後者の可能性を捨て切れずにいるのは、
黛 健司氏の誕生日も9月27日だからである。
それに1932年9月は、長島先生、山中先生の誕生月でもある。
私には、黛氏が1932年と1931年を取り違えていたとはどうしても思えないのだ。
1932年9月27日は、菅野先生の誕生日である。
菅野先生の80代の音、90代の音というのを想像してしまう。
どんな音を出されたのだろうか。
2008年だったか。
菅野先生が「痴呆症になった時の音に興味がある」といわれた。
老人性痴呆症になったときに、自分はどういう音を出すのか。
それにいちばん興味がある、ということだった。
それは空(カラ)になった音なのだろうか、といまは思う。
オーディオの勉強をして、いろんな音を聴いて、
いろんな工夫をして音を出していく。
そういう行為を、何十年も重ねていけば、
経験が、知識が、ノウハウが、その人のなかに積み上っていく。
だから「音は人なり」なのか、というと、
実のところ、そういったものすべてを捨て去って、
つまり空っぽになって出てくる音こそが、ほんとうの「音は人なり」なのではないか。
ここ数年、そう考えるようになってきたし、
菅野先生がいわれたことを思い出している。